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谷川俊太郎 続 [文学]

手元にある谷川俊太郎『はだか』(筑摩書房)の奥付は
1988年 7月30日 第一刷発行
1990年 8月20日 第十七刷発行

となっている。わずか二年で十七刷、という驚異的な
売り上げを果たした詩集なのだった。私はこの頃、
短歌の方に目が向いていて、現代詩を読んでいず、
たぶん、評判を知ってから慌てて買いに行ったのだと思う。

読んですぐさま納得した。やはり谷川さんは凄い。

『はだか』はA5判をやや細長くしたような大きさで、
段ボール紙のややぶっきらぼうな感じの箱付きである。
モノクロの挿絵がついていて、これは当時谷川さんの
パートナーでもあった、絵本画家・作家の佐野洋子さんによる。
ふと太とした線画が印象的だが、詩によりかからず、
かといって内容を邪魔しない、絶妙なスタンスを保っている。

収録されているのは23篇の詩で、主体は子供、
というか、子供の声で語りかけられている詩、と聞こえる
作品なのだった。それだけに切実さがあって、
どの詩も、読むたびに何か心の深いところを打たれているような
気になって、じん、としてしまう。

詩のなかには、男の子の声で語られるような詩と、
女の子の声らしいものと二種類あるのだけれど、
男の子の方が、断然いいのである。谷川さんが
かつて、男の子、だったからだろうなあ、などと想像する。
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谷川俊太郎 [文学]

現代詩人のなかで一番好きな人は、と訊かれたら
ためらうことなく即答する。谷川俊太郎さん、と。

初めて読んだ詩集が何だったかは忘れたが、
最初に購入したのはなぜか『谷川俊太郎詩集 続』(思潮社)。
奥付を見ると、1981年5月1日第三刷発行、となっている。
(短歌を初めて間もないこである。私は短歌より先に
現代詩の方を読んでいた)
不思議なことに初版の日付がないが、1979年らしい。

この本を読んでいるうちに、やはり『谷川俊太郎詩集』も
欲しくなって購入した。こちらの奥付は
 1965年1月29日 第一刷発行
 1983年12月15日 第十四刷発行

と併記されている。詩集で十四刷って、やはりすごい。
でも、読んでいると私は、『谷川俊太郎詩集 続』の方が、
好きかもしれない、いや、断然好き、という気がしてくる。
でも、もっと好きな谷川さんの詩集がある。
それは『はだか』・・・。(続きます)
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小川未明文学賞 [文学]

短歌結社「塔」の古い会員である土屋千鶴さん。
私は彼女自身を知る前に彼女の歌を読んでいた。
初めて買った「角川短歌」で、角川短歌賞の最終候補に
名前を連ねておられたからである。奈良の古代的な
空間を自在に飛翔しているような、大胆な作品で
心に残った。その時の彼女は「藤桃子」という筆名。

その後、初めてお会いした時、まさに「藤桃子」さんという
感じの可憐で愛らしい方で、すっかりファンになってしまった。
それで、本名の土屋さんに名前を変える、と言われたときは、
「え、どうして?」と違和をおぼえたことだった。
千鶴さんも素敵だけれど、桃子さんに馴染んでしまっていたので。

私の家に遊びに行きたい、と言われたのは二十年ほども前。
その時、小説を書いている、と打ち明けられた。
文芸誌の新人賞に応募し、二次予選まで残ることもあるとか。
すてきだな、頑張ってほしいな、と思っていたのだけれど。

彼女はその後、高校の国語の講師に就かれたと知り、
小説のことで話を聞くこともなくなっていた。
それが、なんと!
「第26回小川未明文学賞」の優秀作に選ばれたのだそうである。
おめでとう、土屋さん! 早く作品を読ませていただきたいです!
興味御有りの方は、小川未明文学賞のサイトを検索してください。
土屋さんの受賞後のコメントも読むことができますよ。

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『光源』 [文学]

桐野夏生の長編小説は、普段から読みたいと
思っているのだけれど、なかなか纏まった時間が取れず、
数日前に、ようやく『光源』を読み始め、たちまち没頭。
一気に読んだ。そのなかに、不思議にも、ずっと心に
留めてきていたことへの答え、らしき言葉に出会って、
はっとした。
その直前まで、先回書いた剣淵町の「絵本の里を創ろう会」
の三十周年記念誌へ依頼された作品に添付するための
写真の撮影に苦心していたところだった。
魔女が夜空を飛んでいる、そんな感じの写真を撮ろうと
悪戦苦闘していたところだったからである。

ともかく、桐野の文章の中の、その部分を引いてみる。

  自分の光源を持つためには、ただ撮影するだけでは
  駄目だと有村は気付いた。何をどう見るか。映画で
  描きたいものは何か。映画に、ひいては映画が
  表現しようとする人間に対する感受性を持たなければ
  光源を新たに作り出すことなどできない。ストラーロ
  が「光で書く」と言ったのは、物語を「光で書く」と
  いうことだったのだ。

撮影監督である有村が語る言葉として綴られているが、
写真撮影にもまったく、同様のことがいえるだろう。

私は物語を「光で書く」とまで、考える境地にはとても
なかったけれど、深い闇の中を、くらい情熱を抱えて
空を昇っていく魔女の姿を映し出したくて、色々と
奮闘した。黒い布と群青色の布を広げて、
小さなスタジオまで作ったりして・・・。
未熟ななりに一枚の写真撮影に没頭したのだったが・・・。

映画撮影にはさらに複数の人たちの動きが加わるのだから、
大変だなあ、と改めて思った。小説『光源』には、撮影現場の
人間模様もこまやかに描かれていて、このあたりも読み応えがある。

ただ、途中から撮影監督は姿を消し、一人の俳優の
転落の物語へと変わっていってしまう。撮影現場の「光源」を
描き切ってほしかった、と切に思った。
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E・ディキンスン [文学]

岩波ホールで上映中の「静かなる情熱 エミリ・ディキン
スン」を観てきた。チケットは大学の先輩に贈られたもの。
その気持ちが有難く、早起きして、朝一(11時~)
の上映を観ることに。それでも混んでいて、平日なのに
七割くらいは完全に席が埋まっていた。

ディキンソンの詩を初めて読んだのは、中学三年のとき。
その頃は、田舎に住んでいたのだけれど、父の会社の
付属図書館に、なぜか、急に外国の訳詩集が沢山入り始め、
誰も借りないから、私は借り放題。
その中に、アメリカの詩集もあり、ディキンスンも
収録されていた。三、四篇はあったと思うのだが、
「悲しみのようにひそやかに 夏は過ぎ去った」
というフレーズで始まる詩が素敵で、これだけで
私はディキンスンが忘れられない詩人になった。

映画の中では、たくさんの詩が朗読されていたけれど、
この詩はなかったようだった。『対訳 ディキンソン詩集』
(岩波文庫)には掲載されている。
「As imperceptibly as Grief」で、この詩の四行目、

 A Quietness distilled

だが、私がかつて読んだ詩集では「蒸留された静けさ」
となっていて、なぜかここが一番好きだったのだけれど、
岩波文庫では「ある静けさがにじみ出てきた」となっている。
これだけでもう、嫌だな、と思ってこの本はずっと棚の中に
仕舞いっぱなしになっていたのだった。詩の翻訳は、
本当に難しいものである。ちなみにほかにも「Perfidy」が
岩波文庫版では「背信」と訳されているが、「裏切り」の方が、
絶対に良いのに、と思ってしまう・・・。

ともかく、最初にこの詩を読んだ時に受けた静かな美しさの印象は、
私の中ではディキンスンそのものになってしまっていた。

映画の中のディキンスンは、意思が強く、頑固で、
かつ、自分の外見に大きな引け目を感じている女性として
描かれていた。作品と人、ということの微妙なズレは、
短歌の場面でもよく見聞きすることなのだけれど。
この強靭な意思、のイメージは、これからディキンスンを
読むときに、影響を受けそうである。
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藤沢周平体験(その7) [文学]

藤沢作品を読みながら、期せずして、
ずいぶんと色々なことを考えることになった。
この作家の多面性、つまり、エンターテイナーでありながら、
本格的な作家論に通じるような作品も書いていたこと、がひとつ。
そして、山形県出身(私も幼少期を過ごした)である、ということが大きい。

先回、『白き瓶』の中の一節を引いたが、この文章を
読む限り、藤沢は左千夫よりもずっと、茂吉や節の方に近い。
つまり郷土の自然に対する強い愛着を持って
表現に向き合った人、といえるだろう。

『乳のごとき故郷』(文芸春秋)は、藤沢の死後、
彼があちこちに書いた故郷にまつわるエッセイを
集めて出版された本だが、これを読むと、彼が
どんなふうに故郷を思い続けていたかがよくわかる。

特に、「緑の大地」と題された文章には、
「庄内人の穏やかさというものを指摘されたことがある」
として、かの地が藩主酒井の善政のもとにあったこと、
それを支えたのが、豊かなコメどころだったことなどを挙げ、
ほほえましいほどの「ふるさと自慢」を展開している。

同じ山形県であるが、こうはいかなかったなあ、
と自分が育った、南西部の小さな盆地のことを、しみじみ
思い返してしまう。一年の半分は、一メートル以上の
雪に閉ざされていたその町のことを、忌々しく思うことはあれ、
懐かしく思い出すことなどまったくないのである。

とりあえずは、歌の材料にはなる。自然を見るときの、
折々は、負の方向からであるが、それなりの鋭さは
磨かれたのではないか、と(そう思わなければ、
当時の記憶があまりにもみじめである)。

とはいえ、『白き瓶』を読んで、ようやく気付いた。
藤沢然り、茂吉に然り、愛した方が勝ち、
愛し続け、思い続けることが、表現者にとって
(憎み続けることより)はるかに大きな財産なのである。

藤沢周平体験(その6) [文学]

そんなこんなで、永田和宏氏が『白き瓶』を
称賛されるのを耳にしてから二十四年もして、
ようやく私は、この書を読もう、ぜひ読みたい、
読まなくちゃ、という気持ちになったのである。

この書はほかの藤沢作品に比較すると、
異例の大冊である。文庫本でも500ページ近くある。
それでも、読み始めたら早かった。
私にとって、それだけ魅力的な書だった。

山形出身の藤沢だが、惹かれたのが茂吉ではなく、
なぜ長塚節だったのだろう、という疑問を
なんとなく抱いていた時期もあったのだが、
少しずつ、納得できる気持ちになっていた。
農村社会の旧弊、そして病気とに最後まで痛めつけられた、
長塚に対する思いは、また藤沢自身が味わってきた
ことから来たものに違いないのである。

この書でなんとも魅力的なのは、伊藤左千夫である。
豪胆にして繊細、狡猾にして無邪気な
なんとも破天荒な人物として、実に生き生きと描き出されていて、
圧倒されるのである。節は彼に翻弄させられ続けるが、
かといって、最期まで憎むことができない・・・。

茂吉はこの書の中では冒頭近くに登場している。
長塚節の代表作ともなった
  馬追虫(うまおひ)の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし
を含む「初秋の歌」12首を、茂吉が絶賛する、という場面からである。

この茂吉の描き方にも、藤沢の、「地方人」に対する鋭い観察眼が
注がれている。

  しかし甲之も左千夫も、山形県南村山郡金瓶村の農民の子である自我を
  強烈に保ち続ける茂吉ほどに、この歌に興奮したかどうかは疑問である。
  そこ(「初秋の歌」)には、初秋の相をうたって、農村、山村に育った
  人間ならば容易に気づく把握の凄味とでもいうべきものが現れていたの
  だが、その凄味というものは、都会育ちの人間、あるいは甲之や左千夫の
  ように農村の出ではあっても生地の風土に茂吉ほどの執着を持たない
  人間は、あるいは見過ごしかねないものでもあったからだ。
                        藤沢周平『白き瓶』

藤沢周平体験(その5) [文学]

藤沢周平原作の映画を見始めたころ、
この作家が山形県出身であるということを知った。
私は中学を卒業するまで山形県で暮していたので、
親近感が生ずるということはあったが、実はかなり薄い。

というのも、私が育ったのは新潟県境近くの
県南西部で、藤沢の出身地である庄内には遠い。
山形県に住んでいた時は、新潟へは頻繁に出かけたが、
庄内には一度も行ったことがなかった。

ところで、関西出身の相棒はいつも
「山形って、人材輩出度が低いよね。
有名なスポーツ選手、いる?俳優とか、歌手とか、
学者とか、いる?ほとんどいないでしょ?」
と、バカにしまくっている。

「いるよ、歌手は岸洋子(そういえば、歌手っていないなあ)
俳優は渡辺・・ええと、なんて言ったかな、
私と同世代の太っている女優、それから、スポーツは
広島にいた栗原(あ、彼最近出てないな)・・・。
学者は私が一時入学した(父の転勤で、すぐに転校することには
なったが)高校の出身者でもある法学者の我妻栄・・・」

「我妻以外は、ほとんど大したことない人ばっかり、じゃない。
山形出身の有名人なんて、ほとんど聞かないよな」
と、一方的にけなされる。

「あ、作家はいるじゃない。天下の斎藤茂吉、
それに井上ひさし・・・(うう、少ないかも!)」
藤沢を知ってからはそこに加える人名が一つ増えたわけだが。

人口少ないし、それに山形県人の多くはシャイで、
地道に自分の道を歩く人が多い。世の中で目立とう、
なんて考える人は少ない結果じゃないだろうか。

それでも、藤沢の書を読んでいると、
ああ、山形の人だ、と思える瞬間が何度もある。

藤沢周平体験(その4) [文学]

藤沢周平の作品を時々、思い出したように
手に取ってきたのは、多くは短編で、
待ち時間などがあるときに用意していくと便利だったから。
内容も肩の凝らないエンターテイメント系で、読みやすい。

ところが、昨年、『一茶』を読んで、この作家の印象が
大きく変わってしまった。ご存知、北信濃出身の俳人の、
伝記風の作品だったのである。

一茶なら、小学生の頃からその作品を知っている。
「やれ打つな蠅が手をすり足をする」
「痩せ蛙負けるな一茶これにあり」
などという俳句は、子供にもわかりやすく、
優しく素朴な文人なんだ、とずっと思ってきていた。

でも、藤沢の『一茶』には、まったく衝撃を受けた。
そんな一茶のイメージを大きく変える、
なんというか、ものすごくしたたかで
豪胆な人物として描き出されていたからである。

俳人として江戸でそれなりに名を挙げた彼は、
だが、もちろん、俳句だけで食べていくことなんか
できなかった。それでどうしたかというと・・。

彼は俳句に理解のある豪農や豪商に近づき、
援助してもらえるように立ち回る。
「地方で句を広めるための旅に出る」
といっては餞別をもらい、それを生活費に充てる。
地方では各地の豪農宅に泊めてもらって、
そこで句会をしながら、しばらく糊口を凌ぐ・・・。

なんだか、今の歌人の実態とそう大きくは変わらんような・・・。
藤沢は一茶の作品に惑わされず、その実態を冷静に、
かつ冷酷に暴いているように読めたのだった。

藤沢周平体験(その3) [文学]

先回は触れなかったけれど、映画「たそがれ清兵衛」を
見たあたりから、『白き瓶』の作者像が江戸のチャンバラものも
書いていた作者に、近づいてきた感がした。
当初に感じた齟齬感は、少しずつ消えていき、
この作家への興味は少しずつ膨らんできて・・・。

一冊の時代物小説を手に取ったのは
それでも、永田和宏氏のあの『白き瓶』称賛の言葉を
耳にしてから二十年近くも経っていた。今は、
始めて読んだ藤沢作品が何だったのか、思い出せない。
ただ、何かとても悲しい内容のものが多い短編集だった。

この作者は、古い家父長制、男尊女卑、地方と都市の格差、
階級の格差などに敏感で、それらによって生まれる
どうしようもない不幸を表現しようとする作家
でもあるらしい、と、ぼんやりとながら理解できたのであるが・・。
最も魅力的に思えたのは、叙景の表現がとてもうまいということである。

  荒れ地を横切る間に、小暗い視界に乳のような
  白い光がまじり始めていた。夜は大急ぎで
  朝と交替しようとしているらしかった。
  上流は端から十間ほどのところで急に左折して、
  水路は日にかがやく青葉の奥に消えている。
  ・・・十七の若さはその地味な装いを内側から
  突きやぶって、外に現れずにはない。・・・・
         藤沢周平

これはたぶん、『決闘の辻』の一部だったと思うのだけれど、
ちょっと今確認できないでいます。すみません。
(この項、続けます)