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予期はしていた、が [生活]

一週間余り前の夜遅く、父が亡くなった。
亥年、一月生まれだったので、九十六歳と二週間。
三年前から施設に入り、その後、認知症は進んでいたが、
食欲は十分すぎるほど。でも、去年は何度か、病院の
お世話になり、ついに施設を退去。
点滴のみが頼りとなったのが昨年十月末。

あれからなんどか危機的な場面はありながら、持ち直していた。
すごい、なんというラストスパートだろう、と思っていたが。

この時期に逝かれるのは、ほんと、困った。
「塔」関係の雑用が沢山あって。その他にも・・・。
父は時々、酷く意固地な面があったが、
これは最後の意固地、いや、最後まで意固地・・・。
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歌集のおまけ? [短歌]

歌集を読んでいると、わからない言葉や読めない漢字が
沢山登場する。初めて買った歌集二冊、についてどこかで
書いたことがあるが、一冊は『中条ふみ子歌集』、そして
『安永蕗子歌集』。前者はすいすい読めたが、安永氏のは
初心者には難解な上、知らない言葉、読めない漢字などが多く、
苦慮したことを覚えている。それでも読み続けたのは、何か
惹かれるものがあったからだろう、実際、今は
かなり好きな歌人の一人である。


年代の異なる歌人なら、言葉が分からないのは当然と思うが、
余り年齢の違わない、つまり十歳くらいしか違わない人の
歌集でも、知らない言葉が頻出して戸惑うことがあるのだが。
私の場合、それは仏教用語に関する言葉を知らないから、と
気がついている。たとえば、最近読み返した伊藤一彦氏の
『微笑の空』のなかに、こんな歌があった。

  草の上(へ)に足拍子とるをさなごの白き拈華に目をみはりけり
                   伊藤一彦『微笑の空』

拈は「ひね(る)」と読むので、ここは「華をひねる」ということに
なるのだが、はたして・・・。辞書を引くとやはり仏教に関係する
言葉として「拈華微笑」という熟語が出てくる。ちなみに「拈華」
だけの熟語は、漢和中辞典や日本国語大辞典にも出てこない。

「拈華微笑」は、釈迦が蓮の華を取って弟子に示したところ、迦葉
だけがその意味を汲んで笑った。そこで釈迦は彼にだけ仏教の
心理を授けた、という故事から、生まれているらしい。
心から心へ直接伝わる、
つまり以心伝心、みたいな意味らしい。となると、
伊藤一彦さんの上記の歌は、子供の足拍子から何か、とても
貴重な真理を得た、ということになるだろうか。
短歌の難しさは、こう言うところにも潜んでいて、だけど、
難しい歌ほど、長く心に留まることも確かなのだった・・・。
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題詠 心の鬼 [短歌]

昨日の横浜歌会、題詠の月で、出題されていた題が「心の鬼」。
節分の日だったので、そこに掛けての題だっただろうけれど。
なかなか難題だった。私は最後まで歌が詠めず、締切ぎりぎりに
提出。参加者も減るのでは、と危惧したのだが何と!
二十名を超える盛況で、みんな扱い易い「心の鬼」を
飼っておられるのかなあ、と苦笑・・・。

想像していた通り、色々な形で詠まれていて、
ずばり、自分の心情に見られる「鬼」的な部分を詠まれた歌、
(嫉妬や嫌悪、憎悪、侮蔑など)の他に、視覚的「鬼」の登場
する歌、とか、心情を炎に仮託したのか、「火」の歌だったり
・・・とそれこそいろいろ。

最高得点を取ったのが、自分の心の鬼、と思って見つめたものが、
じつは「ココロノオニ」と発音の近い、ある昆虫だった、というもの。
語呂合わせのような、面白い作品だったこと、また、その昆虫が、
かなり身近によく見られる、つまり視覚的再現性が高かった、という
ことが人気の理由だったようだ。視覚に訴える作品はいつも人気が高い。

でも、もっと直球勝負の歌が読みたかったかな、と言う気がした。
自分の歌も、心の鬼を見つめきれないでいる歌になってしまった。
鬼は確かにいるんだけれど。なかなかピントを合わせて、言葉にする、
というのが難しい。

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ちひろ伝 [藝術]

いわさきちひろという画家に興味を持ちだしてから、
彼女が手掛けた絵本を何冊か手にとってみた。
ちひろ美術館が都内にあることも知っているが、
こちらにはまだ、足を運べていない。

最近図書館で『いわさきちひろ』(講談社+α文庫)という
本をみつけて、読んでみることに。著者は黒柳徹子と飯沢匡。
黒柳がちひろにゆかりのある人々と対談した内容が、
飯沢が取材して書いた伝記の間に挟まれる、という構成になっている。

ちひろが描いた絵がところどころに掲載され、特にプロデビューする
前の、戦後まもなく描かれた市井の人々の姿を捉えたデッサンなどが
多く含まれている点。また、ちひろは書道にも打ち込んでいた時期があって、
書道の持つ、一気性や余白を生かすという特徴などが、その後の画業に
生かされている、などの点を知ったことなどは大きな収穫だった。

彼女が多く、赤松俊子(のちの丸木俊子)から大きな影響を受けた、
ということも、私は知らなかったが、色彩や筆致に伺えることで、
腑が落ちた。小さな文庫ながら、内容の濃い一冊だったと思う。

ただ、飯沢匡、と言う人の文章には最後まで馴染めなかった。
劇作家として放送台本などに手を染めておられたことは、
良く知っている。子供の頃、テレビで名前をよく見かけ、
「匡」って、どう読むんだろう、と思った記憶も残っている。

だが、文章はどうなんだろう、たとえば

  ・・私は「ちひろ」の評伝を描こうと、俊子画伯を十年ほど前に
  訪れたときに、そこらあたりのことを聞かされたが・・・・・・。
   私にいわせれば、夫婦で原爆図の屏風を描き、それを持って
  世界中を回り展覧し、各廃絶運動を展開しているのに、十分な
  自信と満足を持っていると断じた。


このあたり、どういうことを言おうとしているのか、よくわからない。
 また、

  たとえば私は、あまり深く触れることをしなかった「男民」と
  綽名された「岡村民」という女性の幼稚園長の存在にしても、
  私には一つの大きな犠牲というほかないのである。

というあたり。意味はだいたいわかるが、何とも歯切れ悪い。
こういう読みにくい文章が、飯沢の担当部分に頻出するのである。
ちひろ本人は亡くなっているものの、一人息子の猛氏を始め、周囲の人々は
まだ健在である。彼らに気を遣っているうちに、筆が鈍ってしまった、
ということなのだろうか。
ちひろの絵の技術的な面は、この書によってよく見えてきたものの、
絵の本質的なものは、よけいにこんとんとしてしまったような気がする。
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思いがけない歌集 [短歌]

昨日、郵便受けに入っていた一冊の歌集。
とても意外な方からの歌集だったので、驚いた。
作者Yさんは、私の相棒の大学院時代の同窓生Gさんの奥さん。
十二年ほど前、中国で開かれた学会に互いに夫婦連れで同席。
その時に私はこのご夫婦とは初対面だった。

学会の後、中国南部を一週間ほどかけて一緒に旅行し、
その折、彼女が短歌を詠んでいる、ということを
夫君のGさんからお聞きしたのである。
その時、YさんはGさんに
「いやだ、人に言わないで、って言ってるでしょ。
これから続けていけるかどうか、自信ないんだから」
と、仰っていたことを覚えている。

でも帰りの飛行機の中では、ずいぶんと色々、短歌の
話をした。どんな歌集がお勧めか、と訊かれ、
答えると、丁寧にメモされていたことは覚えている。
帰国後、私は自分の歌集をお送りしたし。
「塔」の大会が東京で開かれたときに、一般参加できる
講演のチラシをお送りし、来てもらったこともあった。

茨城での大会の時にもチラシを送ったのだが、その時はなしのつぶて。
歌はやめられたのかもしれない、と思っていた。

でも、こうして十年余り(出会ったときは、歌を始められた
ばかりだったのだ)も、歌に関わり続け、一冊にまとめるほどの量を
作っておられたんだな、とちょっと感慨深いものがあった。
私のことを覚えていてくださって、歌集を送って下さったということにも。
短歌が取り持ってくれた、不思議なご縁である。
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睡眠と起床 [生活]

みんな、何時間くらい寝て、何時頃に起きているのだろう。
私の両親は夜型で、特に母親は極端に朝が苦手な人だったから、
結婚する前は遅寝、遅起きが習慣になってしまっていた。
子供の頃、早く起きると、母は極端に不機嫌になったりした。

結婚してからは、しばらく公務員をしていたこともあって、
夜更かしは減ったものの、朝起きられない、と言うことが多く。
職場にはいつも時間すれすれに飛び込んでいた。
仕事を辞めてからの方が、早く起きられるようになったのはつまり、
職場に行くのが心底嫌だったからだ、と遅れて気づいた(アホだ)。

それでも早起きの習慣は身につかないままだったが・・・。
昨秋、思うところあって、起床時間を大幅に早くし始めた。
目標は、六時十分。そして、毎日起きた時刻をカレンダーにメモ。
この目標時間を、半分は達成できている。残りは、六時半前後。
一か月に数度、七時を過ぎてしまうことはあるものの。
長いこと続いていた「朝、苦手」から脱出しつつある。

良いことは沢山ある。まず午前中の時間を有効に使えること。
明るいうちは、きっと悪いことは起きない、と信じていたりするし。
夜、寝つきが良くなること(十時半には眠くなる)。

でも、この先、ずっと続けられるかどうかは、わからない。
そもそも、家族に問題があって、その不安が、こういう
生活に結びついているから。
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ゆるしの色 [短歌]

少し遅れて、「塔」一月号が届いた。このところ、
家族の問題でバタバタしていて、集中力に欠けてるなあ、と
自己分析しているところ。「塔」を読み始めても長めの文章が頭に
入ってこない感じ。とりあえず、例月の作品をあちこち
拾い読みしている。すると、こんな歌が目に留まった。

  むらぎもの心のような聴色(ゆるしいろ)あわいピンクとメモに書きおく
                      菊井直子
ああ、許しの色って、聴色、とも書くんだな、と改めて気づかされる。
平安時代の頃、禁色と呼ばれる色があった。身分の高い人しか身に着けては
ならない、とされる色で、私が知っているのは深紫、とか赤、黄丹色とか。
禁色に対して、誰にも許されている色があり、それを許し色、と呼んだ。
赤とか紫などの淡い色である。作者の菊井さんは、「淡いピンク」と
メモしておいた、と言う歌。上の句が素敵な一首である。
「むらぎも」は、心にかかる枕詞。

「聴」と言う字は「聴す(ゆるす)」とも使うんだなと知ったのは
数年前。「人の言うことを聴かないやつ」とか、よく言うけれど、
つまりは「心を許さない」という意味が含まれるらしい。
面白いな、と思っているうちに一首浮かんだことがあった。

  半顔を夕陽に染めつつ綿雲がふいにささやく「聴してはだめ」
                        岡部史

菊井さんの上記の一首もそうだが、私のこの歌も
「許」を使っては、台無しになってしまう歌である。
許可の許では、事務的過ぎて、ここはやはり、何か人間の
湿度の高い感情がまつわりついているような、「聴」でなければ。
 
  

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絵本を読む(その4) [藝術]

今回は絵本を「読む」というより「見る」というべきか。
東逸子絵、宙野素子文『月光公園』(mikihouse 1993年刊)
雑誌Moeで知り、その絵に惹かれて、当時すぐに購入したもの。
長いこと手にとっていなかったのだが、昨年六月から絵を描き始め
ふっと思い出して、すぐ手元の書棚に移し替え、何度も見るようになった。

この本は、大人が見るための本であって、読むためのものでも、
子供のための本でもないような気がする。
超絶的なテクニックを駆使して描かれた絵!

その幻想的な、怪しいまでの美しさに私は見るたびに
金縛りにあったように、視線を動かすことができなくなる。

年開けてすぐの2週間前、無謀にも模写を試みることに。
主人公となっている少年が、月光の降り注ぐ公園の中で、
軽く飛び跳ねている場面。全32頁中の一頁を選び模写し始めた。
近くには凝った形の噴水、そして不思議な形のオブジェ。
月の光を浴びた木木。うっすらと
黄味をおびている近い空、深い青の遠い空・・・。

全体が青と緑で統一されたような画面である。でも
その青と緑が、幾種類も描き分けられて出来上がっている頁である。
少年が着ている絹状の服も、うっすらと水色を帯びた白。

一枚目は大失敗。二枚目もうまくいかず、ついに三枚も描いたが・・。
東さんの技巧の凄さを何度も発見させられるような体験になった。
色彩が描く、一篇の物語、でも長い、長い物語を今も
読んでいるような気がする。懲りずにまた、模写しよう、と思う。

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映画・スーパーエイト [映画]

年明け早々、色々なことがどっと重なって、綱渡りしている
ような日々である。一週間ほど前は風邪っぽくて、このまま
寝込んだら、大変だ、と薬を飲んで早々に寝ちまったり(寝込んだ、と同じ?)。

昼間バタバタして、ようやく夜になると、ちょっとほっとする。
映画を見るのはそんな時間なのだが、多く見過ぎている、とも言えるわけで。
題名だけだと、見てないような。短い説明を読むと、既に見た映画のような
気もして。だけど見始めると、やはり見ていないようだ・・・。
という微妙な映画を見ている、というようなことが少なからずある。

確実に見てしまった映画は、見始めると数分のうちに思い出す。
そういう場合、問題ないのだが、「う~ん、見てないよね、でもストーリーに
既視感がある」と言う映画が一番困りもんだ。最近観た
「スーパーエイト」が、まさにそれ。

同年の男の子が数人、映画をつくろうとしている。
女の子をひとり役者として引き込み、深夜の駅で、
別れの場面の撮影に入るのだが、やってきた電車が
線路上の乗用車に衝突し、脱線、大破するのである・・。
その列車には、実は重要な軍の機密が隠されていて・・・。
少年たちが設置した八ミリカメラがそれを撮影してしまっていた。

う~ん、聞いたような話だ、と思いつつ、いつしか
映画の世界にのめり込んでいた。だいたい、よくありそうなだけに
魅力的な展開だし、アメリカの子供たちならではの奔放さ、
背伸びした感、満載で、何とも楽しかったのだ。

だって、どうみても12,3歳と思える少年たちの、
ある子はメイキャップや模型作りが得意、ある子は火薬づくり、
ある子は、シナリオ作り・・・。と大人顔負けの創造性を発揮したり、
こっそり親の車を動かして(勿論無免許)、深夜の駅構内に忍び込んだり。

日本の子供たちに、こんな羽目を外せる余裕はないだろうなあ、
とつくづく羨ましくなってしまうのである。

映画のストーリーはやはりありきたりな感じがするが
(だから既視感がぬぐえないのだろう)、生き生きとした子供たちの
演技と、大人たちの既成観念に抗して、自分たちの価値観を主張して
いるところが素晴らしかった。
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映画・羊の木 [映画]

お正月、WOWOWで録画しておいた映画の一本。
ヒューマンサスペンスという分野にくくられる作品のようだが。
原作は、山上たつひこのコミックスらしい。
北陸の魚深という町に、仮釈放された受刑者が住居と仕事付きで
受け入れられることになる。極秘の国家プロジェクトとして。
なんと六人も、そして彼らは全員殺人犯なのだった!
あり得ない、あり得ない、と思いながら見始める。

若い男性市職員の月末が担当者となり、六人を一人ずつ、迎えに行く。
若い男二人と若い女、中年の男と女、初老の男・・・。
それぞれ、立場も違うし、同じ殺人とはいえ、その罪の程度も
かなり異なる。でも、殺人犯だったことには違いなく・・・。

六人も一度に受容されたから、それぞれの立場の違い、というのが
わかり、ひとくくりにはできない、とはわかるのだけれど。

その分、展開が散漫で、サスペンスとしての緊迫感が薄れてしまっていた。
「ヒューマン」という部分より、サスペンスに重きを置いた方が良かった
のではないか、と私は思う。
つまり、元受刑者は松田龍平を中心に、二人か、せめて三人に絞り、
小さな町での人々とのふれあいと葛藤とを丁寧に描くべき
だったのではないか、と思われた。

「羊の木」は題名としては魅力的な感じがするが、なぜ
なのか、今ひとつわかりにくい。元受刑者の一人の女が、
槌の中から掘り出した絵皿のようなものに描かれていた絵が、
「羊の実っている木」で、彼女はそれを大切そうに部屋に飾っているのだが。

羊のなる木というと、マルコポーロが『東方見聞録』のなかで、
初めて綿の木を目にし「まるで羊のなる木」と驚いた、という
エピソードを思い出してしまう。当時西洋に綿がなかったからで、
私はこの本を読んで、こんな歌を作ったこともある。

 むくつけきマルコ・ポーロが「東洋の羊の成る木」と畏みて記す
           岡部史『コットン・ドリーム』

でも、もちろん、これとは全く関係ないみたいだ。
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