So-net無料ブログ作成
検索選択

北海道ミニ(その6) [旅]

ビート博物館でタクシーを呼んでもらい、帯広駅へ。
JR根室本線を使って、釧路へ行くためである。
11時40分発「スーパーおおぞら」に乗る予定。
昼食は列車の中で摂ることにして、駅弁を色々と
探す。帯広に来て、まだ帯広名物の豚丼を食べていなかった!

どこのが美味しいかな。多分駅前でいつも行列ができていた
あのお店がうまいのだろうけれど、もちろんそんなところに
並んでいる時間的余裕はない。コンビニでさりげなく聞いてみる。
「そこの豚はげさんのもかなりいけますよ」とのこと。
つまり駅ビルの中にあるお店で、テイクアウトもできるのだ。

弁当は三種類で、大きさによる違いだけ。私は豚二枚の
小弁当、相棒は豚四枚の中弁当を買う。お値段は670円と940円。
北海道のJRには、ずっと乗りたくていて乗れなかったので、
本当にワクワク。スーパーおおぞらは、乗客率は二割くらい。
その約半分が外国人である。私たちの乗った車両には、
西洋人が四人。中国人らしい家族が三人・・・。

豚丼は期待以上に美味だった。豚そのものにコクがあって、
また特製のたれも、甘すぎず、辛すぎず。豚全体に
かかっている胡椒がなんともいい。ああ、全部食べてしまうの、
惜しいなあ、と思いつつ完食。でも二枚くらいが私には限度。
豚丼の包み紙に記されている帯広開拓の祖・依田勉三の

  開墾のはじめは豚とひとつ鍋

の句に、当時を色々と想像する。読むほどに味わいが感じられる。
後は窓の外をずっと眺めていた。揺れている白い花は
ノコギリソウかな。やがて海が見えてくる。冥い北の海。
霧が出て、視界は狭い。ああ、北東の果て近くまで来たんだ。
帯広と釧路は近いけど、ダンチだなあ・・。
と、豚丼食べてほっとしているくせに、気持ちは少々感傷的。
nice!(0)  コメント(0) 

北海道ミニ(その5) [旅]

三日目の午前は、帯広市の南にあるビート資料館を
訪ねる予定にしていた。今回の旅の重要な目的地の一つである。
元の帯広製糖所の敷地内に、三十年ほど前に建てられた、レンガ色の
二階建て。明治の香りのする瀟洒な建物である。

九時半の開館と同時に入ると、初老の紳士が出迎えてくれた。
物腰も、丁寧な対応も身なりも、イギリス映画に登場する執事、
を思わせるような人である。ちなみにその時の客は我々二人だけ。
その係員の男性は、すぐに
「お時間の余裕はどのくらいでしょうか?」
とたずねてきて、10時40分にはここを出たいと告げると、
「かしこまりました、十分と存じます」
と応え、まずは映写室に案内してくれた。そこで
ビート糖の生産過程を紹介する15分くらいの映像を見る。
その後、館内を丁寧に案内してくれたのである。

北海道のビート栽培とビートによる製糖は
困難を極め、幾度かの挫折を経てようやく定着したものだった。
砂糖というと南方で栽培されるサトウキビの方を思い浮かべるし、
実際世界の砂糖の生産量に占める甘蔗糖の割合は大きいのだが、
日本では、生産される分蜜糖の七割強がビートを原料とするのである。
そしてその生産の中心が帯広近辺なのだから、帯広が
お菓子の街となったのも、当然と言えば当然なのだった。

ところで私はこれまで、甘蔗糖とビート糖の味の差が
今ひとつわからなかった。確かにその味の差は軽微で、
漫然と口にするとわかりにくいが、ビート糖の方が
すっきりとして上品な味わいがある。これがまた、
お菓子の味の決め手になるのだそうだ。

ビート資料館を運営するのは、日本甜菜製糖という会社で
個々のブランドはスズランの花のマークで有名である。
そういえば子供の頃、我が家ではよくこのマークの砂糖を
購入していたっけ。このあたりで作られていた砂糖だったのか!
と懐かしくなった。

夢中で説明に耳を傾けるうちに時間が来てしまい、
この「執事」さんともお別れすることに。
ちなみに資料館の入場料は大人300円。小箱入りのビート糖が
お土産にもらえます・・・。
nice!(0)  コメント(0) 

北海道ミニ(その4) [旅]

十勝バスが企画する一日観光。大型バスにこの日の参加者は
たった五人。平日だからしかたないが、ちょっと寂しい。
でも、ガイドさんは元気いっぱいの妙齢の女性で、皆に
気を配ってくれながら、とても丁寧なガイドをしてくれた。

帯広は、観光用の庭園が多くあり、この定期観光の中にも
二つの庭園見学が組み込まれていた。その一つ、ヌップクガーデン
には驚かされた。何しろ個人が自ら築いた広大な庭園で、多種多様の
植物が咲き乱れ、小川や池、滝までこしらえられているうえ、
入場無料、と来ているからである。まったく、北海道には
本州では考えられないようなやり手で太っ腹な人がいるものだ。

午後のコースは、完全に「甘味巡り」と言っていい。
先回も書いたように、帯広はお菓子の街なのである。
六花亭は午前中に立ち寄ったが、ほかに二店の菓子舗に
立ち寄る。一つは柳月。ここは「三方六」と呼ばれる
バームクーヘンで有名な老舗である。特徴的なのは
その樹皮に当たる部分が白樺にそっくりに仕立てられているところ。
店舗はまるでホテルのロビーのように広く豪華。
店内に休憩施設がもうけられていて、購入したお菓子を食べることができる。

もう一つは、クランベリーというお店。こちらは柳月ほどの
大きなお店ではないが、スイートポテトで有名。

他に、明治乳業の工場見学も盛り込まれている。
近代的な設備の工場内を見せてもらい、チーズの味比べをしたり、
様々なチーズにまつわる紹介があったりで、楽しかった。

私はバスの窓から見える、途中の景色も十分堪能した。
バスの旅の楽しさは、運転から解放されて、こうして
じっくり外の景色を眺め、ガイドさんの説明に耳を傾ける、
そういう時間が持てることだな、と改めて思う。

金色に色づいている秋麦、ほうれん草のような大きな葉は、
ビート。紫の花、白い花が揺れているのは、ジャガイモの畑である。
広くて大きな牧草地にも出会える。美味しいソフトクリームを
舐めながら、日本に北海道があってよかったなあ、としみじみ思った。
nice!(0)  コメント(0) 

北海道ミニ(その3) [旅]

帯広駅前のホテルにチェックインすると間もなく、
私は徒歩五分ほどのところにある「六花亭本店」にでかけた。
六花亭と言えば、愛らしい花の絵の包装紙が真っ先に思い浮かぶ。
ホワイトチョコやバターサンドで有名な、北海道を代表する
菓子店である。本店の二階は喫茶室、三階は資料室になっていて、
包装紙の画家、坂本直行の美術館も併設されていると聞いていた。

一階の店舗の品ぞろえの豊富さに驚嘆しながら、
まずは二階へ。この喫茶室のホットケーキとチーズケーキを
体験するために、昼食は軽くお蕎麦だけで済ませてあった。
ダージリンお茶も一緒に頼み、芳醇な甘さに舌鼓を打ち・・。

喫茶室の椅子やウエイトレスの制服などにも
包装紙と同じ花柄がデザインしてあって、なんともすてきだ。
そんな制服姿の若いウエイトレスさんに
三階の資料室を見たいのだが、と申し出ると、
「案内できると思いますが、ちょっとお待ちください」と奥へ消えた後、
「招待のお客様だけになります」と断ってきた。う~む、残念!

夕食はホテル近くのジンギスカンのお店へ。
開店直後なら混まないだろうと、六時十分ころに入店すると、
もう七割くらいの入りである。サラリーマン風の男性たちが
ジョッキを傾けていて、店内はおいしそうな匂いに溢れている。
ビールは、北海道でしか飲めないクラシックを注文する。
こういうことの一つ一つが、旅の楽しみ。

帯広は温泉が出るので、駅前のビジネスホテルなのに、
大浴場があり、温泉を楽しめるというのも、意外な特典でした。
二日目の明日は、観光バスで帯広近辺を回る予定である。

北海道ミニ(その2) [旅]

帯広と言えば、歌人・時田則雄氏がすぐさま思い浮かぶ。
私が短歌を初めて間もないころ、角川短歌賞を受賞された。

  五百トン牛糞買ひぬ計画図D地六町歩ビートを植ゑむ
                   時田則雄『北方論』

などの歌を読み、広大な地にビートを耕作している様子を
おもいえがいたものである。でもその時は、飼料用のビートか、
と思っていた。帯広では製糖のためのビート栽培が盛んであること、
そして日本のビート糖の草分けの地であること、また、

  十五トン肥料ほどこし三十トン豆を穫りたり雪が降りくる
                   時田則雄『同』

の歌でも知られるように、豆類の大産地でもあったのだった。

豆+砂糖、となると・・・。もうお分かりですね。帯広は
日本でも特筆すべきお菓子の街だったのである!

行ってみて、その和洋を問わぬ種類の豊富さ、店舗の多さ、
その上、個々のお菓子の意外な安さなど、驚嘆した点が
多々あって、ああ、残念だったなあ、としみじみ思った。
実は私は五年前に上梓した『お菓子のうた』の続編として
『郷土菓子のうた 甘味の地域文化誌』を刊行するばかり、
になっていたのである(実際、一昨日に発刊になった)。

帯広のお菓子の街ぶり、を知っていたら、もう少し
違った方向からのアプローチもできたところだった。
まあ、それはともかく、帯広の甘味文化にどっぷりと浸った
二日間については、次回でお知らせすることにしよう。


北海道ミニ [旅]

北海道に行ってきた!北海道は四度目になるのだが。
二度目は、四十年近く前、親族の結婚式に出席しただけ。
三度目だって、二十年も前になるが、
旭川市近くにある剣淵町が主催する、絵本の里大賞を
頂けることになって、授賞式に出席しただけ。
二回とも、ほとんど宿泊先と会場を往復しただけで、
びゅんと飛行機で帰ってきてしまった。

初めていったのは、学生時代で、その時は、
札幌函館周辺を回っただけなので、広い北海道の
ほんのおしっぽを触った程度である。
道東に行ってみたいな、とは思っていたが、
なかなか機会がなく、今回初めて行けることになった。
とりあえず、帯広釧路である。

期待にたがわず、北海道はとても楽しかった。
たったの三泊四日しかできなかったのは
ちょっと物足りなかったものの、内容は盛り沢山!
題して「北海道ミニ」。「見に」と「ミニ」掛けてます。
しばらく続けますので、お付き合いくださいませ。

歌の贈り物 [短歌]

仙台での歌会とそののちの旅行については、
先回までのブログに記したところであるが。
普段は東京で開催している同窓生だけの歌会、
桜楓歌会にご高齢ながら仙台から参加されていたHさんが、
最近大事を取られて、詠草のみ参加になっていたことから、
仙台歌会の企画が生まれ、実現したのだった。

Hさんは、私たちの来仙をとても喜んでくださって、
会場の確保や、温泉へのタクシー手配などを
してくださったのだけれど、そのタクシーで
温泉に着いたとき、運転手さんから
「Hさんからお渡しするように頼まれています」
と、大きな包みを渡されたのだった。
中には、今回の参加者全員+参加予定していて、
風邪のために急遽キャンセルされた方分の
お土産が二つずつ入っていたのである。

帰宅してから包みを開いてみると、一つは
白松がヨーカンだった。その箱がとても凝っていて、
漱石の本を模していて、題は「吾輩ハ羊羹好キデアル」。
東北大学にゆかりの深かった漱石を記念して特別に
作られたものらしい。

もう一つの包みからは、三つの小箱が出てきた。
その二つは、起き上がりこぼしのお人形だった。
Hさんから後で頂いた手紙によると、彼女はこの冬、
自宅で転倒して足を骨折。しばらく入院を余儀なくされたとのこと。
私たちに転ばないように気を付けて、というメッセージを込めて、
この人形を贈り物に選んでくださった、とのこと。

もう一つの箱からは、仙台の「玉虫塗」の玉手箱が出てきた。
美しい七夕の柄である。開くと中には、名刺大の色紙が
収めてあって、小さな愛らしい文字で、何か書いてある。
読んでみて驚いた。それは一首のうただったからである。
最初は、この塗り物のお店は何か、短歌にゆかりのある人が
かかわっていて、商品に短歌を記した紙片を入れているのか、
と思ってしまったのだけれど・・・。

間なくして、KUさんからメールが入り、みんなの受け取った
小箱に、それぞれ違う歌が収めてあり、いずれもHさんの
自作のうたが手書きされたものである、というのである。
ちなみに、贈り物に受取人の指定はなかったので、
どの歌が誰に当たるのかは誰にもわからなかった、とのこと。
あらためてじっくりと、自分が当たった歌を読み返してみる。
読むたびに好きになり、ラッキーだったな、と思えてくる。

同時に、ほかの人がどんな歌をもらったかが気になるところ。
全員の歌を知らせ合い、一覧表にして回そう、ということになった。
私の歌をさっそくKUさんに知らせると、
「まあ、すてきな歌。岡部さんにぴったり!」
とメールが返ってきた。Hさんから了承は得ていないのだけれど、
ここに記したくなった。Hさんの名前を明かさないわけにいかないだろう。

彼女は、私たちの卒業校が大学に昇格した1948年に、記念式典用の
歌の作詞を依頼され、その歌はそのまま校歌に採用されたので、
大学校歌の作詞者としても、名を残されている、原田夏子さんである。
  
  限りなく命のうたをうたふものみなづきのぽぷら揺れやまずあれ
                         原田夏子

仙台×短歌(その10) [旅]

いよいよ、楽しかった秋保温泉を後にすることになった。
みんなの予定はそれぞれで、KUさんは仙台の友人と待ち合わせ
私たちとは別の部屋だった四人は、仙台の海側の方へ行くらしい。
誘われたのだけれど、私は塩竃と松島へ一人で行くつもりでいた。

実は、大震災の後、宮城県、岩手県の太平洋側を訪れたい、と
思ってきていた。Hさんのお話だと
「塩竃あたりはもう、かなり被害の後は見えなく
なっているようですよ」ということだった。

塩釜神社を訪ね、塩にまつわる資料が置かれた
小さな資料館に入った。平日だから、どこも人は少ない。
その後、マリーンゲートに出て、
松島へ行く遊覧船に乗る。乗客は私を含めて八人。
案内の人たちはみんな親切で、私が一人で腰かけていると
「こちらの方が、両側の島々がよく見えますよ」
と導いてくれた。

松島の海はとても穏やかだった。実際のところ、この島々が
自然の防波堤になって、松島町自体の被害はかなり
抑えられたのだという。ただ、養殖の被害は深刻で、
現在ようやく、震災前の八割近くまで回復したところなのだとか。

松島の桟橋に降りると、驚くほど多くの観光客が
行き交っていた。外国語も多々聴こえてくる。
私は海に添って、しばらく歩き続けた。

仙台から帰ってしばらくすると、「塔」の東北
仲間たちが寄稿している『2199日目』が届いていた。
『99日目』から始まって、七冊目の刊行である。
そしてそこには、いまだ生々しい当時の体験、
時間を経たからこそ書けたのだろう、詠めたのだろう、
と思われるエッセイが、歌が、並んでいた。

あるいは、直接の被災は経験しておらず、それゆえに、
立ち位置が見つけられずに戸惑い続けているらしい、
そんな心情を慎ましく語り、詠み続けている人も。

みんな、少しずつ違う。当然である。
でも、大切なことは思い続けていくこと、
あの日のことをいつまでも心に置き、
問い続けていくことだろう、と思う。
(この項、終わります。たくさんのアクセスに感謝いたします)


仙台×短歌(その9) [旅]

秋保温泉にむけてタクシーに乗っていた時、
秋保温泉には、名物おはぎがある、という話になった。
言い出したのは、すでにこの温泉に来たことがあるという
KIさんで、「ええと、なんていうお店だったかな」
すかさずタクシーの運転手さんが
「佐市です。佐勘のすぐ近くに店舗がありますよ」
と教えてくれたのだった。
「とてもおいしくて、遠くから買いに来る人が多いので、
お昼前に売り切れてしまうこともあります」

「その美味しいおはぎ、岡部さん知っていた?」
同乗していたKUさんに、水を向けられて、焦った。
「知らないの? じゃあ、買って食べてみなくちゃ、
あなたはお菓子について、色々調べて書いているんだもの」
ああ、そう言ってくれるのは嬉しいのだが。
ちょっと、気が引けてしまう。失礼な言い方だが、
いなかのおはぎって、だいたいとても大きい。
最近、私は大ぶりのお菓子はなかなか食べきれず、
そのサイズを見ただけでおなか一杯になってしまうこともある。

相棒と一緒の時は、半分食べてもらったりするけれど、
今回は出かけるときに
「お菓子は買わなくていいよ」と、念を押されてきたのだった。
先月まで、『お菓子のうた』の続編を書くためにさんざん
お菓子を買い込んでは写真を撮っていたから。
彼もいい加減、甘いものに食傷気味なのである(気の毒だ)。

磊々峡の散歩から戻り、朝食を終え、部屋でくつろいでいた時、
いきなりKUさんがそのおはぎのことを思い出したらしく
「ああ、もう開店時間の九時過ぎているじゃないの!
岡部さん、ぐずぐずしてられないわよ!」
ふたりで、おはぎ屋さんに飛んで行くことになった。
佐市とは、見かけはごく普通のスーパーで、
その駐車場はもう満車になっていた。店舗から出てくる人たちは、
手に手に大きな袋を下げていて、どれもおはぎ入りらしい。

店舗の中は、もちろん普通のスーパーだから、ほかの商品も
多々並んでいる。その通路の「おはぎ購入の方」と印した、
太いラインが引いてあって、おはぎを求める人たちが、
他の客とぶつからずにおはぎの商品棚からレジへと進めるように
工夫されている。その列にもう三十人くらいが並んでいる。
でも、おはぎはたっぷり用意されていて、まだ売り切れの心配は
なさそうである。前に並んでいるおじさんと雑談していると
「きなこもありますが、やはり小豆が一番ですよ」
とのことなので、KUさんも私も小豆のパックを手にした。
パックには大ぶりのおはぎが二個ずつ入っていて、
一パックが216円という安さ。

その夜の八時近くに帰宅して、恐る恐る
「名物のおはぎ、買ってきちゃったんだけれど」
と相棒に言うと、
「ああ、あの有名なおはぎだね!(相棒の方は知っていた)
 よし、うまいうちに食べよう」
と言ってくれたので、ほっとした。
小豆餡が驚くほどたっぷりかけてあって、コクがあって
なるほど、うまい。仙台なら、ずんだ味の方が上をいく
はずじゃないかな、なんで小豆かなあ、などと考える。

仙台×短歌(その8) [旅]

入浴後は、四人部屋の人たちの部屋で
十時半までお喋りしたあと、部屋に戻って就寝。
旅館の部屋は、キングサイズベッドが二つ並んだ寝室と、
八畳+二畳くらいの居間。TさんとKUさんにベッドを使ってもらい、
私は居間の布団で寝たのだけれど、やはりあまり眠れず。
四時過ぎには起きてしまった。そうっと支度して一人で
新館の方のお風呂に行こうとすると、Tさん、KUさんも
起きてこられて、結局三人で行くことに。

その後、近くを散歩しようということになり、
旅館の受付で尋ねると、川沿いの遊歩道がいい、
入り口のところまで、車で送ります。今はフロントが暇、
ですから。という返事。親切な対応に感激する。

名取川に添ったこの渓谷は、磊々峡と名付けられていて、
一部に遊歩道が設けられている。ここをKUさんと二人で歩いた。
Tさんは、足元が悪いから、と途中で帰ってしまったのである。

ひんやりとした朝の空気をたっぷりと吸い込みながら、
新緑から深緑に変わろうとするこの渓谷を歩くのは、
本当に気持ちよかった。谷底は深く、水はほとんど見えない。
遊歩道は渓谷に添いつ、離れつしながら続く。
素晴らしいのは、川岸の巨岩で磊々峡の名の由来に
なっているのだが、命名者は東北大で独文の教えていた
小宮豊隆氏だということを、後でHさんから頂いた
お手紙で知った。彼は漱石の『三四郎』のモデルになった、
と言われ、本人も自認していたのだとか・・・。

川沿いを暗いほどに覆う木木の多くは楓のようだった。
紅葉の季節はさぞかし、美しいに違いない。
KUさんは、熱心にメモを取っている。
短歌をしている人は、好奇心も向学心も強く、
こういう姿勢から、いつもたくさん教えられてきたなあ、
と改めて思った。ゆうくり20分ほど歩くと、遊歩道は途切れ、
覗橋という橋に出る。ここで、ようやく川の水が見下ろせた。
めまいがするほど深いところに、水はきれいに透き通っていた。