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再びルビについて [言葉]

谷崎潤一郎の短歌を調べようと、全集をめくっていたら、
「梅雨の書斎から」というエッセイに目が留まった。
ルビに関する内容だったからである。谷崎は
雑誌に新聞記者が投稿した「新聞振り仮名廃止論」に
同調する形で自説を展開している。新聞のように
多くの人たちが一時に目を通す文章には、まさに
読みやすさ、理解しやすさが第一に尊重されるべきなので、
この説には基本的には同感なのであるが。

面白いと思ったのは、谷崎が続いてあげている例である。
語源を考えず、意味から漢字をあてはめて使用することに
異議を唱え、例として「可(い)けない」
「家(うち)」、「貴方、貴女(あなた)」「急遽(やには)」
などを挙げている。
それぞれの漢字としては「行けない」「内」「彼方」「矢庭」
でなくてはならない、と。ちなみに、この文章が
書かれているのは、大正七年のことなので、それなりに
時代が反映されている。今は「矢庭」と漢字で書く方が、
ずっと混乱を招くだろう。「彼方」は「かなた」としか、
読まれないのではないだろうか。
谷崎はさらに、「ねまき」は「寝間着」であって、「寝衣」ではなく、
こう書いたら「しんい」と発音しなければならない、
とも主張する。今は「ねまき」という言葉はあまり使わないが、
あえて漢字にすると「寝巻」が一般的か。「しんい」なんて
言われて、寝るときに着る服を思い浮かべる人は皆無に近いかも。

大正七年と言えば、今から百年くらい前のことになる。
「日本語は移り変わりの激しい言語ですね」とは、
知人のチェコ人の言葉で、批判的なニュアンスがあった。
谷崎の文章も、今読むと古色蒼然、という感がある。
だが、それもまた味わい深く思われる。
谷崎が批判的に上げた例も、なかなか興味深く、
短歌にも使ってみよう、と思ってしまった。
これは、歌を詠む人間の、病のようなものかもしれない。
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下町へ(最終回) [旅]

雑司ヶ谷の鬼子母神名物といえば、薄で作られた
みみずくの人形である。これは我が家に既にある。
二十数年前、義母が鬼子母神を訪れて、お土産に
買ってきてくれたもの。

義母はあちこち出歩くのが好きな人で、義父の仕事の
関係で関西に住んでいたが、年に一、二度、
上京しては我が家に泊まり、東京近辺を観光して回って
いた。義父と同様、生まれも育ちも東京で、
小さいころに住んでいたという白金にも足を運び、
「道だけがそのまんまなの!」
と驚いていたことを思い出す。

母はもっとあちこちに行きたかったのかもしれない。
あまり頻繁に我が家に寝泊まりしては、
私に迷惑だろうと、遠慮していたのだろう。

七年半前、ほんの一カ月余り床に就いただけで
亡くなったが、その前年、九十歳を過ぎてから
我が家にやってきたことも思い出される。
東京で開かれる句会に出席するため、だった。
亡くなる直前まで、心身ともにしっかりしていた。

鬼子母神の参道を駅に向かって歩きながら、
しきりに当時のことが思い出された。
東京が故郷だった義母は、変わっていく
東京をこそ、観たかったのかもしれない。

副都心線の雑司が谷駅に出て、ここからは
東横線経由で帰宅することに・・・。
副都心線には、義母は一度も乗ることはなかったはず。
また、下町に来てみよう。東京のダイナミックな変化を
義母に変わって確認していこう、と思いながら、今回の旅は
ここで終点としたのである。
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下町へ(その6) [旅]

京成町屋駅で降りて、荒川線のホームへ行くと、
すでに七、八人の人が並び、私の後ろにも次々並ぶ。
平日の昼だが、乗客は多いらしい。電車はまもなく到着。
運賃にまず驚く。たった170円で、しかも一律なのだった。
一両だけの車内はかなり混雑していた。

私は雑司ヶ谷の鬼子母神に行くつもりである。
荒川線で十数駅あり、信号でもちょこちょこ止まるので、
結局四十分もかかった。その間、客の乗降が繰り返される。
路面電車で、荒川線だけが残された理由がぼんやりと
わかってきた。このあたりには必須の足なのだった。

鬼子母神は通学していた大学から徒歩で
十数分のところにある。でも、四年間、
そういう場所が意識に上ることさえなかった。
毎日毎日、私はただ生きていくことに精一杯だった。
酷いジタバタを繰り返し、人を傷つけ、自分も傷ついた。
思い出すと、胸が苦しくなるくらいである。

  誰もが目いっぱいのトラブルを抱え込んでいる・・
  トラブルは雨のように空から降ってきたし、
  僕たちは夢中になってそれらを拾い集め・・・
  なぜそんなことをしたのか、いまでもわからない。
        村上春樹『1973年のピンボール』

鬼子母神につながる短い参道を歩く。その参道めがけ、
両側から押し寄せるように高層のマンションが建っている。
参道のケヤキ並木は、かなり厳しく剪定されている感じ。
ケヤキの方が先住者のはずだが、完全に圧されている。

義父は東京で生まれ育ったが、よくこんなことを言っていた。
「東京が故郷の人間は本当に不幸だよ。
子供の頃の思い出の場所が、ズタズタにされてしまうんだから」
若かった当時は、よく理解できなかったことだけれど、
こうして東京の些細な町を歩いてみると、よくわかるのだった。

年を取ることは、かなり不本意なことが増えることだが、
嫌なことばかりでもない。身近なところをじっくりと
歩くと、そんな些細なことに気づいたりもするのである。
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下町へ(その5) [旅]

再び、ぶらぶらと歩きながら帝釈天参道へ。
店の周囲をじっくりと見ていくと、「とらや」と
記した木製の看板が目に入った。ここでは、寅さん
シリーズ四作目まで、ロケ地に使われていたという。

今は隣に軽食(麺、丼類)を供する食堂も併設していて、
観光地によくある土産店兼食堂、といった雰囲気。
とりあえず、おいちゃんたちがいつもこねていた
草団子の16個入りを購入。16個という数にちょっと
ビビったんだけれど一個が2,5センチ位。かなり小さい。
賞味期限は明日までと短いが、無駄にすることはないでしょう。

その後、柴又の駅から高砂に戻り、京成金町線で町屋という
駅まで行くことにした。ここからは都電荒川線に乗り換えできる。
下町の風景を路面電車で味わいながら行こう、という予定である。

荒川線は通っていた大学の近くを通るので、
学生時代はよく目にはしていたが、利用したのは、
一年生の10月の一週間だけ。この時は、短期のバイト先が荒川線で
行けるところにあったからである。それ以来の利用になる。
ちょっとどきどき・・・。路面電車は大好きで、
長崎、高知、広島、岡山、旅先にあれば必ず、というほど
利用してきた交通機関である。
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下町へ(その4) [旅]

帝釈天を観た後、江戸川の方へ歩いていく。
昼食は、堤防の手前にある、川魚料理「川甚」で
摂ることに決めていたから。三階建てくらいの
濃い茶色のビルに「川甚」の文字が見え、思いがけず
無粋な感じの建物で驚く。ここが新館、隣の休館は
それなりの建物だったが、昼食時は新館のみ、
ということらしい。電話で聞いていた通り、平日なので
かなり空いていた。お決まりのうなぎ定食を頼む。

たれはかなりあっさりしていて、好みだったが、
ご飯が今一つ。以前我が家の近くにあった鰻料理の
店は、数年前に潰れてしまったのだけれど、そこの方が
ご飯の味は良かったなあ、と思い出してしまう。

食後は江戸川の河畔に出る。矢切の渡しはすぐそば。
この土手で、よく寅さんが昼寝していたなあ、と
つい周囲を見回してしまう。どこかで今もロケが
行われていそう。お天気もすごく良いし。暑いくらいだが。

矢切の渡しの舟は、数人ほどが載れるくらいの小舟で、
桟橋とされるところも、アルミの台をつなげたような、
なんとも無粋はしろものだった。江戸川のむこうは
千葉県なので、ここが県境ではあるが・・・。
川幅もそう広くはない。先日の雨で川水はけっこう
ゆったりと流れてはいるけれども。

「‥知らぬ土地」「息を殺して身を寄せ」
「明日に漕ぎ出す」などなど、「矢切の渡し」の
歌詞を思い出すと、ちょっと滑稽な感じがする。
時代が移り、このあたりの雰囲気が変わったせい
なのかもしれない。
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下町へ(その3) [旅]

柴又駅前は、平日なのにかなりの人出。
改札前の小さな広場に、寅さんの像、少し離れて、
さくらの像もあり、記念撮影をする人たちが
沢山群れている。これじゃ、像だけを
写すことは難しいな、と思いながら、帝釈天の参道へ。

車がすれ違えないほどの細い道。両側の店も軒の低い
木造で、なんだかとても懐かしい感じがする。
寅さんのおいちゃんたちが団子を売っていた店はどこ
なんだろう。みんな同じように見えて、よくわからない。

映画で見た印象とは、やや異なり、帝釈天は狭かった。
人が多いこともあるかも知れない。ごちゃごちゃしていて、
落ち着かない感じ。でも回廊のあるあたり、今にも
笠智衆が、のっそりと現れそうな気がする。

東京の主な観光地は今、外国人だらけなんだけれど、
柴又だけはほとんど日本人ばかり、少なくとも
西洋人はほとんど見られなかった。柴又観光が、
寅さん人気に支えられていること、あの映画が
日本人受けはしたが、それ以上ではなかったこと、
などが影響しているのかなあ、などと思いをめぐらす。
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下町へ(その2) [旅]

今回の「下町へ」連載は、カテゴリーを「旅」にした。
東京の多摩南西部、神奈川県との県境近くにある我が家から
下町方面はとても遠い。特に千葉県県境に近い柴又となると、
「さあ、出かけるぞ!」という覚悟が必要なくらい。

まずはJR駅まで徒歩13分、JRで三分、東急田園都市線に
乗り換え、押上まで訳一時間半である。かつてこの線は、
水天宮が終点だったが、東京スカイツリーの落成に合わせて、
押上まで延長された。でも、押上駅が(スカイツリー駅)も
兼ねていたとは、今回乗ってみて、初めて知ったこと。

押上で京成押上線に乗り換える。その駅から成田空港までいく
電車もあるのだということも、この度初めて知った。
なんだ、いつも水天宮からリムジン使っていたのに・・・。
数年くらい前にできていたらしい。これも知らなかった!

東京は広いし、日々変わっているので、ぼんやりしていると
取り残される。いや、もうかなり追いつけてないな、
とちょっと、こころがどんよりしてしまった。いや、いや、
ここで腐っているわけにいかない。押上線に乗って、そのまま
柴又に着けるわけではないのである。さらに京成柴又線に
乗り換えなければならない。

このあたり、全く未知の領域である。電車の駅名も
耳馴染みのないものばかり。乗り換えるとき、上下を
間違えないように、路線図をいちいち確かめるので、
さらに時間がかかる。柴又に着いたのは、家を出て
二時間二十分後であった。京都や大阪の方が短時間に、
はるかに便利に行ける、ということなのである。

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下町へ [旅]

「下町」という言葉を初めて知ったのは、
小学校低学年の頃、当時流行った倍賞千恵子の
「下町の太陽」を聞いてからだと思う。

東北の田舎に住んでいたので、「下町」というような
場所は近辺になく、橋の下の方に広がる町のことらしい、
と考えていたように思う。中学を卒業してから
家族で上京したが、当時住んでいたのが、目黒区に
近い品川区で、高校は大田区。「下町」と呼ばれる場所には
ほとんど行ってみたことのないまま、大学入学半年後には
多摩地区に転居・・。結婚してからもこの周辺を転々とし。

そうしてだいぶ日が経ったことになるのだが、
この度、急に思い立って、出かけてみることにした。
まずは葛飾・柴又近辺。そう、映画・寅さんシリーズで
脚光を浴びた地域である。(この項、続きます)
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カーテンを替える [生活]

先回触れた栗木京子歌集『南の窓から』には、
 「親戚の大学生。上京してまだ一年ほどだが、引っ越しするという」
という詞書き付きの歌がある。

  カーテンを替へるついでに引越しをするとふ若さうらやみてをり
                        栗木京子
そういう身軽さはなく、ここ数年かけて、家のカーテンを新調
している私。
カーテンはお高いから、と丁寧に扱いつつ、長く
使ってきていたのだが、まずレースのカーテンからほころびが
目につき始めた。日にあたって繊維が劣化するものらしい。

三年前、自分の部屋のレースカーテンを新調した。私の部屋は
西側にあり、まともに夕日に照らされるので、痛みが早かった。
次いで一年半前、リビングとダイニングのカーテンを新調した。
この時は奮発して、レース、ドレープ、そしてカーテンレールも
付け替えてもらった。そして今月、残る部屋のドレープ、レースを
まとめて新調した。

これらすべて、車で数分のところにある、インテリアショップ、
Mに頼んでいる。この地区に古くからある店で、店主とはすでに
顔なじみになっている。こちらの好みを把握して
くれているので、頼みやすい。でもたぶん、どんな客に対しても、
Mの対応はさほど変わらないのではないか、と思う。

電話すると、見本の生地を山ほど抱えてきて、私が選んでいる
間に、さっと窓枠を図り、見積もりを出してくれる。
その間、20分くらい。私もグダグダと選ぶのは好きではないので、
作業はあっという間に終わる。

出来上がると電話をくれ、指定時間に二、三分と違わずに現れ、
助手の若者と一緒にさささ、と作業していく。
その手際の良さ。小気味が良いくらいである。

ああ、日本にいるんだ、と実感するひとときである。
だって、外国ではこういうことはとても稀な、きちょうな
ことなのである。だいたいが、いい加減で、信用できない。

時間を守って現れるということは少ない。仕事は
適当で、荒っぽい。キチンと監視してないとサボりまくる、
ということもある。某国に住んでいた知人によると、
家具を頼んで、支払いもしたのに、届いた品物が
頼んだものとは全く異なる、酷い粗悪品だった、とか。
こういうことが頻々と起こるのである。

日本の職人は本当にすごいのだ。
Mの御主人は仕事が済むと、気持ちのいい笑顔で、
「いつもありがとうございます」、というので、私も答えた。
「こちらこそ、有難うございます!」
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昆虫図鑑 [読書]

栗木京子歌集『南の窓から』を読んでいたら
「心が沈みがちな日は、昆虫図鑑をひらく」と
いう詞書のついた一首があった。

  粉状のアブラムシ喰ふ粒ほどのテントウムシをり緑の世界
                       栗木京子

ちょっと気持ち悪い場面なのだが、結句でうまく逃がしてある。
さすがだなあ、と思いつつ、そういえば私、昆虫図鑑を手元に
持っていないことに気が付いた。数年前、父母の家の書棚整理を
手伝っていた時に、小学生の頃に使っていた昆虫図鑑が出てきたので、
持ち帰ってみてみると、なんとかなりの昆虫がすでに絶滅している
あるいは環境が変わって、周囲で見られなくなっている、ということを
知り、愕然としたのだった。その代わり、異なる種類の昆虫も
見られるようになっているらしいのだが。

新しい図鑑を買おうと思いながら、延び延びになっていた。
植物図鑑は何種類も持っているのに、昆虫だけ全く
手元になかったのは、相棒の昆虫嫌いも理由の一つだった。
図鑑は結構値が張るものが多いので、いつも相棒の職場と
契約のある書店に注文してもらっていた(一割引になる)。
でも相棒は昆虫図鑑だけは、無視してくれてたみたいだ。

さっそく、購入のために調べてみることにする。
図鑑に私が求めるのは、種類の豊富さ、写真の鮮明さ、
さらに過不足ない説明が付されていること。

そこで選んだのが『日本の昆虫図鑑1400』(文一総合出版刊)。
二巻に分かれていたので、とりあえず第一巻のチョウ・バッタ・
セミ編を購入する。評判通り、写真はとても綺麗。
種類も豊富で、ところどころに、楽しい解説もついている。
もう少し大判でもよかったかな、とおもうが(文庫版である)。
持ち運ぶには便利である。

開いてみると、やはり、昆虫はかなり不気味である。
でも、なんともユニーク。子供が夢中になるのもわかる。
生きている小さな怪獣、という趣があるからだ。

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