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私のうた(その6) [言葉]

妹が生まれた時、私は二歳半だった。
当時を覚えている、というのは危ういところがある。
親に聞かされた話から、勝手に作り上げた記憶が
相当混じっている、と言えそうだし。

ただ、眩しい灯りの中、眠る母のそばに
小さな白い塊が寄り添っていたこと、
驚愕して泣いたことは、確かに自分の記憶だった、
と、信じているのだけれど。

その後の、特に大きく変化した母の私への態度、
それらを通して、感じるようになった家族への複雑な思いは、
自分の中で、ながく解消しきれなかった。
ただ一つ、はっきりとわかっていることは、
妹が生まれていなければ、私は、
ものを書く、などとというような業の深い作業に
のめりこむような人間にはならなかった、ということだけ。

     ****
  いもうと      おかべふみ

 ないてるいもうと まっかなかおで
 くちがのびたり  ちぢんだり

 まみだながして はなみずすすり
 うええんえんえん うええんえん

 からだじゅうに ちからをいれて
 にぎりこぶしを ふりまわす

 なけなけもっと おおきなこえで
 ねているかおより おもしろい

 わらってじっと みていたら
 きゅうに きょとん、となきやんだ

私のうた(その5) [言葉]

六、七歳の頃、私は欲望のかたまりだった。
欲しいものが、それこそ無限にあったのである。

様々の模様の千代紙、膨らませて遊ぶ紙風船、
うっとりするくらい良い匂いの香水消しゴム、
キラキララメの入ったリボン、あやとり用の毛糸、
薄い紙せっけん、着せ替えのできる紙人形。
模様のあるてまり、七色のビー玉・・・。

とりわけほしかったのは、十二色のクレヨン。
クレヨンは、入学するときに買ってもらったのだけれど、
妹がいたので、あっという間にボロボロになった。
とにかく広告の裏に酷使するから、すぐに減る、折れる、
汚れる・・・。両親はすぐには買い替えてくれない。
ようやく新調されても、十二色がまともにそろっているのは、
ほんのひとときのことだった。

大学卒業して、初めてお給料をもらうとまもなく、
私は十二色のクレヨンを買った。机の引き出し
大切にしまい、何度も取り出しては眺めた。
きれいなクレヨンはそれだけで、素晴らしい絵のよう。
けっきょくいちども使わないまま、
いつしか、なくしてしまったのだけれど。

             ***
     くれよん       おかべふみ

  きまじめ  きいろ
  おちゃめな ちゃいろ
  きどりや  みどり
  きむらな  むらさき

  おしゃれな  おれんじ
  あまえんぼ  あか
  くろはよくよく
  くろうにん

  くれよんのいろは
  いろいろだけど
  そろって しろい
  かみが すき
 

私のうた(その4) [言葉]

自転車に乗れるようになった日のことはよく覚えている。
小学校三年生の晩春の頃のことである。

当時我が家にあったのは、いわゆるママチャリでもなく、
大人の男性用の、ごついやつ。ハンドルとサドルの間を
つないでいるトップチューブが地面と水平になっていて、
立てチューブとダウンチューブとで三角形をなしている型のもの。

子供はこの三角形の間に足を入れて乗る。いわゆる三角乗り
で、なんとか対応していた。こんな話しても、若い人には
どれだけ通じるかな、と不安になるのだけれど。
つまりは、当時の子供にとって、自転車を操ることが、
今よりずいぶんと大変だったってことなんだけど。

後ろの荷台を友達に支えてもらって、何度も練習した。
転んではあちこちをすりむき、それでも、
自転車に乗りたくて、乗りたくて・・・。
その瞬間は、思いがけないほど、あっけなく訪れたけれど。
しばらくは、滑らかに運ばれていく快感に酔いしれた。

大人になると、こういう瞬間はどんどん少なくなる。
人間もまた、収穫逓減の法則から逃れられないんだなあ。

       ***
    じてんしゃ        おかべふみ

 いつものじめんが
 きゅうにうごきだしたかんじ

 からだのわきに
 くうきのかべができたかんじ

 そらがちかくなって
 みんなが手をふっているかんじ

 みてみて、わたし
 きょうはじめて じてんしゃにのれたの

私のうた(その3) [言葉]

生まれて初めて生のパイナップルを食べたのは、
小学校高学年の頃で、昭和三十年代の終わりころ。
当時は東北に住んでいたのだが、父の部下が
なんと新婚旅行宮崎に行ったのである。

宮崎って、温暖で豊かなところだろうなあ、
雪も少ししか降らないんだろうなあ、と、
ただ、南国であるというだけで、未知の地への憧憬は募った。

頂いたパイナップルは思い描いたほどに甘くも、
美味でもなく・・・。
その後、少しずつ、南の地には南の地の悲しみがある、
と知ることになる。

        ****
   パイナップル     おかべふみ

 とげとげしてるよ きがたってるよ
 ちかづかないで、ほうっておいて
 まだまだまずいよ すっぱい
 てをふれないで かえってちょうだい

 なかまはみんな うみをこえ そらをこえ
 とおくのくにへと うられていく
 むらじゅうだれもが そうぞうできない
 あかいあきのくに しろいふゆのくにへ

 せめてひとつだけ このおそいみだけでも 
 のこしておいて しまのこどもに
 だって、たぶん、きっと
 おそいみこそが いちばんあまいみ 

私のうた(その2) [言葉]

私は幼稚園には入っておらず、小学校入学半年前まで、
読み書きが全くできなかった。
「学校で教わるまで、無理に教えるべきではない」
というのが、母の方針だった。
入学四か月くらい前に、健康診断と面接があり、
その時に自分の名前が書けなくてはいけない、
と聞いてきた母は、ちょっと慌てていた。

私の旧姓は「さいとう」。この「と」と「う」が、
そっくりに見えて、いつもどちら側を向いているのか迷う。
まず、お箸を持つ手の側を向く方を書いて、それから
反対向きの「う」を書く、と教わり、しばらくは、鉛筆を
一旦置いて、ご飯を食べる動作をしないと書けなかった。

次に自分の名前の最初の字、「ふ」がすごく難しい。
なかなか書けない私に業を煮やした父が
「前の字の『う』をもう一度書いて、両側に
点を打つとそれらしく見える」
と、「抜け道」を教えてくれた。

入学して、自分の姓名を書いていると、
隣に座っていた男子が、
「お前の『ふ』、変だな。
数字の3を書いてから、両側に点を書いたらどう」
とこれまた、抜け道を教えてくれた。
         ***

  ひらがなのべんきょう     おかべふみ

 めいろみたいな   あゆぬれねおめ
 にていてちがう   へりくつこいし
 かりたりすてたり  ほけたなはにま
 どっちむいてる   うるとらろてちか
 かっこがつかない  やみひそえふむ
 べんきょうなんて  すきものさせよ
 いいね、いぬにはじがなくて  わん!


私のうた [言葉]

我が家にテレビが入ったのは、
小学校入学した年。そしてまもなく
NHKの「みんなのうた」という番組のファンになった。
おお牧場はみどり、おなかのへるうた、フルーツサラダのうた、
アイスクリームのうた、デビー・クロケットのうた・・・・。

返信用切手を貼った封筒を同封すると、
楽譜を送ってくれる、というサービスがあり、私は
二か月に一度ずつ、依頼の封書を送ることにした。

今は知らないが、当時は二か月毎に歌が変わった。
月曜から金曜まで各回二曲ずつの放送、
曜日ごとにも変わるので、送られてくる楽譜には、
毎回、十曲くらいが掲載されている。版権の問題とかで、
載っていない曲もあった。

小学校二年生くらいから始め、卒業するまで
隔月ごとに欠かさず続けたので、楽譜はかなりの量になった。
私がこんなことをしつこく続けていたのは、
実は、私は童謡の詞を書く人になりたかったからである。
でも、どうしたらなれるのか、わからなかった。

だれにも言えず、誰にも聞けないまま、
中学生になり、クラブ活動などに熱中しているうちに
忘れてしまったのである。
楽譜の方は、結婚して最初に住むアパートにまでは
運んだ記憶があるのだが、その後引っ越しを繰り返すうちに、
残念ながら、紛失してしまった。

書棚を整理していたら、詞とも詩とも、
たんなる書きなぐり、ともいえる、
「童謡の詞」っぽいもが出てきた。
三十年位前に書いた私の「詞」のノートである。
ごちゃごちゃしていて、未完のものも・・・。

恥ずかしいのだけれど、もう時間も経ってるし、
ここで少しずつ、日の目を見せてやろうかな、
という気がしている。
(というわけで、この項、続けます)


比喩 [言葉]

一昨日は、定例の横浜歌会の日。
出席者は20名で、先月の21名に続き、今月も盛況で、
楽しくも充実した時間を過ごすことができた。
横浜歌会ならではの厳しい批評もあり・・・。
楽しい、ばかりではなかった方もおられたかも・・・。

短歌に比喩はつきものだけれど、
今回も、比喩としては平凡、と批判された作品が・・。
比喩は目立つ分、おろそかにしてはいけないなあ、
と自分も気を引き締める・・。

ところで、短歌に限らず、普段の生活の中で、
上手い比喩を使っておしゃべりのできる人って
いるもんである。私の場合、かつて同僚で、
個人的にも親しく付き合っていたM(一才下の女性)。

私の身なりに強い関心をもってくれていたのは
いいんだけれど、けっこう、ダメだししてくる。
襟元に小さなブローチを付けていったとき、
「ん? 何それ、イカの足みたいなの?」
小さな白いリボンがよじれたような形の、
七宝のブローチだったので、
「ムム、いい得てる!」
と感動!そのブローチは今も
時々つけているけれど、そのたびに思い出しておかしくなる。

美容院でカットしてもらった髪が
やや短めになってしまったときのこと。
「あ、来た来た、茶坊主!」
が~ん。でも彼女なら許せる。人柄である。

私の義母(夫の母)も俳句をやっていただけに、
比喩的表現は抜群だった。彼女の息子(我が夫のことだが)
の下手な字のことを
「こう、吹けば飛ぶような、ホコリみたいな字よね」
と言っていた、掌の上の何かを吹くようなしぐさをしながら。
彼女の息子が、朝の洗顔をときどき、端折っているのを、私が
批判的に指摘したときは、掌でつるっと自分の顔を撫で、
しらっと言ってのけた。
「こうやって、顔を舐めているんじゃないの?
ネコちゃんみたいに」
完全にお手上げ。やはり、母には勝てないのである。

雨のことば [言葉]

倉嶋厚監修『雨のことば辞典』をぱらぱらとめくっていたら、
「大抜(おおぬけ)」という項目が目に留まった。
山形県西置賜地方で夏に河川が氾濫するほどの大雨が
降ること、だそうである。私はその西置賜地方で、
中学生まで暮らしていたが、「大抜」なる言葉、
思い出せそうな感じもするが、かなりあいまいである。

ただ、梅雨の終わり頃や、夏の終わり頃に大雨が
降ったことは記憶にある。最大のものは、私がこの地方を
去って、東京に引っ越してきたその年の八月末に起きている。

土砂崩れなどで鉄道は止まり、高校へ列車通学していた
友人たちは帰宅できなくなって、大変だったらしい。
だが、もっと大変だったのは、川が氾濫し、
私が幼児期に住んでいた地区が水没、
川沿いの十数件の家屋が、水流に跡形もなく押し流されてしまったこと。

それでも犠牲者は出なかった。住民はいち早く避難していて、
だれも残っていなかったからである。というのは、この町の大人たちが
「大抜」なる言葉を知っていたからかもしれないな、
と、ふと思った。

東日本大震災のときに大きく報道された
「てんでんこ」なる言葉も思い出される。
土地によって、災害の形はそれぞれ異なる。
その地域性に警鐘の含まれた
短く、覚えやすい言葉こそが、大事だ、と思うのである。


ヴィクトリアン・スタイル [言葉]

ヴィクトリアン・スタイル、という言葉は、英米の文学
美術建築ファッションなどの分野にも頻繁に使われる。

私は数年前都内の美術館で「ヴィクトリアン・ジュエリー展」なる
催しを見たことがある。この時の印象から、
「ヴィクトリアン・スタイル」とは、英国が世界で最も
権勢をふるった時代、それを追慕する言葉なのだ、
と言い換えても良いのではないか、と思ってきた。

ところで、ヴィクトリア女王の時代は1837年から
六十数年にも及ぶ。日本の昭和時代とほぼ同じ長さである。
決して、一括りにはできないはずである。
それゆえだろう、「ヴィクトリアン・スタイル」なる言葉に込められた、
精神的なものは、現代のアジアで暮らす者には、
見えにくいなあ、とも思う。

こんなことを考えるきっかけとなったのは、
最近、アガサ・クリスティの小説を色々と読み直していたから。
彼女の小説には、この「ヴィクトリア風の」という形容詞が
頻出するのである。たとえば、

  「蒔いた種だもの、自分で刈らなくちゃね」
  エミリィ・アランデルはまさしくヴィクトリア風な意見を述べ・・・
                  加島祥造訳『もの言えぬ証人』 

あれ、こんなことまで、「ヴィクトリアン」なのか、とちょっと驚く。
ヴィクトリアン・スタイルとはあるいは、「ごく英国的なること」の、
強調的な場面でも使われるのかなあ・・・・。
あまり厚くなさそうな氷上に、こわごわと足を踏み出しているような、
心もとない気持ちのまま、この言葉の不思議な味わいに浸っている。

米語の卑語 [言葉]

S・キングの『小説作法』を読んでから、
漠然とではあるが、米語の卑語について、考えることが多くなった。

最近、七十年代半ばにアメリカでよく読まれたという
小説を読んでいるのだが、これは一種の大衆小説なので、
かなり卑語というか、アメリカ口語、俗語が出てくる。
わからない言葉は当然、辞書に頼ることになるのだが。

英和辞典として、手元に置いて,主にに利用しているのは
 英和中辞典 研究社( 1970年 第二版13刷)
 リーダーズ英和辞典 研究社(1995年 第22刷)。

もっとも頻繁に利用しているのは,リーダーズの方である。
英和中辞典は大学入学時に購入したもので、
手に馴染んでいて、大きさからも引きやすいので
ちょっと調べるときに使っているという程度。

だが、さすがに古い。そして面白いのは、
卑語についての言及が、絶対的に少ないことである。
七十年代の小説に使われる卑語の多くでさえが、中辞典には載っていない。

たとえば、米卑語で最も頻出する単語の一つである
assの意味が、「ろば、頑固な人、のろま、ばか」、しか載っていない。
卑語に使われる場合の例の意味が、なぜか載ってないのである。

したがって、当然慣用的言葉である、

 Kiss my ass!
kick ass!

なども掲載されておらず、この辞書だけを頼っては、
大衆小説が読めない、ということになる。
リーダーズとなると、この語を使った慣用的卑語が
十通り以上出てくる。アメリカ映画を観ていると、
必ず一度や二度は耳にする、かの罵り、悪態の言葉である。

それが四十年前の英和辞書であったにせよ、載っていなかったことが
とても不思議な気持ちになる。

それで、念のため、ウエブスターの英英辞典もひいてみることにした。
これは私が三十年前、滞米時に購入したもので、1983年刊の第二版。
A4版で、厚さが十二センチ以上もある、大冊である。

この辞書でass を引くと、ロバ、うすのろ、などの意味の他に

 arse,vulgar term

と短く書き加えられているのみ。

研究社の70年刊の中辞典は、
このあたりを参考に編まれたものかもしれない。

辞書には、辞書の歴史も詰まっている・・・・。