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淵に立つ [映画]

「淵に立つ」もまた、最近、WOWOWで見た映画
家族映画は、つまらないと徹底してつまらないから、
とやや危ぶみながら見始めたのだけれど。最後まで、
緊張感の続く、怖い映画だった。これまで見た
家族をめぐる映画で、私は西川美和監督の「ゆれる」が
ベスト、と思っているが、この映画はそれに次ぐくらい
よくできている映画だったと思えた。

郊外で小さな工場を営む夫婦と、十歳の娘の家族。
夫婦はほとんど目も合わさないほど、互いの心が
離れてしまっているが、そこに夫の古い友人が
訪ねてきて、住み込みで働くようになる。

夫と友人の間には、だれにも言えない秘密があった。
妻は人当たりのいい夫の友人に好意を抱くようになり・・・。
友人を演じる浅野忠信がすごくいい。
上品な印象を保ちながら、くらい影を持つ謎の男を
好演している。ごくたまにふっと見せる冷酷な感じと、
静かな平和な一市民と言う感じを違和なく同居させていて。

この男が再びこの家族のもとを去っていく直前、
残酷で取り返しのつかない罪を犯していく。
夫婦はこのことによって、初めて絆を取り戻していく。いや、
「夫婦」という関係から、一つの「運命共同体」へと
変化せざるを得なくなった、と言う方が実情に合っている。

あらためて、家族という存在は怖いものだ、と思う。
その本質を、ある一面から抉り出した、という点では、
やはり秀逸な作品であると言っていいのではないか。
こんな映画を見ると、ますます若い人は結婚しなく
なるのではないか、などとよけいなことを考えてしまうが。

最後の一場面に、ほんの少し救われる。
娘は救えなかったのかもしれないのだが・・。
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恐怖映画ふたつ [映画]

夏休みのせいかも、WOWOWでもホラー映画
かなり多めに放映していて、立て続けに二本も見た。
一つは『The Visit』(邦題は「ビジット」A作とする)。もう一つは
『Don't Breathe』(同じく「ドント・ブリーズ」カタカナだと
いずれも、変な感じがするが・・・。こちらをB作とする)
A,B、二つの映画に共通点があって、面白く思った。

Aは二人の子供休暇を利用して田舎にある祖母の家に一週間の
予定で滞在する。わけあって、祖父母とは初対面だった。
楽しいはずの休暇が一変してしまうのは、この祖父母に
おおきな秘密があったからで・・・(これ以上はネタバレに
なってしまうので省略する)二人はその後、とんでもない
恐怖を味わうことになるのである。

B作の方は、窃盗を繰り返している若者三人が
盲目の元軍人の家に盗みに入る計画を立て、実行に移す。
ところが、その軍人にも恐ろしい秘密があって、三人は、
命にかかわるような恐怖を体験をしてしまうのである。

自ら訪れた家に、思いもかけない魔性の人間が住んでいて・・、
という展開がかなり似ている、と思われたのである。
主人公たちは、知恵を絞り体を張って、危機を突破しようとする。
そのプロセスがいかにうまくできているか、に
映画の魅力はかかっているように思う。

私は断然B作の方に軍配を上げたい。
Aは、途中からかなり展開が不鮮明になってしまう。
というのも、この映画自体が、子供たちが回し続けている
カメラによって撮影されたものである、と
最後まで徹底されているからである。試みは面白いが、
最後の十五分は、第三者の目、によって展開を見たかった。
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The Gift [映画]

最近、WOWOWで放映された映画から。
「ザ・ギフト」は、いわゆる隣人ものサスペンス
アメリカ映画には、この範疇のものが結構多い。
NYやシカゴなどごく一部の大都市を除くと、
アメリカは広大な田舎で、隣人との距離の取り方が、
難しいからだろうという感じがする。

妻が流産して以後精神的に不安定になったのを機に、
故郷カリフォルニアに転居してきたサイモン
新居を構え、家具を選びに行った店舗で、
高校の同級生だったゴードに声を掛けられる。

サイモンは彼のことをよく覚えていず、当初は
妻に「いいやつだった」と告げるのだが・・・。
ゴードは夫婦の新居に勝手に訪ねてきて
色々と贈り物をし始める。サイモンはそれを
妻への横恋慕、と疑うようになるのだが・・・。

映画の作りとしては、色々と粗雑な点、
整合性のなさが目につくのだけれど、
これまで見た隣人サスペンスとは
(この映画は厳密には隣人ものとはいえないのだが)
異なる展開に、ちょっと新鮮な印象があった。

つまり、妻に近づいてくる男は、
邪心を抱いた、単なる加害者、というわけではなく、
過去の被害者だった、という点。
彼を通して、サイモンの本質が妻に見えてくる、
というところが、この映画のポイントになっているのである。

とはいえ、あちこちに展開のほころびが見えるので、
お勧め度は3,5点(五段階で)くらいの映画でした。

最愛の子 [映画]

WOWOWに契約して後、ヨーロッパや南米の映画など、
なかなか干渉できない作品をたくさん見れたことはよかったが、
難点は、中国映画がカンフーなどの冒険・歴史ものに偏っていること。

ところが先日、久しぶりに現代中国の一面を切り取るような
生活臭の強そうな映画が放映されていて、さっそく録画してみた。
邦題は「最愛の子」原題が「親愛的」

離婚した深圳に住む三十代の夫婦。三才の男児の養育権は自営業の夫に。
それが不満の妻、面会のたびに激しく元夫と言い争う。
ところが、その子、父親が少し目を離したすきに、
妻の車を追いかけて道路に出て、行方不明になるのである。
通りかかった、安徽省の農民が誘拐し、妻にはその事実を伏せ、
自分たちの子として育ててしまうのである。

子供を失った夫婦の悲嘆は、激しく、二人はこれまでの生活を
すべてなげうって、子供探しに奔走する。
二人は行方不明の子供を持つ親の会にも入会し、
互いに助け合い、情報を交換し合い、懸賞金まで用意して
子供を探し出そうとするのだが。
連絡があっても、詐欺で懸賞金を狙った詐欺ばかり。

これは悲しいかな、現代中国の現実である。
そしてこの映画も、実際にあった事件をもとにしている。

二人の子は、二年後、ある情報がもとで見つかるのだが
子供はすっかり、誘拐犯の妻のほうに懐いてしまっていて・・。
結局、だれもがそれぞれの不幸を負ってしまうことになるのである。
そして、最後の結末は衝撃的である。

最初から最後まで、息詰まるような展開で見ごたえがあった。
カンフーばかり見ている相棒も、最初は
「日常の映画なんて、つまらん」
と言っていたけれど、しっかり最後まで見ていた・・・。

ドキュメンタリー「シーズンズ」 [映画]

BSプレミアムで放送されるワイルドライフが大好きで、
時間があるときはチャンネルをあわせるのだが、
難点は、再放送が多いこと。録画していざ見ようとして、
すでに見ていたものの再放送だった、と気づいたときは更に腹が立つ。
番組案内に、もっと分かり易く表記してほしい、と思うこともたびたび。

一月二日にWOWOWで放映された「シーズンズ」は
映像が素晴らしくて、引き込まれるように見た。
副題に「二万年の地球旅行」とあり、地球の歴史的
変化の中で自然の移り変わりを描いていく、という
形がとられていたけれど、そういう枠は不要だったのでは、
と思いながら、生き生きとした自然の中の動物たちの営みに
おおいに魅せられた。

でも、途中で、はた、とおもったことがある。
中型の肉食獣が小動物を追いかけて行って
(その追いかけをしっかり映像に収めているところもすごいが)
穴に逃げ込まれてしまい、前足を使って、探るという場面があったが、
この肉食獣を、穴の内部から写し取っている場面があったからである。
ということは、カメラを二台、内外に設置していたということか。

自然を自然そのままに映像化し、さらに見ごたえもあり、
また何らかのストーリー性を持たせていくことはとても難しい。
私自身、飼っていた犬を撮影するのさえ、
なかなかうまくいかなかった経験がある。
まして警戒心の強い野生動物である。
ハードルの高さは想像に余るのだが・・・。

この映画は最後まで飽きることなく見ることができた。
すごいなあ、と感心しつつ、でも・・・。
少しばかり、疑念は残ったのだった。

男が女を愛する時 [映画]

昨夜WOWOWで放映されていた映画
テレビをつけた時点で、開始後15分は過ぎていて、
まあ、何となくほかにすることがなかったので・・・
というくらいの理由で見始めたんだけれど。
だいたい、酷い題だ、邦題のつけ方が悪いんだろう、
と思っていたら、原題の直訳だった・・・。

見始めたらもう、メグ・ライアン演じるところの女主人公は
すでにアル中が進み、痛々しい状態になっている。
夫はパイロットという重職にあって、彼女の病気
翻弄されまくっている。さらに二人の幼い女の子までいて。

はたからは幸せに見えるはずの家庭は
内側からがらがら、と崩れていく。

ああ、深刻な映画なんだなあ、とかなり退いてしまう。
みるのをやめようか、と思い始めたとき、
長女を演じている六歳くらいの少女の演技に
目が留まった。明らかに彼女は、この家庭で
やや「はみ出し者」の役回りを負わされている、
ということに気が付いたのである。

自分の主張を抑えなければならない、屈折した立場であることが
その言動から感じられるように演技している。アメリカ子供は演技がうまい、
と瞠目させられることが多いのだけれど、この少女も
なかなかの名優ぶりだった。そしてたぶん、
私が途中から見たために知らなかったことだろうが、
彼女は、パイロットの夫の実子ではなく、
アル中の奥さんの連れ子だった、ということがわかってきた。

この女の子と、血のつながらない父親との
やりとりが、ものすごくいい。父親は
自分こそ世界でただ一人、お前の父親に他ならない、
と断言し、不安に押しつぶされそうな彼女を
愛し、励まし続けるのである。

この映画は、アル中の女性が自分を取り戻していく
その過程こそが本筋ではあるけれど、
なんだかぎこちなくて、うまく展開できているように見えなかった。
夫の連れ子との関係性の方が細やかに描かれていて、
そちらの方にずっと感動させられたのである。

アメリカは、日本人から見ると実に簡単に
離婚してしまうし、再婚も多くて、
こういう血のつながらない親子関係はとても多い。
また、子供がいない人が結構気軽に養子縁組して、
他人の子を実子のように育てている人も多い。

私のアメリカの知人に、互いに子連れ再婚をしたものの、
奥さんが家を出て行ってしまい、実子と奥さんの連れ子の
あわせて二人の息子を育てている四十代の男性がいる。
みている限り、まったく分け隔てなく愛情を注ぎながら
育てていて、頭が下がるのだけれど、
こんなことは当たり前、と涼しい顔していて・・・。

こういうおおらかさはいいなあ、と感動したことを
思い出してしまった。

上意討ち [映画]

1967年製作、小林正樹監督による時代劇。

主君の命令で側室だったいち(司葉子)を娶らされた与五郎。
案に相違して、いちが気配りも効き優しく、働きものだったため、
与五郎との夫婦仲はよく、二人の間にとみという一女にも恵まれる。

ところが結婚わずか二年後に、後継ぎの問題から、いちを
主君の側に戻すようにとの命令が下るのである。
余りの非人間的な扱いに、与五郎とその父伊三郎(三船敏郎)は、激怒。
二人は命を懸けて、主君の意向を覆させようとする。

ストーリーに無駄がなく、白黒の映像も美しく、音楽も素晴らしい。
また、剣の立ち回りも迫力があって、最後まで魅せられた映画だった。

ところで、この映画は先月WOWOWで放映されていたものを
録画して見たのだけれど、録画予約する段階から
相棒が「この映画、一度見ているよ」と言う。
ストーリーを読んでも、覚えがないので
「一人で見たんじゃない? 私見た記憶ない」
と、勝手に録画しておいたのだけれど。
「面白い映画だからまた見てもいいけど、ほんとに一度見てるんだよ」
「どこで?」
「WOWOWだろ?」
WOWOW出ないことは確かである。初登場のしるしが付いているから。
レンタルショップで借りたのかな」
「近くのツタヤじゃないよね、あそこになかったもん」
「ああ、じゃあ、BSプレミアムかなんかで、録画したんじゃない?」
それもないように思う。彼の思い違いかも、と疑っていたけれど、
見た人じゃないと知らないところが沢山あった。

となると、私が見て忘れてしまっているということだろうか。
こういういい映画は絶対に、覚えているはずだよ、と主張するも。
「寝ていたんでしょ」
と、軽くいなされてしまった。

ラン・オールナイト [映画]

殺し屋として生きて来たジミーは、
ひとり息子のマイクとも長く疎遠になっていた。

マイクはボクサーとしての夢はかなえられないまま、
結婚し二人の娘に恵まれ、タクシー運転手として働く。
同時に、父親のない子にボクシングを指導するヴォランティアも
行っている。
客待ちをしていたある夜、偶然殺人現場を見てしまい、
加害者のダニーに命を狙われる。ジミーは間一髪、
ダニーを銃殺、マイクの危機を救うのだが・・・。
ダニーとは、ジミーが長く憧れ、従ってきた
組織のボス・ショーンの息子だった。
ショーンは、激怒し「マイクとお前を殺す」。

反発し続けてきたマイクを、ジミーはこう諭す。
「今夜一晩、俺と行動を共にしろ。必ずお前と家族を助けるから」

ジミーを演じるのがリーアム・ニーソン、ショーンはエド・ハリス。
どちらも初老である。特にエドは、かなりおじいさんに見える。
そんな二人が、それぞれの息子のために壮絶な殺し合いを
演じるのである。かなり悲壮だ。

かたや、二人の息子の方は、ダニーは遊び人風で、軟弱。
マイクは謹直な小市民そのもの、って感じ。

おじ(い)さんを活躍させるのは、観客は若者よりも
初老が多いから、というビジネス面からの戦略的なものだろうか。
それとも、若者がおとなしくなってしまった現代世相の反映だろうか。

ところで、映画の原題「Run All Night」と聞いたとき、
一瞬、ランニングの映画? とも思えてしまったのだけれど。
英語のrunには「逃げる」という意味も含まれるのだった。
敢えて邦題をつけるとなると「暁までの逃亡」あたりになるかなあ。

そこで、中国語で「走る」を意味する「跑(パオ)」にも
「逃げる」の意味が含まれていることを思い出した。
日本語では、「走る」はあくまで自律的な運動を表す言葉で、
他者から「逃げる」という語感はない。
「走っている」と、一般には、何かから逃げているように見えるのかなあ。
人間はもともと、何かから逃げるときにしか、走らなかったのかもしれない。
いや、そうなると、日本語の「走る」に「逃げる」の語感がないことを
どう解釈したらいいんだろう・・・。
思いは意外な方向へ進む。
ともあれ、映画の題は、いつも
いろいろなことを考えさせてくれる大切な教師ではある。

おみおくりの作法 [映画]

「おみおくりの作法」。日本的な題だな、と
真っ先に思ったのだけれど、原題はやはり全く異なっていて、「Still Life」。
2013年、イギリスイタリアの合作映画

ロンドン郊外の住宅地で、民生委員をしている中年男のジョン。
仕事は、孤独死した人の身辺整理。そして残されたアルバムなどから
家族や親族、友人などを探し出し、葬儀などの連絡をすること。

孤独死した人たちの人生は、おおかた波乱に満ちていて、
家族を探し当てられたとしても、すんなりと葬儀への出席へと
導ける、という例は多くはない。むしろ、大抵は強い拒否に会ってしまう。

ジョンは持ち前の粘り強さと強い使命感を発揮して、
一人の人間の最期をより良い形にしようと
努力していく。その静かな闘志、というか
意志の強さ、それがこの映画のすべて、のように思える。

Still Life、静かな人生、とは、まさにこの仕事に命をかける
ジョンの生き方を指しているし、
また、もの言わなくなった人たちに向き合い、
最後の声を聴きとる仕事、そのものを指しているようにも思える。

映画の結末は皮肉なものだった。
だが、最期まで静かな人生を全うできたことに、
ジョンはひそかに安堵しているかもしれない。

邦題の「おみおくりの作法」では、そのあたりがうまく
伝わらないなあ、と私は思う。特に「作法」という言葉が、
この映画のもっとも大事なところを台無しにしてしまいそうな
気がして、残念である。

セッション [映画]

最近観た映画のなかで、特に心に残った作品。

ジャズ・ドラマーとして世に出ることに野心を燃やし、
NYの音楽院に入学したアンドリューは、ここで
名指揮者とされるフレッチャーの、凄まじい「しごき」にあう。
そのしごき方、は陰湿で悪意に満ち・・・(少なくとも当事者は
そう感じるはず。家族への冒瀆や、ときに、身体的な弱点までが、
罵りの対象になっているのだから)。

この作品からどういうことを感じるかは、人によってさまざまなはず。
私も色々と語ってみたいことがあるが、一つ、
音楽を学ぶ場、としての「学校」に絞って綴ってみることにする。

特に音楽に限らないと思うのだが、教わる場としての
学校という場の限界を、映画を観ていて強く感じたからである。

この映画の主人公がたまたまドラマーに設定されていた、
ということはあるだろうが、とにかく教師フレッチャーは、
ドラムの出来にこだわり続ける。
その他楽器演奏者への指導は疎かにされたまま。
ジャズは複数の楽器で演奏されるものだし、
ドラムだけが突出して大事、とは、私には思えない。
学校での教師の立場としては、できるだけ平等に
それぞれの楽器、個々の学生、の指導をすべき、ところ。

でもフレッチャーは真逆の教師で、やがて音楽院を
首になる。これもまた当然の成り行きではあった。

アンドリューが本当の意味で、フレッチャーの「指導」を
得たのは、二人が教師と生徒、と言う関係から
解き放たれたときだった。
少なくともこの映画は、彼らが指揮者とドラマーという
純粋な関係になれたとき、初めて、
真の指導を得た、いや、音楽の極意を
互いに察知した、というように作られているのだ。

学校と言う枠内では、しょせん、音楽は教えられるものではない、
映画では、そういうメッセージが含まれているように私には思えた。

ところで、私は主人公マイルズ・テラーのドラムの演奏ぶりを
素晴らしい、と感嘆して観たのだけれど。
うるさいだけの下手なドラマーという意見もあるらしい・・・・。