So-net無料ブログ作成
検索選択

最愛の子 [映画]

WOWOWに契約して後、ヨーロッパや南米の映画など、
なかなか干渉できない作品をたくさん見れたことはよかったが、
難点は、中国映画がカンフーなどの冒険・歴史ものに偏っていること。

ところが先日、久しぶりに現代中国の一面を切り取るような
生活臭の強そうな映画が放映されていて、さっそく録画してみた。
邦題は「最愛の子」原題が「親愛的」

離婚した深圳に住む三十代の夫婦。三才の男児の養育権は自営業の夫に。
それが不満の妻、面会のたびに激しく元夫と言い争う。
ところが、その子、父親が少し目を離したすきに、
妻の車を追いかけて道路に出て、行方不明になるのである。
通りかかった、安徽省の農民が誘拐し、妻にはその事実を伏せ、
自分たちの子として育ててしまうのである。

子供を失った夫婦の悲嘆は、激しく、二人はこれまでの生活を
すべてなげうって、子供探しに奔走する。
二人は行方不明の子供を持つ親の会にも入会し、
互いに助け合い、情報を交換し合い、懸賞金まで用意して
子供を探し出そうとするのだが。
連絡があっても、詐欺で懸賞金を狙った詐欺ばかり。

これは悲しいかな、現代中国の現実である。
そしてこの映画も、実際にあった事件をもとにしている。

二人の子は、二年後、ある情報がもとで見つかるのだが
子供はすっかり、誘拐犯の妻のほうに懐いてしまっていて・・。
結局、だれもがそれぞれの不幸を負ってしまうことになるのである。
そして、最後の結末は衝撃的である。

最初から最後まで、息詰まるような展開で見ごたえがあった。
カンフーばかり見ている相棒も、最初は
「日常の映画なんて、つまらん」
と言っていたけれど、しっかり最後まで見ていた・・・。

ドキュメンタリー「シーズンズ」 [映画]

BSプレミアムで放送されるワイルドライフが大好きで、
時間があるときはチャンネルをあわせるのだが、
難点は、再放送が多いこと。録画していざ見ようとして、
すでに見ていたものの再放送だった、と気づいたときは更に腹が立つ。
番組案内に、もっと分かり易く表記してほしい、と思うこともたびたび。

一月二日にWOWOWで放映された「シーズンズ」は
映像が素晴らしくて、引き込まれるように見た。
副題に「二万年の地球旅行」とあり、地球の歴史的
変化の中で自然の移り変わりを描いていく、という
形がとられていたけれど、そういう枠は不要だったのでは、
と思いながら、生き生きとした自然の中の動物たちの営みに
おおいに魅せられた。

でも、途中で、はた、とおもったことがある。
中型の肉食獣が小動物を追いかけて行って
(その追いかけをしっかり映像に収めているところもすごいが)
穴に逃げ込まれてしまい、前足を使って、探るという場面があったが、
この肉食獣を、穴の内部から写し取っている場面があったからである。
ということは、カメラを二台、内外に設置していたということか。

自然を自然そのままに映像化し、さらに見ごたえもあり、
また何らかのストーリー性を持たせていくことはとても難しい。
私自身、飼っていた犬を撮影するのさえ、
なかなかうまくいかなかった経験がある。
まして警戒心の強い野生動物である。
ハードルの高さは想像に余るのだが・・・。

この映画は最後まで飽きることなく見ることができた。
すごいなあ、と感心しつつ、でも・・・。
少しばかり、疑念は残ったのだった。

男が女を愛する時 [映画]

昨夜WOWOWで放映されていた映画
テレビをつけた時点で、開始後15分は過ぎていて、
まあ、何となくほかにすることがなかったので・・・
というくらいの理由で見始めたんだけれど。
だいたい、酷い題だ、邦題のつけ方が悪いんだろう、
と思っていたら、原題の直訳だった・・・。

見始めたらもう、メグ・ライアン演じるところの女主人公は
すでにアル中が進み、痛々しい状態になっている。
夫はパイロットという重職にあって、彼女の病気
翻弄されまくっている。さらに二人の幼い女の子までいて。

はたからは幸せに見えるはずの家庭は
内側からがらがら、と崩れていく。

ああ、深刻な映画なんだなあ、とかなり退いてしまう。
みるのをやめようか、と思い始めたとき、
長女を演じている六歳くらいの少女の演技に
目が留まった。明らかに彼女は、この家庭で
やや「はみ出し者」の役回りを負わされている、
ということに気が付いたのである。

自分の主張を抑えなければならない、屈折した立場であることが
その言動から感じられるように演技している。アメリカ子供は演技がうまい、
と瞠目させられることが多いのだけれど、この少女も
なかなかの名優ぶりだった。そしてたぶん、
私が途中から見たために知らなかったことだろうが、
彼女は、パイロットの夫の実子ではなく、
アル中の奥さんの連れ子だった、ということがわかってきた。

この女の子と、血のつながらない父親との
やりとりが、ものすごくいい。父親は
自分こそ世界でただ一人、お前の父親に他ならない、
と断言し、不安に押しつぶされそうな彼女を
愛し、励まし続けるのである。

この映画は、アル中の女性が自分を取り戻していく
その過程こそが本筋ではあるけれど、
なんだかぎこちなくて、うまく展開できているように見えなかった。
夫の連れ子との関係性の方が細やかに描かれていて、
そちらの方にずっと感動させられたのである。

アメリカは、日本人から見ると実に簡単に
離婚してしまうし、再婚も多くて、
こういう血のつながらない親子関係はとても多い。
また、子供がいない人が結構気軽に養子縁組して、
他人の子を実子のように育てている人も多い。

私のアメリカの知人に、互いに子連れ再婚をしたものの、
奥さんが家を出て行ってしまい、実子と奥さんの連れ子の
あわせて二人の息子を育てている四十代の男性がいる。
みている限り、まったく分け隔てなく愛情を注ぎながら
育てていて、頭が下がるのだけれど、
こんなことは当たり前、と涼しい顔していて・・・。

こういうおおらかさはいいなあ、と感動したことを
思い出してしまった。

上意討ち [映画]

1967年製作、小林正樹監督による時代劇。

主君の命令で側室だったいち(司葉子)を娶らされた与五郎。
案に相違して、いちが気配りも効き優しく、働きものだったため、
与五郎との夫婦仲はよく、二人の間にとみという一女にも恵まれる。

ところが結婚わずか二年後に、後継ぎの問題から、いちを
主君の側に戻すようにとの命令が下るのである。
余りの非人間的な扱いに、与五郎とその父伊三郎(三船敏郎)は、激怒。
二人は命を懸けて、主君の意向を覆させようとする。

ストーリーに無駄がなく、白黒の映像も美しく、音楽も素晴らしい。
また、剣の立ち回りも迫力があって、最後まで魅せられた映画だった。

ところで、この映画は先月WOWOWで放映されていたものを
録画して見たのだけれど、録画予約する段階から
相棒が「この映画、一度見ているよ」と言う。
ストーリーを読んでも、覚えがないので
「一人で見たんじゃない? 私見た記憶ない」
と、勝手に録画しておいたのだけれど。
「面白い映画だからまた見てもいいけど、ほんとに一度見てるんだよ」
「どこで?」
「WOWOWだろ?」
WOWOW出ないことは確かである。初登場のしるしが付いているから。
レンタルショップで借りたのかな」
「近くのツタヤじゃないよね、あそこになかったもん」
「ああ、じゃあ、BSプレミアムかなんかで、録画したんじゃない?」
それもないように思う。彼の思い違いかも、と疑っていたけれど、
見た人じゃないと知らないところが沢山あった。

となると、私が見て忘れてしまっているということだろうか。
こういういい映画は絶対に、覚えているはずだよ、と主張するも。
「寝ていたんでしょ」
と、軽くいなされてしまった。

ラン・オールナイト [映画]

殺し屋として生きて来たジミーは、
ひとり息子のマイクとも長く疎遠になっていた。

マイクはボクサーとしての夢はかなえられないまま、
結婚し二人の娘に恵まれ、タクシー運転手として働く。
同時に、父親のない子にボクシングを指導するヴォランティアも
行っている。
客待ちをしていたある夜、偶然殺人現場を見てしまい、
加害者のダニーに命を狙われる。ジミーは間一髪、
ダニーを銃殺、マイクの危機を救うのだが・・・。
ダニーとは、ジミーが長く憧れ、従ってきた
組織のボス・ショーンの息子だった。
ショーンは、激怒し「マイクとお前を殺す」。

反発し続けてきたマイクを、ジミーはこう諭す。
「今夜一晩、俺と行動を共にしろ。必ずお前と家族を助けるから」

ジミーを演じるのがリーアム・ニーソン、ショーンはエド・ハリス。
どちらも初老である。特にエドは、かなりおじいさんに見える。
そんな二人が、それぞれの息子のために壮絶な殺し合いを
演じるのである。かなり悲壮だ。

かたや、二人の息子の方は、ダニーは遊び人風で、軟弱。
マイクは謹直な小市民そのもの、って感じ。

おじ(い)さんを活躍させるのは、観客は若者よりも
初老が多いから、というビジネス面からの戦略的なものだろうか。
それとも、若者がおとなしくなってしまった現代世相の反映だろうか。

ところで、映画の原題「Run All Night」と聞いたとき、
一瞬、ランニングの映画? とも思えてしまったのだけれど。
英語のrunには「逃げる」という意味も含まれるのだった。
敢えて邦題をつけるとなると「暁までの逃亡」あたりになるかなあ。

そこで、中国語で「走る」を意味する「跑(パオ)」にも
「逃げる」の意味が含まれていることを思い出した。
日本語では、「走る」はあくまで自律的な運動を表す言葉で、
他者から「逃げる」という語感はない。
「走っている」と、一般には、何かから逃げているように見えるのかなあ。
人間はもともと、何かから逃げるときにしか、走らなかったのかもしれない。
いや、そうなると、日本語の「走る」に「逃げる」の語感がないことを
どう解釈したらいいんだろう・・・。
思いは意外な方向へ進む。
ともあれ、映画の題は、いつも
いろいろなことを考えさせてくれる大切な教師ではある。

おみおくりの作法 [映画]

「おみおくりの作法」。日本的な題だな、と
真っ先に思ったのだけれど、原題はやはり全く異なっていて、「Still Life」。
2013年、イギリスイタリアの合作映画

ロンドン郊外の住宅地で、民生委員をしている中年男のジョン。
仕事は、孤独死した人の身辺整理。そして残されたアルバムなどから
家族や親族、友人などを探し出し、葬儀などの連絡をすること。

孤独死した人たちの人生は、おおかた波乱に満ちていて、
家族を探し当てられたとしても、すんなりと葬儀への出席へと
導ける、という例は多くはない。むしろ、大抵は強い拒否に会ってしまう。

ジョンは持ち前の粘り強さと強い使命感を発揮して、
一人の人間の最期をより良い形にしようと
努力していく。その静かな闘志、というか
意志の強さ、それがこの映画のすべて、のように思える。

Still Life、静かな人生、とは、まさにこの仕事に命をかける
ジョンの生き方を指しているし、
また、もの言わなくなった人たちに向き合い、
最後の声を聴きとる仕事、そのものを指しているようにも思える。

映画の結末は皮肉なものだった。
だが、最期まで静かな人生を全うできたことに、
ジョンはひそかに安堵しているかもしれない。

邦題の「おみおくりの作法」では、そのあたりがうまく
伝わらないなあ、と私は思う。特に「作法」という言葉が、
この映画のもっとも大事なところを台無しにしてしまいそうな
気がして、残念である。

セッション [映画]

最近観た映画のなかで、特に心に残った作品。

ジャズ・ドラマーとして世に出ることに野心を燃やし、
NYの音楽院に入学したアンドリューは、ここで
名指揮者とされるフレッチャーの、凄まじい「しごき」にあう。
そのしごき方、は陰湿で悪意に満ち・・・(少なくとも当事者は
そう感じるはず。家族への冒瀆や、ときに、身体的な弱点までが、
罵りの対象になっているのだから)。

この作品からどういうことを感じるかは、人によってさまざまなはず。
私も色々と語ってみたいことがあるが、一つ、
音楽を学ぶ場、としての「学校」に絞って綴ってみることにする。

特に音楽に限らないと思うのだが、教わる場としての
学校という場の限界を、映画を観ていて強く感じたからである。

この映画の主人公がたまたまドラマーに設定されていた、
ということはあるだろうが、とにかく教師フレッチャーは、
ドラムの出来にこだわり続ける。
その他楽器演奏者への指導は疎かにされたまま。
ジャズは複数の楽器で演奏されるものだし、
ドラムだけが突出して大事、とは、私には思えない。
学校での教師の立場としては、できるだけ平等に
それぞれの楽器、個々の学生、の指導をすべき、ところ。

でもフレッチャーは真逆の教師で、やがて音楽院を
首になる。これもまた当然の成り行きではあった。

アンドリューが本当の意味で、フレッチャーの「指導」を
得たのは、二人が教師と生徒、と言う関係から
解き放たれたときだった。
少なくともこの映画は、彼らが指揮者とドラマーという
純粋な関係になれたとき、初めて、
真の指導を得た、いや、音楽の極意を
互いに察知した、というように作られているのだ。

学校と言う枠内では、しょせん、音楽は教えられるものではない、
映画では、そういうメッセージが含まれているように私には思えた。

ところで、私は主人公マイルズ・テラーのドラムの演奏ぶりを
素晴らしい、と感嘆して観たのだけれど。
うるさいだけの下手なドラマーという意見もあるらしい・・・・。

南太平洋 [映画]

WOWOW初登場のミュージカル。
私は三十年も前に、一度渋谷の映画館で観たことがある。
実は、内容はほとんど覚えていないのだが。
天然色(懐かしい言葉!)なのに、色彩が変、と感じる
場面が多々あって、それが気になって集中できなかったような記憶がある。
1958年制作だが、アメリカではすでにかなりの技術力があって、
素晴らしいカラー作品を沢山送り出していた時代なのに。

今回改めてみて、色彩のアンバランスは相変わらずだったが。
それを承知で観ていたせいか、内容はよくわかった。
時代は太平洋戦争時。場所はパプアニューギニアに近い島。
従軍看護婦と、現地で農園を営む中年男性との恋物語であった。

ストーリーは覚えていなかった(理解していなかった?)ものの、
音楽の方はところどころ覚えていて、この映画のみで
知ったといういたわけではなかったと思うが、
耳なじみのある歌が登場していて、楽しかった。

気になったことが一つ。それは太平洋戦争時なので、
アメリカは日本と闘うために、パプアニューギニアに
やってきているのである。だから映画のなかで何度か、
「Japan」とか「Japanese」とか語られているのに、
字幕が全部「敵国が」「敵が」としか出てこないこと。

これでは時代背景と場所に対する、正確な
認識を欠いてしまう。
ここは堂々と、日本人が、日本軍が、と訳すべきではないだろうか。

戦中を背景にこんなにも、のどかな映画が作れたアメリカ。
そんな国といかに無謀な戦争をしてしまったのか、
それを身に染みて感じるためにも・・・・。

バースディ・ガール [映画]

ニコール・キッドマン主演の2002年作のサスペンス。
(以下の内容にネタバレも含まれますので、ご注意ください)。

ロンドン郊外に暮らす銀行員のジョンは、周囲に結婚相手が見いだせず、
インターネットのサイトからロシア人の花嫁候補を選び出す。
サイト名は「ロシアより愛をこめて」。
現れたナディアは、サイトで見た通りのセクシーな女性だったが。
なんと、英語がまったく話せなかった!

約束が違う、とジョンはナディアを「返品」しようとする。
ベッドを共にするのも拒否しようとするのだが、
ナディアは、セクシャルな魅力を駆使して・・・・。

私はまず、ナディア演じるキッドマンが、あまりにもロシア語を、
それっぽくぺらぺらと喋りまくるのに驚いた。
あれ、この人、ロシア系? って、わけないよね。
彼女はやっぱ、英語話せるのでした、
キッドマンなんだし(いや、とりあえずこれは関係ないか)。
つまり、詐欺を働くために、戦略的に
話せないふりをしていたわけで・・・。

話せない彼女は周囲から断絶し、
結婚相手に百パーセント寄りかかってくる。
話せないことを負い目に、彼に精いっぱいその他の面で
尽くそうとする。男がほだされないわけないのである・・・。

この映画の題が、なぜ「バースディ・ガール」なのか、
不思議だった。でも彼女の誕生日であると言われた日が、
物語の転回点になっているのだった。
西洋人はとにかく、誕生日を大切にするから。
日本人には、ちょっと理解できないほど。
それはイギリス人もロシア人も差がなかった、ってことでした。

こういうサイトなどを利用して、結婚相手を探す、って、
けっこうリスクありそうだな、と改めて思う。
それだけ、みんな、サイトばかり(スマホ、ケータイ、PCを問わず)
見ているばかりで、実際の生活を通して触れ合うことが減ってしまったからか。
便利なような、不幸なような・・・・。

薄氷の殺人 [映画]

ベルリン国際映画祭で金熊賞(作品賞)と
銀熊賞(主演男優賞)を受賞した、中国の犯罪サスペンス
と聞けば、期待も高まるというものである。

次々に大型トラックで運ばれてくる石炭の山。
ベルトコンベアーで流され、中国各地に運ばれる、
その黒一色のなかに、何やら人間の一部らしき塊が・・・。

猟奇映画なのかな、嫌だな、と思いながら見ていたのだが。
時代は九十年代の末。当時の中国ではDNA鑑定
一般的でなかったようで、遺体の一部についていた
遺留品などから身元が特定され、あるクリーニング店に勤める
若い女性の夫、とされるのだが・・・。

そのあたりから、この映画の傷、というか
作品としての物足りなさが目立ち始める。
警官たちが妻に夫の死を報告する場面で、
妻はただ、顔を覆って泣くばかり・・・なのである。
被害者の妻は若く(そして美しい・・ようである)、一方捜査に関わるのは、
型破りで個性的な中年の元刑事なのだから。

ここは、妻の表情を、少しでも見せるべきところではないか。
少なくともその若さ、美しさが、事件に関連があると
(実際、その関連は大きいのである)示すべきではないか。
鑑賞するものは、このあたりから映画の展開を予想しながら、
さらに内容にひきつけられていくものなのではないか。

これは一つの例であるが、そのほかにも、この映画には、
もどかしい部分が多々あって、私がもし映画祭の審査委員なら
金熊賞どころの話じゃないぞ、と思えてしまった。

いったい、どのあたりが評価されたんだろう。