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多摩森林科学園 [旅]

学生時代からの友人、Nに誘われて多摩森林科学園なる
ところへ出かけてきた。Nは山歩きが好きで、北アルプスなどにも
登っているらしい。私はそういうところには付き合えない、
でも、丘陵くらいならいいよ、と言ってあったので、ここくらいなら、
ということになったのだろう。

JRの高尾駅から徒歩十分ほどのところにある、森林総合研究所なる
ところの付属施設(?)らしい。広さは約8ヘクタールとのこと。
「各種の桜の保存林として有名なので、開花期はかなり混雑するけど、
この季節、あまり人はいないよ、でも深緑がきれいだし、
運が良かったら、ムササビとか、動物も見れるかも」とNが言う。

待ち合わせ当日はあいにく、午後から雨の情報だったので、
時間を繰り上げて、開園と同時に入ることにした。
門扉を開けてくれた人が、早速
「今、モリアオガエルの卵が見られますよ」
と、管理棟の裏の池に案内してくれる。
メスが木に登り、それをオスが追いかけて産卵するらしい。
木の枝の高いところに、大きな泡状の卵がくっついていて
びっくり。知らなければ、蛙の卵とは気がつかなかったはず。

その後、二人でゆっくりとおしゃべりしながら
森の中を歩く。楓や桜、ケヤキ、メタセコイア、松、杉・・。
時々立ち止まって、木の実や花を見たり、
葉っぱに留まっている天道虫やカメムシなどを
カメラに収めたり。

途中で、ガサガサッと音がして目の前を
むっくりとした生き物がさっと横切っていった。
狸らしい。大きなしっぽがつるりっと、道の端に
見え、すぐさま姿が消えた。

途中でちらちらと細かい雨が降ったが、すぐ止む。

「ねえ、エマ・トンプソンって、他にどんな映画に
出ていたっけ?」唐突にNが訊いてくる。私が
本当に久しぶりにイギリス映画「日の名残り」を見た、
と何かの用のついでにメールに書いたのは、一か月も前のこと。

面食らったが、すぐに、ちょっと苦笑。
Nと話していると、物凄く唐突に話題が飛ぶ。
学生の頃は、もっと酷かった。こちらが彼女の問いに誠意を
もって答えている、という場面でも、急にものすごく
関係ない話題を振られる。驚き、時にむかついたり、
虚しくなったりもしたけれど。

彼女は彼女のペースでおっとりと生きている、と理解でき。
今は、自然に受け止められるようになった。もう、
半世紀近く付き合ってきたから。
森の青い空気を吸いながら、のほほんと過ごした半日・・・。




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権之助坂 [旅]

権之助坂は目黒駅のすぐ近くにある。私は高校~大学一年まで
の四年ほど、目蒲線(今の目黒線)沿線に住んでいたので、
まず目蒲線で目黒に出てから、山手線を利用する、ということが
多かった。目黒は途中駅ということになるのだが・・・。

高校の卒業式から大学入学式までの三週間ほど、目黒駅から
徒歩七、八分のところにあった、某信託銀行でアルバイトをした。
毎日権之助坂を上り下りして通う。株券の切り替え業務で、
けっこうバイト代が良かったが、さらに八時まで残業すると
食堂で夕食を摂るための食券が配布される。両親の反対を
押し切って大学入学をした私は、激しい金欠病を患っていたので、
この三週間、日曜日以外は八時まで働き続けた・・・。

当時の権之助坂は、オフィスのような建物が多く、
午後六時を過ぎると灯りが極端に少なくなる。夜の帰り道が
心細かったから、暗く感じた、ということもあったかもしれないが。

大学に入学した年は、すでに学園紛争の熱気が去っていて、
学内は退廃ムード。近くの私大では内ゲバが激しかった。
合コンに熱心な人、音楽やスポーツ系のサークル活動だけに
力を入れる人も多い傍ら、左翼思想の本を読んでいる人もいた。
あのころは、まさに「過渡期」だったのだ、と思う。

お兄さんが中核系の活動家だというKさんは、
その影響を受けていて、左翼書をいつも手にしていた。
そして私に、こんなことを教えてくれたのである。

「目黒の権之助坂の少し横に入ったところに、
左翼書の専門店があるの。ここに行くと、だいたい揃っている。
でもね、兄の話だと、そのお店は、裏の方でエロ本も扱っていて、
こっちの方がかなり充実しているらしいわよ。あなた、
いつも目黒を通ってくるんでしょ。知らない?」

私は当時、マルクスの資本論を研究する会なんかに
出てはいたけれど、のめり込むということでもなく。
彼女の言っている店がどこなのか、確かめようとは思わなかった。
そして、もしかするとからかわれているのかな、とも思った。
でも、そのことはずっと心の奥に残っていたのである。

昨年、いつも出席している横浜歌会で「都市を詠う」という
題詠が出されたとき、ふっとそのことを思い出して歌にしてみた。

  左翼書とエロ本のみ売る店ありき灯り乏しき権之助坂に
                         岡部史

出席者からはすぐに「権之助坂は、大きな通りで灯りは乏しくない」
と反論された。私のこの坂の昏い印象は先に述べたとおり。

最近、五反田に行く用事があり、ついでに目黒で降りて権之助坂を
歩いてみた。もうすっかり変わっていて、私がバイトした銀行の
建物も、もうどこだったかわからないほどだった。
でも、目をつむると、暗い表情をした本屋の店主が
小さな灯りを点して、『共産党宣言』や『ドイツイデオロギー』
等の本を並べている様子が目に浮かんできた。
その傍らに、エロ本はあったのか、どうか。
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堺物語(おまけ) [旅]

メーリングの歌会組織であるテルミニの
二年に一度のオフ会が済むと、毎回手作りの
パンフレットを出すことになっている。
短歌作品を五首と数百字程度のエッセイを
各自提出し、それらに写真を加えたもの。

帰宅早々、締め切りは二週間後、という指示が
MLに流れた。あまり時間はない。一昨年の自分の
作品を読み返してみたが、あまり納得できない
作品だった。それで鍛錬所で見た、刃物づくりの
過程について五首にまとめようと、図書館から
刃物に関する本を借りてきて読んだりしていた。

結局二十首あまり作って、その中から五首選んで
何とか締め切りに間に合わせることができた。
100パーセント納得の、自信作とはいかなかったが、
とりあえず、できるところで手ごたえのある作品にはなった。
と少し安堵する。

ところで、その間に、横浜での歌会があったり、書きかけていた
スイーツに関する原稿に手を入れたり・・・。

少し時間ができたので、また好きな小説でも読もう、
と思って図書館に行って驚いた! 借りようとして、
自分のカードを貸出機にかざしたら、
「返却期日の過ぎた図書があります」という警告が
出ちゃったのである。刃物の本を返すの忘れてました!

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堺物語(最終回) [旅]

歌会が終わるとすぐ、タクシーに分乗して
ホテルに戻り、荷物を引き取って駅へ。
雨は依然として激しい。台風は今、関西を通り抜けて
いるところらしい。新幹線が止まっている、
という情報はなく、とりあえず新大阪へ。

ところが、なんと南海電鉄が止まっていた!
人身事故があったそうだ。堺駅で四十分くらい
電車に乗ったまま、足止めを食らうことに。
でも、そこでも歌の話をしてしまう。
詠草を取り出して、確認している人もいたりして。
ほんと、ビョーキだよね(私もそのひとり)。

新幹線は時間通り発車した。もう、西の空は
明るくなっていて、途中、京都を過ぎる頃には、
大きな虹が出ていて、すばらしく美しい。

富士吉田あたりで、降雨が激しいとの
アナウンスがあり、名古屋を過ぎるあたりから
ノロノロ運転に変わり。家に着いたのは予定より
一時間以上遅かったのだけれど。

みんな無事に帰宅できたみたいだ。家に着いた人から、
メールに帰着の報告が入ってくる。
再来年、またオフ会で再会できることを楽しみに。
雨の堺をそれこそ、心に沁みとおるまで堪能した
二日間だった。みんなに感謝したい(この項、終ります)。

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堺物語(その9) [旅]

鍛錬所を後にし、近くの阪堺電鉄の駅へ。
昼食の予約をしてあるカフェへ移動するため。
昼食を摂りながら、歌会をする予定である。
雨脚はさらに強まっているが、風がないのが有難い。

カフェに落ち着いて、改めて詠草を読む。
担当のTさんが産業館の開館前の時間を使って、
コピーしてくれたおかげで、ざっとは読んでいたが。
一晩のうちに、雨の中を歩き回った半日の間の
経験を二首にまとめた人もいて、感動する。

私は昨夜遅く、一首だけ何とか詠み、それに
以前に作った歌を一首加えて、お茶を濁したのに。
吟行のときは、いつもどきどきする。時間の
プレッシャーに弱くて、だけれど、どこかで、
このプレッシャーがあるから何とかできるんだ、
という、開き直る気持ちがあって。人生いつも、
はらはらしながら、このプレッシャーを糧に
なんとか切り抜けてきたような気がする・・・。

外の雨音を効果音のように聞きながら、歌会は
粛々と進んだ。同じものを見ていたはずなのに、
こういう歌はできなかったなあ、と感動する作品も
ある一方で、ちょっと未消化かなあ、と言う作品もあり。
吟行会の歌会はいつも、素晴らしく楽しい。
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堺物語(その8) [旅]

正式には「堺市立町屋歴史館 山口家住宅」という
この建物、入るといきなり広い土間、そして松一本を
そのまま用いた太い梁が出迎えてくれる。
南北にやや細長い家屋は、土間に添って玄関の間、
南の間、中の間、北の間、と続きさらに奥座敷、西座敷、
次の間、茶室、北土蔵、西土蔵、など、広い広い・・・。
山口家はもと、庄屋だったらしいが、堺の黄金時代を
想像させる豊かさだった。

その後、鍛治屋敷街にある鍛錬所に向かう。
今回お世話くださったYさんの知人の方が営んでいて、
鍛錬の工程を見せて下さる、ということで
堺のオフ会で、一番たのしみにしていた企画だった。
山口家や産業会館は誰でも行けるけれど、鍛錬所の
工程を観ることはなかなかできることではないので。

鉄と鋼を合わせて、和包丁に仕立て上げる工程である。
鍛錬はテレビなどで見たことはあるものの、目前で
実際に見ると、素晴らしく迫力があった。とにかく
九百度近い熱で、鉄を打つのだから、暑いし、
火花は散るし、あたりには鉄粉が舞う。
その生々しさの中から、赤く焼けた鉄が
刃物のかたちを成していく様は、圧巻だった。

その後、法隆寺の相輪に架かっている「魔除け」の
制作を頼まれた話をうかがう。大きな鉄の鎌なのだが、
これは避雷針として使われてきたものらしい。何年かおきに
作り直され、堺の鍛錬所の間での当番制になっている。
次にこの鍛錬所が担当するのは、二百数十年後になるのだとか。
堺の町は、数百年単位の中で呼吸しているなあ、
としみじみ実感させられる一事だった。
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堺物語(その7) [旅]

軒先を借りてはいたが、雨の中三十分近く、
「堺伝統産業館」の開館を待っていた私たち、
十人。プラス二、三人。産業館の人たちは
開館時間五分前に開けてくれたのだった。

この産業館の二階の、刃物の展示は特に
素晴らしかった!日本にこんなに多種類の
刃物があるなんて、知らなかった。もちろん、
刃物というものが、切る対象によって形や
切れ味が異なる、と言うことは知っていたものの、
特に東西によって、形が異なるとは驚きだった。

鰻を裂く包丁が関西と関東で異なるのは有名だが、
柳刃が関東では主に「蛸引」になるなんて!
最初は、タコを斬る包丁か、と思ってしまったけど。

他にも餅切り用、ソバ包丁、鮪専用、フグ包丁、
さらには薬草用、布切り用・・・と種類が多いのだった。

この日、堺の刃物文化を継承している鍛冶屋敷街に
向かい、鍛錬の現場を見学させてもらうことになっていた。
その前に、堺の旧家・山口家の見学が入っている。
さほど離れてはいないが、タクシーを呼んでもらう。
雨はいよいよ、激しくなっていたので。
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堺物語(その6) [旅]

翌朝、六時半ころに起きてみると空は重たく
曇っているものの、雨は降っていない。
朝食後、詠草を作り、詠草係のTさんの部屋に行くと
ドアの前に封筒が貼ってあった。詠草入れのポスト!
素敵なアイディアでした。ちなみに私が一番最初の
投函者みたいでした。

窓から見えていた境港を散歩する。沖合に台風が近づいて
いるらしいが、風はさほど強くない。港とはいえ、
ここは旧港で、湾のように取り囲まれ、現在の港は、
もっと沖に近い方にあるとのこと。堺の町を見渡す、
龍女神の像がすらりと立っているのを見ながら一巡りする。

部屋に帰ると、同室のYさんから、雨の降らないうちに
観光をすませて、歌会は午後からにしようか、と
予定の変更を相談された。すぐに賛成して、皆に伝える。

荷物をホテルに預け、街に繰り出したのは九時過ぎ。
まさにその時に、雨が降り出してきたのだから不運である。
大通りに出て、待ちかねていた路面電車・阪堺電鉄に乗る。
伝統産業館に向かったのだが、なんとここは十時の開店という。
軒先のテーブルで、雨宿りを兼ねて待たせてもらう。
その間、Tさんは少し離れたコンビニまで、詠草のコピーを
しに出掛けて下さった。ずぶ濡れにさせちゃって申し訳ない。
「こんなオフ会、ものすごく印象に残っちゃって、
一番忘れられない会になること間違いないね」と言い合った。

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堺物語(その5) [旅]

今年の塔短歌会賞受賞作と次席作品は
対照的な作風、とは感じていたが、テルミニの仲間と、
堺のホテルで二時間近くかけて論議してみると、
その特徴がよりきわやかに見えてきて、有意義だった。
特に面白かったのは、最後に披露された作者ふたりの
「創作秘話」。いや、秘話と言うほどの秘密性を帯びた
ものではないが、どう素材を選び、組み立てていったか
という話は興味深いものがありました。
私は、こういう話はとても好きで、正直言うと、
もっと聞いていたかったし、質問したいこともあったんだが。

午後七時となり、Yさんが予約していてくれたホテル一階の
和食レストランへ。その夕食が素晴らしかったこと!
私は初めて口にするものも多く、驚きっぱなし。

たとえば「鱧のすき鍋」一人前ずつ、小さなコンロに
小鍋が据えられ、そこに敷いてあるのは紙!
紙の中に、鱧とお出し、松茸、泉州玉葱が入っている。
これをとき卵につけて食べるのだった!う~ん、美味!

他にも明石鯛のおつくり、鯛のちり蒸し、蓮根饅頭、
さえずり(鯨の肉らしい)、クルマエビの素焼き
など次々に堺の名物料理らしきものが登場する。
デザートの芥子餅はしっかり頂いたものの、
穴子の握りずしは、おなかに余裕がなくてパス。
残念だった。


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堺物語(その4) [旅]

今回の旅では、大阪在住のYさんがものすごく
企画力を発揮してくださった。宿や夕食、二回の昼食の
予約、見所を探しておいてくれて、予定も立ててくれて
下さっていて、本当に感謝している。

お天気だけが非情だった。台風の雨は容赦なく降り、
私たちは、利晶の杜で呼んでもらった三台のタクシーに
分乗して、仁徳天皇陵に向かうことに。
分乗ということは不安定なもので、雨のなか、三台まとめてはこない。
また大きな仁徳陵で各タクシーの停車位置が異なっていたこともあり、
時間はどんどん失われてしまう。

仁徳陵は篠つく雨に煙っていて、入り口のところでちらっと
見るだけ、その大きさ、形を想像するだけになってしまった。
晴れていたら、近くの市役所の展望台から一望する
こともできたのだったが。
だが、歌詠みの凄さはここで発揮されたように思う。
私たちは翌朝八時までにこの堺での旅を歌を詠み、
歌会担当のTさんに詠草を渡すことになっていたのだが。
三人もの人がこの雨中の仁徳陵を歌にしていたのだ!
雨が酷いので、早々に御陵前を去ることになったにかかわらず。

ホテルに戻ると、雨に濡れた体を拭く時間も早々に、
次の予定が待っていた。仲間の中に今年度の「塔短歌会賞」
の受賞者と次席の人がいたので、彼らの応募作品を
批評し合う会である。オフ会はこんな風に、分刻みで
盛り沢山。消化しきれないうちに次へ、次へと進む。


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