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下町へ(最終回) [旅]

雑司ヶ谷の鬼子母神名物といえば、薄で作られた
みみずくの人形である。これは我が家に既にある。
二十数年前、義母が鬼子母神を訪れて、お土産に
買ってきてくれたもの。

義母はあちこち出歩くのが好きな人で、義父の仕事の
関係で関西に住んでいたが、年に一、二度、
上京しては我が家に泊まり、東京近辺を観光して回って
いた。義父と同様、生まれも育ちも東京で、
小さいころに住んでいたという白金にも足を運び、
「道だけがそのまんまなの!」
と驚いていたことを思い出す。

母はもっとあちこちに行きたかったのかもしれない。
あまり頻繁に我が家に寝泊まりしては、
私に迷惑だろうと、遠慮していたのだろう。

七年半前、ほんの一カ月余り床に就いただけで
亡くなったが、その前年、九十歳を過ぎてから
我が家にやってきたことも思い出される。
東京で開かれる句会に出席するため、だった。
亡くなる直前まで、心身ともにしっかりしていた。

鬼子母神の参道を駅に向かって歩きながら、
しきりに当時のことが思い出された。
東京が故郷だった義母は、変わっていく
東京をこそ、観たかったのかもしれない。

副都心線の雑司が谷駅に出て、ここからは
東横線経由で帰宅することに・・・。
副都心線には、義母は一度も乗ることはなかったはず。
また、下町に来てみよう。東京のダイナミックな変化を
義母に変わって確認していこう、と思いながら、今回の旅は
ここで終点としたのである。
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下町へ(その6) [旅]

京成町屋駅で降りて、荒川線のホームへ行くと、
すでに七、八人の人が並び、私の後ろにも次々並ぶ。
平日の昼だが、乗客は多いらしい。電車はまもなく到着。
運賃にまず驚く。たった170円で、しかも一律なのだった。
一両だけの車内はかなり混雑していた。

私は雑司ヶ谷の鬼子母神に行くつもりである。
荒川線で十数駅あり、信号でもちょこちょこ止まるので、
結局四十分もかかった。その間、客の乗降が繰り返される。
路面電車で、荒川線だけが残された理由がぼんやりと
わかってきた。このあたりには必須の足なのだった。

鬼子母神は通学していた大学から徒歩で
十数分のところにある。でも、四年間、
そういう場所が意識に上ることさえなかった。
毎日毎日、私はただ生きていくことに精一杯だった。
酷いジタバタを繰り返し、人を傷つけ、自分も傷ついた。
思い出すと、胸が苦しくなるくらいである。

  誰もが目いっぱいのトラブルを抱え込んでいる・・
  トラブルは雨のように空から降ってきたし、
  僕たちは夢中になってそれらを拾い集め・・・
  なぜそんなことをしたのか、いまでもわからない。
        村上春樹『1973年のピンボール』

鬼子母神につながる短い参道を歩く。その参道めがけ、
両側から押し寄せるように高層のマンションが建っている。
参道のケヤキ並木は、かなり厳しく剪定されている感じ。
ケヤキの方が先住者のはずだが、完全に圧されている。

義父は東京で生まれ育ったが、よくこんなことを言っていた。
「東京が故郷の人間は本当に不幸だよ。
子供の頃の思い出の場所が、ズタズタにされてしまうんだから」
若かった当時は、よく理解できなかったことだけれど、
こうして東京の些細な町を歩いてみると、よくわかるのだった。

年を取ることは、かなり不本意なことが増えることだが、
嫌なことばかりでもない。身近なところをじっくりと
歩くと、そんな些細なことに気づいたりもするのである。
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下町へ(その5) [旅]

再び、ぶらぶらと歩きながら帝釈天参道へ。
店の周囲をじっくりと見ていくと、「とらや」と
記した木製の看板が目に入った。ここでは、寅さん
シリーズ四作目まで、ロケ地に使われていたという。

今は隣に軽食(麺、丼類)を供する食堂も併設していて、
観光地によくある土産店兼食堂、といった雰囲気。
とりあえず、おいちゃんたちがいつもこねていた
草団子の16個入りを購入。16個という数にちょっと
ビビったんだけれど一個が2,5センチ位。かなり小さい。
賞味期限は明日までと短いが、無駄にすることはないでしょう。

その後、柴又の駅から高砂に戻り、京成金町線で町屋という
駅まで行くことにした。ここからは都電荒川線に乗り換えできる。
下町の風景を路面電車で味わいながら行こう、という予定である。

荒川線は通っていた大学の近くを通るので、
学生時代はよく目にはしていたが、利用したのは、
一年生の10月の一週間だけ。この時は、短期のバイト先が荒川線で
行けるところにあったからである。それ以来の利用になる。
ちょっとどきどき・・・。路面電車は大好きで、
長崎、高知、広島、岡山、旅先にあれば必ず、というほど
利用してきた交通機関である。
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下町へ(その4) [旅]

帝釈天を観た後、江戸川の方へ歩いていく。
昼食は、堤防の手前にある、川魚料理「川甚」で
摂ることに決めていたから。三階建てくらいの
濃い茶色のビルに「川甚」の文字が見え、思いがけず
無粋な感じの建物で驚く。ここが新館、隣の休館は
それなりの建物だったが、昼食時は新館のみ、
ということらしい。電話で聞いていた通り、平日なので
かなり空いていた。お決まりのうなぎ定食を頼む。

たれはかなりあっさりしていて、好みだったが、
ご飯が今一つ。以前我が家の近くにあった鰻料理の
店は、数年前に潰れてしまったのだけれど、そこの方が
ご飯の味は良かったなあ、と思い出してしまう。

食後は江戸川の河畔に出る。矢切の渡しはすぐそば。
この土手で、よく寅さんが昼寝していたなあ、と
つい周囲を見回してしまう。どこかで今もロケが
行われていそう。お天気もすごく良いし。暑いくらいだが。

矢切の渡しの舟は、数人ほどが載れるくらいの小舟で、
桟橋とされるところも、アルミの台をつなげたような、
なんとも無粋はしろものだった。江戸川のむこうは
千葉県なので、ここが県境ではあるが・・・。
川幅もそう広くはない。先日の雨で川水はけっこう
ゆったりと流れてはいるけれども。

「‥知らぬ土地」「息を殺して身を寄せ」
「明日に漕ぎ出す」などなど、「矢切の渡し」の
歌詞を思い出すと、ちょっと滑稽な感じがする。
時代が移り、このあたりの雰囲気が変わったせい
なのかもしれない。
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下町へ(その3) [旅]

柴又駅前は、平日なのにかなりの人出。
改札前の小さな広場に、寅さんの像、少し離れて、
さくらの像もあり、記念撮影をする人たちが
沢山群れている。これじゃ、像だけを
写すことは難しいな、と思いながら、帝釈天の参道へ。

車がすれ違えないほどの細い道。両側の店も軒の低い
木造で、なんだかとても懐かしい感じがする。
寅さんのおいちゃんたちが団子を売っていた店はどこ
なんだろう。みんな同じように見えて、よくわからない。

映画で見た印象とは、やや異なり、帝釈天は狭かった。
人が多いこともあるかも知れない。ごちゃごちゃしていて、
落ち着かない感じ。でも回廊のあるあたり、今にも
笠智衆が、のっそりと現れそうな気がする。

東京の主な観光地は今、外国人だらけなんだけれど、
柴又だけはほとんど日本人ばかり、少なくとも
西洋人はほとんど見られなかった。柴又観光が、
寅さん人気に支えられていること、あの映画が
日本人受けはしたが、それ以上ではなかったこと、
などが影響しているのかなあ、などと思いをめぐらす。
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下町へ(その2) [旅]

今回の「下町へ」連載は、カテゴリーを「旅」にした。
東京の多摩南西部、神奈川県との県境近くにある我が家から
下町方面はとても遠い。特に千葉県県境に近い柴又となると、
「さあ、出かけるぞ!」という覚悟が必要なくらい。

まずはJR駅まで徒歩13分、JRで三分、東急田園都市線に
乗り換え、押上まで訳一時間半である。かつてこの線は、
水天宮が終点だったが、東京スカイツリーの落成に合わせて、
押上まで延長された。でも、押上駅が(スカイツリー駅)も
兼ねていたとは、今回乗ってみて、初めて知ったこと。

押上で京成押上線に乗り換える。その駅から成田空港までいく
電車もあるのだということも、この度初めて知った。
なんだ、いつも水天宮からリムジン使っていたのに・・・。
数年くらい前にできていたらしい。これも知らなかった!

東京は広いし、日々変わっているので、ぼんやりしていると
取り残される。いや、もうかなり追いつけてないな、
とちょっと、こころがどんよりしてしまった。いや、いや、
ここで腐っているわけにいかない。押上線に乗って、そのまま
柴又に着けるわけではないのである。さらに京成柴又線に
乗り換えなければならない。

このあたり、全く未知の領域である。電車の駅名も
耳馴染みのないものばかり。乗り換えるとき、上下を
間違えないように、路線図をいちいち確かめるので、
さらに時間がかかる。柴又に着いたのは、家を出て
二時間二十分後であった。京都や大阪の方が短時間に、
はるかに便利に行ける、ということなのである。

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下町へ [旅]

「下町」という言葉を初めて知ったのは、
小学校低学年の頃、当時流行った倍賞千恵子の
「下町の太陽」を聞いてからだと思う。

東北の田舎に住んでいたので、「下町」というような
場所は近辺になく、橋の下の方に広がる町のことらしい、
と考えていたように思う。中学を卒業してから
家族で上京したが、当時住んでいたのが、目黒区に
近い品川区で、高校は大田区。「下町」と呼ばれる場所には
ほとんど行ってみたことのないまま、大学入学半年後には
多摩地区に転居・・。結婚してからもこの周辺を転々とし。

そうしてだいぶ日が経ったことになるのだが、
この度、急に思い立って、出かけてみることにした。
まずは葛飾・柴又近辺。そう、映画・寅さんシリーズで
脚光を浴びた地域である。(この項、続きます)
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北海道ミニ(最終回) [旅]

観光バスの同行者のはぼ半数が、阿寒湖湖畔の
ホテルに宿泊するらしい。彼らのほとんどが中国の人。
いずれも阿寒湖周辺の高級ホテル。
北海道の観光はすでに、中国の人たちに大きく依存する
ものになっているのではないか、と言う気がしてくる。

ほとんどの日本人が予定時間にバスに戻ってきた。
この後、釧路空港あるいは釧路駅、
プリンスホテル、のいずれか希望するところで降車できる。
私たちは釧路空港を希望した。午後七時の飛行機で帰京するため。

バスはこの後、どこにも停車せずに、まっしぐらに南下する。
窓の外の景色を眺めて過ごす。このあたりは大きな酪農農家が
多く、道路に沿って「〇〇農場」と記した看板を立てている。
阿寒湖で二時間の休憩時間があるくらいなら、この中のひとつでも
見学したかったなあ、と思えてくる。アメリカのミネソタ州に
ホームスティしていた時、近くの巨大な農場を見せてもらったことを
思い出す。サイロや牛舎、二階建ての家くらいもある巨大な機械類・・・。

北海道の観光なんだから、北海道らしさを見るということで
そんな訪問先が付け加わってもいいのではないか。
今回は二つの定期観光バスに乗ってみたけれど、どちらも、
何処か物足りなさがあった。今回の釧路発の阿寒バスは雄大な
北海道の自然の一部に触れることができて、そこは満足して
いるのだけれど・・・。

自家用車やレンタカーで訪れる人が大半になっている今、
観光バスの充実は難しいのかなあ、と思う。でも、また
北海道を訪れるとき、私は観光バスを使おうと思う。
ぼんやりしながら景色を見る楽しみが、何より代えがたいから。
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北海道ミニ(その10) [旅]

観光バスは続いて、硫黄山、屈斜路湖、阿寒湖へと回る。
硫黄山は、山肌に露出している硫黄が実に美しい黄色で、
珍しい光景だろうと思う。硫黄の匂いは子供の頃祖母に
伴われて行った天童温泉の匂いでもあり、懐かしい。

屈斜路湖は何ということのない、湖だったけれど、
バスの窓からちらりと見えたペンケトーとパンケトー
という湖は、まさに太古の日の北海道の姿を想像させる
ものだった。許可がないと近づけないという。ヒグマも出没
するらしい。ただ双湖台という二つの湖を望める展望台が
近くにあるらしい。ここでも降りてみたかった・・・。

阿寒湖では昼食時間も含めて、二時間余りの滞在となった。
湖周辺は商店街が並んでいて、ありきたりな感じ。
昼食にワカサギのフライとヒメマスの天ぷらを食べる。
昼食後は阿寒湖エコミュージアムという博物館へ。
ここではマリモを見ることができるのだった。

小学校に入学したころ「りぼん」という雑誌に
「おはようコロタン」という漫画が連載されていたことを
思い出した。主人公はアイヌの少女「まりも」、
コロタンは彼女がかわいがっている子熊だった。

「りぼん」を続けて買うことが許されなかったので、
私はこの漫画がどう展開していったか知らないのだが、
たまたま応募した懸賞に当たって、私のもとに
「コロタンバッジ」が送られてきた。その時の喜びは格別で、
実は今も、そのバッジを大切にとってある。
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北海道ミニ(その9) [旅]

釧路でのただ一度だけの夕食は、ハズレ気味だったのだけれど、
プリンスホテルの朝食は豪華! 16階にある見晴し抜群の
レストランがまた、売り物だったのだけれど、まるでスリガラス?
と間違えそうなほど深い霧で、何も見えませんでしたが・・・。

北海道最終日のこの日、阿寒バスのピリカ号で、一日定期観光に
参加する予定である。朝8時少し過ぎに、このホテルの前から
乗車できることになっていた。駅から回ってきたバスはすでに
二十人強が乗っていて、私たちと一緒に乗り込んだ人が十人強。
結局四十名近くの人が参加。その半数近くは中国の人。
他に韓国の人と西洋の人も。北海道は外国の人に人気らしい。

ガイドさんはまた親切な妙齢の女性で、ところどころ英語を
混ぜてガイドしてくれていた。朝はかなり強めの雨だったが、
釧路市内を抜ける頃にはあがってきていた。空は曇っているが。

この観光バスは釧路湿原を横に見ながら、まずは摩周湖へ向かう。
湿原は大きなフキの葉に縁どられ、バス通りからはほとんど水が見えない。
ああ、降りて少しでも周囲を歩きたかったなあ。と思うけれど、そこが
観光バスの不便なところである。

摩周湖は霧の器のよう。まるで何も見えず、ガイドさんは
「見えないから摩周湖、ともいえるわけで、見えたら見えたで
落胆する人もいるんですよ」と(必死のフォロー?)。

驚いたのは同行の中国の人たちの食べっぷり。バスの中から
コンビニのお菓子などを食べまくっていたのに、摩周湖の
土産物店では牛乳やら焼きトウモロコシやらちくわ(?)
などを買い込んで、お互いに回しながら、のべつまくなし
食べていて・・・。なるほど、食の国の人たちじゃ・・・。
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