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藤沢周平体験(その7) [文学]

藤沢作品を読みながら、期せずして、
ずいぶんと色々なことを考えることになった。
この作家の多面性、つまり、エンターテイナーでありながら、
本格的な作家論に通じるような作品も書いていたこと、がひとつ。
そして、山形県出身(私も幼少期を過ごした)である、ということが大きい。

先回、『白き瓶』の中の一節を引いたが、この文章を
読む限り、藤沢は左千夫よりもずっと、茂吉や節の方に近い。
つまり郷土の自然に対する強い愛着を持って
表現に向き合った人、といえるだろう。

『乳のごとき故郷』(文芸春秋)は、藤沢の死後、
彼があちこちに書いた故郷にまつわるエッセイ
集めて出版された本だが、これを読むと、彼が
どんなふうに故郷を思い続けていたかがよくわかる。

特に、「緑の大地」と題された文章には、
「庄内人の穏やかさというものを指摘されたことがある」
として、かの地が藩主酒井の善政のもとにあったこと、
それを支えたのが、豊かなコメどころだったことなどを挙げ、
ほほえましいほどの「ふるさと自慢」を展開している。

同じ山形県であるが、こうはいかなかったなあ、
と自分が育った、南西部の小さな盆地のことを、しみじみ
思い返してしまう。一年の半分は、一メートル以上の
雪に閉ざされていたその町のことを、忌々しく思うことはあれ、
懐かしく思い出すことなどまったくないのである。

とりあえずは、歌の材料にはなる。自然を見るときの、
折々は、負の方向からであるが、それなりの鋭さは
磨かれたのではないか、と(そう思わなければ、
当時の記憶があまりにもみじめである)。

とはいえ、『白き瓶』を読んで、ようやく気付いた。
藤沢然り、茂吉に然り、愛した方が勝ち、
愛し続け、思い続けることが、表現者にとって
(憎み続けることより)はるかに大きな財産なのである。

藤沢周平体験(その6) [文学]

そんなこんなで、永田和宏氏が『白き瓶』を
称賛されるのを耳にしてから二十四年もして、
ようやく私は、この書を読もう、ぜひ読みたい、
読まなくちゃ、という気持ちになったのである。

この書はほかの藤沢作品に比較すると、
異例の大冊である。文庫本でも500ページ近くある。
それでも、読み始めたら早かった。
私にとって、それだけ魅力的な書だった。

山形出身の藤沢だが、惹かれたのが茂吉ではなく、
なぜ長塚節だったのだろう、という疑問を
なんとなく抱いていた時期もあったのだが、
少しずつ、納得できる気持ちになっていた。
農村社会の旧弊、そして病気とに最後まで痛めつけられた、
長塚に対する思いは、また藤沢自身が味わってきた
ことから来たものに違いないのである。

この書でなんとも魅力的なのは、伊藤左千夫である。
豪胆にして繊細、狡猾にして無邪気な
なんとも破天荒な人物として、実に生き生きと描き出されていて、
圧倒されるのである。節は彼に翻弄させられ続けるが、
かといって、最期まで憎むことができない・・・。

茂吉はこの書の中では冒頭近くに登場している。
長塚節の代表作ともなった
  馬追虫(うまおひ)の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし
を含む「初秋の歌」12首を、茂吉が絶賛する、という場面からである。

この茂吉の描き方にも、藤沢の、「地方人」に対する鋭い観察眼が
注がれている。

  しかし甲之も左千夫も、山形県南村山郡金瓶村の農民の子である自我を
  強烈に保ち続ける茂吉ほどに、この歌に興奮したかどうかは疑問である。
  そこ(「初秋の歌」)には、初秋の相をうたって、農村、山村に育った
  人間ならば容易に気づく把握の凄味とでもいうべきものが現れていたの
  だが、その凄味というものは、都会育ちの人間、あるいは甲之や左千夫の
  ように農村の出ではあっても生地の風土に茂吉ほどの執着を持たない
  人間は、あるいは見過ごしかねないものでもあったからだ。
                        藤沢周平『白き瓶』

藤沢周平体験(その5) [文学]

藤沢周平原作の映画を見始めたころ、
この作家が山形県出身であるということを知った。
私は中学を卒業するまで山形県で暮していたので、
親近感が生ずるということはあったが、実はかなり薄い。

というのも、私が育ったのは新潟県境近くの
県南西部で、藤沢の出身地である庄内には遠い。
山形県に住んでいた時は、新潟へは頻繁に出かけたが、
庄内には一度も行ったことがなかった。

ところで、関西出身の相棒はいつも
「山形って、人材輩出度が低いよね。
有名なスポーツ選手、いる?俳優とか、歌手とか、
学者とか、いる?ほとんどいないでしょ?」
と、バカにしまくっている。

「いるよ、歌手は岸洋子(そういえば、歌手っていないなあ)
俳優は渡辺・・ええと、なんて言ったかな、
私と同世代の太っている女優、それから、スポーツは
広島にいた栗原(あ、彼最近出てないな)・・・。
学者は私が一時入学した(父の転勤で、すぐに転校することには
なったが)高校の出身者でもある法学者の我妻栄・・・」

「我妻以外は、ほとんど大したことない人ばっかり、じゃない。
山形出身の有名人なんて、ほとんど聞かないよな」
と、一方的にけなされる。

「あ、作家はいるじゃない。天下の斎藤茂吉、
それに井上ひさし・・・(うう、少ないかも!)」
藤沢を知ってからはそこに加える人名が一つ増えたわけだが。

人口少ないし、それに山形県人の多くはシャイで、
地道に自分の道を歩く人が多い。世の中で目立とう、
なんて考える人は少ない結果じゃないだろうか。

それでも、藤沢の書を読んでいると、
ああ、山形の人だ、と思える瞬間が何度もある。

藤沢周平体験(その4) [文学]

藤沢周平の作品を時々、思い出したように
手に取ってきたのは、多くは短編で、
待ち時間などがあるときに用意していくと便利だったから。
内容も肩の凝らないエンターテイメント系で、読みやすい。

ところが、昨年、『一茶』を読んで、この作家の印象が
大きく変わってしまった。ご存知、北信濃出身の俳人の、
伝記風の作品だったのである。

一茶なら、小学生の頃からその作品を知っている。
「やれ打つな蠅が手をすり足をする」
「痩せ蛙負けるな一茶これにあり」
などという俳句は、子供にもわかりやすく、
優しく素朴な文人なんだ、とずっと思ってきていた。

でも、藤沢の『一茶』には、まったく衝撃を受けた。
そんな一茶のイメージを大きく変える、
なんというか、ものすごくしたたかで
豪胆な人物として描き出されていたからである。

俳人として江戸でそれなりに名を挙げた彼は、
だが、もちろん、俳句だけで食べていくことなんか
できなかった。それでどうしたかというと・・。

彼は俳句に理解のある豪農や豪商に近づき、
援助してもらえるように立ち回る。
「地方で句を広めるための旅に出る」
といっては餞別をもらい、それを生活費に充てる。
地方では各地の豪農宅に泊めてもらって、
そこで句会をしながら、しばらく糊口を凌ぐ・・・。

なんだか、今の歌人の実態とそう大きくは変わらんような・・・。
藤沢は一茶の作品に惑わされず、その実態を冷静に、
かつ冷酷に暴いているように読めたのだった。

藤沢周平体験(その3) [文学]

先回は触れなかったけれど、映画「たそがれ清兵衛」を
見たあたりから、『白き瓶』の作者像が江戸のチャンバラものも
書いていた作者に、近づいてきた感がした。
当初に感じた齟齬感は、少しずつ消えていき、
この作家への興味は少しずつ膨らんできて・・・。

一冊の時代物小説を手に取ったのは
それでも、永田和宏氏のあの『白き瓶』称賛の言葉を
耳にしてから二十年近くも経っていた。今は、
始めて読んだ藤沢作品が何だったのか、思い出せない。
ただ、何かとても悲しい内容のものが多い短編集だった。

この作者は、古い家父長制、男尊女卑、地方と都市の格差、
階級の格差などに敏感で、それらによって生まれる
どうしようもない不幸を表現しようとする作家
でもあるらしい、と、ぼんやりとながら理解できたのであるが・・。
最も魅力的に思えたのは、叙景の表現がとてもうまいということである。

  荒れ地を横切る間に、小暗い視界に乳のような
  白い光がまじり始めていた。夜は大急ぎで
  朝と交替しようとしているらしかった。
  上流は端から十間ほどのところで急に左折して、
  水路は日にかがやく青葉の奥に消えている。
  ・・・十七の若さはその地味な装いを内側から
  突きやぶって、外に現れずにはない。・・・・
         藤沢周平

これはたぶん、『決闘の辻』の一部だったと思うのだけれど、
ちょっと今確認できないでいます。すみません。
(この項、続けます)

藤沢周平体験(その2) [文学]

十数年前、相棒が「『隠し剣 鬼の爪』って映画
面白そうだよ、観よう」と言うので、一緒に見た。
なかなか面白い映画だった。
特に、隠し剣なるもの、その名の通り、最期まで
どんな武器なのか、どのように使われるのか、わからず、
はらはらしながら、引き込まれてしまっていた。

この映画の原作者が
フジサワシュウヘイ、と耳にして、あれ、あの
『白き瓶』と同じ作家? 同姓同名? と思ったのだった。
同じ人物か? いや、違うんじゃないか、と思ったのは、
映画の「隠し剣」は、エンターテイメント系の
原作をもとにしているだろうという感じが強かったから。
こんな楽しい小説を書く人が、わざわざ長塚節なんかの
自伝に手をつけるもんか、なんて思ってしまっていた。

フジサワシュウ、とか紛らわしい作家もいるし・・・と、
はっきりとはしないまま、確認することもなく、
私は続いて、隠し剣と同じ原作者の作品をもとにした映画、
「武士の一分」や「たそがれ清兵衛」などを見続けた。
読みたい小説や歌集、調べなければならない資料、
自分なりに勉強しなければ、と思える分野もあり、
この時点でもまだ、私は本当の藤沢周平に出会っていない。
(この項、続けます)


藤沢周平体験 [文学]

藤沢周平という作家に興味を持ったのは、
もう二十四年も前のことになる。
私が所属する短歌結社「塔」で、かつて東京大会という
会が行われていた。今は選者派遣制度もでき、また
関東圏の会員も劇的に増えたので、無くなってしまったのだが、
当時は一年に一度、京都から選者に来てもらっていたのである。

その後の、二次会の場で、永田和宏氏が誰に言うともなく
「藤沢周平って、いいよなあ。最近、『白き瓶』読んだんだけど・・」
と仰ったのである。私はそれで『白き瓶』なる本を図書館で
手に取ってみたのだった。でもそれが長塚節の伝記らしいと知って、
にわかに気が引けた。学生時代、『土』を読みかけて、
そのあまりの暗さに、げんなりして、とん挫した記憶が蘇った。
また、『長塚節歌集』も読んだことはあるが、特に心
惹かれることはなかった。『土』に感じてしまった
陰湿な風土性が大きく読みに影響していたこともあるだろう。
こういう文学者に興味のある作家、ということは・・・。
と思ったとたん、『白き瓶』を棚に戻してしまっていた。

藤沢の作品に再び興味を持ちだしたのは、
江戸時代のチャンバラものも書いている、
と知ってからになる。(この項、続けます)

板と溝 [文学]

池澤夏樹という小説家を初めて私に勧めてくれたのは、
短歌を通じて知り合った友人(とはいえ、私の母の世代の方)Tさん。
九十年代だったと思うが、私は二十一世紀に入ってから
読み始め、今も時々思い出したように池澤作品に手を伸ばす。
言葉を愛する人だったTさん(先年亡くなられた)らしい
好みの作家だなあ、と思いつつ、彼女と池澤作品について
語り合う機会がなかったことを悔やんでいる。

『池澤夏樹の旅地図』を読んでいたら、彼にしては珍しく
幼年期の追憶をつづった文章があり(「おびひろ1950」)
東北地方でやはり少女期を過ごした私には懐かしい箇所が多々
あって、ついのめりこむように読んでしまった。
ここでは、細部の記述が抜群に良いのである。
そして読みながら、忘れていたことが次々に浮かんでくる。
たとえば、

 石炭庫の入り口の戸は何枚にも分割した横長の板を上から
 落とし込む仕掛けになっていた。・・・・最初は上の方から
 掬って使うが、日がたって量が少なくなると、入り口の板を
 一枚、また一枚と外して、そこの方に残った分を取り出しやすくする。

私が子供のころに住んでいた家では暖房は木炭、電気、石油などを
併用していたが、石炭は使っていなかった。で、この石炭庫なるものは
知らないのだが、溝にはめ込まれた横長の板には、記憶があった。

それは学校の窓の外側に設けられていて、ガラスを雪の被害から
守るためのものである。積雪量が少ないときは、下から二、三枚、
積もるにつれて、板の枚数を増やしていくのである。

私が育った町は帯広などよりはるかに積雪量の多い地域にあり、
時に二メートルを超えることもあったから、雨戸のない
校舎の窓ガラスは、積雪に押されて割れてしまう恐れがある。
それを守るためのもので、当然教室内は暗くなり、
授業中は昼でも点灯することになった・・・・。

こんなことをありありと思い出してしまったのは
この「おびひろ1950」を読んでいて、
(石炭庫の話は、末尾に近い方に出てくる)
あの北国で暮らした日々が、少しずつ脳裏に
よみがえってきたせいに違いない。

記憶は一つの小道のよう、と池澤は書く。
何度も何度も繰り返されるうちに出来上がっていくもの、と。
私はこのとき、池澤の作った小道を通って、
自分の記憶にたどり着いたような、不思議な経験をした気がする。

The Penguin Book of Japanese Verse [文学]

先日触れた『The Penguin Book of Japanese Verse』
2009年に改訂版が出ていたのを知り、早速ネットで購入した。
八十年代、滞米時に住んでいたノースカロライナ(アメリカじゃ
田舎だ)で、旧版を購入した時より、びっくりするほど簡単で
かつ安くて(八十年代半ば、一ドルが240円くらいだった!)
便利になったもんだ、としみじみ・・・。

改訂版は旧版より3割くらいページ数が増え、
特に現代詩人の作品がたくさん収録されていた。
戦後に主に活躍した詩人は旧版では
谷川俊太郎と田村隆一くらいだったが、
改訂版では吉増剛造や伊藤比呂美まで
八名も追加されていて、感動しちゃいました。

でも、短歌はというと・・・。
現代歌人は一人も収録されていず。
近代歌人も先にふれたとおり、
茂吉、晶子、牧水など七名のみ(旧版のまま手つかず)。
訳者の好みもあるかも・・、でも
少し寂しいかも・・・。

『海を越える日本文学』 [文学]

張競『海を越える日本文学』(筑摩書房)をおもしろく読んだ。
中心は村上春樹で、世界各地での、これほどまでの村上人気の
理由について・・・・。

私は、村上がアメリカ文学の文体に大きな影響を受けていること、
そのために、特に欧米のことばに翻訳しやすいからではないか、
と考えていた。さらに、いかにも日本的、と思われる日常的な
あれこれがまったく登場しないこと。
食事はほとんど欧米風、お正月もお盆も鯉のぼりも、
日本的と思われるあらゆる事物が排除されているから。
翻訳されてしまえば、全く欧米の小説と地続きのものになるだろう。

張氏は、そのことにももちろん触れられていたのだが。
そこは、もともと中国出身の方、中国で熱狂的に
読まれている理由を省察されていて、これが私などには
全く意外、藪蛇、目からうろこ、棚から牡丹餅、でした!

さらに一つ付け加えると、張氏は長く日本語に関わってこられて、
日本語の文章はもうすらすら書かれているらしいのだけれど。
(中国の大学卒業後に日本留学、日本で就職

本人も触れておられるけれど、日本語のなかで
どうしてもうまく扱いきれない部分があるらしい。

実はこの本を読んでいて、ほんの一、二か所だけなのだが、
助詞の使い方に、ちょっと不自然だな、と思える部分があった。
もちろん、大手の出版社から出た商業書なんだし、
プロの編集者が手を入れているはずなんだけれども。

日本語の助詞は、外国の人の、特に中国語を母語と
している人たちに、とてもマスターしにくいものらしい。
日本人が英語を操ろうとするとき、たとえば冠詞が
どうしてもうまく扱いきれない、というのに似ているかもしれない。