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クリスマス・シーズン [生活]

12月の声を聞くと、特にアメリカでの生活を
思い出し、たまらなく懐かしくなる。もう30年余りも
前のことになってしまったのだけれど。

12月と言えば、かの地では断然、クリスマス!
街路樹には小さな電球がたくさん取り付けられ、
夕方になると、まるで星の国を歩いているような美しさ
だった。最近は日本でも各地で行われているけれど、
あの頃はまだ珍しかったし、何よりアメリカの街路樹は
日本のものより格段に大きい。突然、大きな光の
トンネルができたようで、胸が躍ったことを思い出す。

街のドラッグストアには美しいクリスマスカードが溢れる。
アメリカでは何かにつけ、カードを送り合う習慣が根付いていて、
出産、結婚、転居、卒業、就職、などなどのカードがいつも
多種類揃っていたが、クリスマスカードは特別種類も多く、
きらびやかなもの、厳かなもの、オルゴール付き(最近は
日本でも多いが)などなど、目移りして困ったものだった。

日本に帰国してからも、アメリカで知り合った人たちと、
クリスマスカードを交換し合い、そして文通していた
人たちもいる。次第に疎遠になってしまったが、その中で、
二組の家族とはつい最近まで、連絡し合い、クリスマスカードを
送り合っていた。ミネソタ州のJさん一家とノースカロライナの
Wさん一家である。Jさんの奥さんが癌で亡くなられたのは、
八年ほど前。Jさんはその翌翌年に再婚されてしまい、
なんとなく気まずくて、カードを送りそびれたままでいる。
私は前の奥さんのバーバラが大好きだったので。

というわけで、今も文通し、カードを送り合っているのは
ノースカロライナのWさんだけになってしまった。
今年もWさん一家に送るカードを念入りに選んだ。
あと、何年続くかなあ、と思いながらも、心を込めて

 Seasn's Greetings and Best Wishes for The New Year!
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予防注射 [生活]

三年前と、四年前、続けてインフルエンザにかかってしまった。
例月の歌会を休んだほか、一年に二、三度しかない大学の同窓生
だけで行っている歌会も欠席。家族をはじめ、多くの人に
迷惑をかけてしまった。それで、以後は予防注射を受けることに。
注射は苦手だし、子供の頃、何の予防注射か覚えていないのだが、
ひどく体調を崩してしまって辛かった記憶もあり、極力避けて
きた。とはいえ、今年も家族が強硬に言うので、やむを得ず、
受けることに。

近くの内科に予約を入れたのは今月の初め。最短で20日、と言われ
昨日、受けてきた。注射自体はさほど痛くはなかったのだが。
数時間したら、ものすごく腫れてきた。打たれた左上腕部に
小型の中華まんじゅうを張り付けたみたいである。
そして、すごく痛くて、まったく力が入らない・・・。
注射されるとき「利き腕はどちら」と確認され、
その逆の腕に打たれた意味がわかった。利き腕だったら
かなり不便だったはずだから。夕方になると、くしゃみや
鼻水が出てきて、ほとんど風邪の症状が出てきてしまった。

毎晩、ほんの少しだけ「眠り薬」代わりに呑むお酒を
止めて早々に寝床に就く。朝はかなり腫れが引いていて、
風邪っぽい症状も収まっていたのだが。

実は内科で順番を待っていた時に見た週刊誌に
「予防注射なんて無意味」と言うような記事が載っていて、
なんだか、出鼻をくじかれる思いがしたのだった。
予防注射ってどれだけ効果があるのだろう。とりあえず、
注射を受けたこの二年間は、風邪は引いたものの、
さほど酷い症状にはならなかったのだが。
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中国の友人(最終回) [生活]

十月の連休の一日。私は、中国の友人Sとその家族に
会うために彼らの宿泊しているホテルに向かった。
Sと会うのは十年ぶり。Sの夫Yとは十二年ぶり、
彼らの息子(九才)と会うのは、初めて。

二人はほとんど変わっていなかった。Yは、自分が
太りやすい体質だと気にしていて、きっとアメリカでは
ブクブク太る、とおびえていたのだけれど。筋肉質の
がっしりとした体は、若い日のままで。Sも、すっきりと
した体形のまま。長く伸びた髪を一本の三つ編みにしている。
そのやや古風な髪形が、かえって新鮮に見える。
男の子は、くりくりとした目の愛らしい子だった。

一緒に夕食を摂る。お互い話したいことは山のよう。
でもなかなか円滑に進まないのは、言葉のせいである。
Sとは日本語で、Yとは英語で、男の子とは、ごく少し、
片言中国語で。彼らは互いに中国語で。
そして度々、会話を中断し、相手の言っている
ことを訳し合うのだから、かなりじれったい会話が続く。

でも、小さな子供がいて共働きしている夫婦は、大概深く
疲れていて、多くのことに興味を失っているような
人が多いのだけれど、YとSは違った。学生時代のままの、
生き生きとした目をしていて、特にYは、日本で訪れた
伊豆の下田で知ったペリーの日本来訪について、
次々に疑問を投げつけてくる。

「彼らとの間に戦争は起きなかったのか」
「日本人は、彼らを歓迎したのか」などなど。
十九世紀、中国と日本との差を分けたのは何だったか、
彼は突き止めたかったのかもしれない。
こういった場合、日本人と会話するときには感じない、
緊張を感じる。今の自分の発言が、日本人の
大勢の意見であると、みなされやすい。ということを
意識するからである。それに、友人とは国情を越えた
関係を持ち続けたい、と、どうしても思うから。
SもYも、きっとそうだ、と信じたい。

私たちは、またどこかでの再会を約束して、別れた。
遠くて近いこの国に、友人を持てたことを、あらためて
有難く、貴重なことに思えたひとときであった。
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中国の友人(その10) [生活]

中国の友人Sは、日本の大学院の修士課程を卒業後、
中国国内でも有数の大学の博士課程に合格し、
在学中に、高校時代から付き合っていたYと結婚。
まもなく、男児に恵まれている。まるで、絵にかいた
ような成功組で、幸せそうに見えた。のだが・・。

子供が生まれて四年余り経った時。
メールが来て、まもなくYと子供と一緒に、
Yの留学に付き添って、一年間アメリカで
暮らすことになったと、告げてきた。

そのメールには、結婚しばらくして、とても
厄介な家庭の問題が起き、毎日が辛くて辛くて、
生きた心地もしなかった、と言うようなことを
書いてきた。米国での生活を通して、良い方向へ
変わることを願っている、とも書いてあった。

具体的なことは何も書かれていなかったが、
家庭のこと、となると想像できることはある。
Yの母、Mはシングルマザーで、とても強い人
であるということを知っていたし、新婚から
いきなり同居する、ということに彼女自身、
懸念の様子を示していたからである。

こういうことは世界に共通のこと。どこも
同じような悩みがあるんだな、とは思うが、
中国で深刻になるのは、彼らがほとんど
一人っ子であるということも大きい。
彼らがまた一人しか生めない(最近、中国政府は
一人っ子政策を修正してきてはいるが)ため、
二組の祖父母にたった一人の孫、ということになり、
その点でも、家族間の軋轢が生まれやすくなっている。

気がかりだったものの、アメリカの生活を
楽しんできて、と返信するしかなかった。
あれから三年。そして最後に会ってから十年。
彼女はどう変わったのだろう、とちょっとドキドキの
再会の日が近づいていた・・・・。


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中国の友人(その9) [生活]

初めて会った時、中国の大学の日本語学科の
学生だったS。当初から日常生活に不自由しない位の
日本語の会話力を身に着けていたのは、凄いと思う。
それを思えば、全然大した傷じゃないのだが、
ちょっと「変かな」と思える箇所はある。
たぶん、頭で組み立てて話す場合にそうした部分が
出てしまうのだろうと思う。

私の場合も、そうだったなあ、と思い出す。
アメリカの友人に「How did you come here?」
と尋ねられた時、「By car.」というような
応え方をしたことがある。すると友人は、
理解できるけれど、普通はそうは言わない。
「I drove.」と言うのだ、と教えてくれた。
ああ、頭の中で「翻訳してたな」と反省したことだった。

Sもそうなのだな、と思えたのは、時々発する疑問形。
「これは、何の意味ですか?」
理解できるし、日本人にも今はこんな話し方をする人がいる。
だが、自然なのは「これはどういう意味ですか?」だろう。
彼女は中国語の「這(中国語では簡体字)是 什么意思?」
を頭の中で日本語に置き換えてしまっているようである。

彼女が中国に帰国して二年後、私は相棒の仕事で
上海に二か月滞在したが、その時のメールに
「史さんが上海に居る時、私は史さんを見に行きます」
と書いてきた(私って、パンダ?!)。

中国語では「会う」は日本語の「見る」と同じ文字。
「さよなら」は「再見(ツァイチェン)」で、
これは「また会いましょう」の意味からきている。
彼女は先ず中国語の「会う」を思い出し、これを
日本語に頭で翻訳して、文章を組み立てたのだろう。
中国語では「見る」は「看」なのだ。このあたり、
混同しがちで、中国の人が日本語を学ぶ時の落とし穴が
ありそうだ。逆のことが日本人にも言えるわけである。
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中国の友人(その8) [生活]

大学院に通うために滞日していたS。
彼女と餃子パーティを企画したことがある。
彼女が来日して四か月後のクリスマスのときで、
せっかくだから、近くに住む私の両親も呼んで、
一緒に夕食を楽しもうということになった。

餃子作りの準備を始めたのは、午後三時ごろ。
彼女は当初、餃子作りは両親から教わっていて、
大丈夫、皮から作れる、と自信ありげだった。
私はいつも皮は市販のものを使い、中身だけ、
自分で作っていたので、皮作りは彼女に任せることに。

だが、なんとも頼りなく、結局私も手伝うことになった。
それでも、ひどく時間がかかり、不格好な皮が
ようやく十数枚作れたところで、五時を過ぎる。
両親がやってきて、結局母にも手伝わせることになった。

「私は、料理は得意じゃないんです」
パーティを始める段になって、Sが言う(早く言えよ!)。
「Yがとても料理上手だから。Yの作る料理は
私の両親にもすごく評判がいいんです」
と、のろけ話に発展する始末・・・。

相棒の仕事の関係で、我が家ではそれまで
何人もの中国の人たちとパーティをしていた。
その時に、料理が得意というのは、たいてい男性で、
女性で料理好きと言う例は、ほんの一、二。
特にプロ並みに料理上手の男性が数人いて、
中の一人は、日本のホテルの厨房から引き抜かれ、
大学院を退学してしまったほどである。

この三年後、Yと結婚し共働きを始めたS。
台所の仕事は、ほとんどYに任せているらしい。
料理は時間と体力があるときは、
創造的な楽しい作業であるが、毎日となると、
往々にして苦行である。この点に関しては、
中国の女性たちの多くが、
恵まれている、と言っていいかもしれない。
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中国の友人(その7) [生活]

2001年に中国の長春で知り合ったSは、翌年、
大学を卒業すると同時に東京都内にある私立大学、
(超有名大学だ)の大学院を受験して合格。
日本で暮らし始め、我が家にもすぐに訪ねてきた。

ルームシェアしてくれる人が見つかり、家も安く
借りられる。アルバイトも見つけた。と、
わずかな期間に着々と生活を軌道に乗せている
彼女の逞しさに目を見張る思いだった。
十数年前、中国と日本の格差は今よりずっと大きかった。
中国の人が日本に大挙して押し寄せ、ブランド品を
買いあさる、などという今の状況は、当時はほとんど
想像もできないことだったのだ。

彼女のアルバイト体験談が抜群に面白い。
バイト先は某外食チェーン店である。

「日本の牛丼は美味しいのに、女性は
ほとんど好きではないみたいですね」
理由は、来店者がほとんど男性だけだから、と言う。
「なぜでしょう? 史さんも牛丼は嫌いですか?」
いやいや、牛丼は特に嫌いではないけれど、
私も一度もその手の店に入ったことがないのだった。

実際のところ、こうした店は
女性が入店しにくいからであろう。そう推理できても
うまく説明できない。何とも微妙な心理的なことだから。
それに、女の人は、普段家で家事に追われているから、
外食の時くらい、きれいなお店で贅沢したい、という
思いも少なからずあるような気がする。
少なくとも牛丼の好き嫌いとは、関係がない。

Sは、年末年始も中国に帰国せず、アルバイトして
過ごしていた。店長から是非働いてほしいと頼まれた、という。
「深夜勤務、それも大みそかの勤務は
通常の時給の何倍にもなるし、それほどお店も混まない。
どうして、こんなに条件が良いのに、日本人は
働かないのでしょう?」

彼女から疑問を次々に突きつけられる。
いずれも、日本社会をどうとらえるか、
その根本の理解に関わるような質問が多かった。
やはり、外国人の友人を持つことは、自国と
がちで向き合うこと、なのだった。


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中国の友人(その6) [生活]

私が中国の長春に滞在中、大学四年生だったSは、
市内の中学校で教員実習をすることになり、その
授業参観に私とボーイフレンドのYを招待するという。
「いいのかな」と思いつつ、喜んで招かれることに。

彼女の「日本語」の授業は、一教室に六十人近くも
いて、大変だな、と思ったのだけれど、その進め方は
堂々たるもの。教師という仕事を楽しんでいる様子がわかる。

最後の十分となったときに、
「今日は、日本人のお客さんが来ているので、
本場の日本語でお話ししてもらいます」
と言うことになり、私も少し話をすることに。

「外国の言葉を勉強することは、その国の文化を勉強する
ことだと思います」そばから、Sが中国語に通訳してくれる。
「だから、中国にいて、日本語の勉強をすることは、
とても大変なことです。言葉の背景が分かりにくいですから。
でも、皆さんは、ドラえもんを知っていますね?」

ドラえもんは中国語では「機器猫」。通訳されると、
わっと、歓声が上がった。「知ってる!テレビで見ている!」
と言っているらしい。
「ドラえもんには日本の暮らしがとてもよく描かれているので、
勉強の役に立つと思います。いつか、日本語で読んでみてください」

「何か、質問はありますか」というと、幾つも手が上がった。
「日本の人は、みんな漫画を描けますか?」
これにはびっくり。
「中国の皆さんはどうですか?描ける人も、
描けない人もいますよね」みんな、うなずいている。
「日本人も、同じです」

もう一つ、質問が出た。
「今、日本で一番流行っている漫画は何ですか?」
おお、そう来たか、と思いつつ、「クレヨンしんちゃん」
と応える。テレビで放映されているのを見たことがあるから。
中国では「小新」と呼ばれている。
みんな、わっと、笑いだす。人気があるらしい。
「それから、ポケモン・・」
と言うと、通訳してくれていたSが
「何ですか? 中国では、紹介されていないのでは」
いや、そんなことはないはず。たしか、どこかで見たぞ・・。
と思い、「ぴかちゅー」というと、通訳される前に
みんな、どっと笑った。こちらで通っているらしい、なるほど。
漫画は世界の共通語・・・。

この日は、長春で暮した二か月ほどの中でも飛び切り
楽しい日になった。
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中国の友人(その5) [生活]

中国の友人Sの日本語翻訳に関わった経験をさらに。

彼女が他に「意味が分からない」と言ってきた箇所に
「順子は女の子にしては活発過ぎるので、
僕らは順ぺー、と呼んでいた」というような文章があった。
順子は普通の女の子の名前、順ペー(漢字なら順平になるかな)
は、元気な男の子を想像させる名前だからよ、と説明すると、
わかったようなわからないような、もやもやとした
表情を浮かべながら言った「中国では男女に名前の
差はありません」こちらが驚かされる場面だった。

まさか、西洋だってアレクサンダーなら男、
アレキサンドリアなら女でしょう。日本でも和夫さんと
和子さん、みたいに男女の名前は違います。もちろん、
男女共通の名前はあるし、実際私の知人には和美さんという
男女がいる。晶(あきら)という女子の同級生もいた。
でも、基本、男女の名前はわけるはずじゃないのか。

そういうと、そばで話を聞いていたSのボーイフレンドの
Yも、「中国では特に区別しない」と言い出すではないか。
「紅、なら女、峰なら男でしょう」
と、知っている中国人を思い出しながら反論すると
「確かに女に多く使う字、男に多く使う字、あります。
でも、どっちも男女に使います」とSは言い張る。

そうなのかもしれない。と思い始める。たとえば、
相棒の知人の「家華」さん。女性のようだが、男性である。

でも、名前から男女が全く予想できないとなると、
色々なことがかなり変わる気がする。実際私たちは
名前だけからそれなりの人物を想像する。現実には
予想が当たらない方が多いが、文学や芸術の世界では
大きく異なる。名前の雰囲気に仮託されて展開されている
作品は意外に多いのである。

『アンナ・カレーニナ』『ロミオとジュリエット』
『ポールとヴィルジニー』これらの名前が、男女共通の
名前だとしたら、作品のイメージはかなり変わるのではないか。
音楽もそうである。「エリーゼのために」「いとしのエリー」
「霧子のタンゴ」(をを、話が古くなってきたが)。

もしかすると、中国に甘い恋の小説があまり
見当たらないのは、名前の付け方の影響ってあるのかな、
などとよけいなことまで考えてしまった・・・・。


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中国の友人(その4) [生活]

当時、Sは大学の先輩に頼まれて、日本の
児童書の翻訳をしていて、「わからない箇所がある」
と言っては、私に相談に来ていた。子供向けの本だから、
と軽く考えて、応じていたのだけれど、こちらが
教えられる、というか日本語そのものと、がちで
対峙しなければならない、という場面が多々あった。

たとえば、こんな一文である。
「先生も先生ですよ・・・」
その書のなかの、会話部分で、日本人なら
いかにも耳馴染みのあるフレーズではある。でも、
いきなり「どういう意味?」と聞かれると、
すぐに答えられない。あまりにも場面の含みが
多すぎるからである。
ああ、日本人は、確かに、こういう会話を
続けているなあ、と思わず苦笑してしまう。
仕方なく、長々と説明することになった。

話し相手(この場合は、先生なる人だが)に対する、
軽い非難が込められていること。その非難には
立場上、すべきことをしなかったとか、すべきでないことを
したとか、というようなニュアンスが含まれている、ということ。
そしてさらに、この非難の対象が、先生なる人物以外にも
いて、まとめて非難されている、というような場合に
使われることが多いこと・・・。

こう説明しながら、合っているかどうか不安になり、
結局彼女が訳している本を借りて、前後十数ページを
その場で読んでみることになった。やはり、前後の
内容によっても日本語の解釈は微妙に変わるからである・・・。

そうしてお話の内容からいかにこのフレーズが生まれたかを
説明し、彼女に訳文を考えてもらうことになった。
彼女はそれで納得はしてくれたのだが・・・。
私は、かなり汗をかいていた。
日本語のややこしさに、いまさらながら気がついて。


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