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中国の友人(その3) [生活]

外国人の友人を持つということは、
自国と絶えず向き合うことでもある、と感じる。
些細なことだが、例えば、医学生であるYは、
「中国では医者は特に、エリートとはみなされない」
と言い、日本語学科の学生のSも
「私の学部と、Yの大学の学部の入学難度はほぼ同じ」
と言う。Sの父親も医者だが特に所得が多い訳でもない、
とのこと。日本とはかなり異なる。

中国で最も尊敬され、憧憬の対象となる職業は、というと、
「社長」なのだとか。つまり起業して、成功している人、
という意味らしい。自分で企画する面白さを味わえ、
人の上に立てるうえに、お金も儲かる、ということか。
大半の日本人の感覚とは、やはり異なるかも・・・。

それはやはり、中国にはまだ社会的に未成熟な部分が多く、
格差が厳然とあり、下層から脱却したいと思う
若者が多く存在する、ということの証でもあるのではないか。
などと、彼我の差を考えながら、彼らとお喋りするのは楽しい。
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中国の友人(その2) [生活]

私がSとYに初めて会ったのは、16年前。
吉林省で仕事をしていた相棒に付き添い、
長春で二か月ほど滞在することになったのだが、
その最初の日、相棒の同僚の上司である
M女史が「日本に留学を望んでいる女子大生がいるので、
相談に乗ってやってほしい」と言い出したのである。

その翌日、私たちの滞在していたホテルのロビーに
その女子大生はやってきた。でも、一人ではなかった。
付き添っていたのがYで、今の彼女の御主人と言う訳である。

Yは当時医学部に通う学生で、Sとは高校時代の同級生。
二人はすでに将来を約束した仲だった。見た目には、
Sはしっかり者のお姉さん、Yはやんちゃな弟、という雰囲気。

そしてYはいきなり私に英語で
「僕は、Mの息子です」と告げてきたのである。
Sは日本語学科の学生だったので、日本語をかなり
流ちょうに操る。Yは英語だけだが発音がきれいで、
話しやすかった。

彼ら二人は、その後、たびたび私のところを訪ねてきて、
一緒に長春市内を歩き回り、食べ歩きもした。
私の長春滞在が抜群に楽しかったのは、二人によるところが
とても大きい。彼らはとても好奇心が強くて、
私が疑問をぶつけたことは、いつも全力で応えてくれたから。
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中国の友人 [生活]

十月の連休、この時期は中国も連休だそうで、
中国の吉林省に住む友人Sの一家が、
一週間の休みを取り、日本を旅行すると、連絡してきた。
彼らの予定では成田に着いた後、ディズニーランドへ。
そこで二泊した後、箱根、伊豆へと回り、途中、
多摩地区にある我家の近くのホテルに泊まった後、
新宿に泊まって、帰国するのだとか。

多摩地区に泊まるホテルは私が紹介した。
我が家から三十分で行けるので、その夜は一緒に
夕飯を摂ることに。
Sと夫のYは、三十代半ば。九歳の男児がいる。
二人に会うのは十年ぶり。男の子とは初めて。
どんな再会になるのだろう、と楽しみだった。
         (この項、続けます)

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運転中の出来事 [生活]

ささいなトラブルから高速道路で嫌がらせを受け、
追い越し車線で駐車させられたうえ、後続車に
追突されて、二人が亡くなり。嫌がらせした男が
逮捕される、という事件が起きた。いや、ようやく
事件化された、というべきか。

車を運転していると、時に信じられないような
場面に出くわすことがある。耳目を疑うような、
普通ならあり得ない、と思われることが・・・。
だいたいトラブルを引き起こす側は男性のようであるが。
人格を変えてしまうような、何か特別なことが、
運転という動作によって引き起こされてしまうのだろうか。

私は高速道路ではほとんど運転しないし、遠出もしないので
トラブルに巻き込まれた経験はとても少ないのだが。
一度だけ、近所を走っているときに、おかしな車に
遭遇してしまった。住宅地の中なのだが、一台の車
(フォルクスワーゲンのゴルフだった。私は車種には
あまり詳しくないが、米国でワーゲンの中古のラビットを
運転していたので、この車はすぐわかった)が、
ウインカーもつけずに左折しようとして、急に直進、
さらに急停止などを繰り返していた。

私は変だな、と思いながら距離を置いていたが、
家を探しているのかもしれない、と思い、
ノロノロ運転を始めるので、軽くクラクションを鳴らして
追い抜いたのである。すると、猛然と追いかけてきたのだ!
私は良く知っている道だったので、右折と左折を繰り返しながら
逃げようと思っていたのだが、しつこく追いかけられた。

赤信号にかかってしまい、停止したところで追いつかれ、
いきなり大声で「このヤロ!」と怒鳴られたのである。
クラクションを鳴らされたのが気に入らなかったのか。
三十歳くらいの男で、同乗者はいないみたい。
降りてくるのかな、と肝が冷えた。
すぐに信号が変わったので、近くにある交番で相談しようと、
そちらへ方向を変えたところ、もう追いかけて来なかった。
でも、まただらだらと変な動きを繰り返しながら、
遠ざかっていった。

他人に喧嘩を売るために変な運転を繰り返して
いたのではないか、と疑える。鬱憤のはけ口かも知れないが、
とても危険なことにちがいない。毎日、運転が仕事、
の人には、大変なことがあるのでは、と同情してしまう。
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カーテンを替える [生活]

先回触れた栗木京子歌集『南の窓から』には、
 「親戚の大学生。上京してまだ一年ほどだが、引っ越しするという」
という詞書き付きの歌がある。

  カーテンを替へるついでに引越しをするとふ若さうらやみてをり
                        栗木京子
そういう身軽さはなく、ここ数年かけて、家のカーテンを新調
している私。
カーテンはお高いから、と丁寧に扱いつつ、長く
使ってきていたのだが、まずレースのカーテンからほころびが
目につき始めた。日にあたって繊維が劣化するものらしい。

三年前、自分の部屋のレースカーテンを新調した。私の部屋は
西側にあり、まともに夕日に照らされるので、痛みが早かった。
次いで一年半前、リビングとダイニングのカーテンを新調した。
この時は奮発して、レース、ドレープ、そしてカーテンレールも
付け替えてもらった。そして今月、残る部屋のドレープ、レースを
まとめて新調した。

これらすべて、車で数分のところにある、インテリアショップ、
Mに頼んでいる。この地区に古くからある店で、店主とはすでに
顔なじみになっている。こちらの好みを把握して
くれているので、頼みやすい。でもたぶん、どんな客に対しても、
Mの対応はさほど変わらないのではないか、と思う。

電話すると、見本の生地を山ほど抱えてきて、私が選んでいる
間に、さっと窓枠を図り、見積もりを出してくれる。
その間、20分くらい。私もグダグダと選ぶのは好きではないので、
作業はあっという間に終わる。

出来上がると電話をくれ、指定時間に二、三分と違わずに現れ、
助手の若者と一緒にさささ、と作業していく。
その手際の良さ。小気味が良いくらいである。

ああ、日本にいるんだ、と実感するひとときである。
だって、外国ではこういうことはとても稀な、きちょうな
ことなのである。だいたいが、いい加減で、信用できない。

時間を守って現れるということは少ない。仕事は
適当で、荒っぽい。キチンと監視してないとサボりまくる、
ということもある。某国に住んでいた知人によると、
家具を頼んで、支払いもしたのに、届いた品物が
頼んだものとは全く異なる、酷い粗悪品だった、とか。
こういうことが頻々と起こるのである。

日本の職人は本当にすごいのだ。
Mの御主人は仕事が済むと、気持ちのいい笑顔で、
「いつもありがとうございます」、というので、私も答えた。
「こちらこそ、有難うございます!」
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オーブリ女史とか [生活]

ちょっと前の話になるのだが、「塔 2012年12月号」の、
「八角堂便り」に吉川宏志さんが「禁男館オーブリ女史」と
題する文章を寄せている。吉川さんは大学の卒業論文に
齋藤茂吉の歌集『寒雲』を取り上げているが、その中の一首

  女身より光放つとおもはしむこの看相(かんそう)を女に聴かむ
                 八日禁男館オーブリ女史

という作品に登場するオーブリ女史が何者なのかわからず、
資料をみつけることができなかったという。昭和十二年の
「一月雑歌」に収められている歌である。
最近になって思い付き、インターネットで調べたところ、
その疑問はたちまち解ける。当時公開されたフランス映画
『禁男の家』を詠んでいるらしいと。そこからの歌の読み解きは
吉川さんらしい英知が光り、素晴らしい。

そんなネットの恩恵を、私も受けていたことを思い出した。
私は2004年に『古きよきアメリカン・スイーツ』という本を
出版している。そのなかでマフィンも扱った。小学校六年の
ときに、ラジオの「基礎英語」で耳にした歌、
 Oh、Do you know the Muffin man、

という歌詞で始まる童謡っぽい歌なのだが、その歌の
最後の一節がどうしても思い出せないのである。当時は
英語を全く知らなかったので、耳で「ドゥーリレーン」など、
ほんの少しおぼろに覚えているだけ。
それで、本の中では歌の冒頭だけを書いた。マフィンに
ついて書くのであって、歌はほんのマクラだったから、特に
問題はなかったのだが・・・。

ふっと気が付いて、ネットで調べてみたのは2008年ころの
ことである。するとたちまちに検索でき、歌詞の全文が
読めたときは、本当に感動した。
 最後の一節は
 Who lives on Drury Lane

で、ロンドンのコヴェントガーデン東にある実際の
通り名だった。マフィン売りはこの辺に住んでいたらしい。
地図を出して調べてみて、当時の様子をより身近に描き出す
ことができた。

吉川さんは先ほどの文章の中で
「私が学生だった二十五年前と比べて、世の中がじつに便利に
なったことに改めて驚嘆した」
と書かれているが、私も全くそういう思いだった。

子供の頃、あるいは学生の頃に疑問に感じ、
わからないままに過ごしていたことはたくさんあった、
という覚えがある。そのうちの一部でも、これから思い出す
かもしれない。その時はまた、ネットで調べてみよう。
そう思うと、かなりワクワクする。
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趣味・いろいろ [生活]

ものを集めるのが趣味、という人は、多い。
人形、骨董、陶器、希少本、コイン・・・。
等はすぐ浮かぶ。子供の頃は、近所の友達が
ガムの包み紙を集めていて、よく見せてくれた。

でも、大学時代からの友人Nの夫であるK氏の
趣味には、ちょっと驚かされた。
結婚すると間もなく、彼女が彼を紹介してくれ、
その趣味の一端を見せられた時は驚いた。
K氏は、葉書に押印される消印を集めていたのである。

それも、各地で個々に押される、いわゆる風景印ではない。
郵便局名と日付、時間だけが記載されている、いわゆる
和文印で、それも郵便局で手押ししてくれるものだけ。
見せてもらっても、正直、何も面白くない。

機械印は、対象外なのだそうだ。現在、日本で営業中の
郵便局は二万数千局・・。
全郵便局の和文印完全収集をめざしているのだとか・・・。

なんだか、あきれた。
何が楽しくてこんなことに凝っているのか、と。
端から見ると、集めるためだけの収集としか見えない。
でも私の友人のNは、本当にいいやつで、
旦那の趣味を献身的に補助している。
我が家に来た時には、「近くに郵便局、いくつある?」
と聞いてきて、私に車を運転させて、四か所ほどの
郵便局巡りをさせてくれたほどである。

先日、Nと共通の友人であるSが新潟から上京してきたので、
三人でお茶する機会があった。Sは、Nの夫、K氏を知らない。
NがK氏の趣味を説明し始めると、やはりあきれた表情で
聞いていた。そして、肩をすくめて、私の方を見る。

そのとき、私たち二人の間でその後、どういう言葉が
交されるか、察知したらしいNが、突然早口で言った。
「でもね、すごく地理に詳しいの。全国の郵便局を
いつもいつも、チェックしているから、ニュースで
〇〇町、なんか聞いた途端、ああ、それは北海道の
どこどこにある、とか、かなり正確に当てるんだよ」

「そうだよね、どんな趣味にも何らかの
おまけがあるもんだよね、おまけというか、功徳というか・・」
と私も慌ててフォローに走る。そして、その後の会話は
かなり穏やかに進行したのだった・・・。
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燐寸は要らない [生活]

短歌を始めたばかりの頃、近くの地域センターで
開催されている短歌の会に、参加させてもらっていた。
世話役をしていたTさんは私の母と同世代で、当時五十代半ば。
関東育ちの人らしく、シャキシャキとした物言いをする、
素敵な女性だった。彼女の名はTさん。
お宅が会場近くだったので、寄せてもらったこともある。
すっきりと整頓され、部屋の調度品などのセンスも良く、
見習わなくちゃ、と思わされたことだった。

歌会のときは、有志でお茶会に参加していたが、
その時に立ち寄った喫茶店の燐寸の箱がとてもステキで、
「一つ頂いていこう。Tさんも、どうぞ」
と、脇に用意されていた予備のなかから一つ取って、
Tさんの前に置くと、即座に言われた。
「燐寸は要らないの。うちにタバコ吸う人はいないし、
コンロなんかも、みんな電池式で着火できるのよ」

私の家も、当時燐寸が必要なのは、食卓で
鍋料理するときに利用するガスコンロだけだった。
夫の友人に煙草を吸う人はいるから、燐寸自体は
あった方がいいが、なくてもいい、くらい。
ただ、きれいな箱の燐寸を手元に置くのも
すてきじゃないか、と思っただけなのである。

その時の一言は、三十四年を経てもまだ、
時々、思い出す。彼女の年齢に近づき、追い越して
しまい、さらに彼女の死を伝え聞いた今、とりわけ身に染みる。
生きていくうえで、必要なものはほんの少し。
よけいなものはどんどん省き、大切な、良いものだけを
ほんの少し、身近に置くべきなのよ。
と、今も彼女から諭されている気がしている。
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ネズミ [生活]

一か月ほど前、JRの町田駅ホームで電車を
待っていたところ、すぐ近くに立っていた
二人の男女が、線路のあたりを指さしながら
何か話し合っている。何気なくそのあたりに
視線を向けて・・・。ぎょっとした。

線路の向こう側に柵が張られていて、
居酒屋らしい建物の裏側が見えるのだが、
その壁下あたりを盛んに走り回っているのは、やや小型の、
黒っぽい、ネズミ、それも数匹、なのである。

二週間前、渋谷に用事があって出かけ、
食事をしようとしてセンター街を歩いていて・・・。
ここでも、道路の端をたたたた、と通っていく、
ネズミに出くわしてしまった。こちらは栄養も良いのか、
かなり大型のドブネズミである。
愕然として立ち止まっていると、すぐ横で、やはり
驚いている人と目が合った。青い目の女性だった。

一週間前、家の近くを歩いていたら、
すぐ目の前を、これまたでかいネズミが、
すごい勢いで横切って行き、石壁高さ数十センチの位置に
設けられている、直径十センチほどの排水筒に、スポン、
と飛び込んでいった。見事なジャンプ・イン ではあった。

一か月で三度のネズミとの遭遇。
知っていたら、カメラ構えてたのにな、と思う。
チャンスを逃さず、写真に収めた
真中朋久氏は「凄い!!!」と改めて思う。
(「塔短歌会」ブログ、2017年2月22日をご覧ください)

日々是メモ [生活]

これまで、色々なことをメモするための
ノートを作ってきたが、長続きしたためしがない。
何がいけなかったか、思いめぐらしてみるに、
その時々の思い付きで、専用のノートを作っても、
少しずつ自分の立ち位置、興味が変わるので、
使いづらくなることが一つ。それと、日々それこそ
多様なことに対処し続けなければならないので、
「わざわざ、メモする」となると億劫になってしまうから。

それで三年ほど前に、これまでのノートを
思い切って(ほとんど書きかけのまま)処分し、
すべてを一冊にまとめることにした。
B5版のやや厚めの大学ノートを十数冊、あらかじめ用意し、そこに
すべてを書き込んでいくことにしたのである。

税金、同窓会会費、短歌会への振り込みから、
両親の空き家の管理、施設との様々な事務手続き関係の覚書、
読書の内容、取り組んでいる原稿の進捗状況にいたるまで、
とにかく、日付のもとに、書き込んでいくだけ・・・。

ただし、後から探しやすいように、
項目ごとにカラーマーカーでしるしをつけることにした。
短歌関係は黄色、実家の事務的なことは紫、
自分の家の家事については、ピンク、といった具合に・・・。

ノートをパッと開くと、その状況が一度に見られる。
これは結構便利だった。が、しかし・・・。

日付が唯一の索引、のようなものなので、
日付を忘れてしまうと、決定的に探しにくくなる。
それで、ノートの最初の二頁に、大事な項目、
次に確かめるべき項目の日付を書き出しておくことにした。

たとえば私は今、塔短歌会のブログを交替で担当しているが、
それはだいたい十二週間に一度の割合で回ってくる。
そのブログの書き方(PWや、写真の入れ方)は、
先回の日付を調べ、その日付のメモから確かめられる。
近頃、忘れっぽくなっているので、これはなかなか便利。
丸三年続き、ノートは7冊目に入った。ってことは私にとっては
人生初めて、って言っていいくらいのノートの成功なんだった。