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月刊誌 [短歌]

短歌の月間誌、AとBをここ何年も、
月ぎめで購入し続けてきた。

一年に一度、購読料を振り込むだけで、
自動的に送付されてくるのは便利だし、
そこで面白い企画や作品に出会えれば、
得したような気持ちになれる。

でも、最近は、どうなんだろう。
あまり興味を感じる記事が少なくなったような。
他のことに気を取られていることもあるだろうが。
届いたときにざっと目を通して、あるいはほとんど
開くことのないまま、とりあえず積んでおく、
その後、書棚に並べる、というような状態が続き・・。

昨年末、A誌の方は、誌代が切れたところで、
継続を止めた。B誌もまもなく切れる。
継続するのはやめようか、迷っているところ。

実は、最近、冒頭近くに登場する歌人たちの
作品が、今一つ、のように感じられるのも、
月刊誌に魅力を感じなくなった理由の一部、
のように思う。もちろん、ゼロというわけではなく、
「あ、この人が登場した」と、ワクワクしながら
のめりこむように読む、ということはあるのだが・・・。
そういう人が毎回複数登場するわけでは決してない。

漫画の週刊誌などもあまり売れなくなっているらしい。
とはいえ、超ベストセラーになる漫画本は、相変わらずある。
雑誌には、その名の通り、様々の内容が盛り込まれているわけで、
好きなものも嫌いなものも一緒くたになっているのが、
敬遠されるのだろう。それはよくわかる。

私も、好きな歌人が歌集を出したときに、
買えばいいかな、雑誌の時点で、読む必要もないかな、
と心が揺れるのである。
とりあえず、書棚を大きく占領してしまっている
未読雑誌を片付けなければならない。そうでないと、
新たな書を受け入れる、物理的余裕がないのである。

ある歌集 [短歌]

最近、ある方から送られてきた新刊歌集。

この世界じゃ、未知の人から歌集を寄贈されることは多いけれど。
作者の女性とは、私が短歌に興味を持ち、初めて出席したある歌会で、
一度会っている。当時彼女は卒業間近の学生。郷里での就職
決まっている、とのことだった。

それからなんと、三十五年。私はなぜか彼女と年賀状だけは
交わし続けてきたのである。それでいて、短歌については
互いに一度も触れたことがなく、私は彼女がもう、歌をやめた、
と思い込んでいた。
私は彼女の歌の大ファンだったから、やめてしまうなんて、
本当に惜しい、と思いながら過ごしてきたのである。今も、
彼女の若い日の歌(知っている歌は少ないが)を何首か、暗誦できるくらいに・・・。

彼女は、学生時代に入っていた(私が初めて参加した
歌会を主催していた)結社に席を置きながら、
断続的に作歌していたらしい。

歌をやめていなかった、ということは、本当にうれしかったけれど
若い日の作品が歌集から一切、排除されていたことは残念で、複雑な思いがした。

彼女の入っていた結社は、歌の世界では結構、名の知られた、
会員もそれなりに多いところである。でも・・・・。
若い人を育てる、あるいは女性の感性を大事にする、
ということは、おろそかなところなんじゃないか、
という気がする。会員の女性率は、七割以上だろう。
でも、雑誌の広告を見ると、編集に携わる人として、
女性は二人しか掲載されていない。
あとの十人ほどは、年老いた男性ばかり。

なんだか、苦い感覚が口の中に広がってくる。
もちろん、彼女が短歌に対してこういう経緯をたどったことは、
結社のせい、というわけではないだろう。でも、それなりの
影響はあったのではないか。少なくとも歌集の形は、
結社の方向性、指針のようなものは影響していないだろうか。

ほんの短い間だが、この結社に入ろうか、
と思っていたことを、思い出す。よかった、「塔」で・・・。

藤沢周平体験(その8) [短歌]

藤沢周平の長塚節を描いた小説の『白き瓶』という題は
次の歌からとられている。

 白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり
                長塚節

平福百穂の秋海棠の絵に対する画讃の歌で、
この歌について、久保夫人と語り合う場面が、
小説の巻末近くに置かれている。
画讃とはどうあるべきか、自分がどういう思いを込めて
この歌を詠んだのかが、語られる。いや、藤沢が
節の心を裡を伺いながら、なり替わって語っているわけで・・・。

その部分が、私にはとても面白かった。特に眠れない中、
ふと一首のうたができて、それをきっかけとして、歌ができ始め、

  ・・白埴のの歌はこの時期にできたのだが、節にはこの歌が、
  長い間心の中で歌の形をとるのを待っていて、できたときには
  その待っていたものがようやく心の深部から出てきて日の目を
  見たような気がしたのである。

という部分は、なんとなく自分にも同様の経験があるような、
節と同じ気持ちを共有できたようにも思え、心惹かれたのだった。

一首のなかの「霧ながら」は、現代の読み手にはわかりにくい表現だが、
藤沢が綴っているように、この措辞こそが眼目ともいえそうである。
霧が出ていて、視界は曇っている。でもその中にあえて歩みだし、
朝の水をくむ。視力が利かない分、皮膚感覚は鋭くなっている。
その鋭さが、まっすぐに冷たい水に繋がっていくのである。

この場面に限らず、歌を巡っての様々な解釈、あるいは歌人同士、互いの歌を
評価、鑑賞し合う部分はこの小説の中で最も興味深かった。
伝記的な記述は減らして、もっとこちらの方を書き込んで
欲しかった、と思えるくらいに。
藤沢は俳句はやっていたようだが、短歌はどうだったのだろう、
と不思議にも思えたのだが、短歌の鑑賞には、先日亡くなられた
歌人の清水房雄氏が、藤沢にいろいろと助言していたらしい。

巻末には二人がやりとりした手紙が付されていて、こちらはある意味、
小説より面白い、って、まあ、歌をやっている人間だからこそ、
かもしれないのだけれど。

『白き瓶』を読み終わった後、また何冊か、藤沢の
江戸期を扱った小説を読んだ。でも、何か物足りなく
思えるようになってしまっていた。『白き瓶』を読んでしまった今、
もうこれ以上の藤沢作品に出会うことはないのだろう。
永田和宏さんのあの言葉を聞いたときに、
もうわかっていたことのようにも思えるのである(この項、終わります)。

短歌と文章 [短歌]

「塔」という短歌結社に所属している私、
毎月、十首の詠草を提出しているが、締め切りは二十日。
さらに編集委員もしていて、塔が発行になるとすぐ、
作品掲載者から八名を選んで、一首評という欄の
執筆依頼の葉書を出している。

塔の発行日はこのところ、12~15日あたり。
ということは、一首評以来の葉書を投函後、
一息ついてすぐ、自分の詠草作成にとりかかれば
間に合う、という手順で来ていた。でも今月は、
塔の到着が遅れ、16日になっても届かなかった。
気をもみながら、なんとか一首評依頼は見切り発車で、
送付したのだけれども。

ああ、問題は詠草作成の方である。
ぎりぎりまで、あれこれと文章を書いていたせいか、
頭が韻文モードにならないのである。
こういう時は本当にいらいらするし、落ち込むし。

昨日はあちこち歩き回ったりして歌の素材を探したけれども。
まったく、落ちてはいなんだ・・・。

今日出さなければ間に合わないので、仕方なく、
ノートほじりに精を出すことに。
これは、ボツにしていた歌の中から、
少しまし(と思われる)なのを引っ張り出して、
作り直しするもの。
幸か不幸か、ボツの山はあちこちにあり、
十首はなんとかなった。
もう少し、短歌にも時間を割かなくちゃ、と思いつつ。
短歌ばかりやってちゃ、アホにな・・・
いや、というわけではなく、その、なんというか、文章を書くときの頭と、
短歌作る頭が違うので、切り替え悪いだけなんだよな
(と、なにやら、わけのわからないことになっちまった)。



口語短歌(その4) [短歌]

我らが「塔」の主宰、吉川宏志さんは、
お若いときから(今ももちろんお若いけれど)
文語短歌を主として詠まれてきているけれど、
かなりの頻度で口語でも詠まれている。

使い分けて詠んでいる、というよりも
ごく自然に口語が混じってくる、という感じかな。
彼の口語の歌が、私は実はとても好きなのだった。
彼の文語の歌には「あれ、ぎこちないんじゃないかな」
と思ってしまう時があって(う、彼のファンから殴られそう)
そんなとき、口語の歌に出会うと、ちょっとほっとしたりも・・・。
好きな歌をいくつか。

  花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった
                       『青蝉』
この歌は俵万智さんが著書の中で取り上げられたことでも
有名になった歌。みずみずしい感覚が生きていて、
読むたびにじ~んとなる。好き、としか言えない歌。

  春鳥が見上げる喉の白きこと まぼろしますか まぼろすだろう
                        『同』
まぼろす、という動詞はないんだけれど、ありそうな感じがしてくる。
ユニークな歌で、彼はほかにも短歌に独自の序詞を作り出して詠んだりも
している。まじめな彼の、意外にお茶目な面を見る感じがする。

  秋の夜のわれを照らしていた人は触れると割れるランプだったよ
  このまま曳いていくしかない舟に紫苑の花を載せてゆくんだ
                       吉川宏志『曳舟』

  おそらくは砂漠に君はいるだろう 舌に砂が。 脚は。 脚はもう無い。
  お母さん、殺していいものをこの紙に書いてよ蟻とか団子虫とか
                       吉川宏志『鳥の見しもの』

句読点の多用は、最近の口語歌の影響かなあ・・・。
ところで、このたび、吉川さんは牧水賞を受賞されました。
おめでとう、吉川さん!

口語短歌(その3) [短歌]

口語短歌についていろいろ書きたいことはあるけれど、
何かまとまらないうちに、時間が過ぎてしまった。
このところやたら雑用が多く、振り回されている感じ。
それに、私は、来る15日締め切り(消印有効)の
「塔短歌会賞」の原稿のまとめ役と、コピー係をしている。
短期間に7~800枚のコピーをとり、各編ごとにまとめ、
応募一覧を作り、七人の選者と編集委員に
送らなければならない、というガテン系(?)の
仕事が待っているんだった!

まあ、それはそれ。

今日は口語短歌というより、文語の歌に惹かれる
理由の一つの方について書いてみる。それは
歌のことば。日常の会話では使わないことばだが、
短歌の世界では大手を振って通用する、という例が沢山あり、
私はこういう言葉を使ってみる、ということがムショウに楽しい。

なかには、なんて面倒なことを!
と嫌う人がいるし。その気持ちもわからないでない。
先日の歌会でも「母に肖(に)し」という表現が使われた歌に対し
「どうして『似し』にしないんだ」との不満が一部から出た。

そのときは「歌人は使うよね」としか言えなかったけれど、
「似る」と「肖る」の差異について、考えてみたい。
一部の特徴ではなく、特に、姿かたち、雰囲気など全体的に
似ている場合は、「似る」ではなく「肖る」と用いたい感じがする。
それも、生きている対象、何か命の匂いを漂わせている対象については。

  ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事のなかなるピアノ一台
                  塚本邦雄『感幻楽』
のなかで、「肖る」が「似る」だったら、かなり異なる印象に
なってしまっていたところ。ここは「肖る」で立ち上がった歌だと思う。

このこだわり感覚は、やはり短歌をやっていると、自然に身についてきちゃう、
という気がするのである。それも、文語で。口語でも
あり、かもしれないが、その領域はぐっと狭くなりそうだ。

ほかにも、「羨(とも)し」「邃(ふか)し」「美(くわ)し」
なんか、使いたくなる。微細なところに、思いっきり凝りたくなる。
この楽しさ! って、相棒に話すと
「もう、ビョーキだね」と笑われるけれども・・・。

口語短歌(その2) [短歌]

「塔」一月号には、十月号に掲載されていた
十代・二十代歌人特集の批評が寄稿されていて、
評者の山田航氏がこんなくだりから展開している。
「…作品を読み通してみて、目を引いたのは
口語の成熟ぶりです。口語定型のリズムを自家薬籠中のものとし、
見事に使いこなしてポエジーに消化している歌人が見られます」

冒頭に選ばれている歌三首は
 うってつけの石があったら投げようよ夏盛り、鴨川のほとりに 
                        阿波野巧也
 宮殿もかつては立派だったのか。兵士のようだ、低い枯木は
                        千種創一
 本閉ざす一瞬にさくほそき闇、みましたか、それを手渡されてゐる
                        薮内亮輔


三人ともさすがにうまい。そして個性もしっかりと出ていて、
その差異を面白く読んだのであるが・・。

例えば阿波野氏の作品は、青春期のみずみずしさ、
清新な心弾みが、口語の形にぴったりと合っていて、
今まさに、幸せな出会いの時間を過ごしている、というように
読める。使用期限があるような、鮮度抜群の口語、と感じる。

千種氏の口語。第一歌集『砂丘律』も
読ませてもらって、そのうえでのことだが、作歌するうえでの
大方の舞台である、中東の、その危機的な状況が
この口語を鋭角的に立たしめている、という感じがしてしまう。
たとえば、日本の日常ではどうなのだろう、という疑念を
少なからず持ってしまうのである。

薮内氏、角川賞や塔短歌会賞の応募作品や受賞作品など、
量的に一番読ませてもらってきているし、彼の実力は
だれもが認めるところ。私もそうだが、周りには彼の作品の
ファンがたくさんいる。でも、この一連を読んだときは、
ちょっと怖かった。もちろん、作品の魅力は十分に
感じたうえで・・。

口語は文語に比べると、不安定で危ういなあ、
と思ってしまう。それは若さの危うさなのかもしれない。
安定した口語こそが、つまらないのかも・・・。             

口語短歌 [短歌]

もう四、五年前になるが、短歌を共に詠む友人A
(当時三十代で高校の教師)が、
「最近の子は、例外なく口語でしか短歌をつくらないんだよね」
と言っていた。このままじゃ、文語短歌は無くなるんじゃないかな、と。
彼女は文語に軸を置いて歌を詠む人。同世代でも、口語の人って
多いしね。と少し心細そうな口調である。

文語短歌に惹かれて、というか短歌は文語、と疑わずに
作歌してきた私は、最近の風潮にちょっと戸惑う。
どっちでも、良い歌は良いんだから、と思いつつ。
最初から口語で作れ、と言われたら短歌にこんなに
惹かれることはなかったんじゃないだろうか、
と思うのである。文語の、非日常的で、
何か遠い過去と繋がれるような、
どこか呪術的な匂いもする言葉の力に
ずっと魅入られてきたからこそ、短歌を続けてこれた、と思う。

最近、短歌作っていても、自分でどうなんだろう、
と少し自信を失うことも多くなった。
相棒にぼやいたら
「おんなじことばっかやってて、自縄自縛に
陥ってるんじゃないの。違う方向性を考えなくちゃ」
「違う方向?」
「たとえば、口語で詠むとか・・・」

ふ~む。
今まで、口語で短歌を作ったことはあるが、
口語にしよう、と思って作ったことはなかった。
つまり、意図せずに作れて、出来上がったときに
口語だった、という歌しか、自分にはない。
ここで、口語短歌について、考えてみようという気になっている。
(この項、続けようと思います)

成人式 [短歌]

今日は成人の日。私の住む市の成人の日の式典は
我が家からさほど遠からぬ、市営体育館で行われるので、
この日のお昼近くには、ぞろぞろと和服姿の若い女性や
ぱりっとしたスーツ姿の若者たちを多く見かける。

その若さ、美しさ、カッコよさはまぶしく、
そして、思いは自分の二十歳の日に戻り、
複雑な気持ちになるのだが。

今日は相棒と一緒に近くを歩いていて、
成人式に向かう一団に出会ったので、思わず
「こんなに若い人がたくさんいるのに、
どうして短歌やろうって人はいないのかなあ」
と愚痴ってしまった。

相棒はすかさず、
「ああ、おじさんおばさんになったら、
あきらめてやるんじゃない?」
「え、あきらめて?」
「そうだよ、若いうちはもっと、
かっこよくてお金になりそうなことに
挑戦したいだろ?」

ええ~、ひどい、そうずっと、思っていたのか。
私は、二十代で短歌始めたのに~。

またしても、複雑な思いに、
胸が騒いでしまった私でした。

一ノ滝、二ノ滝 [短歌]

届いたばかりの「塔」11月号を読んでいたら、
一首評のページの最後に私の九月号の歌が載っていた。

 一ノ滝、二ノ滝競ひ合ひて鳴る 遠山より来る雪解水の音

選んでくれていたのは、岩本文子さん。
面識のない方が選んでくれた、ということが二重に嬉しい。
岩本さんは北欧のフィヨルドを訪れた体験を想起されたそうで、
 
 高く迫る山々の急斜面を真っ白なしぶきとなって
 落ちてくる雪解水の滝。・・・その大きな自然に呑みこまれた。

と綴られている。ああ、そうだった、と私も十年ほど前に訪ねた
ノルウェイのフィヨルドを思い出した。あの雄大な自然、
絵本のページをめくるような、夢のようなひと時を。
雪解水がつないだ二つの世界の近さ、遠さを思ったのである。
私の上記の歌は、雪国で暮らした幼少時の記憶を振り返る一連の一首。
実は、滝の存在より先に、橋の名前から思い出し、歌になった一首だった。

住んでいた家から徒歩で十分くらいの所にあった小さな橋。
たもとには通る順に「にのたきはし」「いちのたきはし」と平仮名で書いてある。
その二つの橋の間隔は十メートルほどもない。
子供だった私は、これは何のことだろうとふしぎだった。
橋はいずれも小さく、下を流れる川も用水路ほどでしかない。

家から近かったのに、あまり通らなかったこの橋を、
たまたま四月の上旬になって、通ったことがあった。
たぶん、小学校の高学年の頃である。

この橋の片側は崖になっていて、いつもちょろちょろと
水が流れているのを知っていたが、その時は驚くほど
大量の水が、しぶきをあげて流れ落ちていたのだった。
遠い山の雪解けがようやく始まった音だった。
二ノ滝、一ノ滝、とはその流れの高さの順番だったのである。
不思議なことに、この橋の記憶はずっと後になってからより鮮明になった。

一首評に取り上げてくださった岩本さんはありがたいことに
  
一句目の句読点は不要では? 「競ひ合ひて」は
  別の表現にした方がいいと思う。

と、きちんと注文も付けてくださっている。
おかげで、いろいろと表現についても思い返すことになった。

実は「競ひ合ひ」については、影響を受けていた俳句があった。

 初鴨や競い合い育つ長女次女

という句で、もうずっと前に、朝日俳壇で見つけたもの。
一句目はもしかすると、別の表現だったかもしれない。
少女期に目にした一ノ滝、二ノ滝の姿をちょっと
自分の育った時間に重ね合わせてみたい気持ちになったのだった。
とらわれていた気持ちもはっきりわかって、
この一首評はさらにさらに有難いものになった。