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歌集評を書く [短歌]

「塔」入会後一年を過ぎた頃のことだから、三十余年も
前のことになる。
古い会員であるKさんが第一歌集を上梓された。
そして私に「塔」に掲載される歌集評を依頼されたのである。
私は驚いた。Kさんは私よりかなり年上のベテラン会員。私はまだ
「塔」に数回ほど作品が載っただけ。そんな私に大役を
振ってくださったのだと思うと、いい加減なことはできない、
という強い気持ちがわいてきたことを、今も覚えている。

文章は好きでよく書いていたが、歌集評は初めて。
どう書くべきか、総合誌や「塔」のバックナンバーなどを
あれこれと読み漁ることに。歌集評と一言で言っても
様々な書き方があり、その方向性は歌集の内容や
スタイルによってもかなり違うのだ、と言うことを学んだ。

Kさんの歌集にはつらい経験を詠まれた作品がある一方、
すてきな自然詠もあり、情感豊かな日常詠も沢山あった。
私は、作者の境涯には少しだけ触れつつ、
表現への試みを掬い取る、そういう歌集評を書こうと、
思ったことを覚えている。どれだけうまくいったかは、
よくわからないのだが、kさんは喜んで下さった(と思う)。
私はこんな機会を与えて下さったことに改めて、強い感謝の
気持ちが湧いてきたのだった。

今夏私は『郷土菓子のうた 甘味の地域文化誌』を上梓したが
その書評を、お若いUさんにお願いした。Uさんは歌集評を含め、
書評の経験はないはず。依頼した時、断られるかもしれない、
とちょっと危惧した。依頼後まもなく開かれた夏の大会の時
彼女に尋ねると「大丈夫、書きます」と頼もしい雰囲気だった。

そして・・。掲載されている11月号を開くと・・・。
素晴らしく丁寧に読み、そして痛いところも突きながら、よく
書き上げてくれていた。お願いしてよかった!、としみじみ思った。
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第63回角川短歌賞 [短歌]

角川書店発行の「短歌」の11月号は、毎年
角川短歌賞の発表号。ここ3、4年は、ピンとこない
作品が多くて、複雑な気持ちだった。ああ、今は
こういう作品が評価されるのか、なんだかなあ
と、今一つ納得できない気持ちがしていて・・・。

でも、今年の受賞作「十七月の娘たち」は、読み
始めた途端、ああ、きっと、好きになれそう。
読み終わって、かなり好きかも、とまた思っている。
怖い西洋の童話的な作品が特に好みである。

 春の夜によそふシチューのごろごろとこどもの顔沈みゐるごとく
 わが飼へる苺ぞろりとくづほれてなすすべもなし春の星夜に
 天文台の昼しづかなるをめぐりをりひとり幽体離脱のやうに
 真夜中の人の胃のなかにゐるやうでなまあたたかし春の嵐は
 人らみな羊歯の葉ならばをみなともをのこともなくただ憂ふのみ
 われを呼ぶ猫の小声に戸を開けばただひた闇のひたやみしこゑ
                         睦月都

このあたり、みんな、いいなあ、すてきだなあ、こんな歌こそ、
詠みたいし、読みたい! とドキドキしながら読み進んだ。
もちろん、「?!」と思ううたも混じっている。私なら、
ここはこうするけどなあ、とか、思ってしまう歌もあったけれど。
久しぶりに、すてきな短歌に会えて、また歌への思いを新たに
できている感じがする。
ただ、難を言うと、テーマの中心に据えられているはずの
「娘」の有り様というか、作者にとっての作品の中の
「娘」像がやや曖昧なのではないかという感じはした。
ぼんやりと中空に漂い、まだ形を成していないような・・・。
そういうところも、魅力かなあ、と好きになってしまえば
思えちゃうのだけれども。

選者の小池氏は「様式美」と讃えられている。ただ、題の「十七月」
の意味がよくわからない、と選者の皆さんが戸惑われていた。
私はたぶん「永遠の五月」なのではないか、と推測する。
(同じようなことを、選者の東直子さんも言われている)。
歌の中に、秋や冬を感じさせる作品はほとんどない。
早春から初夏。そこに限定されている。作者の心が
いつも帰っていく、帰っていける季節、なのではないだろうか。
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短歌にふるルビ [短歌]

先日、大学の同窓生だけで行っている歌会に参加してきた。
出席者は毎回十数名で、昭和十年代生まれから二十年代の人が
中心だから、かなり老齢化は進んでいますね(笑)。

年配の同窓生は、アララギで学んだという人が多い。
「塔」も一応、アララギ系から生まれた結社だが、
もう自由にやらせてもらって、その恩恵をたっぷり
受けてきたなあ、身に染みて思う。
今回はルビを多用したからか、特にその思いが強かった。

出詠した二首のなかに
咲(ひら)く、水照(みで)り、足裏(あうら)、と、
三つもルビを入れたため、ほとんど集中的に批判されて
しまった。無理な読みである、というわけである。

「水照(みで)り」は、七月の横浜歌会でも別の作品に
この言葉を入れていて、その場でも疑問を呈される方が
いたが、批判する、という感じではなかった。
これを含めて、三つとも、確かに辞書にはない読みである。
ちなみに、『辞書にはない「あて字」の辞典』(講談社刊)
にも、これらは掲載されていない。私は誰かの歌集で目に
した記憶があり、それで使っているのだが・・・。

ルビは意外に譲れないところがあるのだ。
大きいのは歌の調べという点で、さらに視覚的な効果として。
それはたぶん、多くの歌人が感じ、かなり無理とは知りつつ、
ルビを実践しているのではないかと、想像する。
例えば、小島ゆかりさんの『ごく自然なる愛』を例にしてみる。

他(ひと)、塵埃(ダスト)、招(よ)ぶ、鬱悒(いぶせ)き、
晶(すず)しく、目前(まさか)など、辞書にはない読みの
ルビが頻出する。そして、私はこの音と字面の両方で、
作品を鑑賞している、重層的に歌を楽しんでいる、という
感じがする。当たり前の読みだけでは断然つまらない。

ルビ、いいではないか。少しくらい無理があったって・・・。
と思う。短歌にだけ許される特権として。
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「塔九月号」・続 [短歌]

「塔九月号」を読んでいて、冒頭近くにある
永田和宏氏の作品に、目が留まった。小題が「向田邦子」。
そしてその第一首が

 ライオンをわが見しことはあらざれど軒すれすれに嵐電は行く 

となっているのである。ああ、そうだ、あのことだ、と
たちまち思い出したのだ。向田のエッセイで、「新宿のライオン」
(『眠る盃』所収)。こちらは実は先行して発表された
「中野のライオン」の続編のようなエッセイで、私は「中野・・」
の方は読んでいないのだが、その一部が紹介されている。

  二十年ほど前の夏の夕方、中央線の窓から不思議なものを見た。
  『私が見たのは、一頭のライオンであった。
  お粗末な木造アパートのこれも大きく開け放した窓の手すりの
  ところに、一人の男が座っている・・・。三十歳くらいの
  痩せた貧相な男で、・・その隣にライオンがいる。・・
  かなり大きな雄ライオンで、男とならんで外を見ていた。』

という内容のエッセイを雑誌に発表したところ、自分がその飼い主だ、
という男性が現れた、という、いわば後日談が「新宿のライオン」
の内容なのだが・・。
ライオンは鬣付きの雄ではなく雌だったことなど、
多少の思い違いはあったにせよ、
電車の窓から見た、幻想のような一コマが、事実だったのである。

私はこのエッセイを読んでから(中央線はめったに使わないので、
私の場合は東急田園都市線か小田急線なのだが)つい
どこかのアパートの窓から、貧相な男と、
立派な鬣付きのライオンが並んで
電車の通過を見ていないだろうか、と探してしまう。

永田さんも同じことしていたんだなあ、と思う。
嵐電の沿線の、きわめて庶民的な街並みが、そんな思いを
倍加させるのではないか、とも思うのである。
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塔九月号 [短歌]

一昨日、私の所属している短歌会の「塔」の会誌の
九月号が届いた。いつもより二、三日早い。それだけで
気持ちに余裕ができて、嬉しくなる。私は以前にも
書いたように、会誌の「一首評」欄の執筆者依頼の
担当をしていて、会誌が届くとすぐに八名を選出し、
依頼の葉書を出さなくてはいけないからである。

とにかくその仕事を即やって、それから
おもむろに誌面に目を通す。文章から先に読むことが
多い。ああ、東海歌会で歌合せやったんだなあ、とか。
今月の「私の道草」を執筆されているのは吉岡みれいさんと
鵜原咲子さん。塔のひとはみんな、文章がうまい。

さて、今月の自分の短歌だが、詠草を作成したのが
六月で、『雨のことば辞典』から触発されて作った歌を
何首か入れている。

  往来の絶えし国道 くろぐろと徒党を組んで大車軸過ぐ
                       岡部史

この歌の「大車軸」も『雨のことば辞典』に載っていた。
新潟県の南蒲原地方の方言で、「大雨」のことをいうらしい。
なんともいい得て妙、という感じがして使ってみたのだが。
わかりにくいと思い、詠草の方には、歌の最後に(大雨)
と注意書きを入れたのだが、削られている。
注意書き、詞書の類は例月作品には入れられない、という
ことだったように思う。ちょっと残念だが、これは経費の
ことや平等性などの問題もあり、致し方ない。

  筆文字に友風子雨と描きながら大空わたる一団があり
                    岡部史
友風子雨は、「ゆうふうしう」とルビを入れてもらっている。
字面から想像できるように、これは雲のこと。きれいな言葉
だな、と気に入って使ってみた。ちょっと気取った歌になったが。

月評欄では、担当の岡村圭子さんが拙歌

  木の下に星のかたちに見開きてこの世を覗く著莪 義母の花
                      岡部史
を取り上げて下さった。「この花にまつわる義母のどんな
エピソードがあるのか」と。
母は俳句をやっていて、時々投稿している俳誌を見せてくれた。
その中にこんな句があった。

  足もとに星降りてくる著莪の花   ひさ子

私は短歌を始めたばかりの頃で、著莪の花を知らなかった。
でもいい句だな、と心に残っていた。その何か月か後、一緒に
小田原城に行ったとき、近くに咲いている花群を指さして、
「ほら、あれが著莪の花よ」と教えてくれた。
母が逝って、七年半になる。
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鉛筆の歌 [短歌]

私の初めての歌集『コットン・ドリーム』には、
栞をつけることにし、河野裕子さんに原稿を
お願いした。もう三十年近く前のことで、
ワープロがまだ普及していなかった時代だが、
送られてきた原稿が鉛筆書きだったことに
驚いた記憶がある。原稿用紙のマス目一杯に、
河野さんの伸びやかな文字が躍っていた。

河野さんはもちろん、万年筆や毛筆なども
使われていたと思うが、(歌集『歩く』には、
見事な毛筆のサインが入っている)、
鉛筆の似合う方だったな、と、思い出す。
鉛筆を詠って優れた歌をたくさん残されてもいる。

 たくさんの鉛筆の霊にかこまれて深みどりや臙脂の鉛筆削る
 どこへでもあなたは行つてしまふ夜鉛筆の尖で輪ゴムを回す
                    河野裕子『家』

いつも身近に鉛筆を置き、作歌されていたようである。
鉛筆は次々に短くなって捨てられて、だから
とりわけ強く、「鉛筆の霊」を感じていたのかもしれない。
他人の握る鉛筆にも、鋭い視線を送っている。

  エンピツで何か書きゐる男なり帝国日本に傍線を引き
  一語一語英語に移し変へられて屈伸やはらかき鉛筆の文字
                  河野裕子『日付のある歌』

二首目は、河野さんの作品を英語に訳されていた、アメリア・
ホールデンさんを目前にされて詠まれた歌。鉛筆で書かれて
いたのは、英語だろうか。「屈伸やはらかき」とはなかなか出て
来ない言葉。でも、手文字の雰囲気がよく伝わってくる。

鉛筆を常用している、ということは消しゴムもまた、よく
使っていた、ということになり、河野さんには消しゴムの歌も
多々ある。特に中期以降の歌集に多いように思われる。
それだけ、歌に逡巡するところが多くなっていたのかな、
と想像するのだけれど。
ワープロで歌を詠む人も増えている今、
鉛筆と消しゴムは、人を懐古的にする。

  こんなにも小さくなりしか消しゴムのねんごろな丸さころがしてみる
                     河野裕子『歳月』

  書くことは消すことなれば体力のありさうな大き消しゴム選ぶ
                    河野裕子『体力』
  消しゴムを横へ横へと使ひつつ手首やはらかに思案してをり
                    河野裕子『歩く』
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歌合せ [短歌]

「塔」の全国大会では、十数年前から「歌合せ」を
プログラムに組み込んでいる。これまでは選者から二人
選ばれて、紅白に分かれ、各選者が会員から四人選んで
五人のチームを作って戦う、というものだった。

今年は趣向を変えて、三人一組の応募者から予選を経て、
八組を選んで、トーナメント方式で戦う、というもの。
私の所属する横浜歌会からも三名一組(宮地、数又、永久保)
が参加するということを事前に聞いていたので、今年の
大会は例年に増して楽しみだった。

参加グループは各自名称を持っていて、わが横浜組は
「横浜たそがれ組」。彼らは順調に勝ち進み、
決勝戦で、埼玉の三人組を破ってみごと、優勝!
凄いなあ、と我ながら興奮してしまったのだけれど。

昨日は、大会後初めての横浜歌会があり、まず
経過報告、そしてみんなで優勝を讃える。

三人は大会に臨んで、かなり周到に準備したらしい。
歌合せでは最終的に九つの題が出題され、
三人が三個ずつの題をこなすだけでいいのだけれど、
わが横浜組は各自が九つの題で詠みあい、まず仲間同士で
優劣を競い合ったのだそうだ。これは、本番よりも
はるかに有意義な時間だったに違いない。

昨日はもう一人の仲間、永久保さんが欠席されていて
残念だったが・・。二人とも自信にあふれた、すごく
いい表情をしていたことが印象的だった。



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切山椒と母 [短歌]

切山椒は、上新粉、砂糖、山椒の粉(あるいはつけ汁)を
混ぜ、蒸して搗き、拍子木型に仕上げるお菓子。
私は、中山圭子『和菓子の世界』(2006)で初めて知った。
11月の酉の市で売られることで知られる、主に
関東など東国に伝わる古いお菓子らしい。

先月末に刊行した拙著『郷土菓子のうた』のなかで、

 切山椒たまへ昔の香に似たる薄き甘味は母のさびしさ  
                 馬場あき子『月華の節』

を取り上げ、このお菓子に言及した。その際、この歌の中の
「母」を、「古い家族制度のもと、家族や地域社会に従属
せざるを得なかった女性たち全員を指している」とし、
かつての冠婚葬祭時、女性たちの負担が過酷だったこと、
そのため「古い行事菓子には、しばしば苦い記憶が詰まっている」
と結んだ。「母のさびしさ」を一般化して読んだ方が、作品も
深まるのではないか、と思ったのだけれど。

8月17日の神奈川新聞の文化欄で、歌人の中川佐和子さんが
拙著を取り上げて下さっていて感動したのだったが。
この馬場さんの歌の解釈については、私とは異なっていた。
歌集中の前後の歌から、この「母」とは馬場さん自身の
継母を指しているとされているからである。

その文章を読みながら、中川さんのご指摘は、作者個人の
側からすれば、正しいのだろうな、と思った。でも、
それだけだと、切山椒というお菓子の重みが軽減されて
しまうのではないか、と(負け惜しみに聞こえるかも
しれないのだけれど)考えた。連作から一首を
切り離して評する難しさ、を思ったのである。
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歌の贈り物 [短歌]

仙台での歌会とそののちの旅行については、
先回までのブログに記したところであるが。
普段は東京で開催している同窓生だけの歌会、
桜楓歌会にご高齢ながら仙台から参加されていたHさんが、
最近大事を取られて、詠草のみ参加になっていたことから、
仙台歌会の企画が生まれ、実現したのだった。

Hさんは、私たちの来仙をとても喜んでくださって、
会場の確保や、温泉へのタクシー手配などを
してくださったのだけれど、そのタクシーで
温泉に着いたとき、運転手さんから
「Hさんからお渡しするように頼まれています」
と、大きな包みを渡されたのだった。
中には、今回の参加者全員+参加予定していて、
風邪のために急遽キャンセルされた方分の
お土産が二つずつ入っていたのである。

帰宅してから包みを開いてみると、一つは
白松がヨーカンだった。その箱がとても凝っていて、
漱石の本を模していて、題は「吾輩ハ羊羹好キデアル」。
東北大学にゆかりの深かった漱石を記念して特別に
作られたものらしい。

もう一つの包みからは、三つの小箱が出てきた。
その二つは、起き上がりこぼしのお人形だった。
Hさんから後で頂いた手紙によると、彼女はこの冬、
自宅で転倒して足を骨折。しばらく入院を余儀なくされたとのこと。
私たちに転ばないように気を付けて、というメッセージを込めて、
この人形を贈り物に選んでくださった、とのこと。

もう一つの箱からは、仙台の「玉虫塗」の玉手箱が出てきた。
美しい七夕の柄である。開くと中には、名刺大の色紙が
収めてあって、小さな愛らしい文字で、何か書いてある。
読んでみて驚いた。それは一首のうただったからである。
最初は、この塗り物のお店は何か、短歌にゆかりのある人が
かかわっていて、商品に短歌を記した紙片を入れているのか、
と思ってしまったのだけれど・・・。

間なくして、KUさんからメールが入り、みんなの受け取った
小箱に、それぞれ違う歌が収めてあり、いずれもHさんの
自作のうたが手書きされたものである、というのである。
ちなみに、贈り物に受取人の指定はなかったので、
どの歌が誰に当たるのかは誰にもわからなかった、とのこと。
あらためてじっくりと、自分が当たった歌を読み返してみる。
読むたびに好きになり、ラッキーだったな、と思えてくる。

同時に、ほかの人がどんな歌をもらったかが気になるところ。
全員の歌を知らせ合い、一覧表にして回そう、ということになった。
私の歌をさっそくKUさんに知らせると、
「まあ、すてきな歌。岡部さんにぴったり!」
とメールが返ってきた。Hさんから了承は得ていないのだけれど、
ここに記したくなった。Hさんの名前を明かさないわけにいかないだろう。

彼女は、私たちの卒業校が大学に昇格した1948年に、記念式典用の
歌の作詞を依頼され、その歌はそのまま校歌に採用されたので、
大学校歌の作詞者としても、名を残されている、原田夏子さんである。
  
  限りなく命のうたをうたふものみなづきのぽぷら揺れやまずあれ
                         原田夏子

月刊誌 [短歌]

短歌の月間誌、AとBをここ何年も、
月ぎめで購入し続けてきた。

一年に一度、購読料を振り込むだけで、
自動的に送付されてくるのは便利だし、
そこで面白い企画や作品に出会えれば、
得したような気持ちになれる。

でも、最近は、どうなんだろう。
あまり興味を感じる記事が少なくなったような。
他のことに気を取られていることもあるだろうが。
届いたときにざっと目を通して、あるいはほとんど
開くことのないまま、とりあえず積んでおく、
その後、書棚に並べる、というような状態が続き・・。

昨年末、A誌の方は、誌代が切れたところで、
継続を止めた。B誌もまもなく切れる。
継続するのはやめようか、迷っているところ。

実は、最近、冒頭近くに登場する歌人たちの
作品が、今一つ、のように感じられるのも、
月刊誌に魅力を感じなくなった理由の一部、
のように思う。もちろん、ゼロというわけではなく、
「あ、この人が登場した」と、ワクワクしながら
のめりこむように読む、ということはあるのだが・・・。
そういう人が毎回複数登場するわけでは決してない。

漫画の週刊誌などもあまり売れなくなっているらしい。
とはいえ、超ベストセラーになる漫画本は、相変わらずある。
雑誌には、その名の通り、様々の内容が盛り込まれているわけで、
好きなものも嫌いなものも一緒くたになっているのが、
敬遠されるのだろう。それはよくわかる。

私も、好きな歌人が歌集を出したときに、
買えばいいかな、雑誌の時点で、読む必要もないかな、
と心が揺れるのである。
とりあえず、書棚を大きく占領してしまっている
未読雑誌を片付けなければならない。そうでないと、
新たな書を受け入れる、物理的余裕がないのである。