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北海道ミニ(その2) [旅]

帯広と言えば、歌人・時田則雄氏がすぐさま思い浮かぶ。
私が短歌を初めて間もないころ、角川短歌賞を受賞された。

  五百トン牛糞買ひぬ計画図D地六町歩ビートを植ゑむ
                   時田則雄『北方論』

などの歌を読み、広大な地にビートを耕作している様子を
おもいえがいたものである。でもその時は、飼料用のビートか、
と思っていた。帯広では製糖のためのビート栽培が盛んであること、
そして日本のビート糖の草分けの地であること、また、

  十五トン肥料ほどこし三十トン豆を穫りたり雪が降りくる
                   時田則雄『同』

の歌でも知られるように、豆類の大産地でもあったのだった。

豆+砂糖、となると・・・。もうお分かりですね。帯広は
日本でも特筆すべきお菓子の街だったのである!

行ってみて、その和洋を問わぬ種類の豊富さ、店舗の多さ、
その上、個々のお菓子の意外な安さなど、驚嘆した点が
多々あって、ああ、残念だったなあ、としみじみ思った。
実は私は五年前に上梓した『お菓子のうた』の続編として
『郷土菓子のうた 甘味の地域文化誌』を刊行するばかり、
になっていたのである(実際、一昨日に発刊になった)。

帯広のお菓子の街ぶり、を知っていたら、もう少し
違った方向からのアプローチもできたところだった。
まあ、それはともかく、帯広の甘味文化にどっぷりと浸った
二日間については、次回でお知らせすることにしよう。


北海道ミニ [旅]

北海道に行ってきた!北海道は四度目になるのだが。
二度目は、四十年近く前、親族の結婚式に出席しただけ。
三度目だって、二十年も前になるが、
旭川市近くにある剣淵町が主催する、絵本の里大賞を
頂けることになって、授賞式に出席しただけ。
二回とも、ほとんど宿泊先と会場を往復しただけで、
びゅんと飛行機で帰ってきてしまった。

初めていったのは、学生時代で、その時は、
札幌函館周辺を回っただけなので、広い北海道の
ほんのおしっぽを触った程度である。
道東に行ってみたいな、とは思っていたが、
なかなか機会がなく、今回初めて行けることになった。
とりあえず、帯広釧路である。

期待にたがわず、北海道はとても楽しかった。
たったの三泊四日しかできなかったのは
ちょっと物足りなかったものの、内容は盛り沢山!
題して「北海道ミニ」。「見に」と「ミニ」掛けてます。
しばらく続けますので、お付き合いくださいませ。

歌の贈り物 [短歌]

仙台での歌会とそののちの旅行については、
先回までのブログに記したところであるが。
普段は東京で開催している同窓生だけの歌会、
桜楓歌会にご高齢ながら仙台から参加されていたHさんが、
最近大事を取られて、詠草のみ参加になっていたことから、
仙台歌会の企画が生まれ、実現したのだった。

Hさんは、私たちの来仙をとても喜んでくださって、
会場の確保や、温泉へのタクシー手配などを
してくださったのだけれど、そのタクシーで
温泉に着いたとき、運転手さんから
「Hさんからお渡しするように頼まれています」
と、大きな包みを渡されたのだった。
中には、今回の参加者全員+参加予定していて、
風邪のために急遽キャンセルされた方分の
お土産が二つずつ入っていたのである。

帰宅してから包みを開いてみると、一つは
白松がヨーカンだった。その箱がとても凝っていて、
漱石の本を模していて、題は「吾輩ハ羊羹好キデアル」。
東北大学にゆかりの深かった漱石を記念して特別に
作られたものらしい。

もう一つの包みからは、三つの小箱が出てきた。
その二つは、起き上がりこぼしのお人形だった。
Hさんから後で頂いた手紙によると、彼女はこの冬、
自宅で転倒して足を骨折。しばらく入院を余儀なくされたとのこと。
私たちに転ばないように気を付けて、というメッセージを込めて、
この人形を贈り物に選んでくださった、とのこと。

もう一つの箱からは、仙台の「玉虫塗」の玉手箱が出てきた。
美しい七夕の柄である。開くと中には、名刺大の色紙が
収めてあって、小さな愛らしい文字で、何か書いてある。
読んでみて驚いた。それは一首のうただったからである。
最初は、この塗り物のお店は何か、短歌にゆかりのある人が
かかわっていて、商品に短歌を記した紙片を入れているのか、
と思ってしまったのだけれど・・・。

間なくして、KUさんからメールが入り、みんなの受け取った
小箱に、それぞれ違う歌が収めてあり、いずれもHさんの
自作のうたが手書きされたものである、というのである。
ちなみに、贈り物に受取人の指定はなかったので、
どの歌が誰に当たるのかは誰にもわからなかった、とのこと。
あらためてじっくりと、自分が当たった歌を読み返してみる。
読むたびに好きになり、ラッキーだったな、と思えてくる。

同時に、ほかの人がどんな歌をもらったかが気になるところ。
全員の歌を知らせ合い、一覧表にして回そう、ということになった。
私の歌をさっそくKUさんに知らせると、
「まあ、すてきな歌。岡部さんにぴったり!」
とメールが返ってきた。Hさんから了承は得ていないのだけれど、
ここに記したくなった。Hさんの名前を明かさないわけにいかないだろう。

彼女は、私たちの卒業校が大学に昇格した1948年に、記念式典用の
歌の作詞を依頼され、その歌はそのまま校歌に採用されたので、
大学校歌の作詞者としても、名を残されている、原田夏子さんである。
  
  限りなく命のうたをうたふものみなづきのぽぷら揺れやまずあれ
                         原田夏子

仙台×短歌(その10) [旅]

いよいよ、楽しかった秋保温泉を後にすることになった。
みんなの予定はそれぞれで、KUさんは仙台の友人と待ち合わせ
私たちとは別の部屋だった四人は、仙台の海側の方へ行くらしい。
誘われたのだけれど、私は塩竃と松島へ一人で行くつもりでいた。

実は、大震災の後、宮城県、岩手県の太平洋側を訪れたい、と
思ってきていた。Hさんのお話だと
「塩竃あたりはもう、かなり被害の後は見えなく
なっているようですよ」ということだった。

塩釜神社を訪ね、塩にまつわる資料が置かれた
小さな資料館に入った。平日だから、どこも人は少ない。
その後、マリーンゲートに出て、
松島へ行く遊覧船に乗る。乗客は私を含めて八人。
案内の人たちはみんな親切で、私が一人で腰かけていると
「こちらの方が、両側の島々がよく見えますよ」
と導いてくれた。

松島の海はとても穏やかだった。実際のところ、この島々が
自然の防波堤になって、松島町自体の被害はかなり
抑えられたのだという。ただ、養殖の被害は深刻で、
現在ようやく、震災前の八割近くまで回復したところなのだとか。

松島の桟橋に降りると、驚くほど多くの観光客が
行き交っていた。外国語も多々聴こえてくる。
私は海に添って、しばらく歩き続けた。

仙台から帰ってしばらくすると、「塔」の東北
仲間たちが寄稿している『2199日目』が届いていた。
『99日目』から始まって、七冊目の刊行である。
そしてそこには、いまだ生々しい当時の体験、
時間を経たからこそ書けたのだろう、詠めたのだろう、
と思われるエッセイが、歌が、並んでいた。

あるいは、直接の被災は経験しておらず、それゆえに、
立ち位置が見つけられずに戸惑い続けているらしい、
そんな心情を慎ましく語り、詠み続けている人も。

みんな、少しずつ違う。当然である。
でも、大切なことは思い続けていくこと、
あの日のことをいつまでも心に置き、
問い続けていくことだろう、と思う。
(この項、終わります。たくさんのアクセスに感謝いたします)


仙台×短歌(その9) [旅]

秋保温泉にむけてタクシーに乗っていた時、
秋保温泉には、名物おはぎがある、という話になった。
言い出したのは、すでにこの温泉に来たことがあるという
KIさんで、「ええと、なんていうお店だったかな」
すかさずタクシーの運転手さんが
「佐市です。佐勘のすぐ近くに店舗がありますよ」
と教えてくれたのだった。
「とてもおいしくて、遠くから買いに来る人が多いので、
お昼前に売り切れてしまうこともあります」

「その美味しいおはぎ、岡部さん知っていた?」
同乗していたKUさんに、水を向けられて、焦った。
「知らないの? じゃあ、買って食べてみなくちゃ、
あなたはお菓子について、色々調べて書いているんだもの」
ああ、そう言ってくれるのは嬉しいのだが。
ちょっと、気が引けてしまう。失礼な言い方だが、
いなかのおはぎって、だいたいとても大きい。
最近、私は大ぶりのお菓子はなかなか食べきれず、
そのサイズを見ただけでおなか一杯になってしまうこともある。

相棒と一緒の時は、半分食べてもらったりするけれど、
今回は出かけるときに
「お菓子は買わなくていいよ」と、念を押されてきたのだった。
先月まで、『お菓子のうた』の続編を書くためにさんざん
お菓子を買い込んでは写真を撮っていたから。
彼もいい加減、甘いものに食傷気味なのである(気の毒だ)。

磊々峡の散歩から戻り、朝食を終え、部屋でくつろいでいた時、
いきなりKUさんがそのおはぎのことを思い出したらしく
「ああ、もう開店時間の九時過ぎているじゃないの!
岡部さん、ぐずぐずしてられないわよ!」
ふたりで、おはぎ屋さんに飛んで行くことになった。
佐市とは、見かけはごく普通のスーパーで、
その駐車場はもう満車になっていた。店舗から出てくる人たちは、
手に手に大きな袋を下げていて、どれもおはぎ入りらしい。

店舗の中は、もちろん普通のスーパーだから、ほかの商品も
多々並んでいる。その通路の「おはぎ購入の方」と印した、
太いラインが引いてあって、おはぎを求める人たちが、
他の客とぶつからずにおはぎの商品棚からレジへと進めるように
工夫されている。その列にもう三十人くらいが並んでいる。
でも、おはぎはたっぷり用意されていて、まだ売り切れの心配は
なさそうである。前に並んでいるおじさんと雑談していると
「きなこもありますが、やはり小豆が一番ですよ」
とのことなので、KUさんも私も小豆のパックを手にした。
パックには大ぶりのおはぎが二個ずつ入っていて、
一パックが216円という安さ。

その夜の八時近くに帰宅して、恐る恐る
「名物のおはぎ、買ってきちゃったんだけれど」
と相棒に言うと、
「ああ、あの有名なおはぎだね!(相棒の方は知っていた)
 よし、うまいうちに食べよう」
と言ってくれたので、ほっとした。
小豆餡が驚くほどたっぷりかけてあって、コクがあって
なるほど、うまい。仙台なら、ずんだ味の方が上をいく
はずじゃないかな、なんで小豆かなあ、などと考える。

仙台×短歌(その8) [旅]

入浴後は、四人部屋の人たちの部屋で
十時半までお喋りしたあと、部屋に戻って就寝。
旅館の部屋は、キングサイズベッドが二つ並んだ寝室と、
八畳+二畳くらいの居間。TさんとKUさんにベッドを使ってもらい、
私は居間の布団で寝たのだけれど、やはりあまり眠れず。
四時過ぎには起きてしまった。そうっと支度して一人で
新館の方のお風呂に行こうとすると、Tさん、KUさんも
起きてこられて、結局三人で行くことに。

その後、近くを散歩しようということになり、
旅館の受付で尋ねると、川沿いの遊歩道がいい、
入り口のところまで、車で送ります。今はフロントが暇、
ですから。という返事。親切な対応に感激する。

名取川に添ったこの渓谷は、磊々峡と名付けられていて、
一部に遊歩道が設けられている。ここをKUさんと二人で歩いた。
Tさんは、足元が悪いから、と途中で帰ってしまったのである。

ひんやりとした朝の空気をたっぷりと吸い込みながら、
新緑から深緑に変わろうとするこの渓谷を歩くのは、
本当に気持ちよかった。谷底は深く、水はほとんど見えない。
遊歩道は渓谷に添いつ、離れつしながら続く。
素晴らしいのは、川岸の巨岩で磊々峡の名の由来に
なっているのだが、命名者は東北大で独文の教えていた
小宮豊隆氏だということを、後でHさんから頂いた
お手紙で知った。彼は漱石の『三四郎』のモデルになった、
と言われ、本人も自認していたのだとか・・・。

川沿いを暗いほどに覆う木木の多くは楓のようだった。
紅葉の季節はさぞかし、美しいに違いない。
KUさんは、熱心にメモを取っている。
短歌をしている人は、好奇心も向学心も強く、
こういう姿勢から、いつもたくさん教えられてきたなあ、
と改めて思った。ゆうくり20分ほど歩くと、遊歩道は途切れ、
覗橋という橋に出る。ここで、ようやく川の水が見下ろせた。
めまいがするほど深いところに、水はきれいに透き通っていた。

仙台×短歌(その7) [旅]

歌会目的で出かけた仙台だったのに、
やたらと物見遊山の旅話が続いている。
少々、恥ずかしいのだけれど、この旅は、
同行の仲間とのやりとりがとても楽しく、
その思い出を何とか書き留めておきたいという
気持ちも強い。読んでくださっている方も多いので、
もう少し、続けよう。

さて、六時からの夕食は別室になった四人と合流し、
レストランの一角にある個室で、談笑しながら、
ということに。仙台牛、アワビや穴子などの
海鮮料理を堪能した。お酒を頼んでいた人もいたが、
私はその後、お風呂に入る予定だから、と
ビールも飲まなかった。ちょっと残念だったかも。
するとMさんが、グラスに注いだ日本酒
「舐めるだけでも」と味見させてくれた。
すっきりと澄んだ味のお酒は「浦霞」だったと思う。

食後は、部屋に帰ってしばらくくつろいだ後、
さっそく、この旅館の目玉である、お風呂へ。
特に川沿いにあるという河原湯への、期待は膨らむ。
本館の地下にあるお風呂は、檜湯(檜の木片が湯に浮いている)と
もう一つは薔薇の花湯。KUさんとTさんと入ったのだが、
三人でこの薔薇が本物かどうかで、議論になった(よく
できた偽物らしい)。

その後、河原湯に入るつもりでいた。ホテルの案内にも、
河原湯は本館のお風呂から続いた位置にあるように書いてある。
ところが、その通路がなかなかみつからない。
結局、浴場の外から通じているらしいとわかる。
もう一度服を着て、長々と通路を下って、
さらに狭い階段を下りた先、崖っぷちにテラスのように設けられた
細長い湯舟が、それだった。
川風が流れてきて、水音も遠くに聞こえる。
ついでに、外の車の音もするのだけれど。
昔はここから星を見ながら湯を楽しんだろうなあ、
とは想像するものの・・・・。

源泉かけ湯で、ものすごく熱い。
薔薇湯と檜湯を堪能した私はもう、猿の湯あたり状態、
だったので、そそくさと出てしまった。
KUさんが後から「源泉の出口近くは熱いのよ、もっと先の方は
ちょうどよい温度で、気持ちよかったのに」と言われてしまった。




仙台×短歌(その6) [旅]

佐勘という旅館が、外見上、アンバランスな印象が
あるということは、先に述べたが、おそらく後から
客室棟を建増ししていったことによるのだろう。
主屋になっている建物に、飛天(13階建て)山翠(六階建て)
と、少し離れたところに花月(十階建て)の建物がある。
浴場が主屋の方と花月の地下の方にあり、花月の方が近代的な
立派な浴場。主屋の方は、こじんまりとしていて、古風な浴場と、
急な階段を下りて、川に添ってある露天の河原湯とがある。

全体にはかなり複雑な作りになっていて、位置関係は
きわめてわかりにくい。私はさほど方向感覚が
良い方ではないのだけれど、TさんとさんKUさんは、
かなりの方向オンチで、自然な流れで、食事に行くとき、
浴場に行くときは、二人の案内係を務めることになった。
大きなホテルの中を行き来していると、子供の頃、
両親と出かけた、温泉旅館での高揚感が蘇ってくる。
探検だ、と言って妹を連れてあちこちを歩き回り、
結局帰れなくなってべそをかき、旅館の人に
両親を呼び出してもらったこともあったっけ。

三人で簡単にその後の行動予定を立てる。夕食前に近くを
散策し、三か所ある浴場へは夕食後に主屋の方にある二か所、
の浴場へ、翌日の朝に、残る一か所へ行くことに決めた。

少し不安だったのは、非常時の避難経路である。
KUさんと確認したのだけれど、飛天というビルの9階に
当てられた私たちの部屋から緊急時に脱出しようとすると、
建物の外に、まるで煙突のような筒状のなかの
梯子上の階段を降りなければならないのである。
他に非常出口はあったのだろうか。すぐにはわからなかった・・・。

仙台×歌会(その5) [旅]

仙台での歌会の企画が生まれたとき、すぐに
「参加します」と答えていた私。その後の温泉での
宿泊も、その流れで、当然行くつもりではいたのだけれど。
後で、温泉旅館となると、個室ではないなあ・・と気づき、
途端に不安になった。このところ、塔の大会などでも
立派な温泉旅館で行われるということも多々あるけれど、
そのたびに、別のビジネスホテルを確保してきていた。
どうも、人さまとの相部屋だと、よく眠れない。
眠れないときに、相部屋の人に迷惑をかけてしまいそうだ、
と思うと、よけい緊張して眠れなかったりする。

この度の秋保温泉でも、そういうことになったら、
と、当日が近づくにつれ、不安は増したのだけれども。
まあ、一日だけだし、「塔」の大会とも違い、
宿泊の翌日に歌会がある、というわけでもない。
眠れなくて疲れ切ってしまったら、翌日そのまま、
仙台駅に直行して帰京してしまっても、だれにも
迷惑はかけない。そう腹をくくったのだった。

佐勘の入り口に入ると、そこは広いロビーになっていて、
さっそくウエルカムドリンクの、冷たい紅茶がふるまわれた。
これが、素晴らしくおいしい。仙台の銘菓、九重が浮いている、
ほんのり甘いお茶に、みんなで感激する。

部屋のカギをもらい、私たち七人は三人と四人に
別れて入室することに。話し合いで、私は
TさんとKUさんとの三人部屋の方に入ることになった。
お二人ともこの桜楓歌会の創設メンバーで、
特にKUさんは、ずっと会計を担当されてきているし、
Tさんは、今回の秋保温泉での宿泊に関する一切の
雑用を引き受けてくださった方。お二人とも私より
十歳近く年上で、本来ならため口は不可、というところ。

でも、短歌の仲間と言うのは、なかなか不思議なものである。
一年に二度だけのほんの四時間、歌会を一緒にやっているだけなのに、
もう昔からの知り合いのように、なんだかとても気安く
なんでも話ができて、一緒にいるとリラックスしてしまって・・・。
お二人の人柄もあるのだろう。そして短歌を続けているという、
精神的な若さもあるに違いない。一緒にいて、
年齢相応の差異というものを、あまり感じないのだった。

でも、部屋では私はずっとお二人にお茶を入れたり、
お菓子を配ったり、とそれなりに気は使っていましたけれど。

仙台×短歌(その4) [旅]

歌会終了後は、Hさんのご自宅へ案内される。
なんと、歌会の会場からほんの一、二分の場所だった。
大きな三階建て。でも一部が半地下になっていて、
「三層建て、と言うのですよ」とHさんに正される。
半地下は書庫。東日本大震災のときは、書庫の本が
棚から落ちてしまって、片付けるのが大変だったとか。

Hさん宅の前には大型タクシーが二台、すでに横付けされていた。
Hさんが呼んでいてくださっていたもので、HさんとOさん
以外の七人は、これから仙台の郊外にある秋保温泉
一泊することに決めてあったのである。
タクシーの運転手に頼んで、Hさん宅の前でも
並んで写真を撮ってもらう。場所を変えて二度、三度と。

Hさんがご高齢で病気も抱えておられることを思うと、
私たちは、気になってつい、早くおいとましようと
思うのだけれど、Hさんはなかなか名残惜しそうで、
私たちを放してくれない。振り切るようにタクシーを
出してもらうことになった。つい、じ~んとしてしまう。

秋保温泉までは、車で三十分余り。
宿泊先は老舗の「佐勘」。メンバーの一人が
Hさんの意見を聞きながら、ここを予約してくれたのだった。
緑が美しい名取川の渓谷に添って立つ佐勘は、
伊達政宗も愛用したという、古い温泉なのだけれど。

建物は、近代的なビルと、古めかしい瓦屋根付きの建物と
合体しているような、ややアンバランスな感じの旅館だった。