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麺食い一路(その7) [食文化]

今回は、海外で味わった麺料理について書いてみる。

日本のラーメンの原型、と言われる麺がウズベキスタンにある。
ラグマンと呼ばれていて、小麦粉製の、やや細めのうどん、
という感じの麺である。
小麦粉をこねて、手で太めのひも状にし、しばらく寝かせる。
次に四、五本ずつ束ねて両端を手で引っ張り、さらに両端を
併せて引っ張り、と、手延べラーメンと同じ製法で作られる。

タシュケントの有名なお店で、このラグマンを食べた。
やや平たいどんぶり状の器に、うどんに似た麺が盛られ、
その上に、羊肉の角切り、野菜の具などが載せてあり、
脂ぎったスープが掛けられている。スパイスが効いているのか、
と思いきや、さほどでなく。全体にぼやけた味、という印象。
はっきり言って、美味しくはなかったのである。

韓国には有名な冷麺があるが・・・。
麺の味が、いやに無機質な感じがして、私は好みではない。
まるで、ゴムを噛んでいる、と言うと言い過ぎかもしれないが。
スープは美味しいのに、惜しいなあ、と言うのが正直な感想。

イタリアには、もちろんスパゲティがある。
スパゲティは、家ではよく作るし、それ自体は嫌いではない。
だが、外で食べるときはちょっと、躊躇することが多い。
それは量が多すぎること。途中から味が単調に感じられ、
食べることが苦痛になることが多い。
イタリアのスパゲティは、さらに、スパゲティの茹で加減が、
私には合わなかった。やはり、硬すぎる! のだった。

圧倒的に美味なのは、東南アジアの麺料理である。
ベトナムのフォー、マレーシアのラクサ。
シンガポールの海鮮鍋焼きうどん。
タイのニョクマム味の焼きそば。
どれもこれも、たいそう美味だった。

でも、種類の豊富さという点からすると、
やはり日本に軍配が上がるのではないだろうか。

麺食い一路(その6) [食文化]

子供の頃は、大人がざるそばを食べているのを見るたび、
不思議で仕方がなかった。ざるそばは言うまでもなく、
なんのおかずもついていない。麺とつゆと、少々の海苔、
そしてわさびと刻みネギのみ。
何が悲しくてこんな食事をするのか。大人になっても、
喜んでざるそばを食べるような人間にはなるまいぞ、
と思ったものである。ああ、それなのに・・。

頻度は少ないものの、ざるそばを食べる人間に
なってしまった。それも胃腸の問題からでも、
懐の寂しさからでもなく、食べたくて食べる。
食べておいしいと思えるようになっちゃったのである。

お蕎麦のおいしさとは微妙なもの。かみしめたときの
程よい歯ごたえと、香ばしい匂い、ほんの少し苦みの
混じる、ふくよかな味・・・。つゆも大事だ。
だしが効いていて、甘味も辛みもきつくなく、
ソバにうまく絡むことが絶対重要である。

こうした条件が整ってこそ、ざるそばは美味。
不味いお蕎麦はざるでは食べられない。

このように書きつつ、美味しいお蕎麦の入手は、
結構難しい、と思う。いろいろ試してみても、なかなか、
「ざる」に耐えられる逸材は少ないのである。
家では、そのあたりが怖いので、ざるは作らない。

何が多いかというと、我が家ではにしんそばである。

身欠きにしんを一晩お米のとぎ汁につけて、柔かく戻し、
みりんとお醤油で煮つける。ネギと煮込んだ温かい煮汁を
茹でたお蕎麦にかけ、このニシンを載せて、供する。

ニシンとお蕎麦って、東北に住んでいた時は
食べたことがなかった。合わない気がしていたけれど、
これが意外にぴったり。美味なのである。

お蕎麦屋さんでにしんそばを食べたことがあるのだが、
こちらは、ニシンが甘すぎて、違和感があった。
お砂糖を使わず、みりんだけで甘味をつける、のが
コツと私は思っているんだけれど・・・。

麺食い一路(その5) [食文化]

相棒が仕事で、山西省に出かけたのは、十数年前である。

その時に見た、麺作りの様子がずいぶん変わっていて、
心に残ったらしい。
子供の頃、小刀を使って
木の枝などを削って、チャンバラごっこ用の剣を
作った記憶は、昭和の少年なら誰でもあるだろうけれど、
まさに、そのしぐさをしながら
「麺をこういう風に切っては、沸騰したお湯の中に
入れて茹でるんだ」
その名も、刀削麺(タオシャオミエン)というのだそうだ。

石毛直道著『文化麺類学ことはじめ』にも写真付きで
載っていた。その説明によると「太い棒状にした小麦粉の
生地を左手に持ち、右手には三日月形の刃物で
沸騰した鍋の湯の中に、削り落とし・・・」
て茹でるものらしい。短いが麺條のかたちをしている、
と紹介されている。

最初に切り込んでから、手元の生地すべてを
鍋に削り入れるまで、時間差があると思うんだけれど、
出来上がりに、問題はないんだろうか。

刀削麺は、肉味噌入りのジャージャン麺か、
餡でとろみをつけたダールー麺などに料理して食べる。
さらに山西省の味付けの特徴として、
酢を加えるという。刀削麺を供する店では
必ず食卓に、酢が備えられているらしい。

「麺だけでなく、色々な料理に酢をかけて食べるんだ。
これがけっこう、さっぱりしていて旨いんだ」
と相棒は気に入っていた様子だが・・・。

中国語では酢を使うということは、同時に
「やきもちを焼く」という意味にもなる。
そこから、酢を多用する山西省の人たちは
「酢(やきもち)の好きな田舎者」と
他省の人たちから、からかわれるのだという。

「ヤオトンと呼ばれる洞窟みたいなところに
棲んでいる人が多いんだ。僕らが行くと、
どこからともなく、ジャワジャワ集まってくる。

子供がたくさん纏わりついて来て、大きな木の下まで
案内してくれたんだ。そしてみんなで、いっせいに
その木を揺するんだ。ばらばら、沢山実が落ちてきた。
それが、棗なんだよ。あんなにたくさんなるんだなあ。
食べろ食べろって、勧められて、ちょっと弱ったよ・・・。」

彼の話はそのまま、古いおとぎ話のようだった・・。

麺食い一路(その4) [食文化]

相棒は家での仕事が多い人なので、
一週間に四回は、昼食を家で食べる。
さらに、夕食を外で食べる、ということが
ほとんどない。夕食づくりの余力を残すためにも、
昼食はできるだけ簡単なもの、となり、当然麺類が増える。

夏は素麺が便利でいい。何しろゆで時間が短くて
済むもんね。酷暑の時は特に有難いもんである。
問題はおかず。素麺に合うおかず、というのがなかなか
ないのである。

お刺身をつけたことがあるが、これは
素麺(あっさり)+お刺身(あっさり)
と味に重複感があり、今一つだった。

蒸し鶏を作って、棒棒鶏風のおかずを作ってみたが、
それはそれで美味なものの、素麺とはなぜか
微妙に合わない感じがした。

迷っていた時、相棒が急に言い出した。
「テレビで見たんだけれど、缶詰のサバと
素麺が合うらしいよ。山形でよく食べられているんだって?
知ってた?」

ええ~!
私は子供の頃、山形県に住んでいたけれど、
素麺+鯖缶という組み合わせの経験はない。
「最近の食べ方なんじゃないの?」

そう言いつつ、内心はじわ~っと、不安が
盛り上がってきていた。私は正直なところ、
鯖はあまり好きな魚ではない。缶詰となると、
さらに、避けたい感じ。なんとなく、であるが。

でも、一度騙されたと思って、食べてみたら、と
相棒が言うので、やってみることにした。
第一、缶詰なら、手間いらずで有難いことこの上ない。

ただし、野菜が不足しそうなので、貝割菜と、
おろし生姜、みょうが、などの薬味をたっぷり用意した。

食べてみると、これが、うまいのである!
さっぱりした素麺に、やや脂っこいサバが、
実によく絡んで、美味なのだった。
よほどのサバ嫌いでなければ、試してみる価値ありますよ!



麺食い一路(その3) [食文化]

中学時代はテニスに熱中して過ごした。
三年の最後の区大会は、列車で一時間くらいかかる
隣の市の中学校で開かれることになり。

朝早く、部員十人と顧問のK先生(三十歳くらい、独身)と
共に出かけた。試合はお昼には終了し、
さて、どこかで昼食を摂らなければ、となったとき。
K先生は私たちを、小さな旅館風の店に連れて行ってくれた。

十人が一度に食べられるような店が近辺に
なかったからだろう。でも、ここでは、中学生の
懐事情には合わないのでは・・・。と、
子供なりに心配になったのだけれど・・。

お店の人と、先生は以前からの知り合いのようだった。
だが、しかし・・・。
途中から、私たちは決して、歓迎されてはいないらしい、
ということがなんとなくわかってきた。もちろん、
お店の人は少しも表情には出さなかったけれども。

大きな畳の部屋で、私たちはうんざりするほど
待たされた。先生は疲れたのか、部屋のすみで
いびきをかき始めた・・・。

ようやくお店の人が運んできてくれたのは、
人数分の冷や麦だった。たった一枚、
きゅうりを浮かべただけの冷や麦・・・。

私たちは、気が狂いそうなほど空腹だったので、
あっという間に平らげてしまったのだけれど・・。
先生は食べなかった。

食べ終わって店を出るとき、私たちは
支払いをしようと、値段を聞いたのだが、
「いいんだ、いいんだ」
先生はそう言って、手を振るだけ。

あの冷や麦は、先生が店におごらせたのか、
或いは相当に値切ったものだったんだろう。
「ブラック企業」などという言葉が
まだなかったころのことである。

麺食い一路(その2) [食文化]

日本の麺の分布図、のようなものを思い描いてみるに、
東日本はソバ系、西日本がうどん系、地域によっては
それにラーメンが加わる、といった感じ、だろうか。

もちろん現在では、全国展開するチェーン店が増えて、
各地の特色は薄まると同時に、また新たな地域の味が
生まれ、豊富な麺文化が雑居状態、のようだが。

山形県南部で育った私は、麺と言えば第一に
ラーメンだった。米沢・喜多方ラーメン系で、醤油味。
具は、メンマ、海苔、焼き豚、そしてナルト・・・。
今も、ラーメンは醤油味が圧倒的に好きである。

関西で育った相棒は、当初、「え、ラーメン?」
と、いぶかしげな様子だった。彼にとって麺は、
第一に焼きそば、そしてうどん類だったらしい。
さらに、うどんよりもお好み焼きやたこ焼き。
関西粉もの文化にどっぷりと浸って育ち、
ラーメンなんか、どうでもいい、みたいだったが・・・。

日本のラーメンの多様化の歩みに寄り添うように、
ラーメンになじんできたらしいことが、彼の言動から
伺えて面白い。例えば、二十年位前から東京でも
かなり九州ラーメン系の店が見られるようになり、
豚骨ラーメンなどが彼の好みの射程に入ってきたらしい。
その後、試しているうちに、ラーメン好きになり、
今はいろいろなラーメンを楽しんでいる様子。

私は色々食べてはみるのだが、やっぱり、戻ってきて
しまう。そして、十代の初めころに食べた米沢ラーメンほど
美味いラーメンはどこにもないなあ、と思うのである。

麺食い一路 [食文化]

長期の海外生活をしていると、日本の食べ物が恋しくなる。
ご飯はもちろんだが、その次あたりに来るのが私の場合、麺。
欧米にはスパゲティ以外の麺料理というものが、基本的にない。
意外なことだが、中国でもあまり麺料理は期待できないのだ。

もちろん、麺料理はあるし、そのヴァラエティも豊富なんだが、
美味と感じられる料理が圧倒的に少ない。
私は中国北部の長春と、上海とに二か月ずつ滞在した経験が
あるのだが、両方とも、麺料理はことごとく、ハズレだった。

日本の麺料理は、種類が豊富(大まかにラーメン、うどん、そば、
があり、それぞれ味付けも食べ方も多様)なうえ、値段も安い、
ファストフード的な便利さもあり、食べたいときにほとんど
どこででもそれなりの店が見つかる。地域的なヴァリエーションもあり。
麺料理は今や、代表的な日本料理のひとつ、になっているといっていい。

各自が工夫しながら、自分なりの麺料理に仕上げることも簡単だ。
というわけで、これから少し、麺について、書いてみたいと思います。
               (この項、続きます)

ネズミ [生活]

一か月ほど前、JRの町田駅ホームで電車を
待っていたところ、すぐ近くに立っていた
二人の男女が、線路のあたりを指さしながら
何か話し合っている。何気なくそのあたりに
視線を向けて・・・。ぎょっとした。

線路の向こう側に柵が張られていて、
居酒屋らしい建物の裏側が見えるのだが、
その壁下あたりを盛んに走り回っているのは、やや小型の、
黒っぽい、ネズミ、それも数匹、なのである。

二週間前、渋谷に用事があって出かけ、
食事をしようとしてセンター街を歩いていて・・・。
ここでも、道路の端をたたたた、と通っていく、
ネズミに出くわしてしまった。こちらは栄養も良いのか、
かなり大型のドブネズミである。
愕然として立ち止まっていると、すぐ横で、やはり
驚いている人と目が合った。青い目の女性だった。

一週間前、家の近くを歩いていたら、
すぐ目の前を、これまたでかいネズミが、
すごい勢いで横切って行き、石壁高さ数十センチの位置に
設けられている、直径十センチほどの排水筒に、スポン、
と飛び込んでいった。見事なジャンプ・イン ではあった。

一か月で三度のネズミとの遭遇。
知っていたら、カメラ構えてたのにな、と思う。
チャンスを逃さず、写真に収めた
真中朋久氏は「凄い!!!」と改めて思う。
(「塔短歌会」ブログ、2017年2月22日をご覧ください)

The Gift [映画]

最近、WOWOWで放映された映画から。
「ザ・ギフト」は、いわゆる隣人ものサスペンス。
アメリカ映画には、この範疇のものが結構多い。
NYやシカゴなどごく一部の大都市を除くと、
アメリカは広大な田舎で、隣人との距離の取り方が、
難しいからだろうという感じがする。

妻が流産して以後精神的に不安定になったのを機に、
故郷カリフォルニアに転居してきたサイモン。
新居を構え、家具を選びに行った店舗で、
高校の同級生だったゴードに声を掛けられる。

サイモンは彼のことをよく覚えていず、当初は
妻に「いいやつだった」と告げるのだが・・・。
ゴードは夫婦の新居に勝手に訪ねてきて
色々と贈り物をし始める。サイモンはそれを
妻への横恋慕、と疑うようになるのだが・・・。

映画の作りとしては、色々と粗雑な点、
整合性のなさが目につくのだけれど、
これまで見た隣人サスペンスとは
(この映画は厳密には隣人ものとはいえないのだが)
異なる展開に、ちょっと新鮮な印象があった。

つまり、妻に近づいてくる男は、
邪心を抱いた、単なる加害者、というわけではなく、
過去の被害者だった、という点。
彼を通して、サイモンの本質が妻に見えてくる、
というところが、この映画のポイントになっているのである。

とはいえ、あちこちに展開のほころびが見えるので、
お勧め度は3,5点(五段階で)くらいの映画でした。

私のうた(その10) [言葉]

ロバート・マキャモンという作家が好きだ。
(特に初期のホラー作品の方ではなく、中期以降のもの)
惹かれる理由は、彼が主に舞台としている地が
アメリカの南部、それもかなりの田舎町であることが
大きいように思う。

私は子供の頃、東北の小さな町で育っているのだが、
マキャモンの描く世界に、子供の頃に経験したことが
ダブって見えてくるようなことが多々あるのである。
よくわからなかった当時の田舎町の内情というか、
本質が、マキャモンの小説を通して理解できる、
というような経験もしてしまう。

もちろん、小説ゆえの、文学的な誇張もあるから、
必ずしも「真理の発見」とはいかず、往々にして
過去の「よくわからなかった体験」を、
自分なりに想像し、それなりの決着、あるいは展開を
してしまう、ということになるのだけれど。
一冊の小説を読みながら、私はもうひとつ、
私だけの小説を編んでいるような気分になる・・・。

       ****
  はーもにか・しょうねん     おかべふみ

 てつどうの せんろにそって やってくる
 ぶおん ぶおん ぶおっ ぶおっ
 はーもにかの おと

 だぶだぶすぼんに ふるいくつ
 はねられたときの きずあとを
 ぼうずあたまに つけたまま 

 きしゃがすき きてきがすきで
 ぶおん しゃっか しゃっか
 なんども れっしゃを とめたけど

 きょうも はーもにか ふきながら
 あのこがいくよ まくらぎ こえて
 ぶおん ぶおん ぶん しゃっか しゃっか

 だだだだ だだん だだだん だん
 びしびし びしん ぽーぉおおおおー
 あのひはとうとう まにあわなかった

 しゃりんの きしみ きえたあと
 ゆうやけぞらへ ひびいてる
 ぼうずあたまの はーもにか

 (「私のうた」の項、とりあえず、これで終わりです)