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編み物 [生活]

昨年、家の近くの老人介護施設に入所した父母。
二人とも、やや歩行に難がある程度で、
至って健康なのだが、入浴などが難しくなったためである。

特に母は、少々耳が遠い程度で、認知症の傾向もなく
この二月ごろ、「編み物がしたい」と言い出した。
それで、編み物の本などと共に毛糸や編み棒を
持っていくと、さっそく手を動かし始める。

私は週に三度ずつ両親のもとに出かけることにしているのだが
二日後に行ったときは、マフラーというより、小さな襟巻、
といった感じのものが出来上がっていた。

「もう少し、長い方が、マフラーとして使えるじゃない?」
と水を向けたのだが、
「あら、このくらいの方が、すっきりしていいわ。
ブローチかなんかで、とめたらいいじゃないの」
と、反論された。母は今までもずっとそうだったが、
私の言い分に素直に従うような人ではない。

でも、九十才を越えて、まだ編み物ができる、
というのは素敵なことだ、と思い直し、しばらく襟巻と
して、使っていた。純毛だからとても暖かい。

その後も「毛糸を買ってきて」と言われるままに
あれこれと買っていくと、次々に編み続ける。
ただし、まっすぐに編むだけ。
「昔は、帽子やら靴下セーターだって、
すいすい編めたんだけれど、もう目の増やし方とか
忘れちゃったから、無理だわ」

それはいい。でも、同じ毛糸をたくさん買っていっても、
長さが五十センチくらいに来たところで、やめてしまう。
短い襟巻が沢山出来る。ついでに、中途半端に毛糸が余る。

それで、途中でやめてしまった「作品」を
私が続けて編むことにした。編み物は、三十五年ぶりか・・・。

編みながら、思い出した。短歌を始めるようになってから、
編み物の類には、まったく興味を失っていたことに。
でも、母も言うように、手が覚えている。
自分でも驚くほどに指が動き、長いマフラーが出来上がった。

編み物は、何か考えをまとめるときにも、結構効果的かも、
とも思う。無心に編む楽しさ、というのもあるかも知れない。

「ねえ、また糸を買ってきて」
「毛糸、まだたくさんあるじゃない」
「毛糸は冬物でしょう?これから編むんだから、
サマーヤーンがいいわねえ」

ふうむ、また短い襟巻が沢山出来るのか、
とちょっと気が重くなっている・・・。

ペナントレース [スポーツ]

日ハムがドロドロ沼の十連敗である。
昨日の栗山監督の誕生日さえ(栗山さん、大好きの私)
その悪の連鎖から逃れられなかった。投手は立ち上がりが悪かったとはいえ、
その後は失点することなく、なんとか持ちこたえていたのに、
如何せん、打線がつながらない・・・。ああ、神よ、お慈悲を!

と思っていたら、相棒がひとこと、
「ここはロッテ頼みだな」
って、ひどい(チームとして私が一番応援しているのは、
このところ、ずっとロッテである)。
よわいとこ同士が食い合ってどうする!?

日ハムが出足から苦境に陥るのではないか、ということは、
私はなんとなく気が付いていた。それは「WBC」の項のところで、
書いている。
この春の不振は、WBC抜きには考えられないっしょ・・・。

パリーグは、昨年と今年のシーズンの間に、
いわば「大貧民」の「革命」が起きちゃった状態である。
ソフトバンクはチームの底力があるから、これから
立ち直ってくると思うけれど。
日ハムとロッテは、何か大きな変化がない限り、
難しいかもしれない。はむいはむ、いや、寒い春
である・・・。

みかんの季節 [食文化]

今、スーパー果物売り場に行くと、
一番目を引くのが、かんきつ類。
伊予柑、ポンカン、オレンジ、甘夏、
ジューシーオレンジ、グレープフルーツ・・・。
売り場全体が黄色く見えるくらい。

我が家でも甘夏の木を植えていて、三週間くらい前に、
収穫を終えた。二メートル足らずの木なんだけれど、
全部で、二百個近い収穫があった。自家用にはそのうち
五十個くらいを確保。残りは全部、ご近所の方に
差し上げました。キイチゴなんか頂いているし。
喜んでもらえるのが一番(家で食べきれないし)。

そのうちの五個を使って、恒例のジャムづくりも。
きれいに洗った甘夏を二等分して、果汁を絞り、
中の袋は捨てる。皮をできるだけ細く切り(これが
結構手間です)、水を何度も入れ替えながら、あく抜きする。

この刻んだ皮と果汁を合わせて、一晩冷蔵庫で寝かせる。
翌日、ホーロー引きの鍋に入れて、中火で煮始める。
だいたい、二十分くらい。そのあと、全体の重さの
六割くらいの砂糖を二等分して、鍋に入れて煮ていく。

家じゅうが柑橘の匂いいっぱいになって、
最初は良い気持ち・・・途中から、ちょっと
いやになって、めいっぱい窓を開け、換気もすることに。

そうして、八百グラムほどのジャムができました。
苦労しただけあって、素晴らしくおいしい。
私は毎朝、ヨーグルトに入れて食べている。
夏みかん、まだ残っているし、ジャムはどんどん減るので、
もう少し作りたいんだけれど・・・。
気力が出ない。そんなこんなで、ミカンの季節も過ぎていきます・・・。

藤沢周平体験(その8) [短歌]

藤沢周平の長塚節を描いた小説の『白き瓶』という題は
次の歌からとられている。

 白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり
                長塚節

平福百穂の秋海棠の絵に対する画讃の歌で、
この歌について、久保夫人と語り合う場面が、
小説の巻末近くに置かれている。
画讃とはどうあるべきか、自分がどういう思いを込めて
この歌を詠んだのかが、語られる。いや、藤沢が
節の心を裡を伺いながら、なり替わって語っているわけで・・・。

その部分が、私にはとても面白かった。特に眠れない中、
ふと一首のうたができて、それをきっかけとして、歌ができ始め、

  ・・白埴のの歌はこの時期にできたのだが、節にはこの歌が、
  長い間心の中で歌の形をとるのを待っていて、できたときには
  その待っていたものがようやく心の深部から出てきて日の目を
  見たような気がしたのである。

という部分は、なんとなく自分にも同様の経験があるような、
節と同じ気持ちを共有できたようにも思え、心惹かれたのだった。

一首のなかの「霧ながら」は、現代の読み手にはわかりにくい表現だが、
藤沢が綴っているように、この措辞こそが眼目ともいえそうである。
霧が出ていて、視界は曇っている。でもその中にあえて歩みだし、
朝の水をくむ。視力が利かない分、皮膚感覚は鋭くなっている。
その鋭さが、まっすぐに冷たい水に繋がっていくのである。

この場面に限らず、歌を巡っての様々な解釈、あるいは歌人同士、互いの歌を
評価、鑑賞し合う部分はこの小説の中で最も興味深かった。
伝記的な記述は減らして、もっとこちらの方を書き込んで
欲しかった、と思えるくらいに。
藤沢は俳句はやっていたようだが、短歌はどうだったのだろう、
と不思議にも思えたのだが、短歌の鑑賞には、先日亡くなられた
歌人の清水房雄氏が、藤沢にいろいろと助言していたらしい。

巻末には二人がやりとりした手紙が付されていて、こちらはある意味、
小説より面白い、って、まあ、歌をやっている人間だからこそ、
かもしれないのだけれど。

『白き瓶』を読み終わった後、また何冊か、藤沢の
江戸期を扱った小説を読んだ。でも、何か物足りなく
思えるようになってしまっていた。『白き瓶』を読んでしまった今、
もうこれ以上の藤沢作品に出会うことはないのだろう。
永田和宏さんのあの言葉を聞いたときに、
もうわかっていたことのようにも思えるのである(この項、終わります)。

藤沢周平体験(その7) [文学]

藤沢作品を読みながら、期せずして、
ずいぶんと色々なことを考えることになった。
この作家の多面性、つまり、エンターテイナーでありながら、
本格的な作家論に通じるような作品も書いていたこと、がひとつ。
そして、山形県出身(私も幼少期を過ごした)である、ということが大きい。

先回、『白き瓶』の中の一節を引いたが、この文章を
読む限り、藤沢は左千夫よりもずっと、茂吉や節の方に近い。
つまり郷土の自然に対する強い愛着を持って
表現に向き合った人、といえるだろう。

『乳のごとき故郷』(文芸春秋)は、藤沢の死後、
彼があちこちに書いた故郷にまつわるエッセイ
集めて出版された本だが、これを読むと、彼が
どんなふうに故郷を思い続けていたかがよくわかる。

特に、「緑の大地」と題された文章には、
「庄内人の穏やかさというものを指摘されたことがある」
として、かの地が藩主酒井の善政のもとにあったこと、
それを支えたのが、豊かなコメどころだったことなどを挙げ、
ほほえましいほどの「ふるさと自慢」を展開している。

同じ山形県であるが、こうはいかなかったなあ、
と自分が育った、南西部の小さな盆地のことを、しみじみ
思い返してしまう。一年の半分は、一メートル以上の
雪に閉ざされていたその町のことを、忌々しく思うことはあれ、
懐かしく思い出すことなどまったくないのである。

とりあえずは、歌の材料にはなる。自然を見るときの、
折々は、負の方向からであるが、それなりの鋭さは
磨かれたのではないか、と(そう思わなければ、
当時の記憶があまりにもみじめである)。

とはいえ、『白き瓶』を読んで、ようやく気付いた。
藤沢然り、茂吉に然り、愛した方が勝ち、
愛し続け、思い続けることが、表現者にとって
(憎み続けることより)はるかに大きな財産なのである。

藤沢周平体験(その6) [文学]

そんなこんなで、永田和宏氏が『白き瓶』を
称賛されるのを耳にしてから二十四年もして、
ようやく私は、この書を読もう、ぜひ読みたい、
読まなくちゃ、という気持ちになったのである。

この書はほかの藤沢作品に比較すると、
異例の大冊である。文庫本でも500ページ近くある。
それでも、読み始めたら早かった。
私にとって、それだけ魅力的な書だった。

山形出身の藤沢だが、惹かれたのが茂吉ではなく、
なぜ長塚節だったのだろう、という疑問を
なんとなく抱いていた時期もあったのだが、
少しずつ、納得できる気持ちになっていた。
農村社会の旧弊、そして病気とに最後まで痛めつけられた、
長塚に対する思いは、また藤沢自身が味わってきた
ことから来たものに違いないのである。

この書でなんとも魅力的なのは、伊藤左千夫である。
豪胆にして繊細、狡猾にして無邪気な
なんとも破天荒な人物として、実に生き生きと描き出されていて、
圧倒されるのである。節は彼に翻弄させられ続けるが、
かといって、最期まで憎むことができない・・・。

茂吉はこの書の中では冒頭近くに登場している。
長塚節の代表作ともなった
  馬追虫(うまおひ)の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし
を含む「初秋の歌」12首を、茂吉が絶賛する、という場面からである。

この茂吉の描き方にも、藤沢の、「地方人」に対する鋭い観察眼が
注がれている。

  しかし甲之も左千夫も、山形県南村山郡金瓶村の農民の子である自我を
  強烈に保ち続ける茂吉ほどに、この歌に興奮したかどうかは疑問である。
  そこ(「初秋の歌」)には、初秋の相をうたって、農村、山村に育った
  人間ならば容易に気づく把握の凄味とでもいうべきものが現れていたの
  だが、その凄味というものは、都会育ちの人間、あるいは甲之や左千夫の
  ように農村の出ではあっても生地の風土に茂吉ほどの執着を持たない
  人間は、あるいは見過ごしかねないものでもあったからだ。
                        藤沢周平『白き瓶』

藤沢周平体験(その5) [文学]

藤沢周平原作の映画を見始めたころ、
この作家が山形県出身であるということを知った。
私は中学を卒業するまで山形県で暮していたので、
親近感が生ずるということはあったが、実はかなり薄い。

というのも、私が育ったのは新潟県境近くの
県南西部で、藤沢の出身地である庄内には遠い。
山形県に住んでいた時は、新潟へは頻繁に出かけたが、
庄内には一度も行ったことがなかった。

ところで、関西出身の相棒はいつも
「山形って、人材輩出度が低いよね。
有名なスポーツ選手、いる?俳優とか、歌手とか、
学者とか、いる?ほとんどいないでしょ?」
と、バカにしまくっている。

「いるよ、歌手は岸洋子(そういえば、歌手っていないなあ)
俳優は渡辺・・ええと、なんて言ったかな、
私と同世代の太っている女優、それから、スポーツは
広島にいた栗原(あ、彼最近出てないな)・・・。
学者は私が一時入学した(父の転勤で、すぐに転校することには
なったが)高校の出身者でもある法学者の我妻栄・・・」

「我妻以外は、ほとんど大したことない人ばっかり、じゃない。
山形出身の有名人なんて、ほとんど聞かないよな」
と、一方的にけなされる。

「あ、作家はいるじゃない。天下の斎藤茂吉、
それに井上ひさし・・・(うう、少ないかも!)」
藤沢を知ってからはそこに加える人名が一つ増えたわけだが。

人口少ないし、それに山形県人の多くはシャイで、
地道に自分の道を歩く人が多い。世の中で目立とう、
なんて考える人は少ない結果じゃないだろうか。

それでも、藤沢の書を読んでいると、
ああ、山形の人だ、と思える瞬間が何度もある。

藤沢周平体験(その4) [文学]

藤沢周平の作品を時々、思い出したように
手に取ってきたのは、多くは短編で、
待ち時間などがあるときに用意していくと便利だったから。
内容も肩の凝らないエンターテイメント系で、読みやすい。

ところが、昨年、『一茶』を読んで、この作家の印象が
大きく変わってしまった。ご存知、北信濃出身の俳人の、
伝記風の作品だったのである。

一茶なら、小学生の頃からその作品を知っている。
「やれ打つな蠅が手をすり足をする」
「痩せ蛙負けるな一茶これにあり」
などという俳句は、子供にもわかりやすく、
優しく素朴な文人なんだ、とずっと思ってきていた。

でも、藤沢の『一茶』には、まったく衝撃を受けた。
そんな一茶のイメージを大きく変える、
なんというか、ものすごくしたたかで
豪胆な人物として描き出されていたからである。

俳人として江戸でそれなりに名を挙げた彼は、
だが、もちろん、俳句だけで食べていくことなんか
できなかった。それでどうしたかというと・・。

彼は俳句に理解のある豪農や豪商に近づき、
援助してもらえるように立ち回る。
「地方で句を広めるための旅に出る」
といっては餞別をもらい、それを生活費に充てる。
地方では各地の豪農宅に泊めてもらって、
そこで句会をしながら、しばらく糊口を凌ぐ・・・。

なんだか、今の歌人の実態とそう大きくは変わらんような・・・。
藤沢は一茶の作品に惑わされず、その実態を冷静に、
かつ冷酷に暴いているように読めたのだった。