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藤沢周平体験(その3) [文学]

先回は触れなかったけれど、映画「たそがれ清兵衛」を
見たあたりから、『白き瓶』の作者像が江戸のチャンバラものも
書いていた作者に、近づいてきた感がした。
当初に感じた齟齬感は、少しずつ消えていき、
この作家への興味は少しずつ膨らんできて・・・。

一冊の時代物小説を手に取ったのは
それでも、永田和宏氏のあの『白き瓶』称賛の言葉を
耳にしてから二十年近くも経っていた。今は、
始めて読んだ藤沢作品が何だったのか、思い出せない。
ただ、何かとても悲しい内容のものが多い短編集だった。

この作者は、古い家父長制、男尊女卑、地方と都市の格差、
階級の格差などに敏感で、それらによって生まれる
どうしようもない不幸を表現しようとする作家
でもあるらしい、と、ぼんやりとながら理解できたのであるが・・。
最も魅力的に思えたのは、叙景の表現がとてもうまいということである。

  荒れ地を横切る間に、小暗い視界に乳のような
  白い光がまじり始めていた。夜は大急ぎで
  朝と交替しようとしているらしかった。
  上流は端から十間ほどのところで急に左折して、
  水路は日にかがやく青葉の奥に消えている。
  ・・・十七の若さはその地味な装いを内側から
  突きやぶって、外に現れずにはない。・・・・
         藤沢周平

これはたぶん、『決闘の辻』の一部だったと思うのだけれど、
ちょっと今確認できないでいます。すみません。
(この項、続けます)

藤沢周平体験(その2) [文学]

十数年前、相棒が「『隠し剣 鬼の爪』って映画、
面白そうだよ、観よう」と言うので、一緒に見た。
なかなか面白い映画だった。
特に、隠し剣なるもの、その名の通り、最期まで
どんな武器なのか、どのように使われるのか、わからず、
はらはらしながら、引き込まれてしまっていた。

この映画の原作者が
フジサワシュウヘイ、と耳にして、あれ、あの
『白き瓶』と同じ作家? 同姓同名? と思ったのだった。
同じ人物か? いや、違うんじゃないか、と思ったのは、
映画の「隠し剣」は、エンターテイメント系の
原作をもとにしているだろうという感じが強かったから。
こんな楽しい小説を書く人が、わざわざ長塚節なんかの
自伝に手をつけるもんか、なんて思ってしまっていた。

フジサワシュウ、とか紛らわしい作家もいるし・・・と、
はっきりとはしないまま、確認することもなく、
私は続いて、隠し剣と同じ原作者の作品をもとにした映画、
「武士の一分」や「たそがれ清兵衛」などを見続けた。
読みたい小説や歌集、調べなければならない資料、
自分なりに勉強しなければ、と思える分野もあり、
この時点でもまだ、私は本当の藤沢周平に出会っていない。
(この項、続けます)


藤沢周平体験 [文学]

藤沢周平という作家に興味を持ったのは、
もう二十四年も前のことになる。
私が所属する短歌結社「塔」で、かつて東京大会という
会が行われていた。今は選者派遣制度もでき、また
関東圏の会員も劇的に増えたので、無くなってしまったのだが、
当時は一年に一度、京都から選者に来てもらっていたのである。

その後の、二次会の場で、永田和宏氏が誰に言うともなく
「藤沢周平って、いいよなあ。最近、『白き瓶』読んだんだけど・・」
と仰ったのである。私はそれで『白き瓶』なる本を図書館で
手に取ってみたのだった。でもそれが長塚節の伝記らしいと知って、
にわかに気が引けた。学生時代、『土』を読みかけて、
そのあまりの暗さに、げんなりして、とん挫した記憶が蘇った。
また、『長塚節歌集』も読んだことはあるが、特に心
惹かれることはなかった。『土』に感じてしまった
陰湿な風土性が大きく読みに影響していたこともあるだろう。
こういう文学者に興味のある作家、ということは・・・。
と思ったとたん、『白き瓶』を棚に戻してしまっていた。

藤沢の作品に再び興味を持ちだしたのは、
江戸時代のチャンバラものも書いている、
と知ってからになる。(この項、続けます)

犬の声 [生活]

近所で犬を飼っている家は少なくないけれど、
我が家のすぐ近くのSさん宅の犬は、外に繋がれて
飼われているせいもあって、その声がよく聞こえる。
この犬は、日本犬(紀州犬か?)の血の濃い雑種犬。

我が家で、柴犬を飼っていた当時のことを多々
思い出させてくれるような鳴き方である。
我が家の犬より、警戒心が強くて、
ちょっとしたことで、よく鳴く、という印象はあるが。

犬を飼ってみてわかったのだが、犬の声というのは
実に多様で、まるでおしゃべりするように鳴き分けるものである。
犬の鳴き声というと、「ワンワン」が有名だけれど、
こういう鳴き方をする場合は実はとても少なかった。

犬種によって鳴き方は異なるだろうけれど、
我が家の犬は、警戒するときだけ、鋭く「ワン、ワン」
と鳴いたが、普段はそれこそいろいろである。

よく耳にするのが、鼻を鳴らすような
「ヒーン、ヒーン」で、これは散歩をねだるとき。
この声より鋭く、
「ヒユーン、ヒユーン」
と鳴くときは、おなかがすいたとか、
排泄がしたい時が多い(犬は自分の寝処の近くではしないのである)。
「ヒン、ヒン」
と低く短く、鼻を鳴らすときは、寂しいときである。
飼い主である私や相棒はあまり聞いたことがないのだが、
近所の人から、「ああ、お留守なんだな、ってわかりますよ」
と言われて、愕然としたことがある(まるで、逆番犬じゃないか)。

家の中から両掌を下にしたまま上下させて、「お出で」
という仕草をすると、我が家の犬は小さく
「ウォン!」と鳴いて、玄関に向かって走ってくる(庭で放し飼いしていた)。
この「ウォン」は、「合点だ!」と言っているように聞こえた。

「ヒユーン」と催促されても、こちらに用事があって、
ちょっと対応できないときもある。そうして放っておくと
やがて「ウィーン、ウィーン」と
それこそ聞いていて切ないような悲しげな声に変わる。
こうなると、ああ、しょうがないなあ、と
私もやりかけのことを置いて、犬のもとに駆け付けることになるのだった。

今日は雨が降っていて、Sさん宅はお留守らしい。
犬が「ヒュュューン」と悲しげに鳴き続けている。
ああ、何かしてあげれるのなら、と思いつつ、
ここはじっと我慢。つらいところである。

短歌と文章 [短歌]

「塔」という短歌結社に所属している私、
毎月、十首の詠草を提出しているが、締め切りは二十日。
さらに編集委員もしていて、塔が発行になるとすぐ、
作品掲載者から八名を選んで、一首評という欄の
執筆依頼の葉書を出している。

塔の発行日はこのところ、12~15日あたり。
ということは、一首評以来の葉書を投函後、
一息ついてすぐ、自分の詠草作成にとりかかれば
間に合う、という手順で来ていた。でも今月は、
塔の到着が遅れ、16日になっても届かなかった。
気をもみながら、なんとか一首評依頼は見切り発車で、
送付したのだけれども。

ああ、問題は詠草作成の方である。
ぎりぎりまで、あれこれと文章を書いていたせいか、
頭が韻文モードにならないのである。
こういう時は本当にいらいらするし、落ち込むし。

昨日はあちこち歩き回ったりして歌の素材を探したけれども。
まったく、落ちてはいなんだ・・・。

今日出さなければ間に合わないので、仕方なく、
ノートほじりに精を出すことに。
これは、ボツにしていた歌の中から、
少しまし(と思われる)なのを引っ張り出して、
作り直しするもの。
幸か不幸か、ボツの山はあちこちにあり、
十首はなんとかなった。
もう少し、短歌にも時間を割かなくちゃ、と思いつつ。
短歌ばかりやってちゃ、アホにな・・・
いや、というわけではなく、その、なんというか、文章を書くときの頭と、
短歌作る頭が違うので、切り替え悪いだけなんだよな
(と、なにやら、わけのわからないことになっちまった)。



WBC [スポーツ]

WBCって、どうなんだろう?
ペナントレース開始前の
選手には負担が多すぎるんじゃないだろうか、
なんだか、アメリカの利益にしかならないみたいだし。
それに、今年は、選ばれているのがパリーグに偏っていやしないか。
日ハム、こんなに投手提供しちゃって、いいの?

とかなんとか、WBCが始まるまではいろいろと
ぶつくさ言っていた私だけれど、ああ、やっぱ、
日本人だ、ついつい熱くなって見てしまっていた。
夜七時始まりなんて、遅すぎる、とぼやきながら。

結局、日本の選手が活躍しているのがうれしくて、
でも、ほかの国の選手で、日本で活躍中、あるいは
活躍経験のある選手が出てくると、またなんだか
うれしくて応援したりして(困ったもんだ)。

四年に一度なんだから、まあいいか。
でも、ペナントレースが始まったり、
きっと、WBCなんか、やっぱ辞退すべきだったんだ、
と思うことが多々ありそうで、今からコワイ。


おいしもん話(その9) [食文化]

最近はラーメン屋さんなどに酸辣湯麺などというメニューを
目にすることも多くなった。この酸辣湯、麺ではなく純粋な
スープとしての料理の方だが、三十年余り前、アメリカにいた時、
同じ英語学校に通っていた台湾出身の女性から、作り方を教わった。

彼女の作り方だと、豆腐、ザーサイ、キクラゲ、など
具沢山で、それだけでもメインディッシュになりそうな一品だったが、
私はたとえば、青椒肉絲とか、酢豚とか、エビのチリソース炒めなどを
作ったときの、副菜的な一品として利用しているので、材料はごく少なく、
つまり、卵だけで作ることが多い。こうすると、主菜の方が引き立つし。

作り方は極めて簡単である。水溶き片栗粉大匙一、酢、ごま油、卵一個
醤油、塩を用意する。これで二人分である。
鍋にカップ二杯半くらいの水を沸かし、塩と醤油で、
やや薄味のお吸い物くらいの味をつける。
火を弱めて、水溶き片栗粉を流しいれ、少しとろみがついたところで、
やや強火にして、溶き卵を(やや高いところから、細く)
流しいれる。こうすると、口当たりがよくなる。
火を止める直前に、酢を入れ、
火を止めてからすぐにごま油を垂らすとできあがり。

ちなみに、私が一番感動して食べた酸辣湯は、
実はハンガリーの街角で偶然入った中華料理店のもの。
すごくおいしくて、翌日もまた入って、
酸辣湯を注文した記憶がある。

中欧の食事に飽きていただけだったのかもしれないし、
実際にものすごく、美味な酸辣湯だったかもしれなし。
それはもう、わからないし、確かめようもないのだけれど。

おいしもん話(その8) [食文化]

最近の食を巡る状況は、実に
便利になってきている、とりわけ、作る人、にとって。
特に冷凍食品、レトルト食品の充実ぶりはすごい。
私は冷食はほとんど利用しないのだけれど、レトルトの方は、
いざという時のために、常時、何種類か買い置きしている。

風邪をひいたときのための、おかゆとか、
天候悪化の時に利用したい、シチュウ、カレーの類が多い。

レトルトカレーは、中村屋のものやタイカレーなんかを
利用してきていたけれど、これらを一貫して我が家では
「ポン・カレー」と呼んでいた。というか、相棒がそう呼ぶので、
私もただ、それに倣ってきただけである。
レトルトカレーの老舗、大塚のカレーがその名前なんだろうな、
と漠然と思ってきた。でも、このメーカーのものは、
一度も購入したことがなく、知らなかったのである、
なんとなんと、本当の名前は「ボン・カレー」だったということを!

ごく最近、スーパーの棚のその商品を見て、はっとした。
家に帰って、相棒に言うと、にやにやと笑われてしまった。
「へええ、知らなかったの!?」

ああ、また騙されていたんだ。まったく・・・。
味も値段も扱い法もお手軽なこのカレー、
「ボン」っていうより、「ポン」って感じだろ?
そう言いたげな相棒の表情であったけれど。

あまりおいしくはないレトルトカレー、ただ
救荒食品として利用してきたけれど、
大塚のものは、さらに手が遠のきそうである。

おいしもん話(その7) [食文化]

初めてタイにでかけて、かの有名なスープ、
トム・ヤン・クンを口にした時の衝撃ったらなかった。
辛いの辛くないの、っていうより、あまりの刺激に
あらゆる味覚がマヒしてしまった、という感じ。
私には食べられない、と思ったことだった。
ああ、それなのに・・・。

しばらくすると完全に虜になってしまっていて・・。
帰国してからも、その味が忘れられなくなり、
都心にある、小さなタイ料理店(かなり本場の味だった)
へ、ときどき通うほどの、中毒状態に。

身近で材料が調達できるとわかってからは、
自分で作るようになった。特殊なペースト、それに
ニョクマム(輸入品でなければうまくいかない)レモン汁、
がそろうと、かなり本格的な味に仕立てられる。
レモングラスとか、フクロダケがあるとさらにいいけれど。
なければ、シイタケで代用してもいい。

トムヤンクンのクンとは、エビのことで、鶏が入ると、
トムヤンアヤム、となる。エビや鶏の代わりに白身のお魚でも、
美味しくできる。この場面では、香りのあるタイ米が
食べたくなる。今はタイ米も入手できるお店があるんだけれど。
なんだか、びっくりするほど高い。
タイ米って、二十年位前までは安いお米の代名詞だったのになあ。

都心にあった小さなタイ料理店も、大きなビルの中に入ってから、
格段に味が落ち、客足が遠のいたのか、いつか、無くなっていた。
都心に出かける楽しみが一つ無くなって、寂しい。

おいしもん話(その6) [食文化]

夏になると、いや、真夏ではなくとも、
我が家では割合と頻繁にゴーヤチャンプルーを
食卓に出している。一つの大きな理由は、
野菜に好き嫌いの多い相棒が、ゴーヤは
比較的食べてくれる、から(結構気を遣うのだ)。

数年前、奄美大島に行った時に食べたゴーヤチャンプルーの
美味しかったことは、今も舌がしっかりと覚えているのだが。
家でその味を再現するのはかなり困難である。
その後、沖縄でもゴーヤチャンプルーを食べてみて、
奄美のものより、劣る、と感じた。
味の決め手は、奄美大島の麦みそにあるらしい、
と気が付いたのである。

麦みそのほんのりとした甘さと、そしておそらく、
調味料に現地の黒砂糖も使われているのだろう。
くどさの全くない、けれど静かな奥行きのある甘さが、
この料理を密度濃い味に仕上げているように思える。

自分でゴーヤチャンプルーを作って、食べるたびに
いつも奄美で味わったいろいろな
美味しい食べ物のことを思い出す。
田中一村の絵や、島を吹き抜ける猛烈な風の音や、
サトウキビの葉のそよぎや、月桃の葉の匂いや・・・。
ときどきは、それらを思い出すために、
ゴーヤチャンプルーを作っている。