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口語短歌(その2) [短歌]

「塔」一月号には、十月号に掲載されていた
十代・二十代歌人特集の批評が寄稿されていて、
評者の山田航氏がこんなくだりから展開している。
「…作品を読み通してみて、目を引いたのは
口語の成熟ぶりです。口語定型のリズムを自家薬籠中のものとし、
見事に使いこなしてポエジーに消化している歌人が見られます」

冒頭に選ばれている歌三首は
 うってつけの石があったら投げようよ夏盛り、鴨川のほとりに 
                        阿波野巧也
 宮殿もかつては立派だったのか。兵士のようだ、低い枯木は
                        千種創一
 本閉ざす一瞬にさくほそき闇、みましたか、それを手渡されてゐる
                        薮内亮輔


三人ともさすがにうまい。そして個性もしっかりと出ていて、
その差異を面白く読んだのであるが・・。

例えば阿波野氏の作品は、青春期のみずみずしさ、
清新な心弾みが、口語の形にぴったりと合っていて、
今まさに、幸せな出会いの時間を過ごしている、というように
読める。使用期限があるような、鮮度抜群の口語、と感じる。

千種氏の口語。第一歌集『砂丘律』も
読ませてもらって、そのうえでのことだが、作歌するうえでの
大方の舞台である、中東の、その危機的な状況が
この口語を鋭角的に立たしめている、という感じがしてしまう。
たとえば、日本の日常ではどうなのだろう、という疑念を
少なからず持ってしまうのである。

薮内氏、角川賞や塔短歌会賞の応募作品や受賞作品など、
量的に一番読ませてもらってきているし、彼の実力は
だれもが認めるところ。私もそうだが、周りには彼の作品の
ファンがたくさんいる。でも、この一連を読んだときは、
ちょっと怖かった。もちろん、作品の魅力は十分に
感じたうえで・・。

口語は文語に比べると、不安定で危ういなあ、
と思ってしまう。それは若さの危うさなのかもしれない。
安定した口語こそが、つまらないのかも・・・。             

口語短歌 [短歌]

もう四、五年前になるが、短歌を共に詠む友人A
(当時三十代で高校の教師)が、
「最近の子は、例外なく口語でしか短歌をつくらないんだよね」
と言っていた。このままじゃ、文語短歌は無くなるんじゃないかな、と。
彼女は文語に軸を置いて歌を詠む人。同世代でも、口語の人って
多いしね。と少し心細そうな口調である。

文語短歌に惹かれて、というか短歌は文語、と疑わずに
作歌してきた私は、最近の風潮にちょっと戸惑う。
どっちでも、良い歌は良いんだから、と思いつつ。
最初から口語で作れ、と言われたら短歌にこんなに
惹かれることはなかったんじゃないだろうか、
と思うのである。文語の、非日常的で、
何か遠い過去と繋がれるような、
どこか呪術的な匂いもする言葉の力に
ずっと魅入られてきたからこそ、短歌を続けてこれた、と思う。

最近、短歌作っていても、自分でどうなんだろう、
と少し自信を失うことも多くなった。
相棒にぼやいたら
「おんなじことばっかやってて、自縄自縛に
陥ってるんじゃないの。違う方向性を考えなくちゃ」
「違う方向?」
「たとえば、口語で詠むとか・・・」

ふ~む。
今まで、口語で短歌を作ったことはあるが、
口語にしよう、と思って作ったことはなかった。
つまり、意図せずに作れて、出来上がったときに
口語だった、という歌しか、自分にはない。
ここで、口語短歌について、考えてみようという気になっている。
(この項、続けようと思います)

板と溝 [文学]

池澤夏樹という小説家を初めて私に勧めてくれたのは、
短歌を通じて知り合った友人(とはいえ、私の母の世代の方)Tさん。
九十年代だったと思うが、私は二十一世紀に入ってから
読み始め、今も時々思い出したように池澤作品に手を伸ばす。
言葉を愛する人だったTさん(先年亡くなられた)らしい
好みの作家だなあ、と思いつつ、彼女と池澤作品について
語り合う機会がなかったことを悔やんでいる。

『池澤夏樹の旅地図』を読んでいたら、彼にしては珍しく
幼年期の追憶をつづった文章があり(「おびひろ1950」)
東北地方でやはり少女期を過ごした私には懐かしい箇所が多々
あって、ついのめりこむように読んでしまった。
ここでは、細部の記述が抜群に良いのである。
そして読みながら、忘れていたことが次々に浮かんでくる。
たとえば、

 石炭庫の入り口の戸は何枚にも分割した横長の板を上から
 落とし込む仕掛けになっていた。・・・・最初は上の方から
 掬って使うが、日がたって量が少なくなると、入り口の板を
 一枚、また一枚と外して、そこの方に残った分を取り出しやすくする。

私が子供のころに住んでいた家では暖房は木炭、電気、石油などを
併用していたが、石炭は使っていなかった。で、この石炭庫なるものは
知らないのだが、溝にはめ込まれた横長の板には、記憶があった。

それは学校の窓の外側に設けられていて、ガラスを雪の被害から
守るためのものである。積雪量が少ないときは、下から二、三枚、
積もるにつれて、板の枚数を増やしていくのである。

私が育った町は帯広などよりはるかに積雪量の多い地域にあり、
時に二メートルを超えることもあったから、雨戸のない
校舎の窓ガラスは、積雪に押されて割れてしまう恐れがある。
それを守るためのもので、当然教室内は暗くなり、
授業中は昼でも点灯することになった・・・・。

こんなことをありありと思い出してしまったのは
この「おびひろ1950」を読んでいて、
(石炭庫の話は、末尾に近い方に出てくる)
あの北国で暮らした日々が、少しずつ脳裏に
よみがえってきたせいに違いない。

記憶は一つの小道のよう、と池澤は書く。
何度も何度も繰り返されるうちに出来上がっていくもの、と。
私はこのとき、池澤の作った小道を通って、
自分の記憶にたどり着いたような、不思議な経験をした気がする。

最愛の子 [映画]

WOWOWに契約して後、ヨーロッパや南米の映画など、
なかなか干渉できない作品をたくさん見れたことはよかったが、
難点は、中国映画がカンフーなどの冒険・歴史ものに偏っていること。

ところが先日、久しぶりに現代中国の一面を切り取るような
生活臭の強そうな映画が放映されていて、さっそく録画してみた。
邦題は「最愛の子」原題が「親愛的」

離婚した深圳に住む三十代の夫婦。三才の男児の養育権は自営業の夫に。
それが不満の妻、面会のたびに激しく元夫と言い争う。
ところが、その子、父親が少し目を離したすきに、
妻の車を追いかけて道路に出て、行方不明になるのである。
通りかかった、安徽省の農民が誘拐し、妻にはその事実を伏せ、
自分たちの子として育ててしまうのである。

子供を失った夫婦の悲嘆は、激しく、二人はこれまでの生活を
すべてなげうって、子供探しに奔走する。
二人は行方不明の子供を持つ親の会にも入会し、
互いに助け合い、情報を交換し合い、懸賞金まで用意して
子供を探し出そうとするのだが。
連絡があっても、詐欺で懸賞金を狙った詐欺ばかり。

これは悲しいかな、現代中国の現実である。
そしてこの映画も、実際にあった事件をもとにしている。

二人の子は、二年後、ある情報がもとで見つかるのだが
子供はすっかり、誘拐犯の妻のほうに懐いてしまっていて・・。
結局、だれもがそれぞれの不幸を負ってしまうことになるのである。
そして、最後の結末は衝撃的である。

最初から最後まで、息詰まるような展開で見ごたえがあった。
カンフーばかり見ている相棒も、最初は
「日常の映画なんて、つまらん」
と言っていたけれど、しっかり最後まで見ていた・・・。

成人式 [短歌]

今日は成人の日。私の住む市の成人の日の式典は
我が家からさほど遠からぬ、市営体育館で行われるので、
この日のお昼近くには、ぞろぞろと和服姿の若い女性や
ぱりっとしたスーツ姿の若者たちを多く見かける。

その若さ、美しさ、カッコよさはまぶしく、
そして、思いは自分の二十歳の日に戻り、
複雑な気持ちになるのだが。

今日は相棒と一緒に近くを歩いていて、
成人式に向かう一団に出会ったので、思わず
「こんなに若い人がたくさんいるのに、
どうして短歌やろうって人はいないのかなあ」
と愚痴ってしまった。

相棒はすかさず、
「ああ、おじさんおばさんになったら、
あきらめてやるんじゃない?」
「え、あきらめて?」
「そうだよ、若いうちはもっと、
かっこよくてお金になりそうなことに
挑戦したいだろ?」

ええ~、ひどい、そうずっと、思っていたのか。
私は、二十代で短歌始めたのに~。

またしても、複雑な思いに、
胸が騒いでしまった私でした。

ドキュメンタリー「シーズンズ」 [映画]

BSプレミアムで放送されるワイルドライフが大好きで、
時間があるときはチャンネルをあわせるのだが、
難点は、再放送が多いこと。録画していざ見ようとして、
すでに見ていたものの再放送だった、と気づいたときは更に腹が立つ。
番組案内に、もっと分かり易く表記してほしい、と思うこともたびたび。

一月二日にWOWOWで放映された「シーズンズ」は
映像が素晴らしくて、引き込まれるように見た。
副題に「二万年の地球旅行」とあり、地球の歴史的
変化の中で自然の移り変わりを描いていく、という
形がとられていたけれど、そういう枠は不要だったのでは、
と思いながら、生き生きとした自然の中の動物たちの営みに
おおいに魅せられた。

でも、途中で、はた、とおもったことがある。
中型の肉食獣が小動物を追いかけて行って
(その追いかけをしっかり映像に収めているところもすごいが)
穴に逃げ込まれてしまい、前足を使って、探るという場面があったが、
この肉食獣を、穴の内部から写し取っている場面があったからである。
ということは、カメラを二台、内外に設置していたということか。

自然を自然そのままに映像化し、さらに見ごたえもあり、
また何らかのストーリー性を持たせていくことはとても難しい。
私自身、飼っていた犬を撮影するのさえ、
なかなかうまくいかなかった経験がある。
まして警戒心の強い野生動物である。
ハードルの高さは想像に余るのだが・・・。

この映画は最後まで飽きることなく見ることができた。
すごいなあ、と感心しつつ、でも・・・。
少しばかり、疑念は残ったのだった。

お雑煮 [食文化]

我が家では、おせち料理は、ニシンの昆布巻き、
数の子程度しか用意しないのであるけれど、
お雑煮は作る。関東風のおしょうゆ味で、
お餅は切り餅。ふだんは鶏肉で作るのだけれど、
今年は鴨が入手できたので、こちらを使うことに。

たぶん、ほかのお宅との一番の違いは、
なんとなんと、ザーサイを入れること!
ちょっと、びっくりでしょう?
でも、これが結構合うのです、おいしいですよ!

他にはタケノコ、シイタケ、三つ葉で、だいたいこのあたりは
定番の材料ですね。

お雑煮はそれこそ地域によって材料や味付けが異なるらしいけど、
初めてみそ仕立てとか、丸餅とか、それにそれに!
餡入りのお餅を使う、と聞いたときは驚いたことでした。
西国で暮らしたことのない私は、まるで想像できないのですが。

関西の人に言わせると、関東風のお澄ましのお雑煮なんて、
コクがなくて食べた気がしないのだそうです。
私は、おイモなんか入ったみそ味のお雑煮には、耐えられないきがする・・・。

相棒は関西育ちだけど、彼の両親は生まれも育ちも東京なんだった。
これは私には幸運だったけれど。
夫婦で東西に分かれているとき、お雑煮はどんな味付けにするんだろう。
やっぱ、奥さんの出身に合わせるのかな。
人様のことながら、気になるところ。

紅白とか駅伝とか [生活]

年末となると、テレビ
紅白歌合戦が一大イベントみたいだが。
私は、もう何年もほとんど見ていない。
昨年末、テレビで紅白を見たのは十分くらい、
と、最短視聴記録を更新してしまった。

さらに今日からは箱根の駅伝で、
これもまあ、興味はあるのだけれども。
何となくテレビをつけていて、時々、ちらっと見るだけ。
多くの人が、そういう見方をしているのかもしれないが。

自分の場合、紅白や駅伝に集中できないという理由が
わかっている。どちらも、何となく散漫な放映方法で、
じっくりと見たい、という気持ちになれないからである。

当然と言えば当然だろう。たとえば、自分に応援したい
大学があったとしても、その大学の出場者だけが
テレビに出てくるわけではない。順位によってはほとんど
映らなかったりする。紅白も同様、見たくもききたくもない
出場者がたくさんいて、しかも歌とは関係のない
登場者や些末的なおしゃべりが多すぎる。

テレビを見る人が減っているというけれど、
それもむべなるかな。
テレビはこれからどうなるんだろう。
私は、WOWOWと、野球などの一部のスポーツ、それに
ニュースだけ見れたら、あとはもう要らない、という気持ち。