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予防注射 [生活]

今年こそは予防注射を受けなくちゃ、と思っていた。
ここ三年ほど、一月から二月にかけて、風邪か
インフルエンザにかかっている。
インフルエンザは、その年によってタイプも異なるし、
予防注射しても、あまり意味ないんじゃないかなと、
決めつけて受けていなかったのだけれど。

このところの体たらくから、家族に
「今年こそ、必ず受けるんだぞ」
と、脅されて、いや、忠告されていたのでした。

11月10日過ぎたころ、いつもかかっている内科の一つ、
N医院に電話して聞いてみると、
「待っている人がたくさんいるので、最短で12月5日」
と言われてしまった。まあ、仕方ないかと思い、
予約をお願いしようとすると
「時間内に来院して申込書に記入してもらわなければだめ」
とか。おとなしくわかりました、と引き下がったのだったが。

念のため、もう一つ家から数分で行けるところにある
K医院に電話して聞いてみた。すると最短で11月22日、
予約も電話でOKという返事。すぐにこの医院に
予約を入れて、ここでしてもらうことに。

この差は何なんだろう、と思う。
特にK医院が、客に人気がなく、いつもガラガラ、
というわけでもないのだが。

注射の効果は接種後二週間はかかるのだとか。
となると、まだ未接種と同じ状況である。
外出にはマスクをし、うがい、手洗いを励行している。
これで今年も、インフルエンザにかかってしまったら、
来年は絶対に予防接種なんか受けないぞ、と決めている私である。


避寒 [旅]

十年近く前、真冬に沖縄に出かけたことがある。
製糖地について調べたり、文章を書いたりしている私は、
沖縄の製糖についても知りたくて、製糖時期にあたる一月に、
本島南部にある製糖工場を訪れる旅を企画したのだった。

ついでに南部に宿を取ろうと思い、近くのホテルを当たったところ、
冬季間は休業中とのこと。その近くに民宿があると知り、ダメモトで
問い合わせたところ、四室ある一室がたまたま空いている、という。
そこに予約して出かけることにしたのだが、ホテルも休業中の冬、
いったいどんな人が宿泊しているんだろう、と不思議だった。

はたして、私以外の宿泊者は、三人とも高齢の男性たちだった。
彼らは関東や関西からの常連客で、一月から二月にかけての
二か月間ほど、毎年避寒のためにやってきていたのだった。

一人はまだ六十代の男性で、ゴルフを楽しむことも兼ねているのだとか。
ほかの二人は、毎日近くを散歩するくらいで新聞を読んだり、
テレビを見たりと、悠々自適、というかかなり暇そう、というか。
那覇からはかなり遠いし、もともと海水浴客向けの宿で、
まわりにお店もほとんどない。
私は、サトウキビ畑を見て歩いていたので、ここは好都合だったが、
長期滞在するには、刺激がなさすぎるような・・・。
当時はなんだかなあ、と彼らの行動が理解できなかったが。

十年たってみると、けっこうわかることのように思えてきた。
寒さで、行動が鈍くなっている自分を意識するようになったから。
避寒を兼ねて、どこか温かい町で、静かに暮らす二か月が
あってもいいかな。具体的にはまだ何も考えていないのだけれど。

テニスブーム? [スポーツ]

我が家から徒歩一分のところにあるW公園。
周囲を欅と桜、百日紅に囲まれ、ところどころに躑躅、
銀杏の木もある、やや広めの公園。中央部は整地されていて、
午後三時ころになると、どこからともなく子供たちが集まって、
さまざま遊びに興じている。

十数年前までは野球をする子供たちが圧倒的に多かった。
次にサッカーで、フットサルをする中学生を見かけることもあった。
ところがところが。

ここ二年くらいは、テニスに興じる子供たちが圧倒的に多い。
昨夕、三時半頃にここを通ると、小学校高学年らしい男子が六人、
二人ずつ向き合って、テニスに興じている。
もともとコートではないし、ネットもない。
で、どうしているかというと、それぞれが乗ってきたらしい
自転車を中央につなげるように並べて、ネット代わりにしている。
打ち合っているのを見ると、なかなか上手い。
錦織選手の活躍が刺激になっているのではないだろうか。

用事を済ませて、五時近くにまた
W公園の脇を通ると、かなり薄暗くなっているのに
彼らはまだテニスを続けていた。道路側を歩いていたら、
それたテニスボールが私の前に転がり出てきた。

拾い上げて、振り向くと、駆け足で公園の端まで出てきた
少年に「有難うございます!」と丁寧にあいさつされた。
下手投げで、慎重に投げると、彼はラケットのガットで
それを器用に受け、軽く足元に落として掬いあげていた。
それにはまず、ボールの勢いを殺ぐために手首のスナップを効かせ、
そしてラケットの角度をうまく調整しなければならない。
一連の動作に、いかにもテニスに慣れている様子がうかがえる。

私は実は中学生時代、軟式だがテニス部に所属していた。
でもそれ以前は、テニスボールなんか見たこともなかった。
学校にコートは一面しかなく、一年の時はほとんど
素振りとコート整備とボール拾いに明け暮れていた。

この小学生たちは、学校でなく、どこかの私営のスポーツクラブに
入っているんだろう。恵まれてるなあ、とちょっと
妬みっぽく感じるところもあったけれど。
薄暗くなるまで、ネットも白線もないこんな公園で
テニスに興じている様子が、頼もしくもある。

いつまでも、テニス好きでいてほしい・・・。
仲間との競争に負けたり、体を傷めてしまったり、
スポーツに挫折はつきものだけれど、
好きでいることができたら、どんなことも乗り越えられる。

掃除機 [生活]

ずっと、マキタの掃除機に注目していた。
コードレスで、小型で、小回りが利きそうなところが
何より魅力的に見えたので。

先月、ちょっとした臨時収入があったので、
ネットをいろいろと検索し、とうとう購入することに。
あれこれとユーザーの意見を当たってみて
マキタ CL141FDRFW(ホワイト)を選んだ。
お値段は、23000円でした。

届いてすぐ、手に取ってみると、やはり軽い!
まるで布団叩きくらいにしか感じない(って、ちょっと大げさ)。
ところがところが。付属品として付いていた
バッテリーを持ち上げて、少し不安な気がした(重いのだ!)。
とりあえず、説明書をとくと読み、おもむろに充電を開始する。

ものの二十数分で、充電完了、というのも便利である。
本体にバッテリーを取り付けて、いよいよ掃除を開始したのだが。

むむむ、やはりバッテリーが重く感じる。
普通のコード式の掃除機は、転がすだけなので、
本体が重くても、準備が済めばどうということはないのだが。
このペンタイプの掃除機は掃除の間中、手で支えていなければならない。

試しに体重測定機に載せてみると、2キロ弱。
そう重くはないはず。筋力おちてるのかなあ。

気を取り直し、コードないのは、有り難いんだから、と
あちこち掃除する。特に可動式本棚を七列入れてある
書庫は、便利である。これまでは掃除機本体を
いちいち棚の間に入れ、一列ずつ動かしながら、掃除していたのに、
今は自分が移動するだけで掃除できるので。

でもその夜、肩から腕にかけてかなり凝ってしまっていた。
最近はあれこれと下調べを十分にしていても、
購入したものに満足できた、という例が少ない。
少し、落ち込んでいる。

一ノ滝、二ノ滝 [短歌]

届いたばかりの「塔」11月号を読んでいたら、
一首評のページの最後に私の九月号の歌が載っていた。

 一ノ滝、二ノ滝競ひ合ひて鳴る 遠山より来る雪解水の音

選んでくれていたのは、岩本文子さん。
面識のない方が選んでくれた、ということが二重に嬉しい。
岩本さんは北欧のフィヨルドを訪れた体験を想起されたそうで、
 
 高く迫る山々の急斜面を真っ白なしぶきとなって
 落ちてくる雪解水の滝。・・・その大きな自然に呑みこまれた。

と綴られている。ああ、そうだった、と私も十年ほど前に訪ねた
ノルウェイのフィヨルドを思い出した。あの雄大な自然、
絵本のページをめくるような、夢のようなひと時を。
雪解水がつないだ二つの世界の近さ、遠さを思ったのである。
私の上記の歌は、雪国で暮らした幼少時の記憶を振り返る一連の一首。
実は、滝の存在より先に、橋の名前から思い出し、歌になった一首だった。

住んでいた家から徒歩で十分くらいの所にあった小さな橋。
たもとには通る順に「にのたきはし」「いちのたきはし」と平仮名で書いてある。
その二つの橋の間隔は十メートルほどもない。
子供だった私は、これは何のことだろうとふしぎだった。
橋はいずれも小さく、下を流れる川も用水路ほどでしかない。

家から近かったのに、あまり通らなかったこの橋を、
たまたま四月の上旬になって、通ったことがあった。
たぶん、小学校の高学年の頃である。

この橋の片側は崖になっていて、いつもちょろちょろと
水が流れているのを知っていたが、その時は驚くほど
大量の水が、しぶきをあげて流れ落ちていたのだった。
遠い山の雪解けがようやく始まった音だった。
二ノ滝、一ノ滝、とはその流れの高さの順番だったのである。
不思議なことに、この橋の記憶はずっと後になってからより鮮明になった。

一首評に取り上げてくださった岩本さんはありがたいことに
  
一句目の句読点は不要では? 「競ひ合ひて」は
  別の表現にした方がいいと思う。

と、きちんと注文も付けてくださっている。
おかげで、いろいろと表現についても思い返すことになった。

実は「競ひ合ひ」については、影響を受けていた俳句があった。

 初鴨や競い合い育つ長女次女

という句で、もうずっと前に、朝日俳壇で見つけたもの。
一句目はもしかすると、別の表現だったかもしれない。
少女期に目にした一ノ滝、二ノ滝の姿をちょっと
自分の育った時間に重ね合わせてみたい気持ちになったのだった。
とらわれていた気持ちもはっきりわかって、
この一首評はさらにさらに有難いものになった。

関西風?(その5) [食文化]

関東と関西では、利用される魚の種類も異なり、
関東以西で暮らしたことのない私は食べたことのない魚も多い。
その代表的なものが、鱧で、私は三十歳近くまで
名前さえ知らなかったし、東京では売っていなかった。
相棒が「夏になったら、鱧が食べたくなる」
と言い出した時、「え、ハム? いつも食べてんじゃん」
と思ったくらいである。

そうこうするうちに、東京でも売られるようになり、
張り切って購入した。あっさりした味が好みだったんだけれど。
相棒は「東京のは、まずい」とか言っている。

ところで、関西と東北育ちの私たちにとって、
感覚的に大きな齟齬のある魚があり、ちょっと厄介。
その代表が、鮭である。
相棒は「子供の頃、新巻鮭が憧れだった」
と言い出し、自分で手配して送ってもらったことがあった。
東北育ちの私にとって、鮭はあまりにも日常的すぎる魚。
年末には家に荒巻鮭が二、三個ある、なんてことはしょっちゅうで。

というのも、雪の深いところだったから、ひと冬の間の
たんぱく質を鮭に依存する、という生活が普通なのである。
東京に出て来てからは、何でもありの冬、いろいろな味を
楽しめる生活ができる。鮭はごくたまに食べるだけで、もう結構。
それに、核家族が増えている今、鮭の一本ものなんて、不都合じゃないか。

結構、シリアスな言い合いになった。
相棒の気持ち、わからないわけではないが、
基本的に台所仕事をするのは私。
結局荒巻鮭の大半は、廃棄することになってしまった。

無口で冗談なんかほとんど言わない父が、
子供の頃、私にこんな質問をした。
「鮭のことを『猫また』って呼ぶんだ。なんでだか知ってる?」
「・・・・」
「猫も跨いで通るからさ」
しばらくして、同じ質問をされた。張り切って、言われた通りに答えると
「ちがうちがう、『猫もまたか』って言うからなんだ」

関西風?(その4) [食文化]

私の母は麩が嫌いだったんだろう、子供の頃、
ほとんど食べたことがない。小学生の低学年の頃
和食の外食をしてお汁にふわ~と浮いていた紅葉型のものを
「これ何?」と尋ねた記憶さえある。もちろん、飾り麩だったんだけれど。
そんな育ちのせいか、はたまた母からの遺伝か、私も実は麩は苦手である。

麩はなんとなく、(あまり好きではない)たこ焼きやお好み焼きなど
という食べ物と同類のようで、関西系かと思ってきていた。
以前にこのコーナーで触れた、京都出身の友人が
何もないときは、麩を揚げてから煮ると、
まるで豚肉を食べているみたいにおいしい、と言っていた記憶のせいだろうか。

どっこい、私が育った山形県やすぐ近くだった新潟県村上市などは
麩の産地なのだそうだ。仙台は揚げ麩で有名・・・ということで、
東北地方や北陸も、麩はよく食べられている地域だった。
それはそれ、私は積極的には食べなくていい、という方。

結婚したら、相棒がごくたまにだが、麩を食べたがる。
一緒に買い物に行くと、勝手に買い物かごに入れてしまってたりする。
それなら、何とかおいしい料理に仕上げたい、と奮闘はするし、
できたものもそれなりに美味だったりするけれど。
まあ、それもそれ・・・。

ところで、もう数年前になるけれど、京都で「塔」の
編集会議が終わった後、みんなで出かけた京料理のお店で、
見たことのない、薄緑色のお惣菜が登場したのだった。
細い串にさしてあり、お餅のようにも見える。
「あれ、何だろう」と目を凝らすと
目の前に座っていた河野裕子さんが
「ほら、京都のナマフよ。岡部さん、食べなさい!」
と勧めてくださったのである。
「ナマフって?ああ、生の麩?」

食べてみて目が点になった。これまで食べていた
焼き麩や揚げ麩とは全く異なる味と食感だったので。
美味しい! と心から思ったのだった。

ああ、でも、それが河野さんと会話した
最後になってしまった。生麩を食べると
いつも、あの時、誇らしそうに
「京都の生麩よ」と仰った河野さんの声が聞こえるようである。