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関西こなもん [食文化]

わが相棒の両親は生まれも育ちも東京だが、
戦後、仕事の都合で関西に移り、相棒は関西育ちである。
そのため、食べ物も特に、外食スナック系は、関西の味に
かなり馴染んでいる。

付き合っていたころ、私は学生、彼は院生。そして二人とも、
かなりの赤貧状態だった。私が彼を「えらい」と思ったのは、
いくらボロをまとっていても、食べ物はケチらなかったこと。
ある時、私をきれいな料亭風のお店に連れて行ってくれた。
上等な和食が食べられるのかな、と内心期待したのだが。

通された畳の部屋には炉が切ってあり、その上に鉄板が載っている。
そこが「お好み焼き屋」らしいと知ったときは驚いた。
東北で育った私にとって、お好み焼き屋=祭りの屋台で
テキヤ風のおっちゃんが腹巻姿で焼いている、という食べ物。

一度親に「食べてみたい」と訴えたとき、
「外で焼いていて、不衛生。そのうえ、紅ショウガが
いかにも毒々しい」との理由で、きっぱり断られた。
以来、私は、食べたいと思ったことさえなく過ぎてきた
食べ物だったからである。   (この項、続きます)

「塔」全国大会 [短歌]

8月20日、21日の二日間、所属する短歌結社「塔」の
全国大会が行われた。今年は岡山市。

大会恒例の一般参加部門は、多く、塔外部から
ゲストを招いて、対談や鼎談を行うことになっていて、
今年はなんと、漫画家の池田理代子氏がそのお客様。
永田紅さんと吉川宏志さんとの鼎談が行われたのである。

一般的に言って、鼎談はかなり難しい。対談や
一人による講演会は、それなりに聞きごたえのある
内容が備わっていることも多いが、鼎談とか、あるいはそれ以上の
人数で行われる討論会は、「失敗かな」と
残念に思うことが多かった。
でも、今年は、それは杞憂だった。本当に面白かったのである。

理由はまず、この鼎談のテーマが「マンガと短歌」だったから。
短歌は言葉だけによる表現だが、マンガは言葉と絵の両方を備える。
そして視覚的なものがあるだけに、聴衆をひきつけやすい。

実際のところ、壇上の大きなパネルに、池田氏の代表作である
『ベルサイユの薔薇』、『オルフェウスの窓』の各場面が
映し出され、その絵柄を見ながら、「オノマトペの表現の仕方」
「沈黙をどう表現するか」といったことが俎上にのぼる。

永田さんの作成された資料が抜群に素晴らしかったことも、
この鼎談を成功に導いた大きな理由である。
池田漫画の大ファンだった彼女は、十代の終わり、
両親(永田さん、河野さん)とともに、「オルフェウスの窓」の
舞台となったドイツの街を訪れ、マンガの中に登場する
教会や公園などを探し当て、その場面で記念撮影をしてきていた。
その写真が漫画の場面と並んでパネルに映し出されたときは、
感動して、言葉がなかった。ああ、いいなあ、こんな
経験ができていたなんて・・・と。
この鼎談を聞けただけで、岡山に出かけた甲斐があったというものである。

漫画と短歌 [短歌]

八月号の「塔」の特集は「マンガと短歌」。
漫画と短歌を絡めた特集を、という案は以前から
編集会議に上っていたことだが、今回、大会
漫画家の池田理代子氏が特別参加されるということから
実現したもの。こういう企画を打ち上げられる、
ということに今の塔の底力を感じる。

漫画をめぐっての各氏の随想、そして
会員からの公募エッセイもそれぞれ興味深かった。
私も小学生の頃は無類のマンガ好きで、
寝食も忘れるほど没頭してしまう方だったが・・・。

母がひどく漫画を嫌ったため、雑誌類を購入してもらえる
ということがほとんどなく。借りて読むのが中心になった。
それもつい夢中で読んでいては叱られた。
一度漫画について叱りだすと、母は同じことを
一か月近くも言い(罵り)続けるので、それがとてもつらかった。

栗木京子さんは私にとって、ひたすら尊崇の対象である方なのだが、

  十(とを)ほどの付録付きたる少女誌を月々買ひし頃の春風  
                    栗木京子『夏のうしろ』

この歌を読んだときだけは、激しい嫉妬の感情がこみ上げてきて、
自分でも困惑してしまったほどだった。

学校で朝、同級生に少女雑誌を借りて、そのまま没頭してしまい、
先生に取り上げられて、青くなったことがある。
貸してくれた友人は激怒し、「買ってなせ(東北の方言で、
弁償しろ、という意味)」とすごまれて、
教員室へ行って、先生の前で大泣きした記憶もある。

そんなだから、最後まで読み終えた、という漫画は
ほとんどない。すごく気になっていて、今も覚えている、
いくつかのマンガはある。作家でいうと、わたなべまさこ、牧みやこ、
ちばてつや、手塚治虫、石ノ森章太郎。角田次郎、赤塚不二夫。
望月あきら。横山光輝。山根青鬼、とかいう漫画家もいたかも。
(その後少年漫画で大ブレイクする漫画家の多くが、
若いころは少女漫画を手掛けていたのである。)

だから、吉川宏志氏のエッセイにはとりわけ心を揺さぶられた。
彼の家も漫画はご法度で、床屋で読んでいたら、順番が来てしまい、
続きがずっと気になっていたままだった、という内容である。
その漫画は「エコエコアザラク」ああ、私も好きだったなあ、
と懐かしく思い出す。吉川さんよりずっと年長の私は、
結婚してからやはり、友人に借りた雑誌で読んだ記憶がある。
でも、やはり読み遂げられなかった。

一緒になった男は、私の趣味に理解のある優しさを備えていたけれど、
漫画はどうもあまり好きじゃなかったらしい。私が夢中になっていると、
不機嫌になってしまう。
漫画は私にとって、ついに添い遂げることのできなかった、
初恋の人、のようである。

オリンピック [スポーツ]

リオのオリンピックもいよいよ後半戦。
夏の大会の花である、陸上が始まり、
毎日、何か落ち着かない日が続いている。

私は基本的に十一時前には寝て、
朝は六時半頃には起きる、という生活を
かなりきっちり守っている。五輪だからといって、
夜更かしや、超早朝置きとか、まして徹夜などはしない。

けれど、昨晩はつい、女子マラソンを最後まで見てしまった。
今朝は、女子の卓球団体準決勝にかじりつき、途中、
男子百メートル決勝へチャンネル替えして見てしまったり。
朝晩だけだけれど、かなり五輪漬けと言っていいかも。

けれども好きな試合、見たい試合があって、
たとえ日本人が大活躍する試合でも、興味ない種目は見ない。
柔道、レスリングなどの格闘技、射撃、みたいなのも好きではない。

逆に日本人が活躍しなくても見たい試合がある。

十数年前の夏、北欧を旅していたとき、五輪期間に
当たってしまったことがあった。ホテルテレビをつけると、
レガッタの試合をやっていて、ついつい気合いを入れてみてしまった。
日本では見たことなかったことに気が付き、あまり日本で盛んではない
試合は全く放映がないんだ、ということに今更ながら気が付いた。

八年前の北京五輪の時は、たまたまキューバにいて、
ここではじっくりと新体操を見てしまった。
大好きな種目だったので、これが見れたのはとてもうれしかった。

五輪に「日本」と連呼したり、「日の丸を背負って」などと
言いすぎるのはどんなもんだろう。もっと試合そのものを
楽しめる環境があったらなあ、と思うのである。
試合を見ずに、日本選手がどうなったか、ばかりを
気にする(心情としてはわかるけれど)、気にしすぎるには、
五輪の見方として、勿体ないのではないか、と思うのである。

あるバイト・その3 [生活]

初めてアルバイトをしたのは、都立高校一年生だった冬休み
同級生のOさんが、「一緒にしよう」と誘ってくれたのだ。

Oさんは、横浜市港北区から越境通学していた。
「うちの周りは田舎だから」と都内でのバイトを希望、
まず、新聞求人欄を見て、片端から電話し始めたのには、
驚いた。当時は高校に少しだけれど、「求人」が来ていたが、
「郵便局とか、安すぎるし、こき使われる」と、
Oさんは、ハナから相手にしていなかった。

どこからも「高校生はお断り」と言われると、
「足使って、探そう」と言い出し、これにも驚かされた。

Oさんは、私の家から徒歩十五分ほどにあるM商店街で、
仕事を探そう、と言い出したのである。当時はこの一帯で、
最もにぎやかな商店街だった。私には便利だが、
ここだと、知っている人に会ってしまいそうな嫌な予感もあった。

でもOさんは強引だった。彼女の家は母子家庭で、中学時代から
「バイト探しには慣れている」ということだった。

商店街を歩きながら、忙しそうな店を見つけては飛び込みで
「バイトに雇ってください」と申し出るのである。
案の定、最初の数件ではけんもほろろの扱いだった。

もうどこでもいいや、とばかり飛び込んだ店は、
初老の夫婦が切り盛りするお茶屋さんだった。
私たちの意向を面白そうに聞いてくれ、
翌日、「二人一緒に雇ってあげよう」という連絡が入ったのだ。

私たちはこの店で年末の十日間、主に店番のバイトに励む
ことになった。時々は、近くに配達を頼まれたり、
店の掃除などを頼まれることもあったが、概して楽だった。

雇われてみて気が付いたのだが、さほど忙しくもない。
店主と奥さんは、かなりお人よしな感じで、
三時にはお茶を淹れてくれたり、あまり暇だと、
「今日は早めだけれど、帰っていいよ」などと言ってくれた。
バイト終了の日、約束通りのお給料(十日分七千円)のほかに、
お茶のお土産までもらってしまった。お礼を言って立ち去ろうとすると、
奥さんが寂しそうな表情で、
「二人も娘ができたみたいな、楽しい十日だったわ」
と言ってくださった。

この話をすると、同級生たちは一様に驚いた。
「ええ!?、いったいどこ? 私もそこでバイトしたい」
私は、この店の具体名は誰にも教えなかった。
Oさんもそうだった。彼女もまた、少しばかり疚しさを
感じていたのかもしれない。

あるバイト・その2 [生活]

大学でどんな勉強してきたか、
思い出せることは少ないが、バイトのことは覚えている。

大学一年の終わり頃、知人の紹介で始めたのは、
原稿の書き直しのバイトだった。おおもとの雇用先は
アメリカ出版社G社の日本法人になるのだが、
私はこの会社に出向いたことは一度もなく。

G社の編集部にいるというK氏を紹介され、
いつも指定された喫茶店で仕事の打ち合わせをした。
G社は自社版の辞典を日本で翻訳刊行する予定とのこと。
大学の先生などが訳した原稿(汚い字で書きなぐってある)を
一定の字数内に縮めて清書する、というのがバイトの内容である。
(ああ、清書って、懐かしい言葉じゃ。パソコンなんか一般的でなかった時代、
清書は、作品化の過程で大切な仕事の一つだった)

ここの仕事はそれなりに面白かった。担当した辞典の項目に
「家畜」が含まれていたことを思い出す。
「山羊」とか「羊」とか、「豚」とか・・・。
知らないことも多くて、興味深い記述も多々あった。

ただ、ここのお給料はどうだったのか、あまり覚えていないのである。
たぶん、かなりいい加減な支払いだったのだろう。
今回はこれだけやったのだから・・・。と皮算用していても、
意外に少なかったり、その逆だったり。どんぶり勘定的なもんだった。

K氏も、私の書いた原稿に目を通してくれているような、
そうでもないような・・、頼りないものだった。
自分としては気合い入れて書いているので、反応がほしかったんだけれど。

いい加減だなあ、と学生にも思えたのには、それなりに
わけがあったらしい。このG社は、労使関係でかなり
もめた末に、まもなく日本を撤退してしまうのである。
私の書いた原稿もついに活字にならぬままであった。

夏風邪 [生活]

先週末のある朝、目覚めると喉がイガイガしていた。
クーラーをつけっぱなしにしていたので、喉を傷めたらしい。
軽くうがいして、そのまま放っておいたのだけれど、
そのうちに、くしゃみ、そして咳が出始め、のどの痛みが
激しくなってきてしまった。

昨日の朝は体が生ぬるい感じがして、熱を測ると七度一分。
近くの内科医院に出かける。ここでも熱は七度一分。
診察まで一時間四十分待たされ、診療時間は三分弱。

近くのコンビニでプリンと蜂蜜とスフレ(あれ、甘いものばっかし)
を購入して帰宅してから、寝ていた。薬飲まなくちゃ(医師から処方された
薬は、なんと六種類である)。それを見ただけで、おなか一杯の気分だけど、
薬飲むためにも何か食べなくちゃ・・・。
でも、薬も飲んでいないのに、朝より体軽いかも、と思い熱を測ると、なんと平熱・・・。
少し歩いたのがよかったのか(まさかね)。

昨夜は、早く寝るものの、午前一時半に
体が熱っぽくて目覚める。熱を測ると八度!
氷枕を作り、水を大量に飲んで、寝転がっていると
(なかなか、眠れなかった)、熱が下がってくる感じ。
午前三時に熱を測ってみたら、七度三分だった。

けっこう、熱って、上下するものなんだね。
今も少し、熱っぽい。体、だるいし、鼻水も出る。
のどの痛みはやや治まったかな、というところ。
みなさま、クーラーのつけっぱなしはお気を付けください。