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バレエの魅力 [藝術]

WOWOW から録画しておいた
ロシア・マリインスキーバレエ「眠りの森の美女」を観る。
録画しておこう、と最初に言い出したのは相棒の方。
バレエだよ、観るの?」と確認してしまった私。

彼に、バレエの楽しさを開眼させたのは、
七年前、ポルトガルで観た「コッペリア」である。
公演の帰り、暗い中をひとりで帰るのが怖いから、
相棒をむりやり引っ張っていったのだった。

ポルトガルのバレエ団による公演だったから、
(バレエの本場はなんといってもロシアである)
さほどのものではないだろうと思っていたのだけれど、
演出は冴えていた。
特に、博士の愛していた自動人形のコッペリアが、不意に
生身の少女に変身してしまう場面は、
象徴性に富んでいて、バレエらしい夢幻の世界の
瞬間的現実化、と呼べそうな魅惑的な展開であった・・・。

あの後、コッペリアのDVDなどをできる限り入手したのだけれど、
どれも今一つであった。舞踏として技術的に素晴らしい、
とは思えても、あの夢幻的な世界の再現にはなっていなかったからである。
(この項、続けます)

さくら [短歌]

東京はこの二、三日気温が低く、
咲き始めた桜が戸惑っているように見える。
いつも出かけるスーパーマーケット途中の街路樹の桜は、
一番高い枝の、ほんの数輪だけ咲いていた。

短歌をつくり始めて間もないころ、初めて出来た歌の友達、
その人は私より二回り年上の女性だったが、私にこんな
アドヴァイスをしてくれた。
「桜と富士山は、簡単に詠んではダメよ。
つい読みたくなる気持ちはわかるけど、
よほど心しないと、銭湯のペンキ画みたいになっちゃうんだから」

そうなのかな、とやや疑問にも思いつつ、
私は長く「桜」を中心にした歌は、詠んでは来なかったように思う。
ほんの一、二首、春の歌として詠むことはあるにはあったが。
二年前に所属する結社誌の「塔」の冒頭近くに、隔月で一年間、
「作品連載」として二十首ずつ提出するように、と依頼されたとき、
あ、桜の歌も、一度、連作で入れたい、と思ってしまった。

今更、桜では、陳腐になるかもしれない。
でもこれを機に、是非、まとめて詠んでみたい。

結果的に四十首くらいの桜の歌を作り、
その中から二十首選んで「花の流体」と題して寄稿した。

  Blooming high ありぬべし 夜の空へ万のさくらのまなこ見開く
  花片よりかそけき思慕を蔵ひつつ幹に凭りゐき 無依なる幹に
  身体ごと人を愛せよ 渦巻きて桜はひと夜我に迫りき
  何をかを思索するごと花の蕊濃くなりし頃散り始めたり
  散りてのち風のへつりを撫ぜてゆく花のエロスの淡々として
                              岡部史「塔 2014年7月号」

自分なりに、桜に仮託したいことは詠めた、と思っている。
でも、やはり、桜そのもの、その美しさ、激しさ、幻想性には迫りきれていない。
それはこれからの、大きな宿題である。
宿題が残っている限り、歌を読み続けていきたい。
たとえば、こんな歌が詠めるようになるまで。

  うはしろみさくら咲きをり曇り日の桜に銀の在処おもほゆ   葛原妙子『縄文』
  うすずみのゆめの中なるさくら花あるいはうつつよりも匂ふを  齋藤史『ひたくれなゐ』              

筋トレ系 [文学]

村上春樹の小説を読んでいると、
蟄居生活を余儀なくされた主人公が、
有り余る一人の時間に、筋トレしている、
という場面が多々登場する。

どんなトレーニングか、どういう器具を使うか、
その効果はどのようなものか、結構詳しく
書いてあったりして、面白い。
村上氏自身が執筆生活の合間に
こうした筋トレを日々取り入れておられる、
ということではないだろうか。

筋トレ系の運動というと、私は勝手に
アメリカ的な文化から来ている、思っている。
欧州のスポーツはもっと優雅で、
汗の匂いがしない。目立つ筋肉なんて、
醜いだけ、という流れがあったのではないか。
村上春樹文学はあきらかに北米文学の
影響が強く、その流れから、筋トレ系、
となっているのではないか、と私は思う。

いきなりだが、塚本邦雄文学となると、
もちろん欧州系である。


  漕刑囚(ガレリアン)のはるけき裔か花持てるときもその肩盛り上がらせて
                               塚本邦雄『装飾楽句』

目立つ筋肉なんて、刑罰の結果くらいなもの、と
清々しいまで蔑している(塚本らしくて、なんか、可笑しい)。

とはいえ、筋トレはやっぱり、最近の流れ。
かの天皇陛下だって、入院先にトレーニング用の
機械を運ばれたそうじゃないか。
えっと、どんな機械だったっけ?
と思いめぐらしながら、ときどきエアロバイクを漕いでる私。

短歌現代1980年3月号 [短歌]

所属している結社の「塔」誌は、入会以来すべてを
保存しているけれど、総合誌は三年おきくらいに
整理して、多くを処分するようにしている。
そうしないと本棚に入りきらないからだけれど、
どうしても捨てがたい本もある。その中の一冊が
「短歌現代 1980年3月号」である。

短歌に興味を持ち始めて日が浅かった当時、
角川短歌はすでに二、三冊購入していたが、
「短歌現代」については、初めて購入したのがこの号。

先ず、特集に強く心惹かれた。題して「日本人の季節感」
金子兜太、佐佐木幸綱両氏の対談をはじめとして
昭和二十年代から五十年代まで十年ごとに区切り、
各年代ごとの代表歌を16首ずつ(二十年代は32首)
挙げながら、篠弘氏、来嶋靖生氏らが「季節感の推移」を
中心に論じている。
当時の雑誌は短歌現代に限らず、
文字が小さかったので、一ページ当たりの文字数は
今よりずっと多く、ずしりとした読み応えがあった。

私は当時、歌壇についてほとんど知らなかったので、
特に各氏が挙げられている作品を夢中で読んだ。
特に昭和三十年代の代表歌として
岩田正氏が挙げられている作品に、
心惹かれる歌が多かった。たとえば、

  蛮声をあげて九月の森に入れりハイネのために学をあざむき   寺山修司
  はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を売りにくる 塚本邦雄
  啼きそろう喬き熊蝉 彼らさえ戦後をともにせしものの裔       岡井隆
  紫の葡萄を搬ぶ舟にして夜を風説のごとく発ちゆく          安永蕗子
  てのひらをくぼめて待てば青空の見えぬ傷より花こぼれ来る    大西民子
  三輪山の背後より不可思議の月立てり 初めに月と呼びしひとはや  山中智恵子

私はその後まもなく、この六人の方の歌集を入手している。
このアンソロジーに出会えなければ、私は早々に短歌への興味を
失っていたかもしれない、とも思えるほどである。

そしてもう一つ、この短歌現代の巻頭には
河野裕子さんが「ひとり遊び」と題された25首を寄稿されていること。
その後刊行された彼女の第三歌集、『桜森』の末尾に、そのまま
掲載されているので、ご存知の方は多いはず。
(私はこの一連で河野さんの存在を知ったのだった)。

でも、「短歌現代1980年3月号」で貴重なのは、
河野さんの顔写真グラビアページに載っていることである。
やや横向きのそのお顔には、まだ少女のようなあどけなさが
漂っていて、すばらしく愛らしい。この写真はほかのどこでも
かつて見かけたことがない。ので末永く大事にしたい
一冊なのだった。

池上線 [生活]

 若き日はよみがへるなりYou Tubeに「池上線」の歌を聞くとき
                          小池光『思川の岸辺』

この歌に、池上線そのものにまつわる思い出が蘇った。
私は高校時代、東急沿線(目黒区と品川区の区境近くの品川区)に
住んでいて、高校は池上線の駅が乗降駅だったから。

  「このあたりで富士が見えたよ」通学に使ひし頃の池上線は
                                岡部史
こんな短歌を詠んだこともあるのだが、小池作品にある「池上線」なる歌を
全く知らない。知らないのだが、なんだか自分のCD棚のなかの
どこかで見た気もする・・・。

ので調べてみた。すると以前に購入した「永遠のフォーク
ポップス大全集」という12巻のなかに入っていた!
ここには私が「若き日」を思い出させてくれる、「神田川」とか
「なごり雪」とか入っていて、これらを摘み聴きしているだけ
だったので、「池上線」は聞いたことがなかった!

そこで早速聞いてみました。作曲と歌い手が西島三重子って人。
作詞は佐藤順英という人だった。

いずれも全く知らなかったが、池上線という題で
思い描いていたような歌詞ではあった。
「古い電車の・・・隙間風に震えて・・・」
「商店街を抜け・・・踏切渡った・・・」

私の高校があったあたりは、瀟洒な住宅地が
続いてはいたが、少し歩くと、いわゆる
大田区の中小工場地帯へと入る。
池上線は東京の南西部の下町を走る電車だったのだ。
(高校生の頃は、気づいていなかった)。

「あの頃の池上線って、暗い緑色した電車で、青ガエル、とか呼ばれていて、
小汚い、ダサい車両でねえ」
と、関西育ちの相棒に説明していると、ある日、
「あ、池上線の車両、テレビに映っているよ!」
と教えてくれた。見てみるとなるほど、懐かしい青ガエルが映っていた。
古い池上線車両が、その後、
熊本で現役車両として活躍していてきたが、ようやく引退する、
というニュースだった。
急に、胸がじんとした。あの後もずっと頑張ってたんだな、と
「お疲れ様」と、声を掛けたくなった。

おみおくりの作法 [映画]

「おみおくりの作法」。日本的な題だな、と
真っ先に思ったのだけれど、原題はやはり全く異なっていて、「Still Life」。
2013年、イギリスイタリアの合作映画

ロンドン郊外の住宅地で、民生委員をしている中年男のジョン。
仕事は、孤独死した人の身辺整理。そして残されたアルバムなどから
家族や親族、友人などを探し出し、葬儀などの連絡をすること。

孤独死した人たちの人生は、おおかた波乱に満ちていて、
家族を探し当てられたとしても、すんなりと葬儀への出席へと
導ける、という例は多くはない。むしろ、大抵は強い拒否に会ってしまう。

ジョンは持ち前の粘り強さと強い使命感を発揮して、
一人の人間の最期をより良い形にしようと
努力していく。その静かな闘志、というか
意志の強さ、それがこの映画のすべて、のように思える。

Still Life、静かな人生、とは、まさにこの仕事に命をかける
ジョンの生き方を指しているし、
また、もの言わなくなった人たちに向き合い、
最後の声を聴きとる仕事、そのものを指しているようにも思える。

映画の結末は皮肉なものだった。
だが、最期まで静かな人生を全うできたことに、
ジョンはひそかに安堵しているかもしれない。

邦題の「おみおくりの作法」では、そのあたりがうまく
伝わらないなあ、と私は思う。特に「作法」という言葉が、
この映画のもっとも大事なところを台無しにしてしまいそうな
気がして、残念である。

我が家の味(その5) [食文化]

母親から嫁へと、継承されながら、時代に合わせて変化してきた、
それが家庭の味、だったかもしれない。
核家族化やら女性の社会進出などによって、家庭の味、なるものも
大きく変化してきている昨今。やや死語化しつつあるかもしれない。

彼の母親は、かなりの料理嫌いで、ほとんど手作りはしなかったらしい。
これはある意味、私には有難いことではあった。
おふくろの味、などという曖昧にして情緒的概念が、彼には全く欠落していて、
家庭料理に対する考え方が実に合理的で、明瞭だったからである。

私の母は専業主婦だったから、家庭の味、なるものに一定の
イメージを持っていて、私に伝えたいことなども多少はあったようだが。
母はとにかく気分屋で、好きなものにはとことん入れ込む一方、
自分が嫌いなものは目にするのも触るのも嫌、というタイプだったから、
家族の好みなどは、ほとんど無視されてきた。

私は自分が料理する立場になったら、できるだけ
食べる人の意向に耳を傾け、同じ釜の飯を食べる人同士の
連帯感を築いてきたい、と考えてきた。
そのつもりで、頑張ってきたつもりであった。
何より、私の武器は、気難しい母に鍛えられた結果の、
「好き嫌いは何もない」ということ、だった。

彼が食べたい、といえば私がそれまで触ったこともない
食材であっても、料理の仕方を調べ、食卓に並べてきた。
特に相棒は関西育ち、私は東北育ちなので、
互いがなじんできた料理や食材の差異は大きかったのである。
この出身地の違いは、食卓をヴァリエーションに富んだものにする、と言う点で、
私たちには大きなプラスだったと思う。

ところが最近になって、相棒がこんなことを言い出した。
「貴方は本当に好き嫌いがないね。食材に対する
受容度は自分をはるかに上回る。それは認めるけれど、
味に対する受容度は、はるかに低いね・・・」

セッション [映画]

最近観た映画のなかで、特に心に残った作品。

ジャズ・ドラマーとして世に出ることに野心を燃やし、
NYの音楽院に入学したアンドリューは、ここで
名指揮者とされるフレッチャーの、凄まじい「しごき」にあう。
そのしごき方、は陰湿で悪意に満ち・・・(少なくとも当事者は
そう感じるはず。家族への冒瀆や、ときに、身体的な弱点までが、
罵りの対象になっているのだから)。

この作品からどういうことを感じるかは、人によってさまざまなはず。
私も色々と語ってみたいことがあるが、一つ、
音楽を学ぶ場、としての「学校」に絞って綴ってみることにする。

特に音楽に限らないと思うのだが、教わる場としての
学校という場の限界を、映画を観ていて強く感じたからである。

この映画の主人公がたまたまドラマーに設定されていた、
ということはあるだろうが、とにかく教師フレッチャーは、
ドラムの出来にこだわり続ける。
その他楽器演奏者への指導は疎かにされたまま。
ジャズは複数の楽器で演奏されるものだし、
ドラムだけが突出して大事、とは、私には思えない。
学校での教師の立場としては、できるだけ平等に
それぞれの楽器、個々の学生、の指導をすべき、ところ。

でもフレッチャーは真逆の教師で、やがて音楽院を
首になる。これもまた当然の成り行きではあった。

アンドリューが本当の意味で、フレッチャーの「指導」を
得たのは、二人が教師と生徒、と言う関係から
解き放たれたときだった。
少なくともこの映画は、彼らが指揮者とドラマーという
純粋な関係になれたとき、初めて、
真の指導を得た、いや、音楽の極意を
互いに察知した、というように作られているのだ。

学校と言う枠内では、しょせん、音楽は教えられるものではない、
映画では、そういうメッセージが含まれているように私には思えた。

ところで、私は主人公マイルズ・テラーのドラムの演奏ぶりを
素晴らしい、と感嘆して観たのだけれど。
うるさいだけの下手なドラマーという意見もあるらしい・・・・。

歌会、および歌の中の声 [短歌]

昨日は、第一日曜、横浜歌会の日。
普段あまり参加されていなかった方、
また、なんと十代半ば、という超若手の初参加も。
ばりばりの相聞や社会詠もあり、作品も多様で楽しい歌会だった。

その詠草の中の一首に、最近父上を亡くされた方の
挽歌が含まれていた。挽歌は歌会では目立つし、
心情に訴えかけるという点では、歌会ではかなり有利。
私もその一首に票をいれてしまった。

複数票が集まり、それぞれ評価する点を言い合ったのだが。
解釈が微妙に異なったことに、少々驚いた。
未発表作品なので、作者の許可なくここに載せることは
遠慮するが、内容としては

 これが、これが父親なんだ・・・もう良い思い出しか思い出せない、この空の下で・・・

というような作品である。
その「これ」と「これ」を、想い出の一つ一つだ、と解釈する人が、
一人ならずいたので、私はかなり戸惑ってしまった。

これが、という「これ」とは、死後間もない、父の実態なのではないか、
と私は考えたからである。ちょっと生々しくなるが、父の死の顔。
あるいは、火葬後のお骨・・・・。
生前の父からは遠く隔たってしまった、物質化した「父」ではないかと。
(批評の場では口にするのはかなり勇気が必要だった)

想い出の一つ一つでは、作品の下句と即しすぎてしまうではないか。
でも、下句の場面は屋外である。となると
上記のような私の解釈では、上の句と下句との時間経過が長すぎる、
という批判も出た。

短歌は短いし、歌会の場では作者名を伏せて行われるので、
余計に解釈が難しくなる。それがまた、面白いところなのだけれど。

と書いて、私は個人的にこの歌の作者が誰なのか、
見当がついていたからかもしれない、と気が付いた。
私はその人の声で、この歌(の哀しみ)に聴き入っていた、
と気が付いたのである。
このことは、はたして、作品にとってどうなのだろう。

我が家の味(その4) [食文化]

我が家の味、というより、今回は料理スタイルについて。

徒歩二分ほどのところに私の実家があり、時々出かけていく。
先月は、母が体調を崩し、買い物病院への送り迎えなどを手伝った。
食事作りは・・・・。あまり口や手を出せない。

台所はずっと母の聖域。子供の頃から最近に至るまで、下手に手を出しては
叱られたり、機嫌を悪くされたりした記憶が多すぎるほどある。

とはいえ母も年と共にかなり丸くなっているし・・・、
「何か手伝うけれど・・・」と遠慮がちに言うと
「いいわ、自分で御粥を作ってあるし、煮物も温めれば、
食べれるようにしてあるし・・・」

言われてみると、なるほど、テーブルにも
調理台にも、鍋がいくつも載っていて、その中には
調理途中、あるいは食べている途中らしい、お菜が入っている・・・。

う~む、私はこういうことはしないなあ、とあらためて、
母なる人と自分との差を想った。
私は基本的に作り置きはしないのである。
おかずを前夜に作る、ということは決行する。
ただし、当日になにか(歌会とか、通院とか、美容院とか)
時間がかかりそうな用事があって、食事の支度の時間が
十分に取れない、というときだけ。それも一回の食事で
食べきれそうな量しか基本的に作らない。

これは、相棒の影響も大きい。
彼は同じ料理が二度登場するのをかなりいやがる。
夕べの残りが少しあれば、朝食に温めなおして食べる
くらいなら構わない。でも、翌日の夕飯にも登場する、
なんてことは、極端に嫌がるのである。
それがわかっているので、私も食べきれる量、については
神経をとがらせ、できるだけ作り過ぎないようにしてきた。

冷蔵庫の中も然り。食材はできるだけ購入後少なくとも二日くらいのうちに
使い切る。それでも余ってしまったら、何か目先の変わったものに料理する。
ということは、あまり応用の効かないような食材は
基本的に少量しか買わない。大量にしか買えないものは、
よほどのことがない限り、食材として使わない・・ということになる。

母とは全く、異なるスタイルを作ってきてしまったなあ、と思う。
昨日も、「何か欲しいものあったら買ってくるよ」
と声をかけると、冷蔵庫を開いて、中を見せてくれながら
「何でもそろっているから、いいわ」
と言われた。冷蔵庫は奥の方まで、何やらギッシリ詰まっていた・・・・。