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バースディ・ガール [映画]

ニコール・キッドマン主演の2002年作のサスペンス。
(以下の内容にネタバレも含まれますので、ご注意ください)。

ロンドン郊外に暮らす銀行員のジョンは、周囲に結婚相手が見いだせず、
インターネットのサイトからロシア人の花嫁候補を選び出す。
サイト名は「ロシアより愛をこめて」。
現れたナディアは、サイトで見た通りのセクシーな女性だったが。
なんと、英語がまったく話せなかった!

約束が違う、とジョンはナディアを「返品」しようとする。
ベッドを共にするのも拒否しようとするのだが、
ナディアは、セクシャルな魅力を駆使して・・・・。

私はまず、ナディア演じるキッドマンが、あまりにもロシア語を、
それっぽくぺらぺらと喋りまくるのに驚いた。
あれ、この人、ロシア系? って、わけないよね。
彼女はやっぱ、英語話せるのでした、
キッドマンなんだし(いや、とりあえずこれは関係ないか)。
つまり、詐欺を働くために、戦略的に
話せないふりをしていたわけで・・・。

話せない彼女は周囲から断絶し、
結婚相手に百パーセント寄りかかってくる。
話せないことを負い目に、彼に精いっぱいその他の面で
尽くそうとする。男がほだされないわけないのである・・・。

この映画の題が、なぜ「バースディ・ガール」なのか、
不思議だった。でも彼女の誕生日であると言われた日が、
物語の転回点になっているのだった。
西洋人はとにかく、誕生日を大切にするから。
日本人には、ちょっと理解できないほど。
それはイギリス人もロシア人も差がなかった、ってことでした。

こういうサイトなどを利用して、結婚相手を探す、って、
けっこうリスクありそうだな、と改めて思う。
それだけ、みんな、サイトばかり(スマホ、ケータイ、PCを問わず)
見ているばかりで、実際の生活を通して触れ合うことが減ってしまったからか。
便利なような、不幸なような・・・・。

帰潮 [短歌]

佐藤佐太郎歌集『歩道』に続き、『帰潮』を読む。
戦後間もなく(昭和22年~25年)に詠まれた作品を収める。

読みはじめて、はっとした。これは『歩道』とはかなり異なる、
という感覚を抱かされたからである。
先回『歩道』の印象(それもマイナスの)として書いた三つのうち、
三番目の「同じスタイルの歌が多い」ということは、この歌集でも
同様に感じた。けれども、それは、間違いなく、佐太郎と言う歌人の美質の
ひとつだったのだ、と気づかされる

おりおりの、微妙な心の動きが、この整ったスタイルの中に、
うまく掬い取られている、と思わる作品がたくさんあったからである。
たとえば、

  連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音
  あぢさゐの藍(あゐ)のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼
  いくひらの白雲のひまに月あればただよひやまぬ月を悲しむ

個性的な比喩も目についた。

  籾(もみ)を摺る響きのやうにひとしきり聞こえてゐる夜の飛行機
  石ひとつ机に置きてをりをりに木通(あけび)のごとき石を愛しぬ
  よろこびの余燼(よしん)のごとき蝉のこゑ聞きゐる吾はこころ弱きか

歌人の心を鋭敏にしているのは、戦後の混乱と貧困といった、
社会状況が大きかったのではないだろうか。その緊迫感、
無力感が作品に交互に見えて、胸を打たれる。

  今しばし麦うごかしてゐる風を追憶を吹く風とおもひし
  しろじろと虎杖(いたどり)の咲く崖(がけ)が見え幸(さいはひ)のなき曇につづく

『帰朝』は、二十余年も前に一度目を通しているが
ほとんど心動かされることがなく、ざっと読み飛ばしただけだった。
『歩道』の退屈な印象が強かったからだろう。
佐太郎を、もう少しきちんと読もう、という気持ちになった。
そして、もう一度、『歩道』も読み返してみることにしよう。

歩道 [短歌]

届いたばかりの角川の「短歌」三月号を
ぱらぱらとめくっていたら、高橋睦郎氏の講演録
「一位の歌びとー葛原妙子の素顔」が目に留まった。
葛原ファンの私はすぐに読みはじめ、
「もっとも好きだった歌人は、意外でしょうが、佐藤佐太郎・・・」
という一節に、目が点になった。ええ、もちろん、意外も意外です!

私は、好きな歌人、尊敬する歌人に「佐太郎好き」を説かれるたびに
佐太郎を読んでいる。そのたびに、混迷し、落胆する。

この度も懲りずに(葛原とあれば、いても立ってもいられず)読み返す。
とりあえず、第一歌集『歩道』を。ちなみに私は、佐太郎の独立した歌集は
持っていないので、現代短歌全集に収録されている『歩道』と『帰潮』を
手元に読めるのみ(これがいけないのか。とはいえ、佐太郎の代表歌集ではないか)。

読みはじめて、またしても、あくびが出そうになる。
これは私の読解力のなさ、だろうか。
なぜ、私がつまらない、と思うのか、書いてみる。

第一に、素材の単調さ。おおよそが身辺の自然や風景と限定的。
人物はごくごく少し(後半に妻子の歌が数首、兄の歌が一首程度)。

第二に、素材の限定性と関わるが、歌意の類似する作品が多い。
たとえば、同じ昭和九年の作品のそれもほんの十数首の間に

  顔冷えて眠りてをりし暗闇(くらやみ)に天井(てんじやう)の高き部屋に目をあく

  天上の高き室(へや)なかにわれひとり晒(さら)されしごとくにて夜半(よは)に目をあく

がある。整理してどちらか一首に絞るべきではないか。
これは一例で、ほかにも良く似た感じの歌が、ぞろぞろ。

第三に、これも先の二つとかかわりがないとは言えないが、
とにかく構造の良く似た歌が多い。
   〇〇 して △△
   〇〇 なれば △△
   〇〇 しつつ △△

こういう構造の歌が大半を占めるのである。

『歩道』はなんと568首も収められている歌集で、
読みはじめるとものすごく、最後にたどりつくまでが
しんどい感じがする。それなのに、読み終わってしまうと、
ほんの百首くらいしか読んだ感じがしないのだ。
ああ、葛原は佐太郎のどこが好きだったんだろう。

明日は、『帰潮』を読んでみるつもりだけれど・・・。
(少し、辛いかも)。  

創造の技術・続 [文学]

先回、学校で技術を習得するための方法を、
全く教わらなかった、と書いた。

思い出すに、作文の時間は「思った通り、感じたままに書け」
と言われ、読書の時間は図書室で勝手に読書するように言われた。
音楽の時間も先生のオルガンやピアノに合せて歌うだけ。
美術の時間も、題材を与えられたりはしたけれど、勝手に絵を描かされるだけ。
体育もまたしかり。試合ばっかりしていて、技術の指導なんかゼロに近い。

あれが学校で「教わる」ということか、と疑問に思う。

ただ、アメリカでは、ちょっと実情が異なっていたことについて
今回は書いてみたい。
私は、渡米して三か月ほど、母語が英語でない人のための
英語の学校に通ったのだが、ここでの教え方は独特だった。

例えば、作文の時間。
教師はまず、「私の弟は、賢い」という例文を黒板に書く。
その後を、どう展開するかについて、例を挙げながら、
文章の書き方、その構成の方法について、伝授していくのである。

リーディングは別の教師だったが、やはり、
読書の仕方についての、方向を指南してくれるものだった。
各パラグラフの最初の一行だけをざっと読みながら、
その文章全体の論旨を捕えていく、というもので、
短時間で自分の欲する本なのかどうかの判定、
あるいは速読に即、役立つ方法だったと思う。

ヒアリングリスニングの授業は、主に
音楽(唱歌など)を利用して行われた。これは耳を鍛えるのに
かなり有効だった。ただし、一部の学生には、
小学生じゃあるまいし、と不評も買ったことは確か。
とても楽しい授業だったと、私は楽しく思い出すのだけれど。

日本の学校は先生が教科書の内容を説明するだけ、
という授業が多すぎるのではないだろうか。
知識の伝授に偏り過ぎてはいないだろうか。
工夫がなさすぎる、と思うのだけれど、これもまた、
教え方の技術が身についていないせい、と言えるかもしれない。

創造の技術 [文学]

朝日新聞夕刊連載の「人生の贈りもの」という
コーナーはいつも楽しみに読んでいるが、
先々週までは九回にわたって、阿木燿子が登場していた。

阿木は私が大好きな作詞家で、特に山口百恵に提供していた
作品の数々はどれものめり込むように聴いていた。
彼女の作品がなかったら、百恵ちゃんもあんな大歌手には
ならなかったのではないだろうか。

でも今回の記事で意外だったのは、「作詞が苦手」、
「依頼がなければ、たぶん一つも書かない」と語られていたこと。
そして「私には技術がない・・・・降りてこないと書けない」
と、苦渋の胸の内を明かしていたこと。

あんなに素晴らしい歌を山のように作っているのに?
と不思議に思いながらも、一方で妙に納得した。

技術で書いているな、と思える人をたくさん知っている。
技術があればあんな風に大量生産できるんだ、と思いつつ。
羨ましいか、というと、それがさほどでもない。
技術に寄りかかり過ぎると、必ず作品は薄っぺらになる。

阿木も、そのあたりを意識しつつ、けれども
プロとして数をこなすために、ある程度の技術を
と欲しながら、思うように手なずけられない、というところなのだろう。

日本と言う国は、限りなく創造の技術を尊びながら、
その伝授の方法というと、限りなく貧弱だったと今更ながら思う。

技術の会得方法は、学校でこそ教えるべきではないか。と強く思う。
レポートの描き方、読書の仕方、数の考え方、絵の描き方、唱歌の歌い方、
跳び箱の飛び方、バットの振り方、球の捉え方、体の鍛え方・・・。
私は何も教わらなかった。今もそうだろうか。

患者を生きる・その後 [短歌]

拙著『二つぶ重い疒(やまひだれ)』に関する
朝日新聞の「患者を生きる」の連載記事について、
あちこちから手紙やメールを頂き、中には
十年近くも音信不通だった友人や、
以前に歌会を一緒にやっていた人や、
もう二十年余りもあっていない昔の同僚・・・
などなど、旧交を温めあった一週間だった。

記事の内容は、担当記者さんと詰める形で
作ったことになり、最終的な文章は知っていたが、
記事に添えられる写真は、いくつも提出していたので、
どれが載るのか、よくわからない部分もあった。

第三回に掲載されたのは、2010年10月
東大病院入院中の日誌
で、へたくそなイラストが載っているやつ、10月10日の分。自分のリンパ浮腫の
治療経過が良くわかるよう、図を加えたものである。

それはともかく、目を凝らしてその写真を見ると、
真ん中あたりに、当日聞いた、野球(クライマックス戦)の
経過がメモしてあるのが読めてしまうのだ。
西武対ロッテ、二度の逆転劇、とかなんとか。
その下に、スコアの経過まで書いてある。

あ~!! と、頭を抱えた私。
相棒がそばで「いいじゃない、余裕だよ」
と笑ったけれど。余裕ってわけじゃなかった。
このときのロッテの粘りが、私には大きな支えだったのだから。

薄氷の殺人 [映画]

ベルリン国際映画祭で金熊賞(作品賞)と
銀熊賞(主演男優賞)を受賞した、中国の犯罪サスペンス
と聞けば、期待も高まるというものである。

次々に大型トラックで運ばれてくる石炭の山。
ベルトコンベアーで流され、中国各地に運ばれる、
その黒一色のなかに、何やら人間の一部らしき塊が・・・。

猟奇映画なのかな、嫌だな、と思いながら見ていたのだが。
時代は九十年代の末。当時の中国ではDNA鑑定
一般的でなかったようで、遺体の一部についていた
遺留品などから身元が特定され、あるクリーニング店に勤める
若い女性の夫、とされるのだが・・・。

そのあたりから、この映画の傷、というか
作品としての物足りなさが目立ち始める。
警官たちが妻に夫の死を報告する場面で、
妻はただ、顔を覆って泣くばかり・・・なのである。
被害者の妻は若く(そして美しい・・ようである)、一方捜査に関わるのは、
型破りで個性的な中年の元刑事なのだから。

ここは、妻の表情を、少しでも見せるべきところではないか。
少なくともその若さ、美しさが、事件に関連があると
(実際、その関連は大きいのである)示すべきではないか。
鑑賞するものは、このあたりから映画の展開を予想しながら、
さらに内容にひきつけられていくものなのではないか。

これは一つの例であるが、そのほかにも、この映画には、
もどかしい部分が多々あって、私がもし映画祭の審査委員なら
金熊賞どころの話じゃないぞ、と思えてしまった。

いったい、どのあたりが評価されたんだろう。

患者を生きる・続 [短歌]

朝日新聞朝刊の「患者を生きる」の欄に、
「短歌のはげまし」というタイトルで取り上げてもらっている。
今日が四回目。とうとう、現在の私の写真が載ってしまった!
かなり恥ずかしいかも。でも、自分の「今」である。
しっかりと見据えなくては・・・。

紹介記事はいよいよ結末に入った。
手術を受けた後、リンパ浮腫という後遺症に悩んだこと。
東大病院の光嶋先生を紹介してもらい、
この症状に対しては先端的な治療法である
静脈とリンパ腺の吻合手術を受けたこと。
おかげで術前とほぼ変わらない状態にまで回復したこと。

病気と向かい合っていると、何度もへこたれそうになったが、
短歌は大きな支えになってくれたことは間違いない。

闘病中に作っていた歌から百数首選び、
病気の経過や治療の様子を細かく書き込んだ闘病記
出版した。題して『二つぶ重い疒(やまひだれ)』(青磁社)。
アマゾンでも購入できるそうです。
興味のある方は覗いてみてくださいませ。

患者を生きる [短歌]

昨年11月に出版した私の闘病記『二つぶ重い疒(やまひだれ)』が
朝日新聞の「患者を生きる」を担当記者の方の目に留まり、
「短歌のはげまし」というタイトルで、五回にわたって
朝刊に連載されることになった。今日がその一回目の日。

いつものように新聞を取ってきて、今朝は生活欄から
見た。「ああ、載ってる」。写真付きで!
この写真、二十年余り前の写真である。ちょっと照れくさい。
でも、河野裕子さんとならんで写してもらったのはこれだけ
だったし。この時は、河野さんが私の手を引いてくれて、
「一緒に写してもらおう」と誘ってくれたんだった。
彼女との思い出がどっとこみあげてくる。

新聞記事については、これまでどんなふうに出来上がるのか、
深く考えたことはなかった。何しろ毎日毎日、
発行されていくわけだし。ほとんどの人にとって「読み捨て」
られるものだし。かといって、一度に多くの人の眼に
触れるものだから、誤りがあってはいけない。

とにかく、大変だった。記者さんとは最初にお会いした十二月上旬以来、
面と向かって話し合いをしたのが四回。メールでのやり取りは、ほとんど連日。
資料もたくさん提出し、短歌についての思うところを小論文風に書き綴って
提出したりもした。なんだか、久しぶりに短歌と言うジャンル
(自分はのめり込んでいるのでよくわからないかったが)外から見直す、
良い機会になった。

記者さんとのやりとりは、まだ続いている。明日からの分の調整が残っているから。
どんな反響があるのか、楽しみ。
このブログを目にされた方、ぜひ新聞の方も見て頂きたい。

我が家の味(その3) [食文化]

御御御付けと同じくらい大切な家庭の味は、
日本ではやはり、ご飯でしょう。
海外で生活した経験が何度かあるが、
やはり一番恋しくなるのが日本の炊き立てのご飯である。

我が家では今、秋田から取り寄せたお米を食べているが、
たまたま一緒に取り寄せを、と声を掛けてくれた知人がいたから、
というだけで、普段は近くのスーパーから購入することも多い。
それでも十分美味しいから。

白米三合に対し、玄米一合、それと十六穀米を一パック混ぜて
炊き上げる。白米だけよりやや食味は劣るかもしれないが、
健康を考えて、玄米は必ず入れるようにしている。
十六穀は、稗、粟、黒豆などがブレンドされている市販品。
これを用いるときは、ちょっと気を使った。
相棒が気に入らないのではないか、と案じたのだ。
彼には玄米と白米だけのご飯、私の分だけ十六穀入りと、
分けて準備すると
「なんか、そっちの方がうまそうだ」
と言われたので、ほっとした。二人で別々は二度手間だから。

ご飯がおいしく炊けると、それだけで幸せな気持ちになれる。
瑞穂の国に生まれた幸せを感じる。

日本にながく留学していた中国大連出身のYさんは、
その後上海に仕事が見つかって、帰国したが、
しばらくぶりに会うと、上海の味が合わない、とこぼしていた。

「日本のご飯が懐かしい。大連では日本風のお米が
安く手に入るのに、上海では、在留日本人向けの高級品だけ。
今の安い給料ではとても入手できない・・・」
そして今度「日本に帰ったとき」沢山購入して持ち帰る、
と言っていた。私は中国に滞在するとき、そうまではしなかったんだけれど。