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カクテル [食文化]

アメリカの十九世紀後半の資料を
調べていたら、カクテル文化について触れている箇所があり。
たちまち、二十代の頃、
何度か友人たちと出かけた、カクテルバーを思い出した。

1970年代半ばころ、日本でもカクテルが流行した時期があり、
友人がバーにスピリッツのボトルをキープしたりしていた。
若くて、お金に余裕もなかったけれど、
静かな雰囲気の良いバーがあって、
ほんの二、三杯、飲みながら長々とおしゃべりしたり。
結構楽しい時間だった。

結婚してから、シェイカーを買って、
主なスピリッツも揃え、家でカクテルを作っていたこともある。
それがいつからか、とんと飲まなくなった。
周りでカクテルを楽しむ、と言う話も聞かなくなった。
日本人は飽きっぽいので、カクテル文化も
さほど定着はしなかったということだろうか。

数年前、キューバに出かけたことがある。
私は世界の甘味の文化について調べているので、
世界的な砂糖生産の島であるキューバを外すわけにいかなかったから。

めぼしいお菓子には出会えなかった。
しかし、砂糖キビを主材料とするラムから作られる、
素晴らしく美味しいカクテルには出会えた。
ダイキリである。

ホワイトラムと、少しの砂糖、ライムジュース、
それに細かく砕いた氷をシェークするだけのものらしい。
だが、これがとても言葉に尽くせないほど美味だった。
決め手は、氷の細やかさではなかったろうか。
かき氷状では細か過ぎ、ぶっかきでは大きすぎ、
細かい砂利状の氷でなければ、かくもおいしくはならないようだ。
家で作れたらなあ、と憧れつつ、きっと幻滅するに決まっている、
口腔で思い出すだけにしとこう、と思うのである。

原作は漫画 [映画]

今月、WOWOWで観た日本映画三本。
『娚の一生』『ストロボ・エッジ』『神さまの言うとおり』。
共通点は、原作がすべて漫画だということ。
構成力や創造性、時代の切り取り方など、すべての点で、
漫画は文学の上を行っている、ということだろうか。

『ストロボ…』と『神さま・・・』は、学園が舞台になっていて、
主な登場人物は高校生。前者は恋愛ものの王道的なもので、
既視感のある展開だったけれど、驚かされたのは
『神さま・・』の方である。十代が主役なのに、「R15」。
最初から、高校生の首が教室の中を吹っ飛び、
黒板も床も血だらけになりながら・・・、
という過激な展開。これがなんと、命を賭した「だるまさんが転んだ」。
やがて巨大な、こけし、招き猫、クマのぬいぐるみなどが
次々に現れては、高校生たちに死のゲームを強要していく。

最近ほとんど漫画は見ない私だが、
その漫画の展開の仕方、描線まで目に浮かぶようだった。
ちょっと不思議な感じ(普通は逆だから)。

この映画の監督は三池崇史。
漫画の過激さを、どこまでリアルに表現できるか。
これはこれでやりがいのある仕事ではあっただろう。

ただ、このところ若者を主人公にした
「生き残りゲーム」的な映画が増えている印象がある。
漫画の世界がそうなのだろうな、と思いつつ、
最近起きている壮絶な苛めの遠因になってはいないだろうか、
と気になった。

あの頃(亡き人へ 3) [生活]

中学生の頃は山形に住んでいたが、そこで、音楽を担当してくれたのがT。
二十代後半の独身男性教師だった。

彼は県内の某市の、裕福な家に生まれた跡取り息子で、
東京の大学へ進学したかったらしいが、親の反対にあい、
泣く泣く地元の国立大に進学し、(ほかに仕事もないのでやむを得ず)
教師になったという噂だった。

ピアノがめちゃくちゃうまかったが、ひどい気分屋で
機嫌が悪いときは、授業そっちのけでピアノを弾きまくる・・。

こんなこともあった。
ある日、授業を受けるために音楽室で待っていても、Tは現れず。
三十分も経ったところで、鼻歌交じりに入ってきたのだが、
私たちを見た途端、驚いたように目を剥く。
「お前たち、ここで何を・・・、ああ、もしかして、俺の授業?
すっかり忘れちまってたよ! いいことするつもりだったのに」

当時誰もが憧れていた大型の
オープンリールのテープレコーダを持ってきていた。
自分の演奏を録音するつもりだったらしい。

運動神経も抜群で、球技は体育の教師よりもうまかったくらいである。
彼はブラスバンド部の顧問もしていた。
ある年の文集に、ブラスバンド部の「合宿日誌」を
寄稿していたことがあり、その文章には驚かされた。

そば屋の請求書が「プラスバンド部さま」となっていたことに
激怒して書き直させたところから始まり、
オタマジャクシもろくに知らない、
田舎の中学生が必死に音楽に取り組む姿が、
滑稽にも涙ぐましい・・・、と面白おかしく描いている。

ユーモアたっぷりで巧みな文章に、彼は文才もあるんだ、
と舌を巻いたのだが、はたして部活に励んでいる彼らは
どう読んだだろう・・・・。

私は中学を卒業後、父の転勤で上京し、
山形を離れたのだが、大学に入学して間もなくの頃、
Tが事故で亡くなったという噂を耳にした。
バイクを運転していて、転倒したらしい。

どっさりと授かった才能。それによる過剰なまでの自信。
でも、彼はその能力の受け皿が周囲にはないことに、
苛立ち、自暴自棄になっていたのではなかっただろうか。

大学四年になって、私は久しぶりにこの町を訪れ、
何人かの友人に会った。ブラスバンド部だった
同級生もいて、彼はとりわけ優秀で温厚だったのだが、
急に吐き捨てるように言った。
「Tのやつ、死んだんだろう? ああ、良い気味だ!」

First in Flight [短歌]

私が所属している結社誌「塔」の一月号が届く。
ぱらぱらと読んでいて、目に留まったのは

  兄ウィルバー、弟オーヴィル、冬空のもとに飛びたる二葉のつばさ
                                  松村正直
かのライト兄弟を詠んだ歌である。
途端に、八十年代の半ば、アメリカで暮らしていたことを思い出した。
滞在先はノースカロライナの州都、ローリーである。
真っ先にしたことは車の免許の取得。そして中古車の購入。
陸運局窓口に出かけ、ナンバープレートの交付を受けた。
アメリカでは、所有者ごとにナンバーが変わるのだった。

そのナンバープレートは記念に持ち帰り、
大切に保存してきたのだが、松村さんの作品で
ナンバーの上部に書かれている「First in Flight」という
言葉を思い出したのである。

プレートの交付を受けたとき、この文字の意味は?
とアメリカの知人に尋ねると、直ぐに問い返された。
「ライト兄弟を知っているだろう?」

そうなのだった。ライト兄弟が世界で初めての動力有人飛行機の
飛行を行ったのが、ノースカロライナ州にあるキティホーク近郊だったのである。
彼らはオハイオ州の出身だったが、良い風が得やすいことや、
砂地の柔らかさなどから、この地を選んだらしい。

訊いてみると、アメリカでは州ごとに愛称があり、
ナンバープレートにその文言を付している州も多いのだとか。
たとえば、アイオワ州なら、「Corn State」(とうもろこしの州)。
「First in Flight」は、韻を上下で踏んでいる感じで
詩的センスも感じられ、なかなか素敵である。

プレートの「First in Flight」の文字と重ね合わせる形で
ライト兄弟が初飛行に使ったとされる、まるで細長い檻みたいな
粗末な飛行機のイラストも描かれている。

彼らの初飛行は1903年12月だったとされる。
歌の通り、「冬空のもと」での飛行だったのである。
風はそこそこ強かったかもしれないが、
寒くはなかったかもなあ、としばらく思い出にふけった。

ブログ当番・月命日 [短歌]

私が所属している「塔短歌会」のHPは、
この手のHPの中でとりわけ充実していることで知られている。

ユニークなのは、冒頭近くに設置されている「塔ブログ」だろう。
塔の編集委員の有志の十数名が、一週間交代で
書き継いでいるブログである。

先週は私が当番だった。もう三度目が回ってきたのである。
当番期はあらかじめ分かっているので、きちんと考えて準備
しておけばいいのだけれど、まあ、前回の人までのを
ざっと見て、、あとは自分の気持ちでぱぱっと、書いてしまう。
短歌会のブログなので、できるだけ、関連する短歌を引こうと思っているのだけれど。
このあたりが大変だ。

今回は、愛犬の月命日の日が当番期間に含まれていたので、
犬の写真を載せ、これに触れることにしようと思っていた。
犬の歌は、最後まで、あれこれと探したが、なんだかどれも、
少し違うなあ、と思ってしまって・・・。
やはり、自作が最も合う、とは思うのだが、
塔のブログに自分の歌を載せるのはあまりにずうずうしくはないか、
と遠慮してしまった。
ここに引いておくことにする。

  死の際の我が犬の睫毛るりるりと微光のやうに揺れゐき 忘れず
  犬逝きて雨降ればふいに年老いた父のやうなりその犬小屋は
  庭隅にうづくまりゐる亡き犬に今宵も声を掛けて戸を閉づ
                                 岡部史

この自由な世界で [映画]

イギリスの映画監督ケン・ローチが手掛けた作品は、
機会があればぜひ見ておきたいと、常日頃思っている
最近のWOWOWで発見したのが、「この自由な世界で」(2007年)。

ケン・ローチ監督の作品らしく、美男美女は登場せず、
派手な山場もなく、映像はまるでドキュメンタリーを見ているよう。

主人公はロンドンで働く三十代後半のアンジー。
一人子を持つシングルマザーである。
展望のない勤め人生活に見切りをつけ、
同世代のもう一人の女性ローズと共に、職業あっせん業を立ち上げる。
イギリス中に押し寄せる中欧、中近東、アフリカからの
不法移民を建設現場などに送り込む仕事である。

元はと言えば、貧困層の人たちに仕事の道筋をつけてあげようという
人助けの気持ちもあったはずなのだが・・・。
彼女はやがて、少しずつ道を外してゆく。
より良いオフィスを入手し、さらに子供の将来も見据え、
ローンの返済も早く済ませ、と自分の欲望の方を優先させるようになる。
底知れぬ暴力と、恐喝の影とも闘わざるを得なくなるのである。

こうしたことは、程度の差こそあれ、欧米社会で今まさに展開している
隠しようのない現実であろう。そして日本でも・・・。

長い時間をかけて培われてきた民族の価値観、風土、生活習慣、
といったものが、世界各地に今も厳然とある。
それらは一朝一夕には変わらない、変われないものである。
だが、その一方で、人間の移動は
いとも簡単にできるようになったし、
それ以上に早く、お金は世界を巡るようになってしまった。
人々は、何を価値基準として生きていくべきなのか、
見失い、右往左往し、負のスパイラルに落ち込んでいるように見える。

この映画が撮られてすでに八年余り経っている。
その後に、中東の状況は悪化の一途をたどっているから、
現実はより一層深刻なものになっているだろう。
ヨーロッパ社会は、今、大きな岐路に立たされている、
と言えるのかもしれない。

虹の雌雄・さらに [文学]

虹には雌雄があるらしい、どこで区別するのかな、
そんな話を相棒にしたら、『中国神話伝説集』を持ち出してきた。

この書に「虹の説話」という項があり、冒頭にいきなり

  虹には雌と雄とがあると信じられた。『爾雅』の言うところによると 
  ・・・色鮮やかで盛んなのが雄、やや闇い色をしているのが雌・・・

と説かれている。なるほど、こういう区別だったのか(あまり面白くはないが、
知ることができたのは良かった)
続いて様々な古い文献を引いて虹にまつわる言い伝えが
披露されていて、なかなか面白い。

虹を天に架かる橋、と捉えたというのはありそうだが、
天の弓として虹のことを「帝弓」と呼んだ、というのは意外。

天界に住んでいる怪物が首を伸ばして
地上の水を飲みに来る、という説もなかなか面白い。
言われてみれば、そんな風にも見えるかも。

最近虹を見たのはいつだっただろう、と思いを巡らし、
四年ほど前に訪れた能登でだった、と思い出した。
雨上がりの後の、大きな虹だった。
虹には二層、三層のものまであるらしいが、
私は見たことないかも。

  悪口雑言およそ楽しき男ばかり行けば西都原(さいとばる)三層の虹
                               永田和宏『やぐるま』

第九 [藝術]

年末、NHKホールで行われたN響による第九を
聴くことができた。
チケットがあるので、と私を誘ってくれた方がいたのだ!
(ふだんから尊敬していた方からのお誘い!
 私は前夜よく眠れなかったくらいだ)。

前もって、我が家にある第九のCDを聴いてみることにした。
カラヤン指揮のベルリンフィル、録音は1976年9月ー12月、1977年1月ー2月
となっている。複数の録音から、良好なものを組み合わせた、ということか。

改めて聞いてみるとなんだか、すごくのっぺりとした音に聞こえる。
こんな風だったかなと、少々落胆する。まあ、ステレオも古いし、
私は正直なところ、耳に自信がない。
音楽に薀蓄は必要ない。楽しめばいいんだ、と開き直る。

そして待ちに待った当日。
生の演奏はやはり感激だった。
CDの音に比べると、立体的でメリハリのある音。
そして全体にふんわりと艶のある柔らかさという印象があった。

合唱の迫力も素晴らしかった。何しろ人数が半端じゃない。
合唱が始まる、その一瞬前に、全員がすっと
立ち上がったとき、鳥肌が立つような感動に襲われたほど。

あれこれと忙しかった年末の一日。
素晴らしいクリスマスプレゼントを下さったKさんに感謝!



お餅 [食文化]

辰巳浜子『料理歳時記』を読んでいたら、
鏡餅について書かれた項があって、懐かしくなる。
子供の頃、鏡餅はよく母が飾っていたことを思い出したから。
結婚した当初は私も鏡餅を買って飾っていたが、
その後の利用が面倒で、いつからか飾らなくなった。

著者の辰巳は、鏡餅を寒風に当てて小さく割り、
からからに干して堅餅にし、油で揚げるのがよろし、と書いている。

そこで思い出したのが、雪国に住んでいた子供の頃に食べていた揚げ餅である。
当時の我が家では年末に餅屋に餅を搗いてもらっていた。
大きな平たい伸餅が2~3枚(これはお雑煮や付け焼き用)と、鏡餅。
そのほかに、幅12~3センチ、長さ40センチくらいの細長い餅を1~2枚。
この長餅には豆が入っている。届いたらすぐ
柔らかいうちに薄く切っておいて、並べて干して置く。

からからに乾いたら、大きな缶にいれて保存し、ときどき
母が油で揚げてくれた。少し塩を振って
温かいうちに食べる。何もない雪国の貴重なスナックだった。
これを我が家ではかきもち、と呼んでいたのである。

お正月にまつわるいろいろの習慣も消えていくばかりの昨今。
今日は七日、七草粥も食べずに過ぎてしまいそうだ。

虹の雌雄・続 [短歌]

水原紫苑という歌人の作品は、
私にはよくわからない部分もあって、
良い読者とはとても言えないのだけれど。
なぜか強烈に惹かれる作品があって、
それらをいつも身近に感じていたい、と思わせる、
不思議な歌人である(こういう作者は、私にはとても少ない)。
でも、自分の状態によっては踏み込みたくない、
と強く思える時もあったりで、私の水原作品への思いは
じつはかなり複雑である。

歌集『光儀(すがた)』は、この一月三日に初めて開いた。
そこには変わらぬ水原世界が広がっている。
静かで美しく、そしてわからないうたもやはり、多くある。

最後ちかくで、こんな歌に眼が止まった。

  君と見し北のくちなはその虹を我が知らぬ愛の言葉とおもひき
                              水原紫苑『光儀』

くちなわとは、蛇のことである。
蛇と虹の関係を考えていたので、はっとした。
そして、この歌が心の深いところに、じんわりと温かく沁みてきた。

偶然は続くもの、いや、引き寄せるものなのかもしれない。
このお正月、夢のように美しい虹に出会えて、幸せだった。