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闘病記(2) なぜ書くのか [文学]

「闘病記」に類する本を読んでいると、
どこかに作者がなぜ書いたのか、記されていることが多い。

たとえば、本田麻由美『34歳でがんはないよね』
作者は読売新聞の社会保障部で医療の問題などについて
記事を書く立場にあった2002年に乳がんを発病。
その闘病の記録がこの書なのだが、
最初の入院のときに
「せっかくの体験を記録にしようと急に思い立ち、
日記を付けだした。それは自分の心の整理、覚書でもあった」
と書いている。結果的にこの覚書が、『34歳で・・・』という
一冊の本の刊行につながったのだ。
最初は個人的な備忘録として、あるいは自分を客観視する
手段として「記録しておく」という形から始められることが多いのではないだろうか。

でも、最初から刊行をもくろんで書いた、と明言する人もいる。
もちろん、プロの作家さんであることが多いんだけれど。
グイン・サーガ』で有名な栗本薫こと、中島梓なんか
「これだけ苦しい重いをするのだから、いずれはどうあっても
それについての本を書いてモトをとらずにおくものか」
と『ガン病棟のピーターラビット』のなかで明言している。
彼女はさらに『転移』まで書いて、書きながら亡くなった。
まさに、物書きの「業」だなあ、とつくづくと感じ入ったことである。

闘病記 [文学]

先日、都心に出かけ、ちょっと時間が空いたので、
大きな書店に立ち寄った。歌集の棚を覗き、
欲しい歌集を探し当て、ついでに、近くの本棚に目を移したとき、
介護体験記・闘病記」という表示が目に留まった。
エッセイのなかの一部が、こうして独立しておいてあるのだった。

なるほど、時代だなあ、と感じ入り、どんな本があるか
見てみると、なんと『愛と死をみつめて』も混じっていた。
私が中学に入学したころに、世間で話題になり、
たちまちベストセラーに。その後映画化され・・・。

私はこの本を知人から譲ってもらって読んだ記憶がある。
「貸して」と頼まれ、あちこちに貸しているうちに表紙が取れて、
ボロボロになってしまったのだった。
映画も友人と見に行った。
ミコこと大島みち子さんを演じた吉永小百合が
マコこと河野実さんを演じた浜田光夫に
「愛しているのなら、一緒に死んで」
と睡眠薬を渡し、
「そんな意気地なしとは知らなかった。死にたいなら、ひとりで死ね!」
とはねのけられる場面が心に残っていた。

「愛の書簡集」的に読み、映画もその延長上に捉えていたなあ、と思い出す。
それが新装再版されて「闘病記」の棚に並べられているとは・・・。
ちょっと驚いたのだけれど、この本は戦後の闘病記の
さきがけ的な本でもある、と評価する向きもあるらしい。

病のなか、愛と死を綴り続けた大島さんは亡くなり、
往復書簡は、恋人の手によって、死後に出版された。
これが、闘病記、だろうか。とも思う。もう「愛の書簡集」というより、
「闘病記」という面からとらえた方が、より現実的、ということだろうか。
書棚の前で、しばし考えた。
人はなぜ、闘病記を書くのだろう。他人の闘病記を読むのだろう。
                                    (この項、続けます)

卵の味(7) 脇役として [食文化]

卵はいつも四個入りパックを買っている。
十個入りに比べると割高だが、なかなか使い切れずに
鮮度を落としてしまうよりははるかにマシである。
卵は私にとって、圧倒的に脇役なのだった。

お好み焼きを作るとき、最後に溶き卵を入れる。
ゴーヤチャンプルにも欠かせない。
酢豚の豚肉も、卵をまぶしてから片栗粉をはたいて揚げる。
ごくたまにつくる、クッキー、パンも卵が入ることで
がぜん、味が柔らかくなり、コクもでる。
脇役にしてこそ、卵はがぜん輝きを見せる、
そんな気がしてならないのであるのだが、しかし・・・。

相棒はどうだろう。もっと卵そのものの味を楽しみたいのかもしれない。

牛肉をたっぷり使ってうどんを作るとき(実際には出来上がる寸前か、
出来上がってから)
「生卵を入れて、月見うどん風にするけど、いい?」
と訊かれることが、たまにだがある。
私には、全くの予想外のことで、毎度「うっ」と返事に詰まる。
内心は「卵入れたかったのなら、早めに言ってほしかったな、
牛肉を減らしたのに・・・」
と思ってしまうからだ。カロリー過剰が心配なのである。
そういう展開をあらかじめ読めずに、
料理してしまったなあ、という後悔も、ちらり、とだが過ぎる。
「ああ、いいけど・・」
了承する。だけど、渋々である。それが表情に出てしまう。

相棒はもっと卵の味そのものを楽しみたいのかも。
卵嫌いの連れ合いに、多少の(あるいは大きな)不満あるかもしれない。
申し訳ないことではある。

卵の味(6) 温泉卵 [食文化]

高校生の頃だったろうか。友人たちの前で
温泉卵、って不思議だよねえ」
とつぶやいたら、そのうちの一人が
「な~んにも、不思議じゃないよ。
黄味と白味の凝固する温度が違うのを、利用しただけじゃない」
と、言う。それは頭では分かっている。

たぶん、卵の存在そのものの不思議さに
つながることなんだろう。
こんな小さな器の中に、全く質の異なる二つの物質が
綺麗に分かれておさまっている、その不可思議さ、美しさ。

十年近く前になるが、中国からの留学生を
箱根に案内したことがある。
箱根の大涌谷で、名物の温泉卵について
説明したら、ちょうど頭上を
小さなケーブルがゆるゆると上がってくるところだった。

「材料の卵は、あのケーブルで運ばれてきます」
と説明すると、温泉卵そのものより、ケーブルの方が
興味の対象になってしまっていた。

「凄いですね。中国だったら、絶対に
人が担いで登ってきますよ・・・」
「日本では人件費が高いし、技術力もあるし」
「卵は壊れやすから、大変なところもありますよね」

結局、温泉卵は誰も食べなかった。
私は、卵だけを外で食べるのが苦手なので(小一のときの遠足のトラウマ)
内心はほっとしたのだった。

卵の味(5) 目玉焼き [食文化]

目玉焼きは卵料理の中で最もシンプル
そして、美味しい、と思う。一番好きな料理法である。
母も目玉焼きは好きだったようで、日曜の朝の定番だった。
ソースで食べてもお醤油でも、ちらっと塩コショウするだけでもいい。
ただ、うまく焼こうとすると、シンプルなだけに
結構難しいところがある。

私は黄味にうっすらと白味部分がカブさって、
朧月夜のように見えるように焼いたのが好きなのだけれど。
水を注しても、周囲が焦げてしまってチリチリになってしまうことも多い。

それにあまり大きな声で言えないのだが、
私は卵を割るのがけっこう、苦手なのだった。
卵を手にすると、ちょっと緊張してしまい、
余計にうまくいかない。

大学一年の時、所属したサークル
宿泊つきの交流会に参加したことがある。

自炊施設のある宿泊所で、朝、みんなで朝食を作ることになり、
私は先輩のHさんと卵焼き係をさせられることになった。
Hさんは料理はお手の物、すいすいと卵焼きを焼いていく。
「ちょっと、代わって」
と言われたときは正直、どきん、とした。

まあ、目玉焼きくらい焼けなくちゃ、とは思ったのだけれど、
割るときに緊張してしまい、黄味が崩れてしまったのだ。
「あ、もう、だめじゃないの!」
とHさんに叱られ、しょげていると、
そばで手伝ってくれていた他大学の男性のIさんが、
「大丈夫、味は同じだよ。それは僕が食べよう」
と即座に助け船を出してくれた。

私はほっとして、それからは失敗なく
卵焼きを焼き続けることができた。
Iさんは、所属する大学で部長を務める、
私より二年年上の人だった。

責任感が強く、人望も厚く、典型的な
リーダータイプの男性だったが、
なんとなく、女性には人気がなかったようである。
男性にしては小柄で、風采も今一つだったからだろう。

私もその時親切にしてもらったのに、特に、
心ときめく、と言うことはなく過ぎてしまった。
若いときには気が付かない、男性の魅力というものもある。
卵焼きを作るとき、ふっとIさんを思い出すことがある。

卵の味(4) 厚焼き卵 [食文化]

私が一番苦手な卵料理は、実は厚焼き卵である。
もちろん、絶対に食べない、というわけではない。
出来立ての温かいうちに、ちらっとお醤油をかけて、
できれば大根おろしなんかが薬味についていると、
食べやすいかな、と思う。

冷たくて、そしてお砂糖が入っていたりすると、
もう、だめである。むにょ、と口の中で崩れた瞬間、
甘味がじわっと広がるのが苦手なのである。
好きな人に言わせると「そここそが美味」となるらしいが。

ところで、二年ほど前、「塔」の大阪歌会に出席、
近くの和食レストランでの二次会に臨んだ時。
六、七種類の料理が順に出てくる宴席だったのだが、
東京の料理とはまた異なっていて、面白かった。

たとえば、てんぷらは牛蒡だったり(東京の会食ではあまり見ない)
そして、厚焼き卵が出てきた時は、ちょっと、ぎょっとした。
な、なんでお酒飲む席に、卵焼きなの!
という疑念をぬぐいきれず・・・。結局さりげなくパス・・・。
他の料理はおいしかった記憶があるのだけれども。

その翌朝、宿泊したホテルの近くのコンビニ
おにぎりを買って食べた。鶏肉の炊き込みご飯のおにぎりで、
なかなか美味、であったのだが、なんとなんと、
そのおにぎりの中央に二。五センチ角くらいの大きさの
卵焼きが入っていたのだ!私は避け切れず、噛み始めていた・・・・。 
でも、この卵焼き、なかなか美味だったのである。

そうか、なるほど、大阪の卵焼きは東京のより、美味かも・・・。
と開眼した気分になった。
帰宅してから大阪で育った相棒にこの「卵焼き事件」について
報告すると
「そうだよ、大阪じゃ、卵焼きはご馳走なんだよ!」
と強調されてしまった。
「卵焼き定食だってあるんだよ!」
ふ~む・・・・・・。

卵の味(3) 生卵 [食文化]

旅先での旅館の朝食としては定番の生卵。
子供の頃はさほど、嫌いでもなく、時によって、食べたり、食べなかったり。

それでも、母から問題視されなかった。
せっかくの旅先で小言など言いたくない、ということもあっただろうが。

やや穿った見方をすれば、親にとって子供の「好き嫌い」とは、
自分が食べさせたいと思うものを子供が食べなかったときに
初めて顕在化するもの、とも言えるのではないだろうか。

結婚して親元を離れ、全く異なった食生活を送ってきた
相手と暮らすようになって、これまでの食生活を
ある程度、客観的に観ることができるようになった。
そうして、私の母自身が、なんと、好き嫌いの多い人だったか、知ることになった。
生卵はおそらく、母も嫌いだったのである。

生卵を美味と感じるためには、いろいろと条件が必要な気がする。
まず、新鮮な卵で、いわゆる卵臭さのない卵を利用すること。
黄味の濃い、美味な卵であれば、完璧かもしれない。

生卵がおいしいのは、ほんの少しだけ、ご飯にかけて、
たらり、と生醤油を垂らして食べるのが第一。
それと、すき焼きのとき、タレとして食べるのもおいしい。

それでも、私は生卵をそのまま、ずるっと
飲み込める人の気がしれない、と思っている方である。
あの、喉元を、だらーり、と下がっていく感覚が苦手なのである。

卵の食べ方は、けっこう難しい。
それは最初に書いた通り、卵は状態によって、
味と食感が千差万別だから。
そしてこんなに多用される食材もないからである。

卵の味(2) 茹で卵 [食文化]

「苦手な食べ物は・・・卵、かも」
そう話しながら、私の脳裏には、小学校一年の春の、
最初の遠足のことが思い出されていた。

行き先は、学校から一キロ半ほどのところにあった、
大宮、と呼ばれている神社であった。その境内でお弁当を食べて帰ってくるだけ。
そのお弁当に、母が茹で卵を詰めてくれたのである。
ところで、我が家ではゆで卵が食卓に上る、ということは
ほとんどなかった。母自身、あまり好きではなかったのだろう。
ただ、遠足のおかずの定番として、思いついただけだったのではなかったか・・。

お弁当に入っていたゆで卵は、今思うにやや茹ですぎだった。
堅くて、ぱさぱさしている。無理に呑みこもうとすると、
喉に詰まった。私は、途端に気持ち悪くなって、
吐きそうになった。でも、同級生たちの手前、
吐き出すこともできず、そのまま無理やり飲み込んだのだった。

帰り道、ゆで卵が食道あたりをうろうろしている感じがして、
これまた気持ち悪かった。きっと青い顔して帰ったのではないだろうか。
私はしばらく、他人がゆで卵を食べるのを見るのも、
嫌なくらい、あの食感が苦手だったのである。

「へえ、変わっているね、ゆで卵が苦手なんて」
付き合っていた男性は、驚いたようだった。
「ほとんどの人が、ゆで卵って、普通に好きなんじゃないのかな。
どういうところが嫌いなの。ポテトサラダに入っているのもダメ?」
言われてみると、ちょっと、訂正が必要だとわかってくる。
「全く食べられない、というわけじゃないよ。
小さく切って、マヨネーズで会えた茹で卵はけっこう好きだし。
ゆでたてのところを、四つ切にして、塩を掛けたのも食べられる。
乾ききったのを、丸ごと食べなければ大丈夫なの」
「ええっ、じゃあ、苦手じゃないじゃないか!」

そうなんだ、と私自身も初めて気が付いた。
私のなかの卵への苦手意識は、
一年生の遠足の日の、あの「喉つまり感」だけだったのかも、と。

好き嫌いとは、意外に微妙な、記憶の重なり合いから生まれるものらしい。
私は、その後の長い時間の中で、自分なりにゆで卵と「和解」しようと、
努力してきていたのかもしれない。
それはきっと、ゆで卵という食品が、かなり一般的な食べ物だったせいである。

卵の味 [食文化]

初めて男性と付き合いはじめたとき
「食べ物で、苦手なものは?」と訊かれた。
「豚肉の脂身」
と即答すると、ふふっと笑った。
「そういうの、たいていの人が苦手だよ。
みんなが普通に食べているのに、自分はダメ、っていうの、何?」
と訊くので、う~ん、と考え込むことになった。

私は好き嫌いがほとんどないのである。
いや、あったのだが、とにかく母が厳しかった。
「これ、食べたくない」などと言おうものなら、
「ああ、けっこう! 何も食べなくて、けっこう!
その方が、手間がかからなくて助かる」
と言って、私の前の料理をすべて片付けようとする。
私は、結局涙と共に、嫌なピーマンもむりやり飲み込むことになる。
そうして、私は何も好き嫌いのない、「良い子」に育った・・・。

あ、だが、待てよ、苦手な食べ物は確かにある。
思い出すと、アレだ。普段、我が家の食事ではほとんど登場しないから
気が付かないでいるのだが、確かにあれが出てくると、少しというか、
かなり躊躇する。

「え、何? 何が嫌い?」 彼が興味深そうにこちらを覗き込む。
「えっとね、卵」
「え、卵? ほんと?」
驚くのも無理ない。私は普段、結構卵を食べているはず。
厳密に言えば、卵自体がだめなのではない。
料理の仕方で、好き嫌いが出てきてしまうというだけだから。

思えば、卵ほど、調理の仕方で形態や味が激変する食材
しかも普段頻繁に利用される食材、は少ないのではないだろうか。
                        (この項、続けます)

靴下の伝染病 [生活]

向田邦子のエッセイを読んでいると、
「(靴下に) 伝染病を作ってしまった」という表現があって、
立ち止まってしまった。今もこんな表現をするのだろうか。
ストッキングが伝染した」あるいは、単純に「ストッキングに穴が開いた」かなあ。
向田氏のこのエッセイに描かれた時代の靴下は、足の付け根で止めるタイプのもののようだ。

そんな昔風の靴下はもちろん、その後流行し完全に定着した
パンティストッキングもまた、綺麗だが実にもろい。
小さな傷からつつーっと線になってほどけたように破れてしまう。
その破け方はまさに「伝染する」という表現がピッタリなんだけれど。

ストッキングに思いをめぐらしているうち、学生時代のことを思い出した。
当時の自分が日々の生活に余裕がなくて、
まるでストッキングのように、危なっかしく脆かったことを・・。

就職は考えた末、公務員試験を受けることにした。
集中的に試験勉強らしきことはしたが、それはほんの短い間の
附け刃的なもの。関東圏の割合と大きな自治体の筆記試験に
合格したときは、嬉しかったけれど、信じられない気持ちもした。

それでもまだ、二次の面接試験がある。
友人たちは「あんなの、ただの形式よ」と軽く言っていたけれど。
面接で落とされては大変だ、と私は服装にも気合を入れた。
とはいえ、一張羅のスーツを着ただけなんだけれども。

受験会場へ向かうために乗り換えの駅のホームを急いでいた時、
後からとんとん、と肩を叩かれた。四十代と思しき女性だった。
その人は私の方に寄り添いながら胸の前で、両手で丸く輪を作り、
「あなた、ストッキングに、こ~んな穴が開いてますよ」
と、ささやいたのである。

あ、と足もとを確かめると・・・。
なんと、脹脛のところに、女性が手で形作ってくれたと同じ大きさの、
丸い穴が開いていて、私の生足が、白く顔をだしているではないか!
がっくりすると同時に、ちょっと大発見した気分にもなった。
ストッキングはこんな切れ方もするんだ、と。

その時はいていたストッキングはさんざん履き古したもので、
伝染しにくい作りなのかな、と重宝していたのだけれど。
いわば、「金属疲労」的に、破れてしまったのかも。

いや、ここで感心している場合ではない、面接に遅れてしまう!
私はわれに返って、近くの売店を探した。
こういうところのストッキングはスーパーで買うより、格段に高い。
貧しい学生だった私にはこれも痛い出費だったが・・・。

面接試験には無事通り、私は翌年、某自治体職員になった。
バイトバイトで、綱渡りのようだった、悲喜劇的学生生活は
なんとか終わりにすることができた。
私は、初の月給でストッキングをまとめて十足、「大人買い」した。