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藤沢周平体験(その7) [文学]

藤沢作品を読みながら、期せずして、
ずいぶんと色々なことを考えることになった。
この作家の多面性、つまり、エンターテイナーでありながら、
本格的な作家論に通じるような作品も書いていたこと、がひとつ。
そして、山形県出身(私も幼少期を過ごした)である、ということが大きい。

先回、『白き瓶』の中の一節を引いたが、この文章を
読む限り、藤沢は左千夫よりもずっと、茂吉や節の方に近い。
つまり郷土の自然に対する強い愛着を持って
表現に向き合った人、といえるだろう。

『乳のごとき故郷』(文芸春秋)は、藤沢の死後、
彼があちこちに書いた故郷にまつわるエッセイを
集めて出版された本だが、これを読むと、彼が
どんなふうに故郷を思い続けていたかがよくわかる。

特に、「緑の大地」と題された文章には、
「庄内人の穏やかさというものを指摘されたことがある」
として、かの地が藩主酒井の善政のもとにあったこと、
それを支えたのが、豊かなコメどころだったことなどを挙げ、
ほほえましいほどの「ふるさと自慢」を展開している。

同じ山形県であるが、こうはいかなかったなあ、
と自分が育った、南西部の小さな盆地のことを、しみじみ
思い返してしまう。一年の半分は、一メートル以上の
雪に閉ざされていたその町のことを、忌々しく思うことはあれ、
懐かしく思い出すことなどまったくないのである。

とりあえずは、歌の材料にはなる。自然を見るときの、
折々は、負の方向からであるが、それなりの鋭さは
磨かれたのではないか、と(そう思わなければ、
当時の記憶があまりにもみじめである)。

とはいえ、『白き瓶』を読んで、ようやく気付いた。
藤沢然り、茂吉に然り、愛した方が勝ち、
愛し続け、思い続けることが、表現者にとって
(憎み続けることより)はるかに大きな財産なのである。
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