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藤沢周平体験(その6) [文学]

そんなこんなで、永田和宏氏が『白き瓶』を
称賛されるのを耳にしてから二十四年もして、
ようやく私は、この書を読もう、ぜひ読みたい、
読まなくちゃ、という気持ちになったのである。

この書はほかの藤沢作品に比較すると、
異例の大冊である。文庫本でも500ページ近くある。
それでも、読み始めたら早かった。
私にとって、それだけ魅力的な書だった。

山形出身の藤沢だが、惹かれたのが茂吉ではなく、
なぜ長塚節だったのだろう、という疑問を
なんとなく抱いていた時期もあったのだが、
少しずつ、納得できる気持ちになっていた。
農村社会の旧弊、そして病気とに最後まで痛めつけられた、
長塚に対する思いは、また藤沢自身が味わってきた
ことから来たものに違いないのである。

この書でなんとも魅力的なのは、伊藤左千夫である。
豪胆にして繊細、狡猾にして無邪気な
なんとも破天荒な人物として、実に生き生きと描き出されていて、
圧倒されるのである。節は彼に翻弄させられ続けるが、
かといって、最期まで憎むことができない・・・。

茂吉はこの書の中では冒頭近くに登場している。
長塚節の代表作ともなった
  馬追虫(うまおひ)の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし
を含む「初秋の歌」12首を、茂吉が絶賛する、という場面からである。

この茂吉の描き方にも、藤沢の、「地方人」に対する鋭い観察眼が
注がれている。

  しかし甲之も左千夫も、山形県南村山郡金瓶村の農民の子である自我を
  強烈に保ち続ける茂吉ほどに、この歌に興奮したかどうかは疑問である。
  そこ(「初秋の歌」)には、初秋の相をうたって、農村、山村に育った
  人間ならば容易に気づく把握の凄味とでもいうべきものが現れていたの
  だが、その凄味というものは、都会育ちの人間、あるいは甲之や左千夫の
  ように農村の出ではあっても生地の風土に茂吉ほどの執着を持たない
  人間は、あるいは見過ごしかねないものでもあったからだ。
                        藤沢周平『白き瓶』
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