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谷川俊太郎 [文学]

現代詩人のなかで一番好きな人は、と訊かれたら
ためらうことなく即答する。谷川俊太郎さん、と。

初めて読んだ詩集が何だったかは忘れたが、
最初に購入したのはなぜか『谷川俊太郎詩集 続』(思潮社)。
奥付を見ると、1981年5月1日第三刷発行、となっている。
(短歌を初めて間もないこである。私は短歌より先に
現代詩の方を読んでいた)
不思議なことに初版の日付がないが、1979年らしい。

この本を読んでいるうちに、やはり『谷川俊太郎詩集』も
欲しくなって購入した。こちらの奥付は
 1965年1月29日 第一刷発行
 1983年12月15日 第十四刷発行

と併記されている。詩集で十四刷って、やはりすごい。
でも、読んでいると私は、『谷川俊太郎詩集 続』の方が、
好きかもしれない、いや、断然好き、という気がしてくる。
でも、もっと好きな谷川さんの詩集がある。
それは『はだか』・・・。(続きます)
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天童 [短歌]

山形県天童市は、将棋の駒作りの町として、或いは温泉町として
ご存知の方も多いのではないだろうか。山形市からすぐのところにあり、
ベッドタウン的な存在として発展してきてもいたらしいが・・・。

私の母はこの町育ち。祖父母の家があったので、子供の頃は、
一年に一度(春休みが多かった)は、泊まりに行っていた。
今も母の甥一家が住んでいるが、私は学生の時に一度
遊びに行って以来、四十数年、一度も行っていないのだが。

ところで葛原妙子の最終歌集『をがたま』には
「天童」という短い連作がある。やや長い詞書が付されていて

 「天童」とは憧憬に充ちた羽前の町の名である。天童城始祖
 南朝系天童丸は十四世紀の人。・・・

と始まる。葛原らしいきびきびとした文章に導かれるのは
つぎのような作品。

  幽暗の林檎実らばよりゆきてムーンクイーンと呼ばしむはいかに
  天童のをみなきたりて置きゆきし紅花(こうくわ)乾きて紙の音する
  呼気かすか触るよりなほかすかなり口唇にくれないゐ伸(の)すこと

天童はまた、口紅の原料となる紅花の産地でもあったからである。
読んでいると、子供の頃に従弟たちと遊んだ小川や、土手沿いの道が
思い出されてくる。

母はもう施設にいて少々認知症気味だが、私が行くと待ち構えたように
様々な話をしてくれる。内容は多岐にわたり、特に子供の頃、若いころの
話が多く、その細やかな記憶に驚かされるのである。
母が母の姉(私の伯母)とあまりうまくいっていなかったこととか、
子供の頃、近くに住んでいた祖母(私の曾祖母になる)に
預けられることが多くて、嫌だったこととか・・・。

私にはいつも強く、多く怖い存在だった母。でも、もっと早いうちに
天童での話が聞けていたら、身近な存在に感じられていたかもしれなかった。
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権之助坂 [旅]

権之助坂は目黒駅のすぐ近くにある。私は高校~大学一年まで
の四年ほど、目蒲線(今の目黒線)沿線に住んでいたので、
まず目蒲線で目黒に出てから、山手線を利用する、ということが
多かった。目黒は途中駅ということになるのだが・・・。

高校の卒業式から大学入学式までの三週間ほど、目黒駅から
徒歩七、八分のところにあった、某信託銀行でアルバイトをした。
毎日権之助坂を上り下りして通う。株券の切り替え業務で、
けっこうバイト代が良かったが、さらに八時まで残業すると
食堂で夕食を摂るための食券が配布される。両親の反対を
押し切って大学入学をした私は、激しい金欠病を患っていたので、
この三週間、日曜日以外は八時まで働き続けた・・・。

当時の権之助坂は、オフィスのような建物が多く、
午後六時を過ぎると灯りが極端に少なくなる。夜の帰り道が
心細かったから、暗く感じた、ということもあったかもしれないが。

大学に入学した年は、すでに学園紛争の熱気が去っていて、
学内は退廃ムード。近くの私大では内ゲバが激しかった。
合コンに熱心な人、音楽やスポーツ系のサークル活動だけに
力を入れる人も多い傍ら、左翼思想の本を読んでいる人もいた。
あのころは、まさに「過渡期」だったのだ、と思う。

お兄さんが中核系の活動家だというKさんは、
その影響を受けていて、左翼書をいつも手にしていた。
そして私に、こんなことを教えてくれたのである。

「目黒の権之助坂の少し横に入ったところに、
左翼書の専門店があるの。ここに行くと、だいたい揃っている。
でもね、兄の話だと、そのお店は、裏の方でエロ本も扱っていて、
こっちの方がかなり充実しているらしいわよ。あなた、
いつも目黒を通ってくるんでしょ。知らない?」

私は当時、マルクスの資本論を研究する会なんかに
出てはいたけれど、のめり込むということでもなく。
彼女の言っている店がどこなのか、確かめようとは思わなかった。
そして、もしかするとからかわれているのかな、とも思った。
でも、そのことはずっと心の奥に残っていたのである。

昨年、いつも出席している横浜歌会で「都市を詠う」という
題詠が出されたとき、ふっとそのことを思い出して歌にしてみた。

  左翼書とエロ本のみ売る店ありき灯り乏しき権之助坂に
                         岡部史

出席者からはすぐに「権之助坂は、大きな通りで灯りは乏しくない」
と反論された。私のこの坂の昏い印象は先に述べたとおり。

最近、五反田に行く用事があり、ついでに目黒で降りて権之助坂を
歩いてみた。もうすっかり変わっていて、私がバイトした銀行の
建物も、もうどこだったかわからないほどだった。
でも、目をつむると、暗い表情をした本屋の店主が
小さな灯りを点して、『共産党宣言』や『ドイツイデオロギー』
等の本を並べている様子が目に浮かんできた。
その傍らに、エロ本はあったのか、どうか。
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マッド・マザー 生贄の少年 [映画]

WOWOWで放映されていたものを録画して観た。
分野はサスペンス、とある。映画の最初の三、四十分は
どちらかというとホームドラマ的。
両親を突然亡くして、祖父母の家に引き取られてきたマリアン。
身辺状況の変化に対応できず、祖父母には反抗的になっている。

近所を散策するうちに、難病で自宅療養しているらしい少年、
アンディを知る。二人は互いの寂しさを分け合うように
交友を深めようとするのだが、アンディの母親(医師である)が
かたくなにマリアンの接近を拒み、アンディを孤立させようとする。
仕事を止めて、アンディの闘病を支えている父親の方は、
アンディの孤独を理解し、マリアンとの交流に一定の理解を示す。
だが、強い母親に対抗できず。自分は外で不倫している。

アンディの母親の奇妙な頑なさ、そしてやがて見せる、狂気じみた
周囲への威圧的態度から、映画は少しずつサスペンスらしい
方向性を示していく。決定的な秘密は、アンディの家の半地下に
なっている部屋の中にあった・・・。

アメリカは家が大きいし、敷地も広いし、隣家との距離も
半端ではないところがあるし・・。
そうしたことが、犯罪の温床になっているような気がする。
この映画も、まったくの作り話ではないような気がするほどに。

最後は感動的に終わるのですが、そこに至るまでが実に恐ろしい
映画でした。ネタバレするので、展開については控えますが。

ところで、この邦題、ちょっと、ひどいんじゃないか。
原題は「The Harvest」で、こちらも意味がよくわからのだけれど。
と思っていたら、邦題が変更されたのだそうだ。
「ユージャル・ネイバー」だって。これも、なんだかなあ・・・。
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「塔五月号」と一首評 [短歌]

所属している短歌結社「塔」の五月号が届いた。
このところ遅れ気味。一首評の書き手の選出と依頼を
担当している私は、13日を過ぎたころからやきもきし始める。
依頼から月末の締め切りまで、二週間ほどしかない、という
ことになり、お断りされる例も増えてしまうからである。

特にお勤めしている人からは
「塔が、金曜日に届くのと、月曜日に届くのとでは、雲泥の差」
と言われることが多いので、週末までの塔発送を見越して、
依頼状を早めに発送してしまうことにした。近くのポストの集配時間
を見計らって、依頼の葉書を八枚書き(結構大変だ)
投函して半日後に、塔が届いた(う~む)。半日後なら、
実際に誌面を確認してから依頼したのになあ、とか。
毎回、何かある。

「一首評、ご依頼有難うございます。」
「沢山の会員の中から、選んでいただき誇りに思います」
こんなメールが届くと、こちらも嬉しくなる。
中には
「一首評、〇年ぶりの依頼です。選歌欄評者への推薦もしてください。
そちらは〇〇年も、依頼いただいてません」と書いてきた人も(汗!)
こちらは私の一存では何ともしがたい。

中にはこんな風に言ってきた人もいて、ずしんと落ち込んだ。
「赤紙、ならぬ、こんな葉書がきて、ぞっとしました。
誰かに代わってもらいたいです」
赤紙って・・・。


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フラッシュダンス [映画]

最近BS プレミアムで放送されていた映画。
私は83年に公開された当時、お勤めしていた。評判を聞いて
どうして見たくなり、休暇を取って見に行った記憶がある。
あの弾むような音楽と、当時としては斬新な振り付けに、
すっかり心を奪われた記憶も・・・。

あれから35年も経ってしまった・・・。今回は相棒が
観ていないから、というので録画しておいて一緒に見た。
働きながらダンサーになることを夢見る、キュートな女の子
の話、ということは覚えていたのだが。
彼女がピッツバーグの鉄工所に勤務していたこととか
(先の大統領選で、トランプが勝利のカギを握ることになった地、
でもある)。犬を飼っていたとか、それになんとなんと、
恋人らしい人もいたとか・・・。もうみんな忘れていて。

「ダンスの練習の時に足につけていたレッグウオーマー、
日本で爆発的に流行ったんだ。この映画のおかげなの。
それから女子高校生が、あの象の足みたいなルーズソックス、
履くようになったのも、もとはといえば、この映画が
きっかけだったらしいよ」

などと、相棒に説明しながら自分で呆れる。
なんだ、一番よく覚えていたのは、主人公が履いていた
レッグウオーマー、だったなんて・・・。
でも、ジェニファー・ピールがどんなに可愛いったか、
あらためて確認。懐かしいあの八十年代、の香りも。
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Lion~25年目のただいま [映画]

実話に基づく、2016年オーストラリア制作の映画。
インドの貧困地区で、母と兄に愛されながら育った
サルーは五歳の時、駅で兄とはぐれ、乗り込んでしまった
回送列車で遠くコルカタ(カルカッタ)にまで運ばれてしまう。

コルカタでは主にベンガル語、彼の故郷のヒンズー語とは
異なる。迷子になりながら言葉も通じず、苦難に満ちた
路上生活をするうちに児童施設に送られる。新聞に
身元照会の記事が掲載されても、名乗り出てくる家族はいない。
サルーの母は文字が読めないので、新聞など意味の薄いことだったのだ。

やがて、オーストラリアの夫婦に養子として引き取られることになる。
サルーは夫婦に実子同様に愛され、教育を授けられ、不自由ない生活を
送ることになるのだが・・・。成長するにつれ、
自分の本当の居場所はここなのか、母と兄はまだ、自分を
狂ったように探しているのでは・・・、と悩むことになる。

映画の舞台は、最初はインドのあの、匂い立つような喧騒とホコリ、
人いきれ・・・。途中から一転、その対極にあるような、オーストラリアの
すがすがしくも美しいタスマニアの自然へと移る。
この落差がそのまま、主人公の落ち着かなさ、居心地の悪さ、
を生んでいる・・・・。そんな気持ちにさせられる。
題名から展開は見え見えなのだけれども。

サルーが育った町はどこだったんだろう、と気になった。
彼は最後には、グーグルマップで、自分の育った町を探し当て、
母親と涙の再開を果たす。兄は悲しいことにサルーとはぐれた日、
列車事故で亡くなっていた。

とりあえず手元の世界地図で、サルーの故郷近くとされた
カンドワという街を探してみた。なんと、コルカタより
はるかに西、ムンバイの方に近い内陸の街なのだった。
私はこの町の近くを列車で通ったことがある。
サルーが列車から出られず、絶望的な
思いで見ていた車窓の景色を、私もみていたことがあったんだ。

インドは、どんなことでも起きてしまいそうな不思議で、
恐ろしい国。それでいながらなんとも魅力的で、
体調さえ良ければ、何度でも行ってみたい国。でも、
一度調子を落とすと、地獄のように苦痛な国である。
オーストラリアで成人になってしまったサルーは
再び訪れたインドに、どんな思いを持ったのだろう。こここそが
自分の属する地、として戻ろうと思ったのか、それとも・・・。
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マトリョーシカ [藝術]

三谷幸喜といえば、私にとっては長く「随筆家」だった。
お芝居の方はとんと縁がなく、朝日新聞の夕刊に長期間、
連載されているエッセイを読んできていただけだからである。
毎回、なかなか面白く、脚本家でありながら、俳優的な活躍もされ
豊かな才能の持ち主らしい、とは感じてきていたのだけれど。

一か月ほど前、WOWOWで放映されていた「マトリョーシカ」という
舞台の録画を観た。相棒が見てみよう、と言い出して、ああ、
そんなのやってたんか、というくらいの軽い気持ちで。
たちまちのめり込んでしまった。この舞台はご存知の方も多いと思うが、
登場人物はたった三人。場所もある演出家の自宅の部屋、のみ。

至って安上がりらしいのだが、これが抜群に面白かったのだ。
題から、舞台はロシア? とも思っていたのだけれど、これは
内容が入れ子構造になっていることから名付けられたものである。

つまりある一連の出来事があって、落ちがくる。その後に、
似たような出来事が続いて、少し違う落ちが来る・・・。
ということが続くのである。観客は、あれれ、という間に
騙される。ではまた、同じようなことになるのか、と思うと・・・。

これが凄くスリリングでのめり込んでしまうのである。
舞台だけではなく、推理小説でも生かせそうな
わざである。いや、もうどこかでやられているんだろう。
何度も同じことがあって、でも、どれが本物の殺人事件?
とか・・・。
三谷幸喜。もっと観たい。


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食用としての犬 [食文化]

張競著『中華料理の文化史』(ちくま新書・1997年刊)は、
コンパクトにまとまった、中国食文化史の本として、手ごろで
読みやすく、なかなか便利な書である。だが、読めば読むほど、
このような新書一冊に「中国料理」を論ずることの無理を感じてしまう。

たとえば全七章のうちの一章に「犬肉を食うべきか食わざるべきか」
が当てられている。中国料理に犬という食材が果たしてきた歴史的経過と、
最近のペット化の進行による「犬料理忌避」の傾向が記されている。

だが、はたして、この書が書かれた九十年代の半ばに
「犬食」が減少していたのかどうか、言い切れないように思うのだ。
私が2001年に中国東北地方に滞在していた時には、周囲に犬料理の
店が沢山あり、外国人が宿泊するようなホテル内のレストランでも、
堂々と「犬料理」がメニューに載っていたからである。

作者の張氏は、上海の出身らしい。そうなると中国東北部の
食事情にはあまり詳しくはない、ということが想像される。
中国は大きくて広く、民族も多様で、食を巡る状況も複雑で多岐にわたる。
新書一冊の「食文化論」には大きな限界があるのは当然のことだろう。

最近、中国東北部の友人と話した時も、彼女はちょっと
照れたように笑って、
「犬、もちろん食べてます。美味しいですよ」
と言っていた。もちろん、ペットの犬とは厳密に区別され、
食用として飼育されているものである。
特に中国内の朝鮮族は犬を多食する傾向にある。
その朝鮮族が多数住む東北地方にかぎっていえば、
張氏が『中華料理の文化史』のなかで指摘されているような、
「犬料理は乞食しか食べないものに成り下がった」ということは、
ない。むしろ、高級料理のうちに入り、滋養豊かな
薬膳的な料理として尊ばれている、といっていい。
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『事典 和菓子の世界』 [読書]

2006年に発刊された中山圭子著『事典 和菓子の世界』(岩波書店)。
このたび増補改訂版が出た。著者の中山さんは虎屋文庫の研究員を
しておられ、現在は同社の取締役。私は十年くらい前、
虎屋文庫をお尋ねした際、お会いしたことがある。
今回の改訂版は、中山さんご自身からご寄贈頂き、感動して
いるところ。そしてまず、旧版とどう違うのかな、その違いを
じっくり確かめて、楽しんでいるところ。

表面上の違いは、1、箱がなくなった。表紙がソフトカバーに。
2、紙質が薄くなり、色も白からベージュに。
3、フッターの緑線が消えた 4、カバーの絵が明るく親しみ
易いものに変わった・・・。などなど。
全体に軽さが強調され、手に取りやすくなった感じ。

内容面で一番大きな差異は、「絵が語る和菓子の歴史」
というコラムが追加されたこと。コラムとはいえ、連続して
15頁もあり、一項として独立した章をなすような読み物に
なっている。絵もなかなか貴重なものが多く、楽しめる。

今回改めてこの書を手にして、きちんと通読はしていなかった、
ということを思い出した。箱入りの「事典」感覚の本は、
いつも身近の書棚に置いていて、調べたい時にぱらぱらと
「見ていた」けれど、「読んで」はいなかったなあ、と。

たとえば「第一部 名称編」の冒頭に登場する「あこや」という
お菓子。私は全く知らないでいて、改訂版を手に取って、初めて
気がつき、じっくりと読んだ次第。こんな項目がまだいくつもある。
今回の改訂は、ハード面から、明らかに「事典」から「読み物」へ、
という編集方針の転換があり、それは功を奏しているように思える。

自分が『郷土菓子のうた』で取り上げようと思ったお菓子の項は、
敢えて読まないようにしたことも記憶にある。中山さんと
お菓子へのアプローチの仕方が似ている部分があるので、
引き寄せられないように、あえて遠ざけていた部分もあったのだ。

今回は、そんな懸念もなく、心おきなく読めるのが有難く、
何重にも得してしまったような気分。
掲載されているお菓子の写真も、実にきれいに撮れているし、
ベージュ色の誌面に柔らかくなじんでいる感じがする。
目にもおいしい一冊です!
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