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りんご酒・続 [食文化]

ピーター・ラヴゼイの小説『苦いりんご酒』を
書店で入手したことまでは先回、書いた。
この小説は、1960年代半ばから始まるが、
おおもとの事件は、第二次世界大戦中のイギリス南部
に始まる。主人公セオは、九歳のときにロンドンから
ある農場に学童疎開する。林檎園を備え
収穫したリンゴは、搾汁して樽で寝かせ、りんご酒にして
パブなどに出荷する仕事が本業である。

そのりんご酒が苦い、という苦情が出て、樽を開けたところ、
なんとそこから人間の頭骨が出てきた! というところで、
私はすっかり肝を潰し、この小説を読み続けるのをやめて
しまっていた。サスペンスとは思っていたが、こんな
猟奇的な作品だとは知らなかったし・・・。

今回、三十年ぶりにこの書を手にし、読み始めると、
一気に最後まで読めた! 気味の悪い箇所がある、と
最初から分かっていたのが良かったみたいだ(!?)

最後の十ページくらい、つまり犯人の特定と、動機など
の謎解き部分は、納得できない点も多々あるが、
この小説の面白さはやはり、りんご酒づくりの農場の
描写、そして戦時中の農村の独特の雰囲気(この農村の
近くには、GIが駐在していたのである)が味わえることだろう。

訳者の山本やよい氏は、あとがきで、この書をよりよく
訳すため、ニッカウヰスキーの弘前工場を見学、その見聞に
ついて詳述しておられる。戦時中の英国でのりんご酒づくりとは
比較できないほど衛生的、効率的な製造工程のようで、
とりあえず、ほっとする。安心して「苦くない」りんご酒、
飲めるかも。ずっと忘れていたけれど、この小説を
読みかけて放り出した当時は、しばらくサイダー(日本の)
でさえ、口にするのが嫌だったから。英国では
りんご酒の醸造所から作者宛に苦情がなかっただろうか。

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りんご酒 [食文化]

ずっと以前、八十年代の半ば頃だが、松田聖子の歌の

 涼しげなデッキチェアー、ひとくちのりんご酒

という歌詞に出会い、おいしそうだなと思った記憶がある。
林檎から作られるアルコール度5%くらいの飲料で、
発泡するものが多い。ワインとソーダの間位の感じの、
軽い飲み物である。

まもなく、
短歌の仲間が面白いよ、とピーター・ラヴゼイという
推理小説作家を教えてくれたので、読んでみることに。
書店で目に留まったのは、松田聖子の歌の影響もあって
『苦いりんご酒』。原題は『Rough Cider』である。
あれ、りんご酒がサイダー?と混乱したのだったが・・・。

英語でサイダーというと、一般にりんご酒を指す。
日本でのサイダーは、炭酸水に果汁などを加えた、ソフトドリンク、
として一般化してしまった。だから、英語の「cider」を
「サイダー」と訳すと、誤訳になるんだった!
(ああ、これだから、外来語はクセモノなんだ)。

ところで、1月16日の朝日新聞夕刊に、最近のシードル人気
についての記事が載っていた。この二年で二倍の伸び、
醸造所も六十か所に増えているとか。シードルって、
英語のサイダー(りんご酒)のことじゃないか。
シードルは、フランス語で、この飲料はもともと、
フランスのノルマンディあたりから伝わったらしい。

欧米では果物は、飲料やジャムなどに加工して
使われることの方が、生食より圧倒的に多い。
日本のシードル人気は、林檎を生食しない若者が
増えている現在、農家から歓迎されているのだと、
記事は伝えている。
日本の果物が主として生食用に工夫され、発展してきた
歴史を考えると、ちょっと寂しいのだが。
こんなところにも、食生活の欧米化が進んでいるんだなあ、
と寂しくなった。ちょっと、苦いかも、りんご酒。
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誤植 [短歌]

「塔」誌の末尾近くには毎月「誤植訂正」が
載っている。怠惰にして、気を付けてみることは
ほとんどないのだけれど、11月号はなんとなく
目に留まってしまった。一瞬、自分の作品に
あった誤植を、誰かが指摘してくれていたのか、
と勘違いしてしまったのだった。そこには

「誤」芋売りに→「正」竿売りに

とあったからである。
よく見て、加藤美智子さんの
作品の中の誤植訂正だとわかったのだが・・・。

私が誤解したのは、じつは六月号の月例作品に、

 野に在りし日々を恋ふらし竿竹屋に唱和している犬のなが鳴き
                       岡部史

という歌を出詠したのだが、この「竿竹屋」が
「芋竹屋」と誤植されてしまっていたからである。
私は誤植訂正の申し出は、特にしていない。読めば誤植と
すぐにわかるような場合が多いし、さらにこの歌の前に

  地を出でてふかく息づく山芋はしろたへに輝るかるかんのうち
                       岡部史

と言う歌を出詠しているので、紛らわしかったんだなあ、
などと、苦笑してしまっていた。「竿」と「芋」、
ふうん、意味は全然違うし、カンムリも違うのに、よく似て
いるもんだ、などと感心(?)したりしていた。

沢山の作品を短時間で校正するのは本当に大変だ。
特に書き文字には癖があり、判断しにくい場合も多い。
「塔」の校正に携わった経験から、つい校正者に同情
してしまう。そのあたりからも、誤植には甘くなってしまうのだが。

横浜歌会のメンバー「苅谷」さんなどは、誤植される
常連(!?)かもしれない。愛知県の刈谷市の「刈」と
混同されて、草冠のない文字で登場させられることが多いのだ。

以前「塔」で活躍されていた「秋場葉子」さんも誤植
されやすいお名前だった。姓と名前の文字が混同され、
「秋葉」と誤植されることが多く、彼女は自分で
「問題のある名前なんですよ」と苦笑されていたくらいである。
でも、やっぱり。
固有名詞はきちんと名簿などで確かめよう、勿論自戒を込めて。
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題詠について(その5) [短歌]

題詠の題は、宮中の歌会始などもそうであるように、
漢字一字がほとんどである。一字ごとの意味を極めていく
楽しさがあって、これはこれで面白いと思うのだけれど。

「塔」のe歌会ができたのは二十一世紀になる前で、
結社としてはかなり早い創設だった。私が初参加したのも
九十年代末の頃で、今の主宰・吉川さんなどをはじめ、
参加者は十名足らずで、家庭的な雰囲気が楽しい会だった。

まもなく「衣装、衣類を詠む」という題が出された。出題者は
なみの亜子さんだったと記憶する。私はこういう題のもとに
作歌するの初めてで、何を詠もうか、ワクワクしたことを
覚えている。果たして、さまざまな「衣装」が登場。
なかには、「バスタオル」もあって・・・。

そう、衣装とみなせば衣装になるのだった。ちなみに
私はインドのサリーを詠んだのだが、これも実質的には、
一枚の幅広の布である。

この経験に味を占めて、私は自分に司会が回ってきたときに
「具体的な色彩を詠む」という題を出した。
仲間の中には、「色彩辞典を買ったよ!」と個人メールを
くれる方もいて、どんな色が登場するのか、ほんと、
楽しみだったのだけれど・・・。

この企画は失敗だった。日本の色彩は色の名と具体的な
モノとの区別が判然としないものも多いのだった。
また「具体的な色」は、個々人によって異なるものでもあり。
私はできるだけ間口を広く、と心がけたのだけれども。

出詠した人の中に、自分の歌にケチをつけられた、
と思い込んだ人がおられて、なぜかあれよあれよという間に、
かなり憤慨され、ヒートアップされてしまったのである。
私のフォローが足りなかったのだ、と思った。

とにかく、曖昧な出題だった、と謝罪したのだが。
なんだかひどく後味の悪いことになってしまった・・・。

題詠の歌会では「題の内容を作者が解釈して出詠できる」
題であった場合は、お互いの
信頼関係がとても大事だ、ということを学んだのだった。
e歌会のように、互いの顔が見えない場では特に。

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題詠について(その4) [短歌]

「塔」2004年1月号に栗木京子さんのインタビュー記事が
掲載されたが、その中で栗木さんは「数を作るコツ」を問われ
「(当時依頼が多かったため)俳句のアンソロジーから無理やり拾い
ました」と応えている。それを読んで私も真似してみようと思ったのだが。

これがうまくいかなかった。俳句を読むと俳句の世界に没頭して
しまい、なかなか自分の作品化と言うところまでいかない。
俳句本来のリズムが、自分の短歌を作るときのリズムと決定的に、
異なっていて、自分の言葉に結びつかないのである。
俳句は季語の約束があるので、ある意味、ユルイ題詠だけで
成り立っているような文芸である。私は句集より『季寄せ』をめくって
短歌を作るということの方が、合っているように思える。

ところが栗木さんのインタビューを読んで間もなく。
図書館で『俳句に詠む四字熟語』という本をみつけた。
これがめっぽう面白かったのである。心に響く作品も多かった。
四字熟語の他に季語も入れなければいけなのだから、高野公彦氏の
出題のような、まさにてんこ盛りの縛めであるのだが・・。

  追羽子や相思の愛を打ち返す
  伯仲のあひだ向日葵うなだるる
  夏薊線路の果てはうやむやに
  ホルスタイン三三五五の雲間かな
  雪解水一気呵成に別の国
                水庭進編

などなど。そこで私も四字熟語を詠んでみようと思い立つ。
すると結構、歌ができてきた。ちょうどその頃、「塔」から
風炎集への依頼が来たので、この時に作ってみた歌に手を加え、
さらにいくつか作り足して、出詠することにした。

  一触と即発の間(あひ)しづまりて大きカンナの朱は滴れり
  森の呼気、雲の吸気と聴き分けて初秋の月はすこやかな耳
  星屑の離合集散みとどけむ今宵ちひさな水面(みなも)となりて
  時かけて蓮の瞼を閉ざしゆく三三五五の闇といふべし
  悠々、されど自適にはとほき蜘蛛ならむながく風に揺らるる
                         岡部史

四字熟語を題詠的に扱うと、面白いほど歌ができた。
残念ながら、この時だけで、以後、四字熟語で
すらすら歌になる、と言うことは無くなったしまったのだが。
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題詠について(その3) [短歌]

「塔」誌上の題詠四季、私は三年ほど前から
この欄の選者を任されている。今まで「甘」、
「平」、そして「会」という題を出題している。

最初の二つに比べると、「会」は二割くらいも
応募数が少なく、頭を抱えたことだった。作品の
質も、やや低調で。この題を決めたころは、「忖度」
という言葉がメディアに頻繁に登場していた時で、
日本人は「会って」つまり、顔を見ながら相手の性格や
心情などを忖度しながら動く傾向が強い、では
どんな「出会い」の場面を持っているのだろう、と
考えて決めたお題だったのだけれど。

この題はあまりにも間口が広くて、心情を託しにくく、
作歌意欲を刺激しない題だったのだ、と気が付いた。

年末、「高野公彦インタビュー ぼくの細道 うたの道」
を読んでいたら、高野さんがずばり、こう仰っている。

  高野 ・・・題は難しければ難しいほど歌は作りやすい。
  栗木 「題詠は銀の束縛」と書いておられますね。

そこで紹介されているお題はなんと「木偏の字があって、
鳥がいて、魚がいて、オノマトペのある歌」!
でもいい歌がかなり出されたのだとか。例として
  シャガールのカンバスに棲みほのぼのと目を開く鶏手のある魚
                         小田部雅子
うーmmmm。と瞠目し、言葉が出なかった私。(続きます)。
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題詠について(その2) [短歌]

「塔」誌面に登場した題詠のコーナーとは、
「題詠春秋」と名付けられ、その名の通り、
春と秋の二度、二人の選者が出題して作品を
会員から公募。選ばれた作品が掲載されるというもの。

現在は題詠四季と名を変えて、一年に四度、五人の
選者によって行われている。題の方は煩雑を避けて
漢字一字の出題と決められている。

私が参加している横浜歌会も、一年に四度、
題詠による歌会をやっていて、こちらは漢字一字に
囚われず、たとえば「都会の情緒を詠う」とか
かつては本歌取りを詠む、という難しい出題もあった。

他にメールによる歌会・テルミニにも参加していて、
年に六回の歌会を行っているのだが、こちらもほぼ
毎回題が出題されているので、横浜と合わせ、一年に
十回は題をもとに歌を作る機会に恵まれているということになる。

それで思うのだが、「題の出し方」によって、歌の出来に
ばらつきがあるということ。一般にはユルイ題、つまり
間口が広くて作りやすい題の方が、良い作品が沢山
できるのでは、と思いがちなのだが、実は
あまりユルイ題ではかえって作りにくい。自分の場合だが、
駄作が多くなる傾向にあるように思われるのである。
               (この項、続きます)。
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題詠について [短歌]

短歌結社「塔」に加入して、さほど日が経って
いない頃のことだから、たぶん三十年くらいも
前のことだろう。だいぶ年上の会員の方から
「題詠なんて、遊びみたいなことやっていては、
いけない」みたいなことを言われた記憶がある。
あれ、そういう考えもあるのかな、と意外に
思ったことだった。
「塔」の中心的な人たちも同じ考えなのかな、
だとしたら、ちょっと窮屈だな、とも。

でもしばらくすると「塔」誌面に
題詠のコーナーができた。ほっとした!

あれから、私は題詠にかなり助けられながら、
短歌を続けている。題詠のおかげで、欠詠を
免れたことも多々あり・・・。
そうして分かったのだが、題詠は遊びと言う部分も
確かにあるけれど、短歌のように自分の心の中の
気付かない面を掘り下げていかないと作品化しにくい
文芸では、ある言葉がカギになって、思いがけない
シーンにたどり着ける、ということがあるからだ、
と思う。

新年の初め、題詠について少し続けて考えてみる
ことにしたい(この項、続けます)。

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『光源』 [文学]

桐野夏生の長編小説は、普段から読みたいと
思っているのだけれど、なかなか纏まった時間が取れず、
数日前に、ようやく『光源』を読み始め、たちまち没頭。
一気に読んだ。そのなかに、不思議にも、ずっと心に
留めてきていたことへの答え、らしき言葉に出会って、
はっとした。
その直前まで、先回書いた剣淵町の「絵本の里を創ろう会」
の三十周年記念誌へ依頼された作品に添付するための
写真の撮影に苦心していたところだった。
魔女が夜空を飛んでいる、そんな感じの写真を撮ろうと
悪戦苦闘していたところだったからである。

ともかく、桐野の文章の中の、その部分を引いてみる。

  自分の光源を持つためには、ただ撮影するだけでは
  駄目だと有村は気付いた。何をどう見るか。映画で
  描きたいものは何か。映画に、ひいては映画が
  表現しようとする人間に対する感受性を持たなければ
  光源を新たに作り出すことなどできない。ストラーロ
  が「光で書く」と言ったのは、物語を「光で書く」と
  いうことだったのだ。

撮影監督である有村が語る言葉として綴られているが、
写真撮影にもまったく、同様のことがいえるだろう。

私は物語を「光で書く」とまで、考える境地にはとても
なかったけれど、深い闇の中を、くらい情熱を抱えて
空を昇っていく魔女の姿を映し出したくて、色々と
奮闘した。黒い布と群青色の布を広げて、
小さなスタジオまで作ったりして・・・。
未熟ななりに一枚の写真撮影に没頭したのだったが・・・。

映画撮影にはさらに複数の人たちの動きが加わるのだから、
大変だなあ、と改めて思った。小説『光源』には、撮影現場の
人間模様もこまやかに描かれていて、このあたりも読み応えがある。

ただ、途中から撮影監督は姿を消し、一人の俳優の
転落の物語へと変わっていってしまう。撮影現場の「光源」を
描き切ってほしかった、と切に思った。
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魔女のいる風景 [藝術]

『魔女図鑑 魔女になるための11のレッスン』という
絵本が、北海道の剣淵町が主催する絵本大賞を受賞したのは
もう四半世紀も前のことになった。翻訳を担当した私は、
授賞式に招かれ、以後、細々とながら、剣淵町との
お付き合いが続いてきたのだけれど。

剣淵町の「絵本の里を創ろう会」が来年、結成三十周年を
迎えるので記念誌を発行することになり、寄稿の依頼が
舞い込んできたのは、一カ月近く前のこと。

それで、久しぶりに『魔女図鑑』を取り出して、
ざっと眺めることに。刊行されてから、あまり目を通す、
と言うことなかったし。何しろ、翻訳から出版までは
それこそ何十回も、原書も自分の訳文も、みているわけで。
げんなりする頃に刊行されるからです。

この本は副題に「11のレッスン」とある通り、分野が
住生活、料理、編み物やキルトなどの手芸、薬草園などの
植物、古いことわざ、など多方面にわたっていて、
翻訳には本当に苦労させられた。編み物の頁なんか、
日本の紹介の方法と異なるので、編み物の得意な母に
目の前で編んでもらって、その方法を書きとる、
という訳し方をするしかなかった。
言葉の問題も大きかった。七~八歳の子供にもわかる内容に、
という編集部の方針だったので、あまり難しい言葉は使えない。
でも絵本なので、スペースが限られていて、あまり長く、
かみ砕いた説明などしている余地もない。
適当な訳語を考えていて、電車を乗り過ごしたことも・・・。

「魔女図鑑の翻訳苦労話」だけで、一冊の本を出せる、
という自信があるくらいである。

でも、苦労はもう十分報われたなあ、と思う。
剣淵町の人々とのつながりができたことはそのうちの一つ。
魔女繋がりで、仕事が舞い込むことも多い。
そしてなんといっても、『魔女図鑑』そのものが多くの人に
愛され続けていること。今も増刷を重ねていることである。
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