So-net無料ブログ作成
前の10件 | -

京都について・続 [言葉]

一千年の歴史を持つ古都・京都に、魅力的な場所が
多々あることは言うまでもなく。何気ない町なかにも、
思いがけない発見があるので、有名な寺社仏閣を
訪れる必要もないくらいである。

そうした歴史的町の魅力と言う以上に、私には
羨望をそそられることがある。町の魅力と
表裏一体ではないか、という意見もあるかも知れないが、
それは、京都に特有の地名、地名の持つ知名度、
その地名に日本人が仮託する諸々の事象、のようなもの。

具体的に綴ってみることにしたい。
「塔」に入会して間がないころ、栗木京子さんが
第一歌集『水惑星』を出版された。そのなかの

  くろぐろと白つめ草に髪垂らし少女ら寝をり賀茂の川辺に
                  栗木京子『水惑星』

を目にした時に受けた衝撃が蘇る。京都は古都であると同時に、
大学の町でもある。明治維新後の遷都の折、古都の空洞化が
懸念され、大学を呼び込む政策が実施されたことによるらしい。

学生という、なんとも贅沢な時間、だが一生のうちでは極めて
限られた時間と、古都の悠久の時間との一瞬の交錯、とも
読めるような歌である。これはやはり、賀茂川だから生きた
歌だろう。多摩川だったら、たちまち事件性を帯びてきそうな、
異様な光景に見えてしまうはず。京都で学生時代を過ごした
作者ならではの作品である。この歌には、地名の知名度と共に、
場の力が生きている。だが、次のうたはやや趣が異なるように思う。

  荒神橋、出町柳、葵橋、橋美しよ学生たちみんな誰も、泣きつつ帰る
                     河野裕子『日付のある歌』

何度読んでも、泣きそうになる。河野さんが乳癌を宣告された
病院からの帰途を詠んだ歌だから。私はこの歌集を読了後、出町柳や葵橋
に出かけてみた。場としては正直、さほど美しいところではないと思った。
作者に美を感じさせたのは、いや、何よりこの歌に力を与えたのは、
学生たちの生命溢れる様子、そして
いかにも京都らしい典雅な、かつよく知られた橋の名前、
橋にまつわる故事・記憶、などのせいではないだろうか。

数年前、私も河野さんと同様の病を宣告され、その帰途は、
まったく地に足がつかないような状態だった。しばらくして、
歌にしようと思った時、やはり河野さんの上記の歌を含む、
幾首かを思い出した。同時に、地名は詠み込めないなあ、と
残念に思ったことを覚えている。私が渡った橋の名を、
ほとんどの人が知らない。その時に歩いた町の名も。
京都に住み、歌を詠む、その有利性を思ったのである。
nice!(1)  コメント(0) 

京都について [言葉]

「塔」の仲間であるUさんに依頼した
拙著『郷土菓子のうた』の書評が「塔」11月号に、
掲載されたことはすでに書いているが、その中で
Uさんが書かれている

 その疎外感は著者が京都にあこがれるゆえのものだろう。
 (京都)の章からは短歌と京都を愛する一人の歌人の
 たたずまいが色濃く立ち上がってくるような気がする。

という一節は、長く心に残っている。私がかつて
「麩まんじゅう」を知らなかったがために、歌をうまく
解釈できなかった、というところからUさんが推定されている
もので、私の文章に添って読む限り、まさにその通りである。

短歌結社の本部もあり、相棒が関西育ちで近くにはまだ
親族が住んでいる、ということも大きく。
東北生まれで関東住まいの長い私も、この三十年余
京都は第三の故郷、というくらいに、かかわりを深くしている

だが、自分の気持ちをあらためて探ってみると、
私が憧れるのは、京都という現実の「場」ではない、
という気がするのである。実はもっと、短歌そのものとの
かかわりの中にあるような気がするのだ。
その辺り、次回に書くことにする。

nice!(1)  コメント(0) 

魔笛 [映画]

NYのメトロポリタン歌劇場の公演の映画版が、
映画館に登場することになった。合計十作で、
二作目に待望の「魔笛」が来るというので、
見に行くことに。我が家から比較的近い、
横浜中心部の映画館である。

映画館に着いたのは開演の二十分前。
自動券売機で座席指定をしようとして驚く。
なんと、スクリーンの最前列と二列目以外は
全席が埋まってしまっていたのである!
平日の昼だし、この手の映画はだいたい
混まない、と高をくくっていたのがいけなかった。

仕方なく、大画面を見上げるような二列目で見ることに。
でもすぐに、映画の世界に没頭してしまった。
魔笛は、数多いモーツアルトの歌劇の中でも、一番
好きな演目。「ドン・ジョヴァンニ」もいいけれど、
私は魔笛の方が断然に好き。

少々お子様向き?と言う批判もあるかもしれないのだが。
何しろ、ストーリーがめちゃくちゃ、主役のはずの
タミーノの存在感の希薄さにずっこけそうになる。
コミカルなパパゲーノがすごく生き生きしていて、
彼一人が舞台を回している感じ。
でも、そんなのどうでもいいんだ。音楽がもう、
素晴らしくて。極めつけは、夜の女王の
ド迫力のソプラノ!!!
この歌を聞けただけでも、来てよかった!

そして、メトの歌劇らしい、演出の豪華さは、
本当に何度でも見たいくらいに素敵で。
今回のキーワードは、鳥。(これはまさに、
主人公が鳥刺しのパパゲーノであると、暗示してるような
ものだが)三人の童子も先ず鳥の背に乗って現れる。
パパゲーノとパパゲーナがめでたく出会い、
結ばれる場面で、二人を祝うように中空に舞うのも、
美しい鳥たちである。
暮の忙しいひと時、ほんと、夢見るような時間でした。
nice!(0)  コメント(0) 

Winter War [映画]

今週は真珠湾攻撃があった12月8日にちなんでか、
WOWOWでは、「世界は戦争をどう描いたか」という
特集を組んでいる。いずれも力作が揃っていて見ごたえが
あるのだが、今回はその中の「Winter War」について
書いてみることにする。2017年制作のフランス映画である。

ナチスと連合軍との争いが続いていた、ドイツとフランスの
国境近くのアルザス地方が舞台である。ここに展開する
仏部隊を率いているの伍長の男は、二人の仲間を失ったことに
深く傷つき、戦いへの意欲を失ってしまっている。泥沼化した
この戦線へ、経験未熟な若者が次々に送り込まれてくることにも
憂鬱を隠せず、周囲から不安視されるに至っている。

そんなある日、ナチスの兵が捉えられ伍長の前に引き立てられてくる。
伍長はいきなりその男を抱き締め、男の名を呼ぶ。
なんと彼は、伍長の実の弟だったのである。

アルザス地方の悲劇は、本の境界一本の差で敵味方に分けられ、
肉親や友人や知己を相手に戦わなければならない境遇に
貶められた人が沢山いたことだった。
伍長は彼にフランス軍の軍服を着せようとするが、
弟はそれを拒む。自分はナチスの旗のもとに、もう
沢山のフランス人を殺してしまった。もう戻れない、と。

戦争も押し詰まった44年の歳末から翌年の初頭にかけての
争いなのだろう。凍てついた極寒の地にほんの二、三人が
入れるくらいの小さな塹壕をあちこちに掘り、
ここから近づいてくるナチス兵に銃弾を浴びせる。
ナチス兵の方の数が多いのだが、このゲリラ的方法は、
なかなかナチス側に決定的な勝利をもたらさない。

とはいえ、味方の損失も大きい。戦争の酷さ、
不条理さがひしひしと伝わってくる、なんとも
辛い映画だった。
nice!(0)  コメント(0) 

クリスマス・シーズン [生活]

12月の声を聞くと、特にアメリカでの生活を
思い出し、たまらなく懐かしくなる。もう30年余りも
前のことになってしまったのだけれど。

12月と言えば、かの地では断然、クリスマス!
街路樹には小さな電球がたくさん取り付けられ、
夕方になると、まるで星の国を歩いているような美しさ
だった。最近は日本でも各地で行われているけれど、
あの頃はまだ珍しかったし、何よりアメリカの街路樹は
日本のものより格段に大きい。突然、大きな光の
トンネルができたようで、胸が躍ったことを思い出す。

街のドラッグストアには美しいクリスマスカードが溢れる。
アメリカでは何かにつけ、カードを送り合う習慣が根付いていて、
出産、結婚、転居、卒業、就職、などなどのカードがいつも
多種類揃っていたが、クリスマスカードは特別種類も多く、
きらびやかなもの、厳かなもの、オルゴール付き(最近は
日本でも多いが)などなど、目移りして困ったものだった。

日本に帰国してからも、アメリカで知り合った人たちと、
クリスマスカードを交換し合い、そして文通していた
人たちもいる。次第に疎遠になってしまったが、その中で、
二組の家族とはつい最近まで、連絡し合い、クリスマスカードを
送り合っていた。ミネソタ州のJさん一家とノースカロライナの
Wさん一家である。Jさんの奥さんが癌で亡くなられたのは、
八年ほど前。Jさんはその翌翌年に再婚されてしまい、
なんとなく気まずくて、カードを送りそびれたままでいる。
私は前の奥さんのバーバラが大好きだったので。

というわけで、今も文通し、カードを送り合っているのは
ノースカロライナのWさんだけになってしまった。
今年もWさん一家に送るカードを念入りに選んだ。
あと、何年続くかなあ、と思いながらも、心を込めて

 Seasn's Greetings and Best Wishes for The New Year!
nice!(0)  コメント(0) 

まほろ駅前多田便利軒 [映画]

「まほろ駅前多田便利件」は、三浦しをんの
小説を原作とした映画で、数年前に封切られた。
映画の舞台が私の住む市であるということで、
市の施設で鑑賞会が行われて話題にもなったのだけれど。

私は見ていなかった。愉快な映画じゃないんだろうな、
と、想像がついてしまい(原作は読んでいないのだが)、
避けてしまっていたのだった。最近、WOWOWで放映されていて、
他に見る映画もなかったので、つい見てしまった。

冒頭、見慣れた駅前の雑踏の様子が流れ、
「この町は、都会ではないが田舎でもない。
東京の流行は最後に流れ着く・・・」みたいな
ナレーションが入って、「ああ、やっぱり・・」
「やれやれ・・」もう展開が読めちゃうじゃないか・・。

でも、ちょっと意外だったのは、というかこの一点だけが
この映画を単なる「都会の縁で、人生を降りちゃってる
青年たち」というステロタイプな展開から、ほんの少しだけ
救っている、と思われたのは、主人公の二人の間に、
少年期のある事故がからんでいることである。
人はこういう負の記憶から、どうしたら開放されるのか、
そんな視点からも、この映画を見ることができる、と言う点で。

とはいえ、ヤクの売人とか、やーさん風の男とか、
異国からの出稼ぎらしい女性たちとか、なんだか
「この町にはこういう人が似あいそう」みたいな
登場人物がわんさか出てきて、ちょっと閉口する。
余り知らない人が見たら、きっとものすごく怖い町、
という印象を持ってしまうだろう。
(いや、実際そうなのかも。近年の凶悪事件は、
厳密には私の住む市ではないが、ごく近くで起きている)。
複雑な気持ちのまま、映画は終わってしまったのだが。
最後には少し希望が見えそうな、そんな終わり方だった。

続編があるらしい。あまり期待はせずに見ることにしよう。
nice!(0)  コメント(0) 

外来語・続 [言葉]

マシュー・アムスター=バートン著・関根光宏訳の
『米国人一家おいしい東京を食べ尽くす』は、日本のごく
普通の食べ物、ラーメンや焼き鳥やコンビニの食品などを
食べながら日本という国に迫る、なかなか面白い本である。
日本人の知らない部分、気づかない部分に光が当てられていて、
そういう意味でも興味深い「食べ物本」なのだけれど。

基本的に文化論に重きを置いているので、食を越えて、
例えば言葉の問題などにも言及していて、私はこちらの方が
興味深く思えた。たとえば、「カタカナ」という章がある。
想像がつくと思うが、ここで英語からの外来語に
ついて言及している。

著者は、日本語は発音できる音節の範囲が
限られているので、英語から借用した何千もの単語が日本風に
発音を変えられている、として、
 英単語を輸入するときは、まず発音をばらばらにして
 日本語の音に移し替え、カタカナで書きあらわす。・・・
 Carl と言う名前は、どんなに頑張ってもにほんごでは
 「Kaaru」と発音するしかない。

とし、
 英語を母語とする人は、日本にいると、英単語を日本語の
 発音で言えるようになるまで、ばかばかしいくらいの時間を
 費やすることになるだろう。

と嘆いているのである。
だが、いったん日本語の特徴がわかってくると、英単語の日本的な
読み方は、レゴブロックを組み立てるようなもので、
まるでゲームのように楽しく話すことができるようになった、
とも書いている。

日本語の発音は、基本的に、五つの母音と
十個に満たない子音との組み合わせから成り立っている、
と理解すれば、簡単なのだと気が付く、ということらしい。

逆にこういう単純な発音体系のなかで暮らしている
日本人の耳と舌について考えてみるとどうだろう。
英語の発音体系を理解し、
聞いたり、話したりすることはかなり困難を伴う、
と言うことになる。いったん、日本風の発音で覚えてしまった
外来語を本来の発音に近づけるのは、容易ではない。

どうせなら、わかりやすい日本語にしてしまえば
いいのになあ、と、やっぱり思う。
Telephoneが電話、Baseballが野球・・、と一つ一つ
日本語に置き換えていた明治初期のように・・・。
いや、もうそうやっていては追いつけないほど、
外来のモノや文化が押し寄せてしまっている、
と言うことなのかも・・・・。
nice!(0)  コメント(0) 

外来語 [言葉]

日本語は最近とみに外来語が氾濫してきていて、
これでいいのかな、と落ち着かない気持ちもする。

外来語とは、うまく言った、ともいえるわけで、要するに
外国起源の言葉を日本語化したもの、と捉えれば、
どの国にも外来語は多々あって、いつしか本来の言葉が
忘れられるほどその国の言語と同一化している例も多い。
日本語はカタカナで表記しているので、それらしさが
いつまでも残ってしまう、それだから中途半端なまま
なんだ、とも言えそうな気がしないでもないが・・・。

アメリカに住み始めたとき、言葉を話す場面で、
一番の難関の一つがこの外来語、だった気がする。
日本的な発音にどうしても引きずられてしまうので、
通じない、という場面に出くわしてしまうのである。
ある友人は、初めてアメリカに来て、ホットドッグを
買おうとしたが、お店の人に通じず、衝撃を受けた、
と言っていた。お店の名称、マクドナルドも、かなり
発音の異なる単語で、日本語の癖がついたままだと、
百パーセント通じない。

沢山外来語を知っていると、異国語の勉強に有利なような、
そんな幻想を抱いてしまうのだけれど、これが真逆である、
と考えてしまっていい。
と言うのも、発音のみならず、意味という点でも、
日本語の外来語には、かなり独特のバイアスがかかって
しまっているからである。
たとえば、彼はスマートだね(He is smart. )というと、
日本人は体形がかっこいい、という意味しか思いつかない
傾向にあるが、実は「彼は賢い(世渡りがうまい)」という
意味で用いられる方が多いのである。

とはいえ、今更外来語をできるだけ少なくして、
日本語に置き換えて普及させましょう、とはいかないだろうなあ、
と言う気はしている。
次回は、英語の外来語のために、日本で苦労した、
というアメリカ人のエピソードに触れることにしよう。

nice!(0)  コメント(0) 

人頭鳥声 [言葉]

以前「中国の友人」の項でも触れた、中国東北地方出身のS。
彼女が日本の大学院に在籍していた時、急に尋ねてきた。
「わたしは、うるさいですか」
いったい、どういう意味なのか問いただすと、どうも
日本人の学生たちから「中国の人はうるさい」と
言われてしまって、気にかかっているらしい。

「中国語は音の高低差が大きいからじゃないかな」
ととりあえず思っていたことを話してみる。北京語は
四声があることで知られているが、ほかの地区の方言には、
八声、とか十声ともいわれるほど。音の高低が言葉の
意味を規定する言語なのだから、ほとんど高低差の
ない日本語を聞きなれている者には、耳障りなのである。

先日の朝日新聞「ひととき」欄に、こんな投稿があった。
いつも喫茶店で憩いのひと時を過ごしている投稿者が
あるとき近くの席で大声でしゃべりまくっている人たちが
いて、閉口した。すると同席していた投稿者の娘さんが
「彼らの話は、中国語のリスニングの勉強になる」
と言い出したというのである。ただ、「うるさい」と
思っていた気持ちが和んだ、という内容だった。
意味が分かれば、言葉はたちまち、心に添い、「雑音」
の域を脱するのだけれども。

最近はどこを歩いていても、中国語を耳にする。
北京語だと、どんなこと言ってるのかな、とつい耳を
傾けてしまう。ほんの少しでも聞き取れると嬉しかったりする。
ちっとも聞き取れない広東語やその他の方言だったりすると、
「ああ、ちょっとうるさいかな」と思ってしまうから
勝手なものだけれど。

  中国人女性のむれの乗り来たり人頭鳥声(じんとうちょうせい)
  あやにさへづる            小池光『草の庭』
nice!(0)  コメント(0) 

健歩大会と高尾山 [スポーツ]

スポーツと言う分野に入れちゃったけど、
あれって、スポーツだったかな、と思えるほどに
ユルイ企画だった。健歩大会とは、私が通った
某都立高校で、毎春行われていた年中行事の一つである。

学年ごとに行き先が違い、一年はマザー牧場、二年は
三浦半島、三年のときは高尾山だった。指定された場所まで
電車で行く。あらかじめ渡されていた地図に従って歩く。
ところどころに教師が待ち受けているポイントがあり、
そこで通過したという証明のスタンプをもらいながら
終着点まで歩く、というもの。だいたい数キロくらいの
行程で、三時間くらいもかけていくのだから、
だらだらと気の合った者同士でおしゃべりしながら
お散歩する、と言う雰囲気で、あまり「健歩」って感じじゃない。

でも、楽しかったことは覚えている。そこで
十月のある日、相棒を誘って高尾にでかけてみた。
本当に高校三年生以来の高尾。でもかなり
変わっていました。人通りも増えたし、歩道もすごく
綺麗に整備されているし。お店も増えていて・・・。

嬉しかったのはアサギマダラに会えたこと。健歩大会は
いつも五月に行われていたので、当時は会えなかったはず。
まあ、いたとしても高校生の私は、こういう昆虫に
何も興味がなかったから、目には入らなかっただろうけれど。

高尾は句碑や歌碑の多い山で、白秋の歌碑も目に留まった。
こちらは高校生だった当時からあったのだと思うけれど、
やはり、見た記憶はまるでないのである。
高尾の中腹で、友人たちと昼食を広げている写真が
今も手元にある。私は当時仲良かったHさんと並んで、
楽しそうに笑っている。そのHさんはもう、三十代の
うちに世を去ってしまっている。ちらっと肩が
写っているYさんは、二十歳の時に病気でなくなった。
あの頃、こんなことをちらっとでも予測しただろうか。

山を歩いているのに、高校時代の記憶の中を歩いている、
そんな気持ちになってしまっていた。何を目にしても、
当時と比較せずにはいられなくて。
また来よう。今度は五月に、と思いながら山を下りた。
nice!(0)  コメント(0) 
前の10件 | -